第21話 あなたの手を握ってしまったら


 「私が死のうとも、キサラさんには笑っていて欲しいから……」


 アリッサは降りしきる雨の中、不器用に笑う。

 それは英雄の姿でも、勇者の姿でも、聖女の姿でもない。

 不器用で、意地っ張りで、無鉄砲な、アリッサのただの人間であるが故の姿そのものだった。


 降りしきる雨が二人の両肩を濡らし、体温を下げていく。気が付けば、吐く息は白くなっていた。そんな環境下でも、二人は全く動じることなく、互いに拳を強く握り続ける。


 「わたしの“笑顔”は、あなたにとって何なのですか……。命を賭してまでも護るものなんですか……」

 「そうだよ……だから、これはただのエゴ……でも、絶対に譲れないエゴなんだよ」

 「わけが……わからないです……」

 「今はそれでいい……だから……」

 「わたしだって……わたしだって……アリッサが苦しむ姿なんて見たくないに決まってるじゃないですかっ!!」


 キサラは一歩前に踏み出し、アリッサを威嚇するように咆哮する。だが、アリッサは苦笑いをしたまま、真っ直ぐ、キサラを見つめたまま表情を崩さなかった。


 「私は前に言ったよね……『可能性があることを不可能とは言わない』って……。今回だって、それは当てはまる……」

 「無理です……それを捨ててしまえば、わたしは————————」

 「キサラさんはキサラさんだよ……。どうしようもなく生真面目で、それでいて情に厚い、私が大好きなキサラさんだよ。たとえ、弱くても、復讐という道しるべをなくしても、変わらない……」

 「それが……証明できないから……」

 「じゃあ……さ……。私が世界の敵になったとしたら、キサラさんは、私のことを私じゃないと思う?」


 アリッサの突飛な投げかけに、キサラは困惑し、俯いてしまう。対し、アリッサはそんなキサラを見て一歩だけ前に踏み出した。


 「————————そうだよ。キサラさんはどこまで行ってもキサラさんなんだよ。だから、いつまでも私は、キサラさんの帰る居場所を守り続ける……」

 「わたしは……ごめんなさい……やっぱり……簡単には、許せない……。親を殺され、一族を滅ぼしたあの女を、許すことは難しい……」

 「許せと、言っているわけじゃない。それを笑えるぐらい幸福になろうって言ってるんだよ」

 「ははは……なんですか……それは……」


 少しだけ笑顔を見せたキサラを見て、アリッサは得意げに笑う。そして、その直後に、全てを振り払うほど大きなため息を吐いて、キサラの感情を無理矢理に戦場に引き戻した。


 「決着はシンプルに行こうじゃない。どのみち、魔力も体も限界が近い。だったら、次の一発で全てをかけるっていうのはどう?」

 「勝った方が、相手の言うことを聞くという話でしたね、最初は————————」

 「そういうこと……。まぁ、そのままぶつかったら、正直に言えば五分っていうところだけどさ……」


 アリッサは落ちているキサラの太刀を拾い上げ、キサラに投げ渡す。キサラも近くに落ちていたアリッサのねじれ槍を掴みアリッサに投げ渡した。

 お互いがお互いの武器を握り、最後の邂逅を迎える。


 「私の覚悟を証明してあげる。キサラさんが攻撃を仕掛けて、それを全部防いでから、全力で返してあげる」

 「それではあなたがあまりにも不利なのでは?」

 「あれー? もしかして自信がないのかなー?」

 「そこまで言うのならやりましょう。ただし、負けてこちらに従うことになっても文句は言わせませんよ」

 「言わないよ。その時は世界が敵になろうとも、キサラさんの味方で居続けてあげるから」


 その言葉を聞いて、キサラは僅かに笑い、肘を前に張るような車の構えを取った。対し、アリッサは、槍を軽く振るって動作を確認すると、体勢を低くして、キサラの攻撃に備えるように、事前にいくつかの魔術を発動、準備し始める。



