第11話 旅路のはじまり
「あーあ、結局、自腹のクエストかぁ……」
ブリューナス王国リンデルの東門。議会で大見得を切った日からは僅か二日後……出立の準備を終えたギルド『月のゆりかご』は一堂に会していた。
一堂とはいえ、今ここにいるのは、動きやすい冒険者用の衣服で身を固めたアリッサとキサラ……そして、王国製の呪術具を首につけた隣国エルドライヒ帝国の第一皇女リリアナの姿である。彼女は不安そうにしながらも、用意した二頭の馬の頭を撫でていた。
本来ならば、もう数人程、ギルドメンバーがいるはずなのだが、立場上や、その他の予定などに圧迫され、動けずにいる者がほとんどである。中には、連絡が取れない行方不明の者もいるため、十全な準備とは言い難い。
それは、武器を新調したばかりのアリッサが特に顕著であり、今現在、彼女が持っている近接武器は耐久性にだけに魔石の余剰分を振り分けた緊急用の大型ナイフだけである。防具に関しては、今現在修理中であり、持ち出せてはいない。
「言いだしたのはあなたでしょうに……。それに、メンテナンスを怠るからこのようなことになるのです」
キサラは荷物の最終点検を行いつつ、アリッサに悪態をつける。今回、彼女たちが受けた条件は、王国の支援を一切受けないこと……。それはつまり、平民である彼女たちには手が出しづらい武器や防具が安易に使えない……ということである。もちろんそれだけではなく、食料や備品などの消耗品に関しても身銭を切ることになり、収支はそのすべてがマイナスである。
「申し訳ありません……。わたくしのために……」
少しだけ暗い顔をしながら頭を下げるリリアナであったが、彼女がドレスではなく、文句をつけずに庶民的な服装を身に纏ってくれているだけで十二分にありがたいため、アリッサたちは、苦笑いをするだけで特に責め立てることはしなかった。
「それはそうと……他の方々は?」
「んーっと……“先輩”には連絡したけど、『とりあえず何とかする』っていう感じ……。たぶん、国内で今回のことに反対する貴族を抑えてくれているんだと思う」
「それはもう聞いています」
「ルルドは先にエルドライヒ帝国内で動きやすいように準備してくれてる。アヤメさんはそれについていった感じかな……。アスティは……まぁ、王太子は動けないと思うから連絡してない」
「そうですか……そうなると、やはり、あなたとわたしだけですね」
「うん、だから……当初の予定通り、馬での移動を行う。物資不足がある場合は、キサラさんが単独で転移帰還する、ってことで」
「え————————ッ!? 転移魔術を扱えるのですか!?」
二人の会話に挟まるように大きな口を開けて驚いているのは、皇女リリアナであった。そんな彼女を見て、アリッサは自分の常識がいつの間にか少しずれていたことに気づいてしまう。
元々、転移魔術というのは、術式自体が複雑であり、危険を伴うため、一部の熟練した魔術師にしか行えない……。今まで、それを扱える人が身近にいたが故に、感覚がマヒしていたのである。
「扱えます……。とはいっても、危険が伴いますから、同意した方にしか行いません」
「あと、キサラさんが信頼した人だけでしょ……」
「な、ならば……このような手段を取らなくとも、帝都ワルシアスに跳べるのではありませんか?」
リリアナの問いかけに対し、キサラは首を横に大きく振って否定する。それは、キサラが扱える転移魔術の弱点であり、同時に、安全性故の選択……
「転移魔術の基本は転移先の座標指定です。仮に誤った値を入力した場合、転移先で悲惨なことになります。また、転移先の状況をわからなければより細かい制御はできません。したがって、一度移動して安全が確認できなければ、転移も行えません」
「まーそうだよねぇ……壁の中にめり込んだりするのは勘弁したいし、下手をすれば首が物理的に飛びかねないし……」
「その通りです。その上で、わたしだけが最初に向かうことを考えましたが————————」
キサラが横目でアリッサを見つつ、リリアナに視線を戻す。一瞬だけキサラに睨まれたアリッサは思わず苦笑いを浮かべながら誤魔化した。
「私は護衛が苦手なんだよねぇ……。力押しで来られたら、とてもじゃないけど、護りながらは戦えない。それは、キサラさんも同じこと」
「それはつまり……」
「戦闘の余波だけで命が危ういあなたを守るためには、必ず二人は必要だということです。それは、当ギルドでは、わたしとアリッサ……どちらかでなければなりません。他の者では、申し訳ありませんが、こちらも怪我をする恐れがあります」
「キサラさん……もう少しオブラートに包もうよ……」
キサラの高圧的な態度に押され、再び、リリアナが俯いてしまう。一体何が悪いのかと、キサラは小首をかしげてしまうのだが、アリッサはそんなキサラをフォローするように二人の間に割って入った。
「ま、まぁ……馬を使えばそこまでの時間はかからないと思うしさ……とりあえず、一歩でも前に進もうよ」
「そうですね。あまり時間もありません」
