第10話 生きていたいと願う意思


 アリッサは普通の人間である————————


 何もかもを顧みず、誰かの為に動けるような人間ではない。だから、『これはおかしい』とわかってはいても、前に踏み出すことはできない。

 もしもここで、アリッサが飛び出した場合、築き上げてきた信頼を全て崩すことになる。下手をすれば、ブリューナス王国を敵にまわすこともあるのだろう……。

 それは自分のみならず、自らの友人や家族も含まれる。自分の手の届かないところで、大切なものが死んでいくことを見ることは、アリッサにとって……耐えがたいものだった。

 だから、眉間にしわを寄せて沸き立つ感情を全て内側に抑え込む……とても単純で、そして簡単な作業だった————————


 「わたくしは……わたくしは……」


 リリアナは、震える様な声で、嗚咽を抑えながら必死で自らの皇族としての役目を全うしようとしていた。奥歯を噛みしめ、頬を伝う涙を必死でこらえる。皇族として生まれてきた“呪い”を払いきれないリリアナが取れる行動など決まっていた……


 「わたくし……は……」


 その瞬間、リリアナの中の大切な何かが音を立てて切れた————————

 それは、押し込めていたダムをの水を放出するがごとく、あふれ出し、少し汚れた肌とカージナルレッドの柔らかな髪をぐしゃぐしゃに濡らし始める。長時間立たされ続けた足腰は既に限界を迎え、死装束のように着飾られた豪奢なドレスが汚れることを厭わず地面に膝をつかせた。


 「死にたく……ない……死にたく……ありません……」

 「貴様! それでも皇族か!? 皇族ならば皇族らしく————————」


 捲し立てるように怒りを露わにして、声を荒らげた議員の言葉が唐突に止まった。その止まった原因は、まるで月が空から降ってくるようであり、隣にいたシュテファーニエでさえも何が起こったのか理解するまで数秒の時を要した。


 気が付けばアリッサは傍聴席を飛び出し、立ち入り禁止の木製フェンスを足場に大きく飛び越えていた。そして、全ての視線を集めるがごとく、空中で体勢を整えると同時に、足元から勢いよく、大理石のタイルの上に着地した。

 僅かながらの快音をもたらしたその着地は、大理石の一部を大きく抉り、床をへこませる。その様子に対し、議会場にいる皆の視線は、皇女リリアナから、一瞬のうちにアリッサへと移っていた。


 「誰だ————————! 誰か、コイツをひっ捕らえろ!!!」


 議長の声を聞き、衛兵がアリッサの元に駆け寄ろうとする。しかし、アリッサがその衛兵たちを睨みつけると、何もしていないにも関わらず、動けずにその場に停止してしまった。

 衛兵たちが見たものは、果たして、人間だったのか、それとも怪物と呼ばれるような災いであったかは定かではないが、すべての人間が一度、息を飲んで凍り付いてしまったのは事実であった……


 「もう、ここまででいいんじゃないかな。ねぇ、そうでしょ……国王陛下————————」


 まるで断頭台のような尋問席の真ん前、皇女リリアナの前に立ち、そして遠くにいる国王アウグスティーンを見上げるようにして、アリッサは挑みかかった。


 「————————傍聴していた者だな。何故そう思う?」


 アウグスティーンはアリッサの問いに対し、弁明の機会を設けるように質問で返す。恐らくこれに答えられなければ、アリッサのみならず、全てが崩れ去る……。それでも、アリッサは拳を握り締めながら声を震わせた。


 「私は……友達から、『自分に嘘をつかないことが大切だ』と教わりました」

 「答えになっていないな……謎掛けならば時間の無駄だと思うがどうだね。ここにいる全てを覆せるような何かをキミが持っているようには見えない」


 もう一度、アウグスティーンからの問いが来る。そしてこれは、彼なりのヒントなのだろうとアリッサは推測する。すべての前提を覆すような何かがなければ意味をなさない……そう言いたいのだろう。