 開始の合図は、遠くの木々に溜まった水滴が地面の水たまりに落ちた音だった————————



 「『肆ノ太刀』————————ッ!!」


 何気ない日常の小さな音が鳴り響いたその瞬間、二人の間の音が全て掻き消えた。

 キサラの姿は音もなく眼前から消え失せ、アリッサに肉薄していた。恐らくはアリッサが知覚するよりも早くこちらに接近したのだろう。気が付けば、キサラの持つ太刀の剣先がアリッサの眉間を正確にとらえていた。

 その太刀は黒い炎を纏い、発動させていた“ベクトル反射”の魔術すらも根源から断ち切ってしまう。


 それが、キサラの起源魔術————————



 アリッサはその特異性を即座に見抜いていた。キサラの一太刀は、物質であろうと、時空間であろうと、概念であろうと、『切断』してしまう。それは普通であれば絶対に防ぐことのできない脅威になりえた。


 だからこそ、アリッサはその正確無比な突きに対し、真正面から打ち合った。ベクトル反射を駆使しながらのバックステップをすると同時に、キサラの持つ太刀の剣先にぶつけるように、自身の槍先を振り回し、その一太刀を、眉間の僅か数ミリ手前で空へと弾き飛ばす。


 刹那的に凄まじい爆風と甲高い音が鳴り響き、大地を震わせ、アリッサの体をさらに後方へと弾き飛ばす。

 対するキサラは、自身の一太刀が防がれたことに驚嘆しつつも、動じてはいなかった。なぜならそれは、アリッサが今まで何度も、手に持つ槍でキサラの斬撃を防いでいるからである。


 キサラが分かっていた違和感は、アリッサの持つ槍に触れた瞬間にキサラの黒い炎が搔き消えたことに起因する。空間の歪みと共に引き起こされたその事象に対し、キサラの方もアリッサの持つ武器の秘密を既に見抜いていた。


 “天沼矛あめのぬぼこ”————————


 アリッサの持つねじれ槍は普通の武器ではない。天皇家より貸し与えられたその武器は、神器と呼ばれるアーティファクトの類だった。はじめこそ、神楽鈴に擬態されておりわからなかったが、今ならばその脅威が身に染みて理解できる。


 “天沼矛”は魔術を消し去っているわけではない。キサラの攻撃そのものを原初に還しているのである。ただし、アリッサと言えども、使いこなせているわけではなく、おそらくは、何らかの量体を演算できるものしか発動できない。そしてそれも、連続して何度も発動できるものでもない。

 可能であるのならば、アリッサはもっと早くキサラを追い詰めて勝利していた。



 故に、キサラが次に取るべき行動は決まっている。後ろに弾き飛ばされて体勢を崩しているアリッサが次に“天沼矛”を発動させるよりも早く、全力の一撃をぶつけるだけである。


 キサラは即座に自身の左手をかざし、拳を握り締めると同時に、複数の魔術を同時発動させる。それはキサラの眼前の色とりどりの魔方陣を7つ作り出し、そしてそれぞれがそれぞれの色に輝きながら煌めく弾丸を射出する。


 「“赤気の凶光アウロラ・クーゲル”————————ッ!!」


 射出された七つの煌めきは互い互いに螺旋軌道を描きながらアリッサの体に向けて収束していき、命中すると同時に黒色の閃光を伴い、空間そのものの音と光を全て爆ぜ散らせた。その直後、放射線状に広がるように虹色のカーテンが出現し、衝撃波と共に輝き、そして空間に溶けるように消えていく。


 キサラが全魔力を賭して発動させたのは、最高位魔術であった。王都リンデルの書庫に記されていたそれは、キサラが身に着けた最大の奥義でもあり、この場で出せる全力でもあった。

 大地を大きく抉るようなその煌めきは、ちっぽけなアリッサという人間が巻き込まれればひとたまりもなく、骨すら残らず消滅する。それをわかっていて、キサラは全力をぶつけた。