キサラはそう言いながら待機していた馬の一頭を撫でて落ち着かせ、そして慣れた手つきで鞍に跨った。アリッサもそれを見て、キサラと同じようになれた動作で馬に跨る。アリッサの故郷が、車など走っていない山奥にあるが故に、彼女自身もそう言った動物のあつかいにはなれているのである。
アリッサは自身が馬に乗った後、リリアナを乗せるために手を伸ばす。しかし、リリアナはその手を取ることを躊躇うように立ち止まってしまった。
「どうしたんですか?」
「その前に……これを預かっていてもらえませんか?」
リリアナは自らの懐から一通の封書を取り出し、アリッサの手の上に置いた。その見上げるような表情はどこか不自然であり、これから旅立とうとしているような人間が魅せるような活力にあふれたものではなかった。
それでもアリッサは、それを受け取り、そして疑念を口にする。
「————————これは?」
「お父様に当てた手紙です」
「それは何となくわかる。だから、どうしてこれを私に?」
「それは……そうですけれども……」
リリアナは出ない言葉を振り絞ろうとして声を詰まらせる。しかしながら、それはほんの少しの間だけであり、彼女はすぐに、意を決したように息を吸い込んだ。
「もしも、わたくしの身に何かがあったときの保険です。何かが起きた後だとしても、こうして手紙を残していれば、希望はまだ……繋がりますから」
「リリアナさんのお父さんはその手紙で変わってくれるの?」
「わかりません……。しかしながら、この国を変えられるのだとしたら、お父様しかいないのは事実ですから……」
「————————どうして?」
アリッサにとってみれば、同じ皇族であり継承権を有しているリリアナであっても同じことができると思っていたのだが、思いのほか、彼女自身が乗り気ではなかったことに驚いてしまう。
議会で革命を起こすという大見得をきったにも関わらず、自分では何もできないという卑屈さに疑問を抱かずにはいられなかったのである。
「お父様は……帝国……いえ、英雄王クライム・ブリューナスが亡き今……世界最強と言わざる負えません。そのような人物を武力で押し勝つことは不可能でしょう……。だからこそ、対話を持って事を成し得なければならないのです」
「最強……かぁ……」
アリッサはつい先日の王都襲撃の時の出来事を思い出す。あの時、王都に出現した皇帝テオドラム・エルドライヒは、単なる分身だった。しかし、その分身ですら、たった一言……『死ね』という言葉を発しただけで、国中のあらゆる魔術師が何の前触れもなく息絶えた。
アリッサとて、咄嗟に全力で防護魔術を展開しなければキサラと同じように、蘇生させられるまで、息を引き取っていたのかもしれない。加えて、防ぐだけで、今まで数多の敵を屠ってきたアリッサの金属バットは内部から弾け飛び、見るも無残な形となってしまった。
全盛期のクライムの攻撃ですら受けきることができた武器が通用しなかったとなれば、もはや、アリッサにどうすることもできないことなど目に見えていた。
「わかっていただけましたか? もしも、お父様がこちらを認識すれば、否応なく殺される……。その標的は間違いなくわたくしです。ですから、これは単なるリスク分散とでもいいましょうか……」
「自分が死んでも、国を変えるために?」
「————————仰る通りです」
アリッサはその言葉を聞き届けて、静かに手紙を自身のマジックバックにしまい込む。しかし、その表情は納得などしておらず、眉間には明らかなしわが寄っていた。
「あなたの覚悟はわかった。その上で一つだけ確認したいのだけど……それは、重圧から逃げたくてそうしているわけじゃないよね?」
「も、もちろんです……」
「そう……なら良かった……。もしもあなたが、王都の襲撃で、死んでいった人たちに何の敬意も、懺悔も示さず、自分の逃げ道のためだけにそうしていたのなら、今ここで依頼を降りてた」
「違います……断じて、そのようなことはありません」
「わかってる。単なる確認だから—————」
アリッサがそう言いながら笑っていると、後ろから鋭い視線が向けられる。それは出発の合図を待っているキサラであり、明らかにこちらを睨んでいた。
時間に厳しい几帳面なキサラであるが故に、これ以上の旅程のズレを許容できないのだろうとアリッサは勝手に思いつつ、そちらには苦笑いを浮かべて誤魔化しておいた。
「さて、もうそろそろ出ないと、ウチの怖いキサラさんが牙を剥くかもしれないから」
「わかりました……よろしくお願いします」
そう言いながら、リリアナは、もう一度差し出されたアリッサの手を取り、鞍の後ろ側に跨った。そうして、数秒後、キサラとアイコンタクトでタイミングを合わせ、鞭を振るう。すると馬はゆっくりと前進をはじめ、やがては元気に走り出す。
こうして、皇女リリアナの革命の旅は始まったのであった————————
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