第2話 撤退すべき理由


 体の倦怠感を覚えながら、ゆっくりと重いまぶたを開ける。

 最後の記憶は、皇帝の御前で何か口論になったこと……それ以外は何だったかと激しく痛む頭を押さえながらアリッサはゆっくりと体を起こした。首を左右に振りながら状況を確認すると、見知らぬ部屋であり、おいているモノの小奇麗さから、ここがどこかの宿屋であることがすぐにでも分かった。

 窓の外を見てみれば、雨が降りしきっており、もしかしたら季節が変わるほど寝ていたのではないかとアリッサは錯覚し、窓枠の方へと走り寄る。しかし、窓に触ってその冷たさが身にしみて感じられたため、季節違いの氷雨が降り注いでいるだけだとわかり、その焦りはすぐに安堵に変わった。


 少し落ち着いてきたため、他に変化はないかと化粧台の方へと歩いていき、顔立ちや筋肉量などの体格を確認するも、これと言った変化は見られなかった。

 何事にも動じないような薄桃色のぱっちりとした瞳。そして、茶色で癖の少ないセミロングの髪の毛は何も飾り付けがないまま肩の少し下まで伸びている。肌色は多少の日焼けがあるぐらいで血色がよく、顔の輪郭は以前よりも凛々しく見える。

 アリッサの身長は170センチメートル前後、体には実家の稼業や冒険者業のせいもあり、しなやかな筋肉がついている。胸囲に関してはあまり豊かではないものの、顔立ちは整っている部類にはいるだろう。


 どこからどう見ても自分自身であり、細部までこだわってみても変化はわからない。アリッサはもう一度安堵しつつ、部屋の灯りを求めて、設置されている“トーチ”の魔道具に手をかざす。

 天井からつるされた電球のような魔道具に灯りが灯ると、部屋全体が起きたときよりも良く見渡すことができるようになり、反対に、外の景色の暗さが印象的となった。

 手元の懐中時計を見るに、今は朝方であるものの、曇天の空が東日を覆い隠し、全体的な街の暗さが浮き彫りになっている。



 状況の整理を終えたアリッサはもう一度、記憶が途切れる前のことに思いを馳せる。

 あの時、皇帝テオドラムと口論になり、何かを言い渡された。その動きに反応し、自身は魔術障壁を展開し、何らかの攻撃に備えたところまでは覚えている。しかし、その直後に眩暈の兆候などもなく、意識がブッツリと唐突に途切れた。

 もしかしたら、何らかの魔術的攻撃を受けて上半身全て弾け飛んだのではないかと戦慄しつつ、『ならばどうして自分がここにいるのか』さらなる疑問の種が浮かんできた。


 そうやって頭を捻って悩んでいると、入り口の方のドアのカギを回して開くような音が聞こえて来たため、アリッサは無装備ではあるが、魔術を発動させる様な迎撃態勢に即座に移行する。

 しかし、ノックもなしに入ってきた人物が自身のよく知る人物だったため、振り上げた手足は即座に降ろされることとなった。入ってきたのは、パラドイン・オータムというアリッサのよく知る人物であり、一番の信頼を寄せる人物だった。


 「————————先輩??」

 「アリッサ……目を覚ましていたのか……具合はどうだ? どこか違和感は?」

 「ちょ、ちょっと待ってください。いろいろと整理が追い付かないので……」


 アリッサは混乱する頭に鞭を打ちながらよろめき、ベッドの淵に腰かけた。すると、パラドは部屋の入口のドアを閉め、温かい朝食らしきものを手に中へと入ってきた。アリッサは自分が下着姿であることに気づき、慌ててシーツを掴んで自身の体に巻き付ける。