 アリッサならば、自分の全てを受け止めてくれると信じて————————












 土煙が晴れる————————


 音と光が爆ぜ消えて久しく、ようやく世界がそれらを取り戻し、一陣の風と共にその姿が露わになる……




 抉れた大地の中……たしかに、アリッサはまだ、立っていた————————



 衣服はところどころほつれて、火傷や裂傷が目立ってこそいるが、まだそこに立っていた。燻るような臭いと音を全身に纏いながら、槍先を地面に突き立て、支えにしながらまだ立っていたのである。

 キサラがその姿に気づくと同時に、アリッサの白色の髪は内側から弾け飛ぶように元の茶色に戻っていく。その痛々しい姿は、限界を超えてどうにか立っていることが目に見えてわかった。


 そんな状態でも、まだ、アリッサは槍を支えにして、一歩、また一歩と前へと進みだす。


 「『こおろ……こお……ろ……どろをかきわけ……うちならす……』」


 アリッサの手に持った槍先が光り輝く。だが、肝心のアリッサは意識を失いかけているのか、千鳥足であり、キサラにふらつきながら近づいているせいもあり、やろうと思えばキサラは簡単に逃げられた……。

 しかし、実際にそうしようとした瞬間、キサラの足元が沈み込み、泥に足を取られて身動きが取れなくなった。それを何とかしようともがいている最中に、アリッサは詠唱をしながらゆっくりと近づいていく。


 「『これなるは……よもつ……おおかみのぬぼこ……うつろい……したたり……原初そらへともどれ……“天沼矛あめのぬぼこ”————————』」


 アリッサはもがいているキサラの胸元に槍先を怪我をしないほどゆっくりと突きつける。その瞬間、アリッサの持つ槍が明滅し、僅かながらに輝いた。


 「私の……勝ちぃ……」


 だが、それだけだった。肝心の魔術は魔力不足でまともに発動すらしなかった。だが、アリッサの最後の攻撃は確かにキサラに届いており、決着はアリッサの言う通り決していた。

 だからこそ、アリッサはもつれるようにそのまま泥の地面へと沈んでいく。


 「アリッサ————————ッ!!」


 キサラはその光景を何も言えず、しばらく放心しながら固まってしまっていたが、アリッサが倒れてから遅れるようにして、アリッサを心配するように叫ぶ。そして、もがきながらようやく泥から脱出して、即座に、アリッサに駆け寄ろうとする。


 だが、この瞬間に、キサラの魔力もついにそこを尽き、アリッサと同じようにもつれるようにして地面に倒れ伏した。それでもキサラはまともに動かない四肢に無理やり力を入れ、這うようにしてアリッサの元へと辿り着く。


 泥にまみれたその衣服は今までの自分と、これからの自分を表しているようであり滑稽に思えたが、それでもキサラはそれを甘んじて受け入れていた。




 アリッサの手を握る————————



 脈は正常であり、呼吸も弱々しいがまだある。つまるところ、アリッサはまだ、生きていた。それを理解して、キサラは意外にも素直に安堵のため息を漏らしていた……



 そしてこの瞬間、キサラはようやく気付く————————



 もうずっと前から、アリッサという親友に、自身が負けていたことに……


 それは、単純な強さではない。キサラの思い描く強さ……つまりは、『自分の意志を貫く力』であった。それを完全に体現していたアリッサと比べ、キサラ自身は迷い続けていた。だからこそ、はじめからアリッサに勝てるはずなどなかったのである。


 「ばかですね……本当に……ばかです……」


 キサラはアリッサの手を握りしめたまま、口の中の泥を厭わずに、頬を濡らす。それは自身に対する悔悟だったのか、それとも無茶をし続ける親友に対しての罵倒だったのかはわからない。しかしながら、泣いているキサラの手を強く握り返したアリッサが目の前にいる……その時点で、“春夏秋冬ひととせ 綺更きさら”という少女の物語は、一先ずの幕引きを迎えたことは確かであった。



 物語はまだ続く————————

 それは、ヤマト国を揺るがす闇が未だに蠢いているからであり、それに巻き込まれた二人の物語もまた、終わっていなかった。それらに決着をつけるまで、二人の旅路はまだ続いていくのだろう……



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