第20話 “助けて”と呼ぶ声がした



 

 本当は自分でもよくわかっていた————————



 親が殺され、相手が憎いという感情は変わらない……。けれども、それは、いつの間にか歪にねじ曲がっていた……。理由は考えずともわかる……

 アリッサが隣にいたからである……


 アリッサは、キサラの復讐そのものを否定はしなかった————————


 『憎い』というそのものは間違いではないのだけれど、だからこそ、その本能に近い感情の波とうまく付き合う術を説いていたような気もする。けれど、それはもう過ぎ去ったこと。

 目の前で肉塊となり、動かない骸は何も語らない。冷たい雨が降り注ごうとも、その躯の熱を奪うことはもうない……もう、全てが終わったのである……。


 今にして思えば、アリッサと過ごした一年間はキサラにとって激動の日々であった。それは、価値観の違う人間を目の前で見続けたからでもある。

 アリッサは無鉄砲で、考えなしで、いつも無茶ばかりをして周囲を困らせていたけれど、いつの間にか周囲を頼ることを憶え、そして皆に慕われるようにもなった。反対に自身はそんなアリッサに置いて行かれるようであり、彼女だけが、自分を否定しないのだと依存に近い感情すら抱いてしまった。


 それは歪にねじ曲がった復讐心に釘をさし、焦りにも似た感情を呼び起こす。自分もこの復讐を完遂させて成長しなければ、彼女に置いて行かれるものだと……

 だからこそ、ヤマト国に向けて早々に帰還しようとした……。結果的に、アリッサはついてきてくれたけれども、それはこちらを心配しているからに過ぎない……。そう思うと、今までと逆の立場であることに気づき、余計に焦りを覚えた……。



 その焦りはやがて次なる不安を呼び起こす。

 もし、復讐を完遂したら、もう、成長は見込めない。なぜなら、その復讐心を頼りに今まで剣を振るい続けてきたキサラにとって、目的を失うことは、足を止めることと同義であるからである。けれども、もう、キサラには、復讐するということを止められない。

 誰かに『助けてほしい』と縋って、こんな狂気の中に親友を引きずり込むこともできない。



 歪にねじ曲がり、壊れてしまった心では、日常に戻ることも、あの激動の日々に戻ることもできない。だから、アリッサが言っていたことは概ね正しかった。

 キサラはもう……誰もいない、血塗られた屍山血河の上で、顔を伏せることしかできなかった。

 『復讐を成し遂げろ』と頭が割れる程、精神が蝕まれていく。それと同時に、『その先には進みたくない』『帰りたい』と胸の奥底が鈍い痛みを発し続けていた。





 雨が降りしきる————————



 血を振り払い、雨の下たる太刀を握ったまま、キサラは唇をかみしめていた。血が滲んで鉄の味がしようとも、何故だか堪えきれない。

 胸に手を当てれば、未だに頭痛と重複するように、鈍い痛みが体を蝕み続ける。


 「なんで……なんで……痛い……苦しい……」


 誰も答えない……。その戦闘跡の残る抉れた大地に立っているのはキサラだけであり、もう親友の姿はいない。

 背を向けて、燻る黒い炎に身を任せれば、楽になれるはずなのに……まだ前に進めるはずなのに……キサラは自身の体を上手く動かせずにいた。いつも通り、心を殺し、復讐のために脚を動かせばいいだけのはずであるのに、指一本すら動かせない。


 「“助けて”……“助けてよ”————————」


 キサラは精一杯の声を振り絞り、ぐちゃぐちゃに入り混じった感情の最中で声を上げる。しかし、それは冷たい雨の中に消え、誰に届くこともない……。
































 刹那————————



 動かないはずの指先がわずかに動いたような気がした。

 その僅かな風の匂いは顔を伏せていたはずのキサラですら気づかないほど微弱……けれども、気づいてしまえばどうということはなく、強烈な違和感に変化する。

 雨に濡れた前髪の隙間から、上半身だけの親友の死体を見て、キサラはようやく気付く……



 アリッサの魔力は……まだ生きていた————————



 茶色の髪は未だに真っ白に染まっており、元には戻っていない。それどころか、切り裂かれた上半身の血液はそれ以上溢れていない。


 瞬間、空間そのものが真っ白に弾け飛んだ————————



 衝撃から護るように顔を覆い、爆心地である親友の死体を見れば、まるで、奇跡でも起きるかのように、白い糸が複雑に絡み合い、そして肉体を再構成し始めていた。

 高位魔術"リザレクション"————

 光属性か、闇属性の魔力で発動させる、死者蘇生の魔術である。制御や肉体の再構成が難しく、相手の肉体構造を正確に把握できなければ失敗してしまう難易度の高いものである。そして、アリッサは魔力操作が得意ではない。

