第10話 ルネ
無人の駅舎から離れるほど、太陽の光は分厚い雲に飲み込まれていく。背の高い木々が不気味な影を作り出し、少年の恐怖心を煽った。
足跡は奥まで続いている。ライカは、自らの居場所を特定することができなかった。
無人駅は山ほどあるが、全て管理局によって整備されている。扉が半壊したまま放置されるなどあり得ない。森の中に駅があることも、少年は知らなかった。
(一体、此処は何処なんだろう)
不安げに空を仰ぐライカの頬に、ぽつり、と冷たいものが当たる。雨だ。灰色の雲海が広がっている。
ぽつ、ぽつ、と地面にできた染みは、瞬く間に大きくなった。樹木の梢を打ち鳴らす雨音は、容赦なく少年の上にも降り注ぐ。
雨を凌げる場所などどこにもない。木の枝から水滴が落ち、ライカの首筋をひやりと撫でる。
「兄さん……」
兄を求める声は、すっかり震えている。ライカは頭を振り、足跡を追う。恵みの雨が全てを消してしまう前に、兄に追い付きたかった。
どれくらいの間彷徨っていたのだろう。雨が降り止む気配はない。今さら駅舎に引き返す気にもなれなかった。レネがこの先にいるのならば、ライカの居場所は其処なのだ。
生い茂る草木を掻き分け、ライカの目に飛び込んできたのは、ひとつの灯りだった。太陽の光とは違う。人工的な灯火だ。
(こんな場所に、人が……?)
まるで絵本の中に出てくるような丸太小屋がぽつりと建っている。幻に見えた窓からは、しかし、焔の揺らめきが感じとれた。誰かが住んでいるのだ。
雨にぬれた所為で体温の調子が狂っている。左手首のアクアオーラはひやりと冷たい。皮膚と密接している箇所から凍りついていくようだ。
ライカは、音をたてないよう慎重に窓に近づいた。激しい雨が水のカーテンをつくり、硝子越しの境界線を曖昧にさせる。
(誰かいる)
ちろちろと揺れる橙色は部屋をともす灯りと、暖炉の火だ。暖炉の傍に長椅子らしきものがある。
橙色に紛れて現れたハニーブロンドがライカの目を刺激した。少年は、思わず、身を乗り出して硝子に手をついていた。
「誰だ」
凛と澄んだ声が、ライカの背に襲いかかる。見れば、窓硝子の向こうの灯りが消えている。一瞬の出来事だった。玄関の扉が開いた音さえしなかった。
「そこで何をしている」
この家の主人だろうか。随分若い。威圧的な言葉を発するが、声音はライカとそう変わらぬ少年のものだ。
「君、」
主の手がライカの肩に触れる。少年はびくりと身体を震わせ、恐る恐る振り向いた。
「っ……!」
息が詰まる。ライカは自分の頬を伝うものが雨なのか涙なのかとっさに理解できなかった。
似ている。否、瓜二つと言ってもいいだろう。ライカの前に現れた少年は、レネそのものだった。
濡れそぼったハニーブロンドの巻き毛も、ライカを見つめる冷やかな菫色の瞳も、兄とそっくりだ。
鮮やかなハニーブロンドの巻き毛に指を絡め、ライカは少年を抱き締める。身長はさほど変わらない。腕の中の少年は、困惑した様子でまばたきを繰り返した。
やがて、少年はライカの拘束を解き、菫色の双眸を向ける。
刹那、微かに息を呑むような緊張が少年の睛に宿ったのを、ライカは見逃さなかった。
何かに戸惑っている様子だ。二、三度視線をそらした後、少年はぽつりと呟いた。
「兄さん……」
少年の言葉に、今度はライカが困惑する番だった。失った宝物を懐かしむように、細い指先がライカの頬のラインをなぞる。
「もう、二度と……帰ってきてくれないのかと思った」
消え入りそうな声だ。少年の瞳は切なげにライカに向けられている。菫色の双眸の中に呆然と立ち尽くす自分の姿が映っていた。
降り頻る雨の中、沈黙が少年たちを包み込む。
少年はしばらくライカの頬に触れていたが、唐突に表情を硬くし、目蓋を伏せた。指先が、そうっと包み込むようにライカの手首に触れる。
「……家にお入り。このままでは、風邪をひく」
その声音に威圧するような棘はなかった。ライカは、こくりと頷き、少年の手を握り返した。
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