終話 “ウソ”に賭した紅蓮の魂



 レムナントは自分自身がどうしようもなく『ウソつき』であると自覚している。



 でっち上げられた罪で追放され、娼婦へと落ちた母……。それを単なる気まぐれで救いあげたのが、現皇帝テオドラム・エルドライヒという男だった。

 ただ、男は『救うこと』にだけ関心を示し、その後のことは別段、関与することはなかった。だからこそ、その救う際に、少女の母を断罪して殺し、そして連れ帰った後にレムナントがどんな仕打ちを受けたのか、などということを気にもしていない。


 生まれつき白い肌に真っ赤な瞳……母からも自分の子ではないと蔑まれ、皇宮では少女の救出と同時期に流行した流行り病が、彼女自身の容姿と結び付けられ、忌子と言われた。

 誰も彼女の世話をせず、暴走した貴族の一部は少女を殺そうとしてきたこともあった。当然のことながら、食事を配膳しないことや、暴力は日常茶飯事であり、誰も彼女を皇族であるということを認めてはいなかった。


 だからこそ、少女は、幼いながら知恵を使い、荷馬車に紛れるようにして帝都を後にした。その事実を、誰もが喜び、誰もが悲壮にくれることなど在りはしなかった。唯一、それ以外の人間がいたのだとすれば、彼女の死亡を気にも留めていない男だけだったのだろう。


 しかし、荷馬車は逃げる途中で盗賊に襲われ、長く旅が続くことはなかった。そして、もうだめかと思われたその時、少女の前に、顔に酷い火傷を負った大柄な男が現れる。

 男は片刃の大太刀で敵を薙ぎ払い、少女を泥の中から救い出した。救い出されて、男から「キミは何者で、どこから来たのか」と尋ねられた時、少女は一つ目の大きな『ウソ』をつく。



 名前のない奴隷として売られた貧民街の少女……口から出たでまかせを信じた男に名付けられた名前が、『レムナント』という新しい名前。

 過去の皇族としての名前に憂いはなかった。むしろ、名前を得たことで、男についていくことを心から誓った。


 結局のところ、レムナントいう少女は、酷く愛に飢えており、誰でもよかったのだと自覚していた。それがたまたま流浪の男であり、自らの師匠となる人物であっただけのこと……。

 だからこそ、男が伝えた教えも頭には入ってこない。誰でもよかったからこそ、それを手放さないために愛を語るような『ウソ』をつき続けた。



 その後、自らの持病が悪化し、命の危機に瀕して、もう一度男に救われてもなお、レムナントは変わらなかった。だから、その『ウソ』をつき続けるためならば、どんなことだってし続けた。人殺しも、復讐も、何もかも……

 しかし、そんな男との日々は唐突に終わりを迎え、レムナントは呆気なく導を失ってしまう。そんな混乱の最中、帝国と王国の戦乱が始まった。

 そして、気を紛らわせるために参戦したその戦乱の中、レムナントは、とある人物の姿を見ることになる。



 二度目の邂逅————————

 偽りの愛を傾けた師匠を殺した憎き人物がそこにいた。それに気づいたとき、レムナントの体は、水を得た魚のように勝手に動いていた。

 だが、そんな状態であったにも関わらず、刃を交差させたとき、男の弟子を名乗るキサラという女性に言い放たれた一言が、レムナントの心を大きく抉ることになる。




 空っぽ————————


 その一言は、『ウソ』をつき続けたレムナントを表すには非常に適切であり、誰でもよかった噓の愛情から生まれた復讐にレムナント自身が流されていることを見抜いていた。

 幼いころから虐げられ、忌み嫌われた少女には、人との接し方がわからなかった。そして、人との接し方がわからなかったが故に、一方的な愛情を言い訳にして、自分で考えることをしてこなかった。


 結果、それを自覚し、濁流にのみ込まれ、再び命の危機に瀕した時、ようやく、人生で初めて、少女は自分自身の中に、たった一つだけ……『生きたい』という願いを見出すことになった。