 「えぇ、私は持っていません。なんせ私は、しがないゴールドランクの冒険者ですから……」

 「えぇいい!! 何をしている! こんなやつの話など————————」

 「議長————————!! 今、話しているのは私だ。しばし、口を挟まないでもらえるか?」


 討論を止めようとした議長を制するように国王アウグスティーンが声を張り上げる。その瞬間、騒ぎ立てていた議事堂は一時的に静まり返ることとなった。


 「続きを聞かせてもらえないだろうか。冒険者の少女よ」

 「続き? そんなものありませんよ。しいて言う人物がいるのだとすれば、それは私ではない——————」


 アリッサは静かに、背中にいる皇女リリアナの方に振り返る。彼女は、未だにへたり込んでしまったまま、動けてはいなかった。だからこそ、アリッサは彼女に歩み寄り、手を差し伸べ、引きずり上げるように立ち上がらせた。

 そして、腰に手を当て、倒れないようにしながら、もう一度壇上の前に立たせた。


 だが、それを嫌がったのか、リリアナは首を大きく横に振って掠れる様な声で悲鳴のような拒否の反応を示す。

 しかし、それをアリッサは許さず、むしろ、腰に当てた手の拘束を強め、自らに抱き留めるように暴れる彼女を押さえつけた。そして、静寂の中をかき乱さない落ちついた口調で、もう一度口火を切り直す。


 「国王陛下に問います。彼女は何故、死ななければならないのですか?」


 アリッサの問いに対し、アウグスティーンは無言で首を横に振る。どうやら、こちらの質問には答えるつもりはないらしい。だが、それでも、アリッサは諦めることなく、今度は、当の本人であるリリアナに向けて問いかけ直した。


 「ならば、リリアナ殿下……。あなたは何故、『死にたくない』と願ったのですか? 何故、死ななければならないと思ったのですか?」

 「そ、それは……わたくしが、王国に対し、多大なる————————」

 「そんなことは周知の事実です!!」


 アリッサがリリアナの言葉を遮り、そして、リリアナの方に向き、少しだけ不器用な、そして歪んだ表情のまま、もう一度問いかけ直した。


 「私が聞きたいのは、あなたが何故……その責任の取り方にたどり着いたかです。押し付けられた原稿を読んで欲しいのではありません」

 「そ……それは……」


 リリアナがアリッサの言葉に反応し、もう一度言い淀む。しかしながら、それはすぐに終わり、意外にもあっさりと口から答えが出てきてしまった。


 「それ……は……『わたくしに価値がない』から……です。王国に利益をもたらすことも……帝国の汚名を濯ぐことも……できないからです……。なぜならわたくしは……お父様に捨てられたのですから……」

 「————————どうして?」


 アリッサはたった一言、さらに掘り下げるように問いかける。


 「どうして……そう、決めつけるのですか? どうして『価値がない』などと決めつけるのですか?」

 「けれど、それは事実で————————」


 リリアナは見下ろすような国王アウグスティーンの視線に気づく……。それは敵国の王ながら、決してこちらに敵意を向けているようなものではなかった……。むしろ、自分に何かを待っているかのようにも見えた。


 「リリアナ殿下……皇女である前に……少しだけ人間らしく……そして汚く……生にしがみついてみませんか?」


 アリッサの言葉がようやくリリアナの心に響く……。その声を聞き、リリアナの震えはいつの間にか止まり、そして、気が付かなかった議事堂の視線に気づく。

 確かに、悪意のある視線がほとんどであるのだが、その中に、リリアナに対して100%の悪意を向けているものはほんの一握り、そして中には敵意すらも向けずに傍観者として関心だけを向けている者もいる。


