第3話 晒されたモノ


 街にでて、平民区画を走り回る。

 特にこれと言った手がかりがあるわけではないが、フローラのような容姿を持つ人物であるイツキであれば、目撃情報を集めることに苦労はしない。だからこそ、向かった方角などを考えながら歩けば自ずと相手にたどり着く……。


 そう思い、走り続け、数分としないうちにアリッサの予想通り、イツキは発見することができた。そこは平民区画の広間の前……貴族区画へとつながる長い階段の前に設置された街の大きな交差点であった。

 前に来たときはまばらに人の波があったため、交通の要所であることはわかったのだが、今日に限ってはそうではなかった。


 異様なまでに人の数が多い————————


 アリッサはその事実に気づきつつも、視界にとらえたイツキを追いかけ、人混みの中へと入っていく。そうして、最前列近くに来た時、アリッサは鼻につくような嫌な臭いが気になり、死の予感とは違う嫌な汗が背中を撫でた。

 その予知につられるかのように、目の前にいるイツキは、広間の中心にある何かを見つめたまま、口を開け、瞳孔を激しく収縮させながら言葉を失っていた。

 何があったのかと思い、イツキの視線の先を人混みの中からアリッサはのぞき込む。しかし、その瞬間、アリッサはイツキと同じように言葉を失うこととなった。


 天を突きさすように掲げられた十字架の先、神すらも届かないその上に、酷く冷徹なものがそこにはあった。


 『反逆者 テロメア・エルドライヒ』


 十字架に掲げられた札にはそう書かれていた。しかしながら、そこには胴体など在りはしない。あるのだとしたら、十字架の一番上に、一つだけ……白髪の少女の頭があるだけだった。見間違えるはずもない……それは、ともに皇帝へと謁見した、レムナントという少女の頭部であった。

 瞳を見開いたまま、生気を宿していないその頭蓋には、冷たい氷雨が降り注ぎ続け、涙の如く顔を濡らし続けている。


 「レムちゃ————————」


 堪えきれずに叫び出しそうになるイツキの口をほんの少し早く我に返ったアリッサが手でふさぐ。当然の如くイツキは暴れるが、それはアリッサの力で強引に抑え込む。


 「落ち着いて————————。今ここで飛び出しちゃダメ」


 アリッサは予想以上に頭が冷静でいられることに安堵しつつ、こちらの様子を伺うように見ている誰かに警戒をした。もしもパラドの言うことが本当なのだとすれば、ここにはこちらが暴れ出すことを待ち望んでいる誰かがいるはずなのである。

 その挑発に乗ってしまえば、否応なく、皇帝テオドラムの“即死”の起源魔術が飛んでくることになる。そうなってしまえば、今度こそ、命の保証はできない。


 「あなたが今ここで暴れ出せば、あの子と同じ結果になる。だからお願い……」


 アリッサの訴えを聞き入れたのか、それともイツキという人間の地頭がよかったのか、涙目になりながらも、イツキは暴れることを止め、静かになり始めた。それを見て、アリッサはイツキの口に当てていた手をゆっくりと話し、後ろから抱きしめた。


 「なんで……なんで……」

 「少し……落ち着いてきた?」


 アリッサの問いかけに対し、イツキは震えながらも首を横に大きく振った。誰であろうとも、親友の生首が掲げられた場所で落ち着くことなどできはしない……。


 「必ず、彼女は回収する……。残りの体も含めて全部……。だから、私に従って……」

 「いやです……今ここで……」

 「そうなったら、私は今ここであなたを絞め殺してでも止めなきゃいけなくなる。そんな結末は、レムナントさんも望んでいないと思う」

 「それは……その……」

 「理解したのなら、あなたの答えは『YES』だけ……」

 「ズルいですね……あなたは……」


 イツキは微笑みながら、アリッサの手に触れる。手袋のしていないその手はいつの間にか赤く染まり、寒さと悔しさで震えていた。イツキはそれに気づいて、取り乱しているのは自分だけではないと、ほんの少しだけ冷静さを取り戻すことができていた。


