第19話 “最強”の皇帝テオドラム


 「そういや、テメェら、なんで陛下に謁見なんかしてぇんだ?」


 漆黒の城の中の赤絨毯の上を歩きながらアガネリウスは横を歩くアリッサに声をかける。アリッサはそのあまりに突飛な質問に少々呆れながらも、ため息交じりに答えを返した。


 「今更ぁ? まぁいいけどさ……。私はとある人物の手紙を預かってきたからだけど、後ろの二人については知らない」

 「手紙だっていうのなら、普通に内政大臣に渡せばいいだろうに」

 「うーん、これは直接渡さなきゃ意味がないものだからかなぁ……。後ろも概ねそんな感じじゃない? 伝言ゲームじゃなくて、直接話をしなければならない事情がある」

 「難しいことはよくわかんねぇけどよ、大切な事なんだってことはわかったぜ」

 「はいはい。その通りですよーっと……。って、私こそ気になったんだけど、あなたは一体何者なの? ただの少佐が陛下に直接謁見できるものなの?」


 アリッサの疑問はもっともである。少佐と言えば、軍役においてそれなりの身分ではあるが、式典の時以外では皇族に単独謁見できる身分ではない。できるのだとしたら、それよりもさらに上の者に限られるのが常であるのだが、この人物はたった一言で事務次官たちを動かし、挙句の果てに、以前まで常習的に遅刻やサボタージュも繰り返していると聞く。

 普通ならば、ありえないようなことが起きてもいるし、何より、この知性の欠片もない男が陛下と話して何になるのかと思うところもあった。


 「うーん……ふつーなら無理だろうなろうなァ……。だがまぁ、オレ様だからなのか?」

 「特別な身分でもあるの? それとも貴族だとか?」

 「貴族ではねぇな。平民区画出身だしよォ……だがまぁ……なんつったっけ……ステーキ4騎士だっけ? そんな感じの名前で呼ばれたことはあるな」

 「もしかして、“帝国4騎士”?」

 「あぁ、確か、そんな感じの名前だ」


 アリッサは知識として『帝国4騎士』という名称を知っている。それは、前線に出る前に、シュテファーニエから叩き込まれた知識の一つであり、警戒すべき相手であった。

 『帝国4騎士』というのは、エルドライヒ帝国において、特に優れた魔術師に与えられる昔からの称号である。かつては騎士の身分に与えられていたが、今となってはもっぱら、兵士に与えられることが多いと聞いていた。

 特筆すべき点は、彼ら彼女が、たった一人で大隊クラスの戦闘力を持つと言われていることである。本当かどうかは定かではないが、無駄に頑丈なアガネリウスを見ていると、それもあながち間違いではないのだとアリッサは考えていた。

 アリッサが街中での戦闘を避けたのも、アガネリウスと本気で一戦交えた場合、被害が計り知れないと直感的に察したからでもある。


 「なるほどねー。それで、陛下と知り合いなわけだ」

 「知り合いってわけじゃあねぇがな。第一、オレ様はアイツがあまり好かないしよ」

 「それなのに従っているの?」

 「そりゃあまぁ、オレ様が知る限り、一番強ェからな」

 「へぇ……」

 「陛下に関しちゃぁ、オレ様も、最初から勝負する気すら失せた。あれは……正真正銘の怪物だ————————」


 アガネリウスの目が冗談を言っているようなにこやかなものではなく、まるで動物が本能的に相手を警戒するように鋭くなる。アリッサが知る限り、この男が本能的に立ち向かわないとなると、リリアナが言った通り、武力での交渉はやはり絶望的だということが理解できる。

 それを理解して、アリッサは託された手紙を胸元で強く握り、決意をもう一度固めなおした。


 そんなアリッサとは逆に、アガネリウスは慎重な面持ちで大扉の前で立ち止まり、アリッサたちや後続のイツキやレムナントが追い付くのを待って、振り返ることなく、重い口を開いた。


 「ついたぜ……。こっから先は無駄なおしゃべり厳禁だ。失礼のないようにしてくれ」


 扉の取っ手に手をついたアガネリウスの表情は明らかに強張っており、今までの抜けた表情が嘘のようであった。それは、この扉の先にいる人物が、想像を超える程の怪物であることを暗に示していた。



 ◆◆



 左右両側かつ直線状に規則的に連なった大理石の支柱。その間に敷かれたレッドカーペットを踏みしめるたび、アリッサの背中に嫌な汗が伝い始める。加えて手の震えも止まらず、死の予兆というよりは目の前の存在に対する武者震いに近かった。

