第3章 残骸の軌跡

第1話 戻ってこない大切な人

 アガネリウスは、震えをどうにか抑えながら走り続けた。エルドライヒ帝国首都ワルシアスの中心部である貴族区画を抜け、平民区画に入る。それでも止まらず、衛兵の制止を振り切ってさらに先へと進もうとする。


 しかし、その瞬間足がもつれ、そして転倒してしまう。その結果、両肩に担いでいたアリッサとイツキは地面の石畳を転がり、何度も叩きつけられた。


 「お、オレ様は……オレ様は———————」


 アガネリウスは手足の震えを抑えられず、後ろで倒れている二人を凝視する。イツキの方は少々の怪我で動くことに支障はないため、激しい頭痛を堪えながらどうにか立ち上がろうとしているが、アリッサの方はそうではない。

 不自然な体勢で地面を転がったまま、指一つすら動かそうとしない。それ以前に、呼吸すらしていなかった。何故ならば、アリッサという人間は、数刻前に防ぐことも叶わない皇帝のたった一言で、文字通りの『即死』となったからである。


 その、呆気ない『死』を見ると、『次は自分かもしれない』『まだ、殺せる射程にあり、ここから早くはなれなければならない』と恐怖が次々にこみあげてくる。それは吐き気を伴い、食道が焼ける様な痛みを発し始めた。

 その恐怖に耐えきれず、アガネリウスは振り向くのをやめ、たった一人で走り続ける。その場に二人を捨て置けば、さらに遠くに逃げられることを知っているからである。


 その場に残されたイツキはアリッサに駆け寄り、荒い吐息をしながらも、慣れない手つきで回復魔術を使用する。しかし、それらは一切の効果を表さず、心臓を叩いて動かそうとも、何の反応も見せなかった。その無力さはやがて焦りを呼び始め、眩暈を呼び、忘れていたはずの恐怖も次第に戻り始める。

 外傷は一切なく、まるで心不全でも起こしたかのようなアリッサの死体。もしも、彼女が前に立って自分を庇わなければ、もしかしたら……という恐怖が蝕むことで、呼吸が荒くなり、耳鳴りと共に視界が白くなり始める。


 「ごめ……ごめん……ごめんなさい」


 イツキは過呼吸になりながらも、動かない死体にただ謝ることしかできず、無気力に膝をついてしまう。そんな時であった————————


 「アリッサ————————」


 誰かの声がした。それは男声の声であり、振り向くと同時に、そこにはローブ姿の男性がいつの間にか立っていた。足音などはなく、いつの間にかそこに立っていたのだが、取り乱しているイツキにとってそれらは考えることすらできていなかった。

 そこにいたのは、癖のあるこげ茶色の短髪に、相手を睨むように威圧的な鋭い鸚緑の瞳をもつ青年。疑いようもなくパラドイン・オータムであった。


 「どいてろ————————」


 パラドは脚が竦んで動けないイツキをアリッサの傍からどけて、容体を再確認する。しかし、何度確認しても外傷は一切なく、何の情報も得られはしない。


 「おい、コイツになにがあった————————って、お前……」

 「あ、えっと……皇帝陛下に謁見してて、それで、皇帝が怒って、えっとそれから—————」

 「皇帝……ということは、あの、チート野郎か……。このバカが……先走り過ぎだ……」


 イツキのたどたどしい説明をパラドは冷静な頭で分析し、もう一度アリッサに向き直る。そして、歯噛みしながら状況の悪さに悪態をついた。しかし、その行動は素早く、魔術杖なしで即座に追跡を防止するための結界を張り、自身のマジックバックから、丁寧に梱包された小さな箱を取り出す。

 その箱を開くと、中にはすべてが青白く装飾されたナイフが収まっていた。


 「ルイスと連絡が取れなくなった時点でヤバさを感じてはいたが……。まさか、早々にこいつを使う羽目になるとはな……」


 パラドは独り言をつぶやきながら、無造作にそのナイフを掴み取り、アリッサの心臓に突き刺すべく、衣服を一時的に脱がし始める。しかし、その乱暴さにイツキは動揺し、ナイフを振り下ろそうとしているパラドの腕を掴んで止めてしまう。


 「な、何してるんですか!?」

 「手を放せ!! 一刻を争うんだ!!」

 「まだ死んでません。だから——————ッ」

 「そんなことはわかってる。だから、手を放せ!! でなけりゃコイツを治せない」

 「だ、ダメです」

 「いいから放せ————————ッ!!」


 パラドは腕にしがみつくイツキを乱暴に弾き飛ばし、アリッサから遠ざける。イツキはそれでも、もう一度パラドを止めようと立ち上がる。しかし、その瞬間、震えている足のせいなのか、もつれて地面に倒れ込んでしまう。

 その隙を逃さず、パラドは一度息を吸い込むと、青白いナイフを容赦なく、アリッサの胸の中心に突き立てた。


 瞬間、アリッサを中心に光があふれ出す———————


 突き立てたナイフは全て白色の光となり後も残さず消え去り、代わりに、それらはアリッサを包み込むように、溶けていく。しかしそれらは、ほんの一瞬だけであり、すぐに光は弾け、元の静けさが戻ってくる。

 刹那、アリッサの心臓が弱々しくも鼓動を刻み始め、やがてすぐにまた動かなくなる。


 「クソ————————ッ!! これでも足りないか!!」


 パラドは悪態をつけながらも自身の服の袖を捲り、両手を交差されると、一定のリズムを保ちながら胸部圧迫を開始する。それらの光景はイツキには信じられず、何もできずに固まってしまう。

 パラドはそちらに気を割く余裕もなく、人工呼吸と胸部圧迫を繰り返し、諦めずにもがき続ける。もしも、自身に雷属性の魔力があればとパラドは眉間にしわを寄せるが、それでも、無いものをねだっても仕方がないため、ひたすらに心肺蘇生を続けていた。