 「ありがとう……まずはここから離れる。いい?」

 「わかり……ました……」

 「それじゃあ、行くよ。手を放さないでね……。あぁ、それと……ルルド、後はお願い」

 「え————————?」

 「気にしないで、こっちだけの話だから」


 そう言いながらアリッサは震えた手でイツキの手を握り締め、人混みをかき分けるように歩き出す。一度はその波に飲まれかけるが、二人は互いを支え合うように握った手は離さず、その場を後にすることができた。



 ◆◆




 アリッサはイツキを引き連れたまま、一度元の宿屋へと帰還する。帰還して早々に来ていたローブを脱ぎ去ると、雨水がしみ込んだせいか重く感じられ、冷えた体が暖かい部屋と相反することで余計に寒く感じられてしまった。


 「早かったな……」


 パラドが椅子に腰かけたままこちらにタオルを投げてよこす。アリッサはそれを受け取り、後ろで俯いたままでいるイツキの髪を拭き、部屋の暖房の前まで引き連れた。イツキはされるがままの状態であり、暖房魔道具の揺れる様な灯りを見つめたまま口を閉ざし、虚ろな目をしたまま指一つ動かさなかった。


 「何があった?」

 「それは……」


 アリッサは一度、イツキの後姿を見て遠慮してしまうが、ここで言いださなければ何も始まらないため、少しだけ間をおいてから頷くように口を開いた。


 「彼女の……イツキの友人が……吊るされてました……」

 「そうか————————」


 パラドは言葉を失い、静かに黙祷を捧げる。部屋には、氷雨が窓を叩きつける音のみが響き渡り、しばしの静寂が続く。


 「先輩……私……」

 「アリッサ……先に言っておく……。それは却下だ————————」

 「でも、このままじゃ……」

 「テオドラムと争うのはデメリットが大きすぎる。第一、今回の依頼は報酬もない。これ以上の深入りをするメリットが存在しない」

 「損得じゃないッ!!」


 アリッサは拳を強く握りしめ、パラドの言葉を否定する。それはいつも冷静でいるアリッサの姿とは酷くかけ離れていた。


 「落ち着け……。らしくないぞ、いつものお前なら————————」

 「わかってますよ。いつもだったら、ここが引き際だっていうのを理解して、諦めますよ……。危険しかないこんな依頼を蹴り飛ばして、帰るのがあたりまえだって、わかってるんです……。それでも……」

 「なぁ……アリッサ……それは……お前自身のためか?」


 静かに諭すような言葉に、アリッサがようやく我に返る。気が動転するイツキを見て、自身は冷静でいると錯覚していたが故に、自らも正気ではないことにアリッサは気づくのが遅れてしまっていた。


 「今回ばかりは、ワガママを聞くことはできない。一度、死んでいるんだぞ……。少しは頭を冷やせ……」

 「でも……このままじゃ……」

 「関わって何になる……自己満足か? それで、巻き込まれた人はどうなると思う。お前のせいで大切な友人が死んだらどうするんだ」

 「だから、その友人を———————ッ!!」


 アリッサの頭の中にフローラのことが過る。すると、その声に呼応するかのようにフローラの容姿をしたイツキがゆっくりと立ち上がり、自身の虚ろな目をアリッサの薄桃色の瞳に映り込ませた。


 「良く見ろアリッサ。あれは……お前の友人じゃない……」

 「わかってます……でも……」


 奥歯を食いしばり、アリッサは自分の感情をどうにか抑え込もうとする。しかし、溢れ出る劇場に蓋をすることはできず、焦りだけが先行して苛立ちを隠せずにいた。

 もし、アリッサたちがここで撤退し、イツキを残していくとする。そうした場合、訪れる結末は自ずと、イツキの死に繋がっていく。この国で皇帝テオドラムに目をつけられたということは、死の淵に立たされているのと同じことであるからである。


 だからといって、無理矢理に連れていくこともできない。例え連れて行ったとしても、イツキの性格からすると、やがては飛び出し、ここに戻ってくる。すべては亡き友人の仇を取るために……


