終話 キミを悪意から救いに来た



 子供の頃、歩きなれたひたすらに長い廊下を歩く。

 豪奢な十色の衣装に身を包み、白化粧をした自身の姿をハナコは自嘲気味に笑う。ハナコの予想では、置いてきたユリは未だに反乱軍に足止めをくらい動けていない。だからこそ、今この安寧京にいる自身を助ける勇者などいない。


 否————————


 ハナコはかつて、何もかもが朽ち果てていく人生の中で色を付けてくれた人物を知っている。その人物の笑顔を護りたいからこそ、今、この場にいるのである。だというのであれば、救うべきはその人物であり、自分ではない。むしろ、この場にいることに胸を張るべきだと彼女は自負していた。


 だからこそ、後ろに控える従者と共に、安寧京の主……このヤマト国を統べる神の申し子である天皇陛下に謁見を申し出、い草を踏みしめ、そして顔すら見えないすだれの前に立つ。


 一礼をして静かに膝を折り、もう一度頭を深く下げる————————


 「お久しぶりです……お義爺様——————」


 ハナコが静かに頭を上げるとすだれの奥からしわがれた咳き込む声が聞こえてくる。彼はもう長くはない……元より人の寿命というものはその程度のものだとハナコは心得ている。


 「久方ぶりだな……息災であったか?」

 「はい……おかげさまで、楽しき日々を過ごせておりました……」

 「乃木坂より話は聞いている……覚悟は変わらぬのだな?」

 「はい……わたくしは、征夷大将軍葛城百合の代理人としてこの場で、大政を御身に返還するために参った次第です。安寧京に住まわれまする神樹様への償いといたしましては、我が身を持って鎮魂とし、神樹様の怒りを鎮めとうございます」

 「神樹様がこの地に安寧をもたらして幾万年……その最初の鎮魂の儀が其方になるとは……。願わくば、其方には————————ゴホッ!カハッ!」


 すだれの奥にいる天皇陛下が何かを言いかけたところで激しく咳き込むような声が聞こえてくる。その瞬間、奥に控えていた従者が駆け寄り、何より介抱を始めてしまう。

 それを静かに見守っていると、彼の一番の重鎮であるノギサカがハナコの横に並び、この場から立ち去るように合図を出す。


 ハナコはそれに応じ、ゆっくりと立ちあがり、ノギサカの後を追うようにこの部屋を後にする。この後に彼女が向かう先はただ一つ……安寧京の中心……神樹様と呼ばれる大木が根を張るその最奥だった。






 ハナコがその地に足を踏み入れると、恐ろしさと同時に懐かしさを感じる。それは自身がここから生まれたのだと本能的に理解できるからである。

 樹木のツタが絡み合うように造られたその床や壁は緑と紫色に輝き、少しだけ寒気を感じてしまう。それでも、ノギサカに促されるまま足を踏み入れ、そのさらに奥までやってくる。


 ハナコが歩くと、まるでそれを導くかのようにツタたちが退けていく。そしてその最後には、身を投げられるほど大きくそして底が見えないほどに深く暗い大穴が顔を表す。鎮魂の儀とは、ウララのような神樹姫がその身を投げうち、神樹様の怒りを鎮める式であると言い伝えられている。

 それは、彼女たちが神樹様に取り込まれることで、神自身が力を取り戻し、深緑が戻るが故にそう言い伝えられているだけの伝承である。だが、ハナコはそれが事実だと本能的に知っている。何故ならば、ハナコ自身もその対象である神樹姫の一人であるからである。


 「どうかされましたか?」

 「いえ……祈祷もないのは少しばかり寂しいと思いまして……」

 「無理はありませんな。彼の地に残してきたご友人のこともあるのでしょうから」

 「そうですね……そのためにほんの僅かだけお時間をください」

 「良しなに……」


 ハナコは付添人であるノギサカの了承を得ると、その場に座り込み、静かに手を合わせる。神様へと願うのは、自らの親友であるユリの存命と安寧である。それはきっと、この身を捧げれば十分すぎる程に叶えることができるだろう。

 神頼みでなくとも、人為的に、彼女の身の安全を保障することを既に、ノギサカにも話を通しているため、もう憂いはない……そう思っていたはずなのに、ハナコの手は震え、そして僅かばかりの涙があふれ出す……



 刹那————————



 激しい轟音が鳴り響き、樹木で囲われた広いこの部屋が振動する。それと共に土ぼこりが僅かながらに天井から降り注ぐがそれ以上は何も起こらない。

 だが、その振動に驚き、ハナコは濡れた顔を上げ、ノギサカは警戒して腰の太刀に手をかけた。


 続けざまに三回……


 さらに振動が起きる。それは、まるでこちらに近づくように大きくなり、そして最後の一発————————

 最後の樹木の壁が打ち払われ、凄まじい轟音と共に外の光が差し込みだす。そのあまりの衝撃に、ハナコとノギサカは思わず顔を覆い隠し、身構えた。だが、目が慣れてくるほどにその景色は非常に信じられないものであり、誰もが思わず武器を抜くことすら忘れ、驚愕のあまりに放心してしまう。