 恥ずかしがるアリッサとは正反対に、パラドはどこも恥ずかしがる様子がなかったため、アリッサは逆に少しだけ怒りを覚えそうになってしまった。


 「それでー……どうして私はここに?」

 「憶えてないのか?」

 「皇帝と謁見したところまでは記憶がありますよ。だから、寝ている間に先輩が私の体にあれやこれと変なことをした記憶はありません」

 「してねーよ。変な妄想を付けたすな」

 「チッ、してないですか、ヘタレめ……」

 「お前なぁ……」


 アリッサの冗談にパラドは悪態をつけつつ、ため息を漏らしながら自身の髪を掻き始める。


 「とりあえず、何があったかを聞かせてもらえませんか? 私はどれくらい寝ていたんですか?」

 「まぁ、半日ぐらいだな。何があったかと言われれば……そうだな……」

 「歯切れが悪いですね。スプラッタにでもなっていたんですか?」

 「まぁ、そんなところだな。お前は俺が到着したその時、文字通りに“即死”していた」

 「あぁ、じゃあやっぱり、私は街中に臓物や血反吐をまき散らしながら死んでいたわけですね」

 「いや……ウソみたいに綺麗だった」

 「それ、今の私に言ってます?」

 「傷口に対してだバカ野郎。外傷は一切なく、心停止した状態だったってことだ」

 「心不全でも起こしたみたいに?」

 「その例えの方が適切だな。それこそ、死神のノートに名前を書かれたみたいだったな」

 「ネタが古いんですよ、先輩は……」

 「うるせぇ、通じているお前もお前だ」


 二人は互いを見て少しの間だけ笑いつつ、会話を一時的に中断する。一連のやり取りで、互いの無事を確認し、安堵が漏れた所以である。


 「何が起こったのか、正直に言って私にはわかりませんでした。死の予兆を感じ取って、防護魔術を使いましたけど……」

 「そうだな……まぁ、推測する限り、皇帝テオドラムが持つ、チート級の起源魔術だろうな」

 「どんなものなんですか?」


 起源魔術……それは人間一人が、一個だけ持っている起源というものを使って使用する魔術のことである。これは、アリッサで言うと、死の予兆を感じ取る『虫の知らせ』が該当する。転生者であれば、稀に2つの起源魔術を行使できる場合があるが、それはとても稀有な存在である。


 「詳しい名前とか条件はわからねぇが、簡単に言えば“即死”だな」

 「即死って、それこそ、やっぱり死神のアレそれと一緒ですか?」

 「それよりもっとヒデェな。秒数の余地なく、苦しむことなく、一瞬でポックリ行っちまう」

 「それに私は為すすべなくやられた……と」

 「あぁ、だから蘇生させるのには難儀した。なんせ、回復魔術が一切効果をなさないんだからな……」

 「あれ? じゃあなんで私は生きてるんです?」

 「体を一から再構成し直した。それこそ、細胞一つ一つを丸ごとな」

 「うわ……きっも……」

 「はいそこ、文句をいうな。アイツの起源魔術がなければ、お前死んでたんだからな」


 パラドが語る『アイツ』という人物にアリッサは心当たりがある。それは致命傷すらも即座に再生させる強敵……ルイス・ネセラウスという人物だった。


 「そこには感謝しますけど……ってあれ? もしかして、リンデルが襲撃されたときにも同じようなものが……」

 「あれはアレで全く別のものだな。誰かが街全域の結界を魔力に変換して大規模魔術を行使しやがった。やっていることはおそらく、同じことだとは思うが」

 「なるほど、それが“即死”の対策ですか……」

 「対策じゃねぇ。応急策だ……。あまりにも非効率的すぎる……」


 パラドの言っていることは理解できる。それが発生しないようにすることが“対策”であり、起きてしまうものを許容して、すぐに修復することを対策とは言わない。だからこそ、アリッサは手詰まりになっていることを自覚した。