 その願いはレムナントの心に芽吹き、やがては強い根をはり始める。

 全ては『生きるため』……生きて地上に戻るために、敵すらも利用し、足掻き続けた。そうしているうちに、空っぽだった少女の中にまた別の感情が生まれ始める。

 それはさながら、雪の中に埋もれていた花が、雪解けと同時に花を咲かせるがごとく、連鎖的に、様々な感情が生まれていった。



 レムナントを、今のレムナントにしたのは他でもない。その時、行動を共にした親友だった。

 無鉄砲で、臆病で、それでいてスキンシップが激しいその人物は、悪友さながらに、どんなことからも逃げなかった。確固たる自分を持ち、物事に立ち向かうその姿に、レムナントは恋焦がれていった。

 だからこそ、そんな彼女のようになりたいと、自分の中のレムナントという個人を徐々に形作ることができた。

 そして、願わくば、この女性の隣を歩き続けたいと思わずにはいられなかった。



 しかし、それは一時の誤り————————



 レムナントはその事実を知っている。自身の体は、どうしようもなく病で犯されており、長くはない。それは、自身の起源魔術をもってしても抑えきれるものではなく、確実に近づく死に怯えることしかできなかった。


 本当は、もう少しだけ長く生きていたかった。でも、それができないとわかっていたからこそ、親友であるイツキの『一緒に旅がしたい』という願いを一度断った。

 自身が、彼女の足枷になってはいけないと、大切に思っているが故に————————


 でも、最初に立ち寄った街で、彼女と楽しい時間を過ごしているうちに、もう少し……もう少しだけ、と欲が出てきてしまう。




 そして彼女は、もう一度『ウソ』をついた————————




 誰のためでもなく、自分自身の為に……

 自分自身で、彼女といるために……

 残された時間を彼女と一緒に旅をするために……

 そのための言い訳だって考えた。それが帝国の世直しを行うというもので、言い訳に自分の過去を引き合いに出した。

 絶対的な恐怖の象徴であるテオドラム・エルドライヒと対面した時もそうだった。その『ウソ』の言い訳を前に出し、本当の願いを隠し続けた。


 帝国の未来なんて、彼女にとってどうでもよかった————————


 ただ……たった一人の親友の笑顔を護れるのなら……

 そのためならば、残り少ない命も、記憶も、何もかもを犠牲にしても、立ち上がるだけの……。立ち向かうだけの価値があると自分自身で見定めていた。



 だからこそ、ただ一点……いつまでも一緒に旅をするという願いを果たせないことだけを悔やむことされしなければ、レムナントは、何も憂いてなどはいなかった。



 故に死の間際で、レムナントは、自分自身がどうしようもなく『ウソつき』であると自覚していた。



 ◆◆◆



 自らが叩きつけられた壁面から瓦礫が粉々となってパラパラと崩れるような音が聞こえてくる。頭部からは裂傷により、血が滴り落ち、視界の半分が赤く染まってぼやけていた。胸元には防具である“クテクウシ”という白無垢を貫通し、斜めに引き裂かれた切り傷が存在し、とめどなく血液があふれている。

 しかしそれらは、揮発するように白い煙を発し、やがては乾いた血の跡に変わり果て、塞がっていく。だが、それでも肉体の疲労やダメージが癒えたわけではない。今だって、潰れた肺で呼吸することがやっとな状態であることをレムナントは自覚していた。

 握っていた両手の漆黒の脇差は既に折れて霧散し、もう一度生み出す魔力があるのかもわからない。


 それでも、レムナントは動かないはずの四肢に力を入れ、少しずつ瓦礫の中から起き上がる。今ここで、立ち向かわなければ、生きていた証を残すことができないのだから……。


 全ては、己が『意思ウソ』を貫き続けるため————————



 潰れた肺で息を強く吸い込み、自らのマジックバッグに手を伸ばす。そこには、御守り代わりに拝借してきた、自らの師匠の折れた大太刀……

 今は脇差程度の長さしかないその中途半端な太刀を握り締め、レムナントは不敵な笑みを浮かべる。


 「まだ立ち上がるか……死にぞこないは鬱陶しいな……」

 「死にぞこない……か……。笑わせる……ワタシは既に死んだも同然の身デス。今更、死ぬことの一つや二つ、怖くなどない」

 「なぜ、そこまでやれるのかわからない。どうして、そこまで必死になれるのかが理解できない……」

 「『何故必死になれるのか』……と? それはもちろん……。————————いいや、もうやめだ。もう、ウソをつくのはやめにするデス……」


 レムナントは折れた太刀を両手で握り締め、横薙ぎに振り払う。すると、自身を取り囲んでいた瓦礫は黒い疾風となって弾け飛び、そこから轟々と燃え盛る真っ赤な炎があふれ出す。


