第9話 人形の森

ノイズまみれの車内放送は続いている。コンパートメントに残されたライカは、座席に腰かけた。

 てのひらで飴玉を転がしてみるが、食べる気にはなれなかった。ライムミントはシグルドの好きな味だ。

(何が起こっているんだろう……)

 硝子越しに睛を凝らしてみるも、外は真っ白で一寸先も見えない。ユニフス・メトロは、人形の街を、円を描くように走る。

 晴れた日なら、何処からでも管理塔が見えるはずだ。

 車内放送は、止むことのない雨音のように、少年の鼓膜に降り注ぐ。座席にもたれながら、ライカはゆっくりと呼吸を繰り返す。

 身体の底から睡魔が襲ってくる。シグルドが戻る気配はなかった。

(眠っちゃだめだ……)

 重い身体を引きずりながら、ライカは隣のコンパートメントを覗こうと背伸びをする。ふ、と少年の視界の端に見覚えのある色が飛び込んできた。

 ハニーブロンドの柔らかな髪が、扉を横切る。心臓が、どくん、と高鳴る。

 言葉より先に、ライカはコンパートメントの扉を開け、通路へ飛び出していた。

「兄さん……?」

 狭い通路に少年の声とノイズが反響する。角に深い藍色のコートの裾が消えていく。車両の出入口に繋がる曲がり角だ。

「兄さん、待って……!」

 ライカは無我夢中で兄を追いかけた。てのひらからライムミントの飴玉が転がり落ちたことにも気付かずに、ひた走る。

 弟の声が聞こえないのか、兄の背中はどんどん遠ざかっていく。レネとライカでは体格も歩幅も違う。

 いつのまにか、ライカは無人駅のホームに立っていた。全てが機械化された駅に人の気配はない。カツン、カツン、と革靴が石畳を叩く音が聞こえる。改札口の方からだ。

(……置いていかないで)

 ライカは早鐘を打つ心臓を押さえ、ばらばらになりそうな手足を動かす。ホームと改札口はひとつながりになっている。

 明かりの消えた電光掲示板が視界に入る。ふと、足音が、止まった。

「兄さ……」

 改札口を抜けた少年の睛に、細いシルエットが映る。

 肩で息をしながら、ライカはゆっくりと歩み寄る。レネがぴくりと指先を動かした。

「帰ろう」

 兄が振り返る。ハニーブロンドの奥に隠された菫色は酷く優しい。堪えきれず、ライカはとっさに兄に抱きついた。

 兄を捉えた瞬間に、しかし、少年の腕はレネの身体をすり抜けている。

「にいさん……?」

 ライカの足元に、ぱらぱらと水晶の欠片が落ちる。少年はそのままバランスを崩し、石畳の地面に身体を打ち付けた。

 駅舎の自動扉は半壊し、硝子の破片が散らばっていた。透明度の高い破片は、やがて水晶の欠片と混ざりあい、見分けがつかなくなった。

 ライカの鼻を、淀んだ空気が刺激する。

 駅舎から伸びる道は、暗い色をした木々に囲まれていた。激しい通り雨でも降ったのだろう。ぬかるんだ道に、ひとつの足跡が続いている。

(もしかしたら、先に行ってしまったのかも……)

 少年は身を起こし、半壊の扉を潜り抜ける。冷気を孕んだ風が水色のリボンを撫でた。

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