第4話 泣きつかれた果てに
二人は泣き疲れ、一人分の大きさしかないベッドに上で、互いの背中を支えにしながら座っていた。後ろについた手は重なりそうで重ならず、シーツのしわが壁となって遮っている。
静寂が続く部屋の中とは正反対に、窓の外では未だに氷雨が降り続いており、雨音が歌を奏でるように窓を叩き続けていた。窓の外はそんな冷たい雨に熱を奪われ、街全体が止まっている。しかし、アリッサたちがいる小さな部屋の中は、僅かながらの暖房魔道具により、ほんの少し暖かく、何より心臓の鼓動程度の動きは確かにあった。
「アリッサさん……」
「なに……イツキさん……」
「教えていただけませんか……その……フローラさんのこと……」
「どうして? あなたが知る必要はないと思うけど……」
「知りたいんです……いえ、知らなきゃいけないと思うです……。だってあたしは……」
「『転生者』だから?」
「————————ッ!?」
信じてもらえるわけがないと考えていたイツキの言葉をアリッサは先回りして言ってしまう。しかし、それはイツキにとっては更なる疑念と困惑を呼び、どうしてアリッサがそれを知っているのかという恐怖が先行し始めてしまった。
「気づいていないと思ってた? そんなわけないよ……。だって、ほくろの位置も同じなのに、違う人物なわけないじゃん。だったら、考えうる答えは一つだけ……。その体に……フローラの体に、あなたがいるっていう可能性だけ……」
「ちょっと待ってください!! あなたは————————ッ!!」
アリッサの弱々しい答えに驚きを隠せず、イツキは勢いよく振り向いてしまう。すると、イツキを支えにしていたアリッサはバランスを崩し、ベッドの上にあおむけに倒れてしまう。イツキはその衝撃でベッドが揺れてしまい、体勢を崩したため、バランスを取ろうとした。しかし、踏ん張ることができず、そのまま、アリッサに覆いかぶさるようにベッドの上に倒れ込んでしまう。それは、溝があった二人の距離を、吐息と吐息が重なるような十数センチにも満たないほんの僅かな距離まで強引に近づけた。
二人の瞳がほんのわずかな間……しかしながら永遠と続くような静寂の最中、重なり合う。そんな僅かな静寂を破るように、アリッサは花の蜜のような甘い香りと、僅かに傾いた丸ブチメガネの奥にあるぱっちりとしたローズレッドの瞳に魅了され、恥ずかしそうに目線を逸らしてしまう。
「あ……あの……」
「大丈夫……怪我はしてないから……」
「ごめんなさい。すぐ退けます!!」
イツキは驚きながらも体を起こし、ベッドの上に正座してアリッサが起き上がるのを待った。アリッサはそれを見て小さく微笑みつつ、上半身を起こし、ベッドの淵に腰かけ直した。
「どうして私が、あなたを『転生者』だとわかったのか……。その答えを話す前に一つだけ聞かせて……」
アリッサはイツキの方に振り向かないまま背中を見せ、自身の赤くはれた目を片手で覆い隠す。
「あなたは……この世界で、一体何をするつもりなの……」
「なにをする……つもり……ですか……。そうですね……少し前までは答えられたのかもしれません」
イツキはベッドの上を四つん這いになりながら歩き、ベッドの淵に、アリッサから横に少しだけ距離を置いて腰かけた。
「あたしは……自由に……旅がしたかった。それも一人じゃなくて、心から信頼できるだれかと一緒に……。ううん、そうじゃない……。本当は旅なんてどうでもいい……。心から信頼できる誰かと一緒に居たかっただけです……」
「それが……あの子か……」
「はい……レムちゃんがそうでした……。レムちゃんといられればそれでよかった。国の改革とか、革命とか、そういうの……どうでもよかったんです。幻滅しましたか?」
「するわけないよ。それが普通で、そっちの方が人間らしい……」
イツキはアリッサの顔を覗き込むように、片手をベッドの淵につく。そして、食いつくようにアリッサからの回答を待った。アリッサはそれを横目で見て、ゆっくりと顔を上げ、前だけを見据えたまま再び口火を切り直した。
「少しだけ安心した……もし、あなたが、その力を悪用するような人だったら、私は、あなたを殺せなかったと思うから……」
「教えてください。どうして、あなたが『転生者』ということを認知しているのか……」
「そんなの簡単なことだよ……私も、その『転生者』という枠組みに当てはまるから」
「ま……な……え……」
「言葉になってないよ。とりあえず、落ち着こうか……」
「ど、どういうことですか……」
「どうもこうもない。その言葉が事実だけど? まぁ、もっとも……私の場合、元の人格と記憶共々に融合するような転生の仕方だけどね」
アリッサは自嘲気味に笑いつつ、動揺しているイツキの方に向き直る。
「あなたは、別の世界から来たの? それとも、この世界の過去から?」
「あ、えっと……別の世界だと思います。あたしの世界では魔術なんて言うものはありませんでしたから」
「そう……じゃあ、挨拶はどの言語で始める? 『こんにちは』とか、もしくは『Hello』とか?」
「『こんにちは』です! 日本語! じゃあ、本当に!!」