 打ち払われた樹木の壁の向こう……安寧京の上にあり、こちらに巨大な砲身を向けているそれは、ここにあるはずがない黒船……

 鋼鉄で出来たそれは空に浮き、そしてこちらを静かに嘲笑っていた————————


 「な————————ッ!? なんだそれは————————ッ!?」


 ノギサカは驚愕のあまり、声にならないような声を漏らしてしまう。すると、その声を聞いたのか、誰かが打ち払われた大穴に向けて飛び降り、そして中へと足を踏み入れて来る。


 「なんだそれはと聞かれたら……答えてあげるのが世の情けかな……」

 「お前は……何故……ありえない!!」

 「ふざけた鎮魂の儀なんてさせるもんか! 神様の意志とか関係ない。わたしが、もう一度連れ出してやる!!」


 そう堂々と宣言する癖のないこげ茶色の長髪と黒緑色の丸い瞳を持つ女性……それは、光の剣を生み出し、蠢く様な樹木の床に刃を突き立てた葛城百合だった。

 ユリは瞳を輝かせ、そして白装束を見に纏ったハナコを真っ直ぐ見る。


 「泣かせるもんか……こんなくだらないことで……。お前らがわたしの大切なものを奪うっていうなら、わたしは全部をかなぐり捨ててまで、必ずお前らを打ち滅ぼす。返してもらうぞ、わたしの大切な友達を————————ッ!!」

 「死にぞこないの将軍の分際で————————ッ!!」


 ノギサカは思わず引き抜いた太刀を構え、ユリに向けて疾駆する。しかし、ユリはそれを素早い身のこなしで跳びはねるように避け、そしてノギサカが振り向く間もなく、ハナコの元へと辿り着いた。

 ハナコはそのあまりの出来事に涙すらも忘れ、思わず口を開けたまま固まってしまっていた。


 「なん……で……」

 「責任はとる……前にもそう言ったでしょ……国なんていらない。世界なんてどうでもいい……女の子一人助けられないなら、そんなもの無価値だ」

 「ばか……」

 「実際問題、バカだと思うよ。だから、ハナがわたしには必要なんだよね」


 ユリはこちらに向けて風の刃を放ってくるノギサカに反応し、ハナコを抱えたまま、部屋を疾駆した。壁や床が打ち払われるが、肝心のユリには当たる気配がない。そして、逃げるように、元来た空中戦艦に向けて大きく跳躍し、この場にノギサカを残して離脱する。

 それは奇しくも、かつて、ハナコを連れ出したユリの姿とあまりにも似通っていた。


 ユリは甲板に着地し、そしてハナコをゆっくり下ろす。そして、艦橋に向けて離脱するように指示をするが、やはり、相手もこちらを逃がすつもりはないらしく、迎撃部隊が集結しつつあった。

 そして、なにより、こちらを恨めしそうに睨みつけるノギサカがユリたちを逃すはずもなく、破壊された樹木の壁の淵に立ち、上昇を始めた戦艦を睨みつけながら何かを唱えた。



 瞬間————————



 空中にあまりにも巨大な障子が突如として出現し、やがてそれはゆっくりと開き始めた。障子が開放されると同時に、その奥にいる何かが勢いよく飛び出して来る。それは、空中を一度旋回したかと思うと、ノギサカと戦艦の上にいるユリの間に割って入ったかと思うと、とぐろを巻き、その正体を露わにする。


 緑の鱗に覆われた蛇のような体。髭をなびかせたその奥には鋭い牙が垣間見え、赤い瞳で睨まれれば、動けなくなり、いつの間にか巨大な顎で飲み干されてしまうと錯覚してしまうほどの恐怖の権化……

 風雲が荒れ始めたその大地の上に、巨大な竜が突如としてあらわれた————————



 「ノギサカ……あんなこともできたんだ……しかたない……」

 「ユリ……どうするつもり?」

 「ちょーとばかし話をつけて来る」


 ユリは甲板の上にいるハナコに笑いかけ、静かに艦首に向けて走り出し、離脱を始めた戦艦から再び飛び降りた。だが、そんなユリを引き裂くように巨大な竜は鋭い爪で引き裂こうと迫ってきた。

 ユリはそれを軽く身を捻りながら回避し、竜を蹴り飛ばすと同時に方向を変え、再びノギサカの元へと戻ってくる。それはまるで、因縁の決着をつけるようであり、彼ら彼女らのただならぬ関係を示しているように思えた。


 「またしても邪魔をするか! 葛城百合!!」

 「それはこっちのセリフなんだけど……乃木坂靖時————————」


 ユリが着地して膝を折った体勢からゆっくりと立ち上がり相手の喉元に向けて光の剣先を向けると、ノギサカも同じように、ユリの喉元に向けて太刀の剣先を、腰を低くしながら構えていた。



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