 「レムナントは他でもない、友を護るためにここにいるのデス。ワタシをレムナントとして……一人の人間として、沢山のものを与えてくれたイツキを護るためにここにいる」

 「————は? たったそれだけ?」

 「たったそれだけと侮るな……。ワタシにとってそれは、三千世界のあらゆるものよりも価値がある。この身が煉獄に焼かれようとも、護る価値がある————————ッ!!」


 レムナントの純白の白髪が根元から燃えるように真っ赤に染まっていく。それはまるで蠢く血流のようであり、それに呼応するかのように変化していくサンフラワーのように黄色に輝くその瞳は、燃え尽きる最後の灯を表していた。

 純白だった白無垢は既に血で滲み、白とは程遠いほど真っ赤に染まっている。それでもその機能は果たしているようであり、レムナントが瀕死であればあるほど、一時的に彼女の力を引き上げてくれていた。


 「行きマスよ……。お前が忌子と罵り捨てたこの魂が、どれほどの輝きを見せるか、しかと目に焼き付けるがいいデス」


 言葉と同時に、レムナントは床を蹴り上げて爆発的な加速をする。しかし、その動きに反応し、テオドラムは動きを止めるために氷の城壁を生み出して進路を妨害した。


 「愚かな————————。他人の為に命を懸けるなど、愚者の戯言に過ぎないというのに……」

 「愚者の戯言だと? 笑止————————。むしろ、イツキを生かせるのならば、ワタシがここに生きた価値を示せるというものデスッ!!」


 レムナントはたった一つの折れた大太刀を握り締め、逆袈裟に刃を振るう。すると、まるで火山が噴火するかのように炎があふれ出し、氷の城壁を一瞬のうちに融解させていった。

 壊れた氷と灼熱の炎が反応し、水蒸気が生まれることで、視界は一時的に失われる。普通の人間ならば、ここで、状況判断の為に踏みとどまり、様子を伺うのだろう。


 しかし、レムナントは前へと地面を蹴り上げた———————


 状況の判断ができているわけではない。相手の姿が見えているわけでも、作戦があるわけでもない。ただ我武者羅に、もう一歩前へと踏み出した。


 次いで煙をとびぬけた先で襲ってくる雷の剣……。レムナントはそれにも恐れることなく全てを、炎の纏う太刀で叩き落としていった。空中でコマのように回る彼女の姿は、とても優雅であり、まるで踊っているようにすら思える。





 意識は既に遠のいていた。

 

 しかし、体だけは自らの意思に従うように前に進むことを止めはしない。ウソをつき続けた体は、少女のほんのわずかな願いに反応し、どこまでも正直に動き続ける。


 そんな彼女を仕留めるべく、今度は床から無数の鉄杭がせり上がる。それらは否応なくレムナントの体を引き裂こうと迫るが、同時に襲ってきたかまいたちのような空気の刃もろともに、燃え盛る炎の刃で溶かされ消えていく。

 しかしその瞬間に、手にもっていた太刀にヒビが入り始め、嫌な音を立て始める。それでも。レムナントは立ち止まることなく、歯を食いしばり、前を見据え続け、さらに一歩踏み出す。



 レムナントは空中でジャンプを繰り返しながら、最後に瓦礫を蹴り上げ、滑空するように飛翔する。その瞬間、炎は翼のように煌めき、そして激しく噴出し、レムナント自身を爆発的に前へと押し出した。


 「『肆ノ太刀』————————ッ!!」


 レムナントの小さな声が轟音と灼熱の炎に溶けるように消えていく。もはやレムナントは、最強と呼ばれたテオドラムに追いついていた。そしてその最強すら追い越し、誰よりも気高く、誰よりも強い、一凛の花を咲かせていた。