 「皇帝テオドラムは……正直に言って、話し合いが通じる相手ではありませんでした。相手にとって不都合があれば、おそらく、何の前触れもなく、殺して来ると思います」

 「そうだな。その犠牲者がお前だったわけだが……」

 「そ、そう言えば、他に誰かいませんでしたか? えっと……フローラによく似た人とか、白髪の小さな女の子とか……あと、バカっぽい男とか!」

 「いいや、俺が来た時に居たのは、フローラによく似た奴だけだったな……。あぁ、それと、アイツはお前もわかっているとは思うが、転生者だ。それに————————」

 「大丈夫です、先輩。それ以上は言わなくても……」


 パラドの言葉を遮り、アリッサは不器用な笑みを浮かべる。その不器用すぎる笑みが、自分に対してのように感じられ、パラドは胸が締め付けられるほど痛かった。


 「フローラ……じゃなかった。イツキっていうんですけど、彼女は今どこに?」

 「戻ってこない誰かを探して、街の方に出ていった」

 「そうですか……。すみませんが、先輩は少し壁の方を向いていてもらえませんか?」

 「————————ん? なんでだ?」

 「着替えるからですよ。変態——————」


 アリッサの膨らませた頬にパラドは納得したように相槌を打ちつつ、壁の方へと向いて振り返らない。アリッサはその間に、枕元に置いてあるマジックバッグを手に取り、替えの衣服を取り出して袖を通し始めた。


 「お前も探しに行くつもりか?」

 「そのつもりですが、先輩も手伝ってくれるんですか?」

 「そうじゃねぇ……。だが、お前に釘を刺しておこうと思っただけだ」

 「釘を刺す? 注意を受ける謂れはないですけど……」

 「そういう話じゃねぇよ。もっと簡単な話だ……。アリッサ……今回の依頼はここまでにしろ。万策尽きた現状ではどうすることもできない。それをわかっているよな」


 アリッサの着替える手が一瞬止まる。それはアリッサ自身も自覚してはいたが、考えないようにしていたことだからである。


 「皇女殿下は行方不明。託された手紙も拒否された……。依頼は失敗だ。それ以上でもそれ以下でもない。だからこそ……」

 「わかってますよ、先輩————————」

 「わかっているんだったらそれでいい。この国にいる限り、テオドラムに探知されたら、どこに居ても“即死”の起源魔術が飛んでくる。もう一度アレを受ければ、蘇生できるかはわからない」

 「依頼は失敗ということも、すぐに引き上げなきゃいけないこともわかります。けど……」

 「お前が『イツキ』と呼んだあの子のことか?」

 「はい……。せめて、連絡先ぐらいは交換してもいいじゃないですか……。それぐらいしたって、罰は当たらないはずです」

 「そうだな……。それぐらいなら構わないさ……。だが、皇帝テオドラムを倒そうなんて言う変な気は起こすなよ」


 パラドは釘を刺しつつも、自らのマジックバッグから何かを取り出し、振り向かずにアリッサの方へと投げてよこした。アリッサは少々的外れなところに飛んだその物体を空中でキャッチし、確認する。

 それは、茶色のローブのようなものであり、裏面に魔術式が編んである魔道具だった。


 「そいつには隠匿の魔術を仕込んである。魔力を通せば使えるはずだ。この街で外に出歩くなら必要なものだ」

 「透明マント?」

 「透明にはならない。探知系の魔術に引っかからなくなる程度のものだ」

 「ありがとうございます」


 アリッサは少しだけ寂しげな表情と共に、それを受け取り、着替え終わった冬物のコートの上からそのローブを身にまとった。特にこれといった変化は見られず、魔力消費も微々たるものであり、気にする程度のものでもないよくつくられた魔道具であることはすぐに分かった。


 「正午には出立する。それまでには戻ってこい」

 「わかりました」


 アリッサは静かにコーヒーを口にしているパラドに頭を下げつつ、宿の部屋から飛び出すように外に出る。このままここを去れば、二度と、彼女たちと出会うことはない。そんな不安がアリッサを襲ったからである。だからこそ、氷雨で濡れた石畳を蹴り飛ばし、白くなった息を吐きだしながら、アリッサは刻限を気にして走り続けた。


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