第8話 メトロ

 ライカの身体は、何時も肝心なところで燃料がもたない。

 一月前の定期検診の日も、帰りに熱を出して兄の手を煩わせた。気付いた時には大抵寝台の中だ。

 ガタン、ゴトン、と古い機械仕掛けの音がライカの鼓膜を揺さぶる。心地の良い音だ。

 ライカとレネとシグルド、三人で移動をする時は必ずメトロを使う。太陽の下を長く歩けないシグルドを気遣って、と兄は主張しているが、実際は己の黒馬車酔いを隠したいのだ。

 酔い止めのドロップはシグルドが隠し持っている。八角茴香の香りがする。

 シグルドが近くにいるのだ。

 ライカはゆっくりと目蓋を開け、わずかに動く首をめぐらせた。

「気づいたか。ライカ」

「……シグルド?」

 少年は狭いコンパートメントの座席に横たわっていた。太陽光を避けるためなのか、窓のブラインドは下ろされている。シグルドは手元の端末の電源を切り、ライカの頭を撫でた。

「此処は……何処……?」

「ユニフス・メトロの中だ。お前、テトラクラインで倒れたんだぞ。……覚えていないか」

 ライカは身を起こし、ずきりと痛む頭を押さえる。頭の奥で、がんがんと鐘が鳴り響いているようだ。シグルドが背中を擦ってくれる。布越しに伝う体温はライカの不安の塊を溶かしていく。

「僕、また……倒れたの?」

「命に別状はないから安心しな。でも、今日は大事をとって家に帰ろう。な?」

「そんな……。まだ、兄さんのプレゼント、買ってないのに……」

 我儘を言える立場ではないことは自覚している。ライカに何かあった場合、レネに責められるのはシグルドだ。

 兄への誕生日プレゼントひとつ買えやしない自分の身体を、こんなにも呪ったことはない。ライカは零れ落ちそうな涙を袖で拭い、目蓋を閉じる。暗闇の中で自分を落ち着かせるためだ。

「ライカ。おいで」

 シグルドが向かいの座席に戻り、ぽんと太股を叩いた。ライカが幼い頃から繰り返されてきた、二人だけの秘密の儀式。

 ライカは革靴の靴紐を結び直すと、ふらふらと青年の方へ歩み寄る。シグルドの膝の上は、ライカの特等席だ。

 いつものように首筋に腕を回すと、ふわりと八角茴香の香りが鼻腔を擽った。

「シグルド。僕の病気、もう、治らないのかな……。広場で見た黄水晶の木、あれ、寄星病の子でしょう。発病……したんだ。あんな姿になって……」

 寄生星の超新星爆発が始まれば、病の進行は止められない。黄水晶の若木は黒馬車の通り道まで根をはっていた。

 放射線状に広がる脆い根は、見知らぬ子どもの叫び声だったのかもしれない。

「僕も、ああなるのかな……。兄さんのことも、シグルドのことも、わからなくなってしまうのかな。……こわいよ」

「大丈夫だ。ライカ」

 シグルドの力強い声がライカの胸に、すう、と落ちていく。翠色の目が優しく弧を描いている。

「レネが治ったんだ。弟のお前が治らないはずないだろう?」

「どういう……こと?」

 シグルドの言葉が理解できない。ライカはじっと青年を見上げ、答えを待つ。

「レネは寄星病の患者だったんだ。額にでっかい水晶が埋まっていて、俺はよくそれをからかって、レネと喧嘩していた。

当時、俺は鳥の街から引っ越してきたばかりで、寄星病のことを知らなかったんだ」

「兄さんが寄星病の……」

「レネの額に、傷痕があるの、知ってるか?あれは寄生星を摘出した痕だ。管理局が知る限り、寄星病の進行が治まった症例は、レネ一人なのさ」

 兄の額の傷は何度か見たことがある。一生消えないものだと呟いた兄の横顔を、ライカは忘れることなどできなかった。

「お前はレネの弟だろう。心配するな。きっと、治るよ」

 シグルドの指先がライカの手を取り、アクアオーラに触れる。僅かに尖った先端が彼の皮膚を傷つけた。

 ぷつりと赤い珠が浮かぶ。痛みを感じないのか、シグルドは平然とした顔でそれを舐めとった。

「ありがとう。……シグルド」

「レネのプレゼントは日を改めて買いに……」

 ふいにシグルドの言葉が止まる。同時に、ガタン、と青年たちをのせた鉄の箱も動きを止めた。次の停車駅まではしばらく距離があるはずだ。

 車掌の車内放送が流れたが、ノイズだらけで聞き取れない。

 シグルドは窓のブラインドを上げ、ここが目的地ではないことを確認する。あんなに晴れていたというのに、窓の外は一面霧で覆われていた。

(車両故障か?)

「シグルド。どうしたの?」

 首をかしげるライカを膝の上から下ろし、小さな右手に飴玉を持たせる。とっておきのライムミント味だ。

「何か事故があったらしい。ちょっと車掌に話を聞いてくるから、お前は此処で待ってな」

 絹糸のような少年の白髪をくしゃりと撫でると、シグルドは何時に無く真剣な面持ちでコンパートメントの扉を開けた。

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