 たからこそ————


 本来であればそんなことはありえない……


 しかし、アリッサの魔力とそれを制御する何かがあれば話は違ってくる。現に、アリッサの魔力は、左腕に通してある“賢者の腕輪”を経て、肉体を形作っている。その魔道具がなければ、無秩序な魔力など紡げるはずがない。

 また、無属性であったとしても自分自身には付与できるため、発動には支障がない。加えて、自分自身の身体だからこそ構造把握がしやすいという利点すら考えられた。

 それらの偶然のような奇跡が重なり合い、アリッサの命を繋ぎ止めていた。


 そんなキサラの仮説を証明するように、アリッサの体は、まず初めに、“賢者の腕輪”がある右手が最初に動いた。

 次いで、魔力で紡ぎ終え、体を再構成した真っ白な状態の四肢が動き始める。その最中、真っ白なアリッサの肉体は肌色を取り戻し、その上で、魔力で編まれた衣服を作り出す。その衣装は、キサラがブリューナス王国の王城で何度も拝見した“賢者グリーゼ”の肖像画にあまりにも似通っていた。


 アリッサがその肖像画を知るはずがない————————


 だというのであれば、アリッサを再起させたのは、他でもなく、大賢者であり、その奇妙な出来事に現実味を帯びさせてしまう。


 「まだ……終わってない……」

 「アリッサ……その魔術は……いや、ありえない。だってそれは、“魔法”の領域————————」

 「“魔法”なんかじゃない……。これは……私が歩んで……紡いできた“魔術”だ————————ッ!!」


 アリッサが右手を虚空に振るうと、地面に突き刺さっていたねじれ槍が吸い込まれるように手の中に収まっていく。それとほぼ同時に、空間そのものが槍先でわずかに滲んだように見えた。


 「なんで……」

 「声が聞こえたから……」

 「声って……」

 「友達が泣いてる声……『助けて』って、私を呼ぶ声————————」


 アリッサは大雨で濡れた髪を僅かに揺らし、不敵な笑みを浮かべる。

 だが、アリッサ自身に余力があるわけではない。現に先の肉体構築で、魔力を大量に持っていかれていた。加えて、アリッサの起源魔術である“暴走”は時間制限付きのインチキである。

 だからこそ、持久戦も短期戦も絶望的であることには変わりなかった。それでも、アリッサという女性は笑みを崩さない。


 「そんなことで……」

 「ぷっ……あは……アハハハハハハハハハハっ!!」

 「なにが、何がそんなにおかしいんですか!」


 アリッサは、動揺するキサラを嘲笑うかのように高笑いをする。そして、過剰に光り輝く薄桃色の瞳を真っ直ぐに、キサラの姿を捉えた。


 「夢とか、希望とか、秩序とか……そういうの、私にとってはどうでもいいんだよ。キサラさんは言ったよね? 『私に志はない』って……全くもってその通りだよ。だけどね————。“大切な人を護りたい”って気持ちは絶対に譲らない。だって、それって、今の私を形作っている全部だから————————」

 「それで……あなた自身は……」

 「もちろん、私自身もそこにいればそれでいい。世界がどうとか、神様がどうとか、ましてやキサラさんがどうとか関係ないね」

 「それが……あなたの志? あまりにも小さすぎる……」

 「小さくて何が悪いの? たしかに、それなりに折り合いはつけるけど、小さいからと言って、他人を優先すべき、なんていう理屈はないよね」

 「無茶苦茶な……」

 「無茶苦茶結構————————ッ!! それが、私……それが、私の闘う理由だ!!」


 アリッサは濡れた地面を蹴り上げ、槍を構えて、キサラの眼前に肉薄する。キサラはその殺意に反応するように、アリッサの鋭い突きを太刀で弾き飛ばす。だが、弾き飛ばした瞬間に空間が歪み、その衝撃に思わずよろめいてしまう。