 その畏怖の対象は、間違えようもなく、頬杖をつき玉座に座っているエルドライヒ帝国皇帝テオドラム・エルドライヒである。


 少々癖のある燃えるような赤い髪に伸びた立派な髭。鋭く青白い瞳は酷く冷徹で、見るものすべてを見下しているようにすら思える。衣服の下からでもわかる筋肉質な肉体は中年とは思えないほど力強く、彼が王であると同時に歴戦の武人であることもすぐに分かった。しかしながら、顔や頬の傷は全くない。だがそれは逆に、彼が天性の肉体と魔術の才能を併せ持ち、誰もが跪く“最強”たる所以でもある。


 「陛下————————。勅命の定期報告に来たぜ」


 アガネリウスはその男……テオドラムの前で跪くことなく、砕けた口調で口火を切る。しかし、彼の手足も当然のことながら小刻みに震えており、よく見れば頬に冷や汗が滲んでいた。


 「よく来たな……して、後ろに控えている者たちは?」

 「街で出会って、陛下に会いたがってた人たちだ。直に話さなきゃならねぇ事情があるらしくてよ。連れてきちまった……マズかったか?」

 「いいや、構わん。些末なことだ……。しかし、まつりごとは、オレの関心にない。意見書ならば徒労である」

 「失礼を承知で申し上げます。これは意見書ではありません。陛下————————」


 アリッサが横から割って入るようにアガネリウスの隣に並ぶ。そして、胸元に握っていた小奇麗な封書をわざとらしく前に突き出した。シーリングスタンプの紋章や、宛名の筆跡がわかるように……

 すると、テオドラムは、横に立っていた従者と思しき人物をこちらに寄越し、封書を確認させた。従者は念入りに、危険物ではないことを確認し、小走りになりながらアリッサの手からテオドラムへと届けた。

 テオドラムは自らの手元で、もう一度その封書を確認し、封を切る前に、アリッサの方に再び見せて確認をした。


 「見たところによると、皇族の作成した証が付いているように思える……。偽造などではないと見たが、誰からのものだ?」

 「帝国第一皇女リリアナ殿下からのものです」


 横に立っていたアガネリウスが、信じられないと言わんばかりに、アリッサの横顔を凝視した。テオドラムに関しても、同様の反応を示し、僅かながらに眉が上がったように思えた。


 「お前はどこからの使者だ? 王国か?」

 「いいえ。皇女殿下からの使者です」

 「ならば、その皇女はどこに居る。皇女ならば、自ら御前で届けるべきではないか」

 「仰る通りです。しかしながら、今、皇女殿下は——————」

 「あ、あの!! あたしが悪いんです!! あたしが勘違いをしたせいで、皇女殿下を攻撃してしまったせいで————————」


 アリッサとの会話に割って入るように前に出たイツキの発言で、テオドラムの眉間にしわが寄り、形相が明らかに変わる。それは、失礼な態度に対する怒りというよりは、事実に対する怒りのようにも見えた。


 「攻撃をした? して、無事なのか?」

 「それが……誠に申し訳ございません。護衛の任を受けていながら護り切ること敵わず……」


 アリッサは静かに頭を下げる。それは本能的にというよりは、イツキの失言に対しての焦りを相手に見せないための目的があった。そのおかげか、幸運なことに、見えていないからこそ、テオドラムの声色がさらに低くなり、より冷徹になったことを機敏に感じ取ることができた。


 「あのバカ娘が……。しかしそうならば、お前は、護衛も果たすことができず、ノコノコとオレの前に姿を現した……ということか?」

 「すべては、皇女殿下の意思を届けるためです」

 「愚かなことだ————————」


 その言葉と共に、テオドラムは、握っていた封書を読むことなく、そのまま破り捨て、魔術の黒い炎で一瞬のうちに燃やし、灰すら残らず消滅させた。顔を歪ませ、椅子から立ち上がったテオドラムは、明らかに怒り狂っていた。


 「な————ッ!! それは、リリアナさんの!!」

 「不愉快だ……」

 「あなたは……リリアナさんがどんな思いで、それを……」

 「不愉快だと言っているだろう……。もういい、貴様ら全員ここで————————」


 先ほどまでとは違う、背中に伝う嫌な汗。それは、武者震いなどではなく。明らかな死の予兆……

 アリッサは咄嗟に、以前と同じようにできうる限りの魔術障壁を多重展開し、危機的状況に備え、万全を期した。


 「『死ね』————————」


 たった一言……

 テオドラムが言い放ったたった一言だけで、全てが終わりを迎えた。防御に徹していたはずのアリッサは、ガラスの砕け散るような音と共に、その場に制止する。アリッサは何が起きたかなど知覚することすらできない。

