第12話 何のためにここにいるのか


 出発からおおよそ一日……

 国境の検問を迂回しながら突破し、そこからさらに進むこと約半日……ようやく明日にはエルドライヒ帝国首都ワルシアスへ到着が確実となってきた。今のところ、襲撃などはなく、遭遇するのは低レベルのモンスター程度でこれと言った戦闘は繰り広げられていなかった。


 今現在は夜のため、野宿にて、暖を取っていた。魔導テントのおかげで、雪の降り積もった山道でも難なく休むことができる。折れた木々や、持参した薪を使えば、温かい食事にもありつくことができ、心の平穏を保てていた。

 そんな小さな焚火を囲うように、アリッサとリリアナは少しだけ、世間話をしていた。キサラは夜更かしを嫌い、先に就寝している。もう少しすれば、見張りをアリッサと交代するのだが、それまでの間は、十二分に込み入った話もすることができた。


 パチリッ、という薪が火花を散らす音と共に、アリッサは今まで話していた当たり障りのないことから、話題を切り替える。


 「話したくなければ構わないんだけどさ……。リリアナさんはどうして、和平交渉を蹴ったの? 実現すれば、終止符を打てたはずなのに……」


 それを聞いたリリアナは少しだけ年相応の驚いたような表情を見せ、すぐに貴族的な裏を見せない笑みを浮かべて誤魔化す。しかし、アリッサの言葉を無視していたわけではなく、数秒の間を置いたのちにゆっくりとした口調でしゃべりだした。


 「お父様に……認められたかった……のかもしれません……」

 「皇帝に? 事件に巻き込まれて殺されかけたのに?」

 「えぇ……わたくし、国内では“能無し”なんて呼ばれて批判されてましたから……それを見返すことに躍起になってたんだと思います。まぁ、今となっては、笑い話にもなりませんが……」


 リリアナは寂しそうにしながら空を見上げた。口から出た白い息とは対照的に、そこにはどこまでも広がるような星空のドームが鎮座している。


 「“能無し”……かぁ……。それって、本当にそうなの?」

 「どうなんでしょうね、実際のところ……。我が国は男尊女卑が当たり前ですから……。成果や実績なんていうものは、機会も、結果も……取り合ってもらえませんから」

 「意外と、自分には自信があるんだね……」

 「そりゃあそうでしょう。実際のところ、お兄様や弟よりも優秀だと自負していましたから……」

 「まるで、もう全部が意味のないこと……と思っているような顔だね」


 アリッサに指摘され、リリアナは茶化すように鼻で笑い飛ばした。そして、首につけられた呪術具を撫でながら寂しそうに口火を切り直した。


 「実際問題、その驕りで失敗したのが今回ですから……。わたくしならば、お父様に認めてもらえると、自信満々に計画に従事したつもりが……見事に裏切られてこの様です」

 「裏切られた? 今も信じているように見えるけど……」

 「それは勘違いですよ……裏切られたからこそ、憧れを捨てて、真正面から立ち向かうことができている姿がそう見えているだけです」


 リリアナは苦笑いを浮かべながら、何かから逃れるように、焚火に生木を放り込んで、中の水分が揮発し始める奇怪な音を耳に取り込んだ。


 「元々の計画では、モンスターに暴れさせるようにした後、お父様に用意していただいた転移魔術で国内に戻る予定でした」

 「できなかった……ということは作動しなかったの?」

 「そうですね……。そんなものは始めから存在せず、わたくしは、帝国臣民を焚きつけるための生木にされたんですよ。こんな風に、苦しみながら死ぬように仕組まれて……」

 「それが……裏切られたって言うこと?」

 「そうです……。お父様は……“能無し”のわたくしを道具として使い潰そうとした。哀れなもんですよ……信じていたのに……」

 「————————でも、今、あなたはまだ生きている……」

 「そうですね……あの時……あなたが割って入らなければ……。いいえ、ヴィーシャが……わたくしの手を引いて逃げて下さらなければ……」


 リリアナは口を大きく開き言葉を止め、自分の頬に流れている熱い液体を拭った。彼女自身としても感傷に浸っている余裕などないことを重々承知しているからである。それを見て取れたアリッサは、彼女の背中を撫でて落ち着かせつつ、ゆっくりとした口調で溜め込んでいた者を吐き出させるように話を続けた。


 「良かったら……その、ヴィーシャさんのことを聞かせてくれないかな……」

 「—————ヴィーシャは……甘いものが大好きで……なんでも食い意地が強くて……伯爵令嬢なことが嘘であるぐらいの人物で……。あ、でも、仕事は素早くて正確なんですよ。それに、愛嬌もあって……わたくしのことを『殿下!』っていつも元気よく挨拶してくれて……それで……」

 「ヴィーシャさんは……リリアナさんにとって……大切な人だったんですね」


 アリッサはほんの一瞬だけ、自らの親友であったフローラのことを思い出す。彼女も数か月前、敵の襲撃により命を落とした。その時の感情は、おそらく、目の前のリリアナと同様であり、心の中にぽっかりと大きな穴が開いたように空虚であった。