 その隙に、アリッサは体勢を立て直し、再び槍を振るう。


 「私の願いは今も昔もただ一つ。キサラさんに帰ってきてほしいだけ」

 「余計なお世話なんですよ!! 大体、あなたには関係がない」

 「そんなわけないでしょ————————ッ!!」


 アリッサは剣戟の最中、声を張り上げ、眉間にしわを寄せる。


 「キサラさんは、私の友達。友達が苦しんでいるのに、『関係ない』なんて言葉で片づけられるわけないでしょ」

 「わたしが……苦しんでる?」

 「苦しんでるよ……。復讐を成し遂げなきゃいけない感情と、その先の未来に対して……」 

 「————————ッ!」

 「どうして、私がキサラさんを止めると思ってる! どうしてここにいると思ってる!! 全部、キサラさんのため……キサラさんが、感情に任せて人を殺して、帰れなくなるのが嫌だからに決まってるじゃん!!」

 「そんな……そんな身勝手な理由で!!」


 キサラは黒い炎を纏わせた太刀でアリッサの槍を斬り落とそうとする。しかし、斬り上げたところで、槍はびくともせず、空間が歪むとともに、アリッサの体が浮くだけであった。

 キサラは隙を見せたアリッサを再び斬り伏せるためにもう一度、刃を振り下ろそうとする。

 だが、アリッサは即座に反応し、槍を手放すと同時に、ベクトル反射を駆使して、キサラが太刀を振り下ろすよりも早く、眼前に滑り込み、キサラの右頬を勢いよく拳で殴りつけて弾き飛ばした。キサラはその拳を受け、地面を転がるように一度、泥の中に沈んでいく。


 「身勝手な理由? あぁそうですとも! 身勝手な理由ですとも!! だけどそれの何が悪いの? ていうか、そういうキサラさんこそさぁ……復讐を成し遂げてどうするつもりだったの? 黙って私たちの元に帰ってくるつもりだったの?」

 「うるさい……」

 「私たちは何も知らなければ、そりゃあ出迎えるよ……けどさぁ……それでキサラさんは笑えるわけ? 『わたしは復讐を成し遂げて来たのでみんなと楽しく過ごします』って心の底から笑えるわけ?」

 「うるさい……うるさいうるさいうるさい!!」


 キサラは、返す言葉もなくし、泥まみれの拳を強く握りしめ、ゆっくりと立ち上がる。それはまるで年相応のワガママを聞くようであり、今まで押し殺してきたキサラという人間の最奥部を見ているようでもあった。


 「わかってますよ!! わたしだって!! そんな状態じゃ、わたしはみんなと一緒には歩けないって……。それ以上は前に進めないって……」

 「なら……」

 「————————だったら、どうしろって言うんですか!! この感情も!! その願いも!! どっちも叶えられないから苦しんでるんじゃないですか!!!」

 「キサラ……さん……」


 キサラは自身の苛立ちをぶつけるように、大地を蹴り飛ばし、アリッサに肉薄する。そして魔力を込めた黒い炎を纏った拳をアリッサにぶつけてきた。アリッサはそれに対応するように、真っ白な魔力が籠った自身の拳で受け流し、続く連撃を回避し続ける。


 「変わる方法もわからない!! 歩んできた道も捨てられない!! わたしはどうすればいいんですか!! 殺さなければ殺される。殺さなければわたしはわたしでなくなってしまう!! こんなの、どうすることもできないじゃないですか!!」

 「わからないよ、そんなこと———————」

 「可能性を騙るな————————ッ!!」


 キサラの回し蹴りがアリッサの腹部を捉え、アリッサは泥の上を何度もバウンドしながら転がる。幸いにして立ち上がれないほどではないが、強烈な眠気で体の限界がすぐそこまで来ていることが嫌でも分かった。


 「わたしは、『復讐心わたし』を捨てて何が残る!! 愛か! 友情か? そんな不確かで脆いモノか! ふざけるな! そんなもののために、この道を捨てられるわけないでしょ!! あなたのエゴで、わたしが救えると思ったら大間違いです!!」

 「知ってるよ……そんなこと……」


 アリッサは奥歯を噛みしめてもう一度四肢に力を入れながら立ち上がる。


 「私は……ずっと、キサラさんを救いたかった……けど……できなかった……。できなかったんだよ……。確実にそうできるという自信がなくて、前に立つことだって躊躇った……」

 「ならなぜ————————」

 「いやな予感がした……。あの場でこうしなきゃ、キサラさんが遠くに行っちゃうような気がした……だから、前に立ちふさがったんだよ。それで、キサラさんに嫌われようと、私が死のうとも、キサラさんには笑っていて欲しいから……」


 アリッサは降りしきる雨の中、不器用に笑う。

 それは英雄の姿でも、勇者の姿でも、聖女の姿でもない。

 不器用で、意地っ張りで、無鉄砲な、アリッサのただの人間であるが故の姿そのものだった。



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