 なぜならば、まるで糸の切れた人形のように、アリッサの体は赤い絨毯の上に沈んでいったからである。一瞬の静寂の後、最初に我に返ったイツキが驚愕しながらも、アリッサに駆け寄り、何が起きたのかとアリッサの体を揺する。そして、ようやくその異常事態を知覚することとなった……


 「え……アリッサ……さん?」


 体を揺らしていたイツキの手が止まる……。それもそのはずである。


アリッサの心臓が停止していた————————


 脈もなく、呼吸もない。瞳孔が開いたまま閉じず……。先ほどまで立っていたことが嘘のように、傷一つなく、死んでいた……。それはあまりに奇妙であり、同時に、自らの中にある恐怖を増幅させるには十分すぎた。


 「い……いや……」


 イツキの中の何かが揺さぶられる……。それは忘れていた何かであり、自分ではない何かの感情……。それが暴れ出し、コントロールすらできず、動揺のあまり、座り込んだイツキの瞳孔は激しく明滅を繰り返していた。頭を押さえてそれらを抑え込もうとしても、抑えきれず、やがては激しい頭痛や吐き気となってイツキに襲い掛かっていた。

 体が告げていたのはただ一つ……『何があっても、目の前にいるアリッサという女性を救え』という至極単純な命令……。

 しかし、そんなイツキやその周囲に目をくれることなく、テオドラムは怪訝な顔をしながら全てを嘲笑っていた。


 「身代わりとなって耐え凌いだのか? まぁいい、もう一度、“即死”させれば済むことだ……」

 「お、おい……陛下よぉ……流石にそれは……」

 「アガネリウス……お前は、どちらの味方だ?」

 「そ、そいつはもちろん陛下の味方だが……だが、ここまでやる必要は——————」

 「口答えをするつもりか。はぁ……面倒だな……。扱いやすいと思ってお前を利用していたが……もういい頃合いか……」


 ここでようやく、アガネリウスとレムナントが我に返る。二人はほぼ同時に、更なる追撃の気配を直感的に感じ取り、身構えた。


 「アガネリウス!! お前に少しでも正気が残っているのならば、今すぐ二人を担いで逃げるのデス」

 「がきんちょ……」

 「早くしなサイ!! 死にたいのデスか!?」


 アガネリウスは自らの手が震え、どうしようもなく足が竦んでいる事実にようやく気付く。今ままで感じたことのない、本能的な恐怖……。闘うべきではない、と獣のような直感が、逃走を促し、体はそれに従うように勝手に動いていく。


 アガネリウスは生唾を飲み込み、直視できないほどの死の予感から逃げるように、そして最悪の事態から目を背けるように、放心しているイツキと息をしていないアリッサを両肩に担ぎ上げ、背を向けて走り出した。


 「レムちゃん!! あたしも———————」

 「ごめんなさい、イツキ……」


 会話する暇さえない。アガネリウスは壁すらも突き破る勢いで謁見の間より飛び出し、振り返ることなく、走り続けた。

 ここに残されたのは、静かに恐怖の権化を見上げているレムナントと、その象徴たるテオドラムだけだった。


 「無駄なことを……どこに居ようと、痕跡を辿り、殺すことなど容易いというのに……」

 「させマセんよ……。イツキが逃げ切るまで……時間稼ぎぐらいはしてみせマス」

 「きゃんきゃん五月蠅い。喚いたところでお前らが死ぬことは変わらない」

 「さて、それはどうデスかね。皇帝テオドラム・エルドライヒ……あなたの起源魔術をレムナントは知り尽くしていマス」


 レムナントは静かに、両手に黒い靄を生成し、漆黒の大鎌を作り出す。その瞬間、いつの間にか、レムナントの恐怖はどこかに消えていっていたことに気づく。その事実に細く笑いながらレムナントはもう一度顔を上げた。


 「嫌いな瞳だ……。そしてその顔……。見るだけで不快にさせる……この我の前に立ちふさがるとは何たる不敬……」


 レムナントは生唾を飲み込み、体勢を低く保ち、飛び出すように床を蹴り上げる。しかし、その瞬間、テオドラムの呪いのような言葉が、酷く冷徹に、そして淡々とした口調で言い放たれた。


 「『死ね』————————」


 たった一言……。そのたった一言でありとあらゆる生物が抵抗することすら許さず即座に息絶える。テオドラム・エルドライヒが勝ちとった、ありとあらゆる万物に対する優位能力……。その起源魔術がレムナントに襲い掛かった。



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