 それは、やがて軌跡を起こし、何度目かわからない人工呼吸をしたその時、再びアリッサの指先がわずかに動いた。その瞬間、驚いたパラドを押しのけるようにアリッサは暴れ出し、意識が戻らないまま、強く咳き込みだす。

 そして、口から粘性の液体を吐き出すと同時に、弱々しくも呼吸をし始めた。パラドはその事実に安堵の息を漏らし、安心からくる疲労により、腰から地面に座り込む。


 「—————たく……。世話の焼ける後輩だ……」


 アリッサの意識は未だに戻らない。しかし、しっかりと呼吸はしているようであり、心臓も動き続けていた。

 パラドは深いため息を吐き、無造作に投げ捨てられた小さな木箱を凝視する。その中身は既にないが、アリッサを救ったのは間違いなく、そこに収められていたナイフであった。だからこそ、パラドは目を閉じて、自らの親友に感謝を述べる。


 「“即死”の起源魔術……。お前に渡された御守りがなければヤバかったな……」


 パラドが使用したナイフ……。それは悪友であったルイス・ネセラウスから渡されたものであった。どんな蘇生魔術すらも受け付けない即死状態……その因果が捻じ曲げられた状態を元に戻すため、一度分解、そして再構成する錬金術が込められたもの。

 彼が、もしもの時のために用意した、たった一つのモノがここで使用された。


 もし、パラドがあの時、ルイスを殺害するという選択を取っていれば、おそらくこの結果は得られなかった。そんな偶然の選択の結果に、パラドは思わず苦笑いを浮かべつつ、静かに寝息を立てているアリッサを見て微笑んだ。


 「あ、あの————————ッ!!」


 しかし、そんな長く続きそうな静けさに満ちた空間は一瞬のうちに崩れ去る。パラドが驚きながら声のした方に振り向くと、そこにはアリッサの親友によく似た女性が立っていた。

 コーラルレッドゆるいウェーブヘアーを持つ、顔立ちが不気味なほどに整った女性。髪の間から見え隠れする少しだけ長い妖精のような耳。目を合わせたその瞳は、薔薇のように赤いローズレッドであり、冷徹さと優しさを内包した宝石に似ている。冬の衣服で詳しく見ることはできないが、豊満な胸から彷彿させるグラマラスな体型であるとすぐにでもわかる。

 これで、顔の印象を見えにくくする丸ブチの大きなメガネをかけていなければ、誰もが目を吸い込まれてしまうような美しさがそこにあった。


 だからこそ、パラドは見間違えるはずがなかったのである。その印象的な顔立ちや体型は、数回顔を合わせただけであるのにも関わらず、脳裏に焼き付いていた。


 「あ、あのッ!!」


 もう一度、張り上げたような声を聞き、パラドはようやく我に返った。しかし、我に返ると、今度は、『死亡の報告を受けていた彼女がここにいる理由』が気になり、思考の一部を占領し始める。


 「キミは?」

 「ごめんなさい。あたし、イツキって言います。先ほどは、勘違いして……」

 「あ、あぁ……別に構わねぇ……」


 パラドの中にある嫌な記憶が蘇っていく……。それは、幼い頃に自分が、死亡したパラドイン・オータムという人間なったころの記憶である。パラド自身は、体の元の人格を塗りつぶす形で、転生者として生を受けた。そのせいで、妹からは嫌悪され、未だに仲違いしたままである。

 そんなパラドだからこそ、イツキの現状が、元の人格を塗りつぶし、挙句の果てに記憶すらも失っていることが容易に想像できた。故に、静かな寝息を立てているアリッサはそんな彼女を最初に見たとき、どのような思いだったのかと考えずにはいられなかった。


 「助けていただきありがとうございました。えっと……お名前は」

 「パラドインだ。俺はコイツの友人……いや、どちらかと言えば保護者に近いような……ま、まぁ、複雑な関係だ」

 「パラドインさんですね。この恩はどこかで……」

 「おい、待て————————」


 立ち去ろうとする、イツキの腕を掴み、パラドは強引にその場にしゃがみ込ませる。その瞬間、静けさが相まって、鳥の鳴き声や、住民の喧騒がより一層強く感じられた。

 今現在、パラドが隠匿の結界を張っているおかげで、住民たちからは見向きもされないが、この外に出れば、おそらくは注目の的になる。

 そして、それは、彼女たちが逃げてきたとなれば、先ほどから何度も捜索魔術が使用している誰かの思う壺であった。


 「さっきから、街全体に探知をかけているやつがいる。何か知っているか?」

 「レムちゃんかもしれません。レムちゃんがこっちを探して……」

 「そんな分けねぇだろ。街全体に何度も使用するってなれば、相当な魔力量の持ち主だ。そのレムちゃんとやらはそういう魔術師だったのか?」

 「それは……その……違います」


 誰が捜索魔術を使用しているのか、などパラドにはわかりきっていた。それは、アリッサをここまで追い詰めた人物……皇帝テオドラム以外にはありえない。


 「探知に引っかかれば死ぬぞ」

 「わかってます! でも、レムちゃんが……」

 「その『レムちゃん』とやらを探して、お前が死んだら、相手はどう思うかを考えろ。そこまでバカじゃないだろ」

 「ご、ごめんなさい……」

 「まずは場所を移動する……俺もコイツを休ませたい」


 そう言いながら、パラドはアリッサを担ぎ上げ、イツキについてくることを目線で促す。イツキは周りを見て、少々戸惑いながらも、不安を胸にパラドの背中を追ってゆっくりと歩き出した。


 しかし、その後、イツキの友人であるレムナントが戻ってくることは永遠になかった—————

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