イツキは目を丸くしながら急に早口になっていることにすら気づかない。アリッサはそんなイツキを見て、一度冷静になり、乱れていた心音をようやく落ち着かせた。
「私たちギルド『月のゆりかご』は、あなたのような『転生者』が道を踏み外さないように、そして、それぞれが目指す道を歩めるように、保護と支援をするのが目的なんだよね。だから、その性質上、色々な『転生者』がいる」
「————————え!?」
「もちろん、あなたや私のように『日本人』もいる。でも、そうじゃない普通の人もいるんだよ。不思議なギルドでしょ」
「そ、そうじゃなくて……『転生者』ってそんなに多くいるんですか!?」
「どうだろう……たぶん、異常に多いのは確かにそうなんだけどさ……。全世界の人口から言えば、そんなのは誤差の範囲ぐらいだと思うけど……」
「ま、待ってください。じゃあさっき、『私を殺せない』っていうのは!?」
「言葉通りの意味。いきなり手に入れてしまった大きな力に溺れて、『交渉の余地なし』と判断したときは殺してきた……どう? 幻滅した?」
アリッサは意地悪そうに笑いながら、先ほどのイツキの質問と同じことを述べる。しかし、当のイツキは驚きのあまり、腰を抜かしてベッドの上に尻餅をついてしまっていた。
「べつに怖がらなくていいよ。だって、私……あなたが思っているより、多くの人間を殺してきたから」
「そ、それは……」
「『日本人』としての感覚からしたら、怖いと思うのは無理ない。けどね……この世界で生きるって言うことは、そう言うことでもある。『日本』のように治安も良くないし、誰でも使える魔術なんて言う凶器もあるから、武力による統治はそれこそ前世の歴史よりも有効的だった。だから、昔の国が滅びずに残り続けても来たんだよ」
アリッサは自身で経験した約4年の月日を振り返りながらイツキに諭すように笑いかける。そんなアリッサを見て、イツキは自分の少しだけかさついている片手を握り、息を飲んだ。
「その原因は『転生者』のせいですか?」
「いいや、人間の性質上そうなっているだけでしょ。『転生者』っていうのは、それを加速度的に増やすだけのきっかけ」
「そう……なんですね。納得しました……。あ、あと、あたしは、アリッサさんのこと、幻滅したりはしませんよ! だって、あたしは……いえ、あたしも、この世界で多くの人を殺してきましたから……」
「それは、生きるため?」
「いいえ……己の意思に準ずるためです……。以前、アリッサさんが敵視するような、『力に溺れた転生者』の集団がいたんです……。その時に……そのすべてを……虐殺しました」
「すごいね……普通なら倫理観が邪魔をして怖がってできないのに……」
「それは……」
イツキはアリッサの感心に言葉を詰まらせてしまう。しかし、一度深呼吸をして心を落ち着かせた後、意を決するように再びしゃべりだした。
「あたし……実は……前世で……人を殺しているんです……」
「あぁ、なるほどね……」
「気味悪がらないんですか?」
「どうして? あなたの性格からして、前世が別段『殺し屋』とかそういうんじゃないのはすぐに分かったし、だとすると、その殺人はたぶん……何らかの理由があったんでしょ? それを今更掘り起こして罪に問うと思う? そんなこと言ったら、この世界で意味のない殺人をしている方がよっぽど裁かれるべきだと思うけど」
アリッサは顔立ちを崩さないまま首をかしげる。しかし、そのあまりに異常な回答と感性に、イツキは息を飲まずにはいられなかった。
「さて……ここからは提案なんだけどさ……。もしよければ、うちのギルドに入らない? あなたなら、十分にその資格はあるし、なにより私が嬉しい。もちろん、その姿にみんな少し困惑するかもしれないけど、受け入れてくれると思う」
「もし……もしもの話です……。もし、そのギルドに入ったら、あたしは何をしなければいけないんですか?」
「何をする? それは、あなたが考えることじゃないの? 何かをすることを強制することはないし、する予定もない。うちのギルドはそういうんじゃなくて、誰かが『助けてほしい』と手を挙げたときに、手伝ってくれることしかしてないよ。それ以外は自由もいいところ」
イツキは自身の胸に手を当てて少しだけ逡巡する。たしかに、アリッサたちの庇護下に入れば気持ちは楽になるのだろう。しかし、そうすると、今まで旅をしてきたレムナントへの裏切りになる気がして、どうしても躊躇ってしまう。
「少しだけ……考えさせてください……」
だからこそ、一度、その提案を飲み込み、時間を要求した。このしがらみを解かない限りは、イツキは、アリッサたちの元に来ることはできない。しかし、その過去を乗り越えるための目標は、非常に困難を極めることは明白であった。
それでも、アリッサはイツキの回答を否定せず、静かに頷いて受け入れた。
「わかった。もしも、気が変わったときの為に私の連絡先を教えておくね」
「ありがとうございます」
アリッサは一枚の名刺のようなモノを取り出し、そこに書き記した連絡先を手渡す。イツキはそれを見て驚きつつも受け取り、一度自身の服の中にしまい込んだ。