 「わたくしが……彼女を殺したんです……。わたくしがこんなことをしなければ……」

 「否定はしない……。でも、やっぱり……後悔よりも先にやるべきことがあるから、あなたも前を向いたんでしょ?」

 「あなたも……ということは、アリッサさんも?」

 「うん……。友達を巻き込んだせいで……そうなった……。だから、私が、『こんな狂気の戦乱に引きずり込まなければ』なんて思わない日はない……。でもね……そんなとき、キサラさんが私にこう言ってくれたんだ……」


 アリッサは少しだけ恥ずかしそうにはにかみながら友人の言葉を噛みしめて口にした。


 「『私と一緒にいるのは自分自身の選択だ』って……。本当に、笑っちゃほど、お人好しだと思わない?」

 「それは……友達の為に、狂気の世界に足を踏み入れたことですか?」

 「そうじゃなくて……なんていうか……。幾らでも私を攻められたはずなのに、一言も責め立てずに、むしろ押し倒してまで私が堕ちていくのを止めてくれるところ……」

 「二人とも堕ちていっているのでは?」

 「ははは、それは言えてる……。でも、前が見えない荒野を一人で歩き続けるより、誰かと手を繋いでいた方が、もっとずっと前に行けるのは確かなんだよね……」


 アリッサは苦笑いを浮かべながら、戸惑うリリアナの背中から、さすっていた手を放す。その瞬間、焚火の一つが燃え尽き、そして灰となって地面に埋もれていった。


 「私は……この戦乱を……はやく終わらせたい……そのために、あなたに協力した……。そのために、この狂気の世界に足を踏み入れた……。だから、あなたを護衛しているのは、あなたが哀れだと思ったからじゃない」

 「なんだ……。お話しの通り、あなたが私の手を引いて歩いてくれるわけではないのですね」

 「そりゃあ、そうでしょう……。だって、私は、ヴィーシャさんの代わりにはなれないもの……。でも……ヴィーシャさんと、共通点は一つだけある」


 自身気に答えるアリッサの顔をリリアナは凝視する。しかしながら、顔立ちも体型も、正確すらも、ヴィーシャと似通っている点などなく、小首をかしげるしかなかった。


 「ヴィーシャさんは……あなたに“期待していた”。だから、命に代えても護ろうとした。私も、あなたが帝国を変えて、この戦争に終止符を打つことに“期待している”それが共通点……わかりにくかった?」

 「ははは……それは意地悪な問題ですね……」

 「そうかなぁ……」

 「そうですよ……。あまりに……意地悪すぎる問題です……」


 リリアナは自分の手の平を見つめ、軽く開閉して自由に動くことを確かめる。あの時、自らの友人であるヴィーシャが手を引いた温もりや、その時の鬼気迫る表情は今でも脳裏に焼き付き、離れることはない。

 それ故に、心臓が鼓動を刻むたびに、『もう少し』、『もう少しだけ……』と、生きることに執着する。


 リリアナにとって、国の存亡など、些末なことであった。


たしかに、皇族として果たすべき責務を為すために我武者羅に足を動かしてこそいるが、その本質的なものは『生きること』という至極単純な信念に基づくものである。つまるところ、リリアナにとって、『国を変える』というのは表向きの理由であり、一番根幹に根差しているのは『死にたくない』という酷く人間的な感情であったということである。

 だからこそ、期待の眼差しを向けているアリッサの薄桃色の瞳が異常なまでに眩しく見えた。


 「もしも……もしもです……。わたくしが、そのような期待を寄せられるべきではないような普通の人間なのだとしたら……あなたは……裏切るのですか?」

 「さぁ……どうなんだろう……。信じたからには……あまりに外れたことをしない限りは……裏切りはしないと思う」

 「随分と歯切れの悪い回答ですわね」

 「そりゃあ、そうでしょう……。だって、そんな下らないことを考えるよりも先に、私なら、その期待を裏切らないために走り続けるから……」

 「はは……はははは……たしかに、その通りですわね……本当に———————」


 リリアナはゆっくりと立ち上がりつつ、顔を覆い隠すように笑って見せる。それはまるで、演技をすることを忘れた一人の女性の顔であり、何かに火が付いたような、酷く冷徹なものでもあった。


 「もう寝ます……。おやすみなさい」

 「おやすみ……明日には帝都だから、寝坊はしないように」

 「えぇ、問題ありません。わたくし、目覚めが早いことには自信がありますから」


 そう言いながら、リリアナはにこやかに微笑むと、背中を向けたまま、テントの方へと戻っていった。唐突に、話し相手を失ったアリッサは、焚火に投じた枝木が燃えていく様を、静かに瞳の奥底で見つめ続けていた。

 瞳に映り続ける焚火の炎は、まるでアリッサの……それだけではなく、この世界には、発言や言動すべてにおいて、ウソをつかない人物など……誰一人としていないことを如実に示しているようであった。



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