 あまりにも素早いレムナントを仕留めることができずに歯がゆい思いをしているテオドラムは、レムナントを迎撃するために、幾重もの光の槍を地面から生み出し、同時に生み出した漆黒のショートソードで叩き落そうと剣を振るった。しかし、その剣は届くことはない。

 


 刹那、目の前にいるはずのレムナントの姿が掻き消える———————



 それは、テオドラムが油断したからではない。単純に、レムナントが更なる加速をして、テオドラムの思考能力を上回ったからこそ、起きた現象であった。


 気が付けば、テオドラムの背後で刃を振り抜いているレムナントの姿があった。遅れて、逆袈裟に切り裂かれたテオドラムの胸元から血液と共に炎が噴出した。それは黒い影が根を張るようであり、テオドラムの体を否応なく内部から食い破っていく。


「さようなら、イツキ……」


 それを成したレムナントは乾ききった唇で最後に、そう告げる。それと同時に、止まっていた時を進めるかのように、レムナントの体は胸元から血液を噴出し、真っ赤に染まった髪は内側から弾けるように元の白色に戻っていく。

 そうして、レムナントは、ゆっくりと膝から崩れ落ち、何もない真っ白な空間へと意識を落としていくのであった。

 テオドラムが引き裂かれた胸元の傷口を抑えながら振り返ると、そこには、手足が真っ黒に染まった小さな少女が地面に倒れ、動かない躯と化していた。少女の体は煙が燻るように焼け焦げ、肉の焼けた臭いを漂わせている。


 今、テオドラムの両耳に聞こえてくるのは、少女が残した炎の燃える音と、破壊された城壁が崩れ落ちる様な地鳴りの音だけであった。











 ◆◆◆




 大雨が大地を打ち付ける———————


 冬には珍しく、氷雨が降り注ぎ、大地を濡らし、ありとあらゆるものの生命を凍てつかせていく。しかしながら、今日に限ってそれは違っていた。

 エルドライヒ帝国首都ワルシアスの平民区画の広場には、まるで、何かに引き寄せられるかのように人の波ができていた。貴族区画はいつも通りに動き、貧民区画は動きすら見せない。

 まるで、燻る火の粉を全て鎮火させるようなその光景に誰もが固唾を飲んで放心していた。


 見慣れたいつもの光景、いつも起きていること、いつもならば流す出来事も今日だけは違う。何故ならばそこにあったのは、天を突きさすように掲げられた十字架の先、神すらも届かないその上に、酷く冷徹なものがあったからである。


 『反逆者 テロメア・エルドライヒ』


 十字架に掲げられた札にはそう書かれていた。しかしながら、そこには胴体など在りはしない。あるのだとしたら、十字架の一番上に、一つだけ……白髪の少女の頭があるだけだった。


 瞳を見開いたまま、生気を宿していないその頭蓋には、冷たい氷雨が降り注ぎ続け、涙の如く顔を濡らし続けていた。

 それを誰もが口を開き、指をさしながら何もすることができない。それが、今のエルドライヒ帝国の現状であった。






  聖魔歴1956年冬————————


 年末ながらも重い空気が漂う中、世論の熱狂的な後押しの元、エルドライヒ帝国は再び進軍を開始した。

 第一皇女リリアナが無残に殺されたという速報が国中を駆け抜け、人々の心に火を宿す。対し、ブリューナス王国は、卑劣な市街襲撃の憂き目にあったことで反感感情を募らせ、エルドライヒ帝国を迎え撃つ指揮が高まっていた。


 誰もが、狂気の戦乱の最中に身を投じ、誰もが無残にその命を散らしていく。そこに正義などはありはしない。あるのだとすれば、それは、勝者が主張する考えのみである。




 だが、そんな冷え切った世の中……降り積もる雪の下に、ほんのわずかにまかれた種子……帝国の貴族や市民、貧民たち……そして、皇帝テオドラムすらも気づかない小さな小さな花の種があることなど、知る由もなかった。


 その小さな種子が起こした大きな波乱を、もしも……後世に語り継がれる歴史があるのだとすれば、こう記されたこととであろう。



 “聖骸レムナントの軌跡”と——————



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