「じゃあ、私はこれで失礼するね。こういうのも変なんだけどさ……できれば、その体を大事にしてほしいなって……」
「わかりました……善処します」
アリッサはその回答を受け取り、安心したのか、ゆっくりと立ち上がり、部屋の出口に向けて歩き出す。イツキはその遠ざかる背中を見て、何かを言いかけ、そしてすぐに閉ざしてしまう。
だが、アリッサが扉に手をかけたその時、ようやく何かを飲み込み、そして、張り上げる様な大きな声で呼び止めた。
「あの————————ッ!!」
その声に驚き、アリッサは開けようとした扉のノブから手を放し、ゆっくりとイツキの方へと振り向く。すると、イツキはベッドから立ち上がり、こちらの真正面に見て、堂々と立っていた。
「お金があれば!! あなたのギルドを雇えますか!」
「え————————!?」
「だからッ!! お金さえあれば、冒険者として、あなたたちを雇えるか、と聞いているんです」
「それは……そうだけど……どうして?」
「それは……その……」
イツキは一度視線を逸らす。なぜなら、こんなことに彼女たちを巻き込んでいいのかという良心が邪魔をしてしまったからである。
しかしそれはほんの一瞬のことであり、ゆっくりとこちらに戻ってくるアリッサの足跡を聞いて、すぐに前に向き直り、拳を強く握りしめた。
「————————復讐がしたいんです」
それはとてもシンプルで、とても難しい願い。しかし、イツキを今動かしている『しがらみ』であり、動力でもあった。あの皇帝テオドラムに立ち向かうことに恐怖はある。しかし、それ以上に、『このままでは終われない』『レムナントを殺した相手が許せない』という子供のような感情が先行していた。
「わかっていて、聞くけど……それは、あなたの意思? それとも一時の感情?」
「どちらも正解です。あたしは、レムちゃんを殺したアイツが許せない……。この国がどうなろうと構わないけど、アイツだけは生かしておけない」
「狂っているとは思わないの?」
「————————思いますよ。でも……間違っているとは思いません。あたしは……人の尊厳や命を平気で弄ぶやつが大嫌いなんです……。だから、アイツを殺すことは正しいことだと思っています」
「一方的な感情だとは思わないの?」
「それを言ったら、『道を踏み外した転生者』を殺す、あなただって同じことじゃないですか」
「————————ッ!?」
アリッサはイツキの言葉を聞いて、目を丸くしたまま数秒止まってしまう。それは非常に的を射ていて、アリッサ自身も狂っていることを再認識させるには十分すぎる言葉だった。
それを聞いたアリッサは当然ながら最初は戸惑い、やがてそれはお腹を抱えて笑い出してしまうほどの賞賛へと変わっていく。
「アハハハハハハハハハハッ!! そりゃそうだ!! あー、これなら、試す意味もなかったじゃん」
「試す……って」
「———————いいよ。先輩は反対するかもしれないけど、私は手伝ってあげる。でも、それだけ大きな依頼となると、かなりの額を請求できそうだけどどうする?」
「そ、それは……」
「あなたって、踏み出しは凄いいいけど、飛び出してから困るタイプだよね」
「うぅ……否定できません……」
「悪口を言っているわけじゃないよ。むしろ、私にはできないから褒めてる。あぁ、それと、お金に関しては別のもので代替えできるのならば、考えなくもない」
「えっと……臓器とかは勘弁してください」
「しないよ、そんな悪趣味な事……。まぁ、後で考えておくから」
「余計に怖いんですけど……」
「変な報酬をせがんだりはしないって……。どうせ、私しかやらないと思うし……」
「いいえ、そうとも限りませんよ————————」
アリッサとイツキとは別の声が聞こえてきた。その声の主はいつの間にかアリッサの後ろにある部屋の入口の扉を開けていて、そして堂々とした足取りでこちらに歩み寄ってくる。
煌めくように濡れた長い黒髪をなびかせ、凛々しい顔立ちをしたその女性をアリッサは知っていた。だからこそ、驚いて、ほんの少しの間硬直してしまった。
それを見て、その声の主であるキサラはため息を吐きながらも、アリッサの横に並び立ち、そしてイツキに対して妖艶な笑みを浮かべた。
「あなたの依頼。もちろん、わたしも引き受けます。それが、こちらの依頼達成にもつながりますから」
「———————え!? それってどういうこと、キサラさん……」
「————————こういうことです」
さらにもう一人、杖のつく小気味よい音と共に誰かが遅れて部屋へと入ってくる。それは深い赤色であるカージナルレッドの柔らかく腰まで伸びた長い髪を持つ女性。しかし、星のように煌めくマゼンタの丸い瞳の片方には黒い眼帯がつけられ、見る影もない。そして、わずかに幼さが残る顔つきは既になく、笑みを浮かべれば、吸い込まれてしまうような芯の強さを感じられる気高い顔つきがそこにあった。
その女性……第一皇女リリアナ・エルドライヒは、杖で数回、床を軽く叩き、アリッサの疑問に答えるように微笑んでいた。
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