 だからこそ、アリッサがとらなければならない行動は、イツキを殺してでも止めるか、それともここで共にテオドラムとの決着をつけるしかない。それを理解しているからこそ、アリッサはパラドの提案を否定するしかなかった。

 当の本人であるイツキはその事実を理解してはいない。だからこそ、勘違いし、無遠慮に、二人の間に踏み込んでしまう。


 「アリッサさん……もう大丈夫です。短い時間だけでしたが、ありがとうございました」

 「そうじゃない……短い間じゃ……」

 「ここからはあたしの問題です。あなた方を巻き込むわけにはいきません」

 「そうじゃない……そうじゃ……ないの……」


 屈託のない笑みで微笑むイツキを見て、アリッサはフローラの面影を重ね、震える唇をかみしめながら、彼女の両手を包み込むように握った。


 「あなたが命を張る必要なんてないと思います。だから、無理をしないでください」

 「ちがうの————————ッ!!」


 アリッサは声を張り上げて、イツキの言葉を否定する。当然のことながら、イツキはそれに少々驚き、目の前にいるアリッサという女性が、どうしてそこまで頑なに自分にこだわるのかが理解できずに困惑してしまう。


 「私は……そういう理由で……」

 「同情ならやめてください。それが一番気持ち悪くて大嫌いです。あなたに同情されたところで————————っ」


 イツキの言葉が止まる。それは、アリッサが泣きじゃくりながらイツキの体に両腕を回し、抱擁をしたからである。しかし、抱擁した当の本人は、イツキの顔の横で泣きじゃくり、会話ができないように見えた。


 「アリッサ……さん?」

 「ごめん……ごめんね……私が……私のせいで……」

 「あの……これは……」

 「すまねぇな、えぇっと……イツキさん」


 まともな会話ができないアリッサに代わり、先ほどまで口喧嘩をしていたパラドが口をはさむ。イツキは困惑しながらも、アリッサの頭を撫でつつ、パラドの方に怯えながら視線を向けた。


 「このバカは……イツキさんに、昔の友人を重ねてるんだ……」

 「昔の……友人?」

 「あぁ、ほんのちょっと前にな……。首を突っ込んだ事件でへまをしたときに……亡くなったんだ。けど、その子と瓜二つのイツキさんが目の前に現れたわけだから、このありさまさ……」

 「そう……だったんですね。だから、時折、あたしの方を見て、『フローラ』と呼んでいたのか……」

 「困惑させちまったのなら、俺の方から謝る……」

 「いえ……それぐらい……あたしにも……」


 イツキは自分のことに置き換えて考える。それは自らの友人であったレムナントと似た少女が目の前に現れたら、という仮定の話……。もしそれが、違った人物であったとして、『自身はどのような行動をとるのだろうか』などと思考を巡らせる。撫でているアリッサの髪は雨に濡れていたせいか、少しだけ土の匂いがして、洞窟で友人と冒険したときのことを思い出してしまう。


 刹那、感情とは別に、いつの間にか、イツキの頬に熱い水滴が流れていた。


 それは、友を失ったイツキが、初めて理解した『死』という辛さだったのか、それとも、自分ではない別の誰かの感情が揺り動かされたのか、などということはイツキ自身にもわからなかった。


 「あ、あれ……なんで……」

 「わりぃな、嫌なことを思い出させちまって……」

 「違うんです……。そういうつもりじゃ……。なんで、あたし……」


 困惑しながらも、アリッサの頭をさらに濡らし続けるイツキを見て、パラドはため息交じりに微笑む。そして、これ以上の会話はしばらく不可能ということを理解して、静かに席を立った。


 「しばらく席を外す。その間、このバカのことを頼む……」


 それだけを言い残し、パラドは一度部屋を後にした。残されたのは、かつての親友の体を持つ別人の胸の内ですすり泣くアリッサと、どうして自分が泣いているのかもわからない普通の少女であるイツキという奇妙な関係の二人だけであった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る