 少しだけ、リリアナの動きが止まった————


 それはまるで、覚悟を決めたようであり、皇女としてよりも、一人の人間として何かを為すために“呪い”を握り締めているようにも見えた。

 リリアナは、支えてもらっていたアリッサを軽く押して離れ、もう一度、尋問台断頭台に躍り出る。

 そして、大きく息を吸い込み、泣きはらした頬のまま、声を張り上げた。


 「わたくしは!! 死ぬつもりはございません!!!」


 それはあまりにも稚拙で、あまりにも簡潔な言葉であった。しかしだからこそ、誰の頭にも刻み込まれ、そして彼女の姿がただの小鳥には見えなくなる。


 「アウグスティーン陛下——————ッ!! わたくしを帝国に帰してはいただけないでしょうか」

 「な……貴様!! 陛下に向かってそんなことを! 許されるわけが————————」

 「議長————————!! 二度も言わせるな……」


 アウグスティーンが、もう一度、反論する議長の言葉を遮り、静寂を生ませる。さながらそれは、これから始まる皇女の生存をかけた第二ラウンドのゴングであった。


 「さて……リリアナ皇女殿下に問う。こちらがその要求を飲めるとでも?」


 まるで待ちわびていたかのように、国王の攻めるような質問につられて不満を持った議員たちが野次を飛ばし始める。しかし幸運なことに、議会が少しだけ正常さを取り戻しつつあるため、もの等は飛んでこない。

 それを好機と見て、リリアナは完全に不利な環境下で、臆することなく、人間としての汚さを露わにし始める。


 「飲んでいただきます。いえ……むしろ、自ら望んで飲むことになるでしょう」

 「ほぅ……ならば、その自信を聞こうじゃないか……」

 「望むところです……」


 一呼吸置き、リリアナは宝石のようにマゼンダの瞳を輝かせ、挑みかかるように宣言する。


 「わたしは……帝国で革命を起こします。皇帝を玉座から引きずり下ろし、わたくしが上に立つつもりです。その上で、貴国ともう一度……和平交渉を致しましょう。このふざけた戦争を終わらせるために……」

 「ふざけた戦争……貴国が始めたことではないのかね? それに、それは理想論であって、リリアナ皇女が夢を語っているようにしか聞こえないが?」

 「いいえ————————。理想論ではありません。帝国はさながら、カードで作った家です。小娘一人の行動で簡単にひっくり返ります」

 「なるほど……帝国を良く知る人間が言うのだから、そうなのだろうな……。しかし、仮にそうだとしても、帝国がそれを許すかね? 今の君には味方がいない。護衛がいなければ、革命はおろか、戻ることすらできない」

 「ならば、陛下。貸していただけないでしょうか」

 「無論、断る————————。こちらが差し出せる兵も、物資も……ありはしない。故に、それは許されない」


 アウグスティーンは当然の如く、リリアナの提案を一蹴する。リリアナは何かを言いかけたが、それすらも無意味だと言わんばかりのアウグスティーンの鋭い視線に言い淀んでしまう。


 「じゃあ……護衛がいれば許されるんですか、陛下————————」


 そんな二人の一方的な論争に釘を刺すように、リリアナの隣にいたアリッサが凛とした表情のまま、アウグスティーンを見上げた。


 「そうだな……考えは認めよう——————」

 「なら————————」

 「ならば、我々……『月のゆりかご』が、その依頼を引き受けます」

 「—————え!? ちょ、キサラさん!?」


 アリッサの言葉を遮るように、帯刀したままキサラが議会場の正面扉から堂々と現れる。赤絨毯を歩く彼女を誰も声をかけることも、押さえつけることもできず、ただ、アリッサたちの前に立つのを見送るしかできなかった。


 「少し遅れましたが……こういうのは、ギルドマスターを通すべきではないですか?」

 「そ、そうだけど……」

 「どのみち、受けることになるというのはわかっていましたが、もう少し後先を考えてほしいものです……」

 「はい、すみません……」


 キサラは飽きれたようなため息を吐いているように見えたが、その実、少しだけ口角が上がっており、アリッサには嬉しそうに見えた。


 「————————さて、リリアナ皇女殿下。回答聞きましょうか……わたしたちは冒険者です。そして、巷では有名な、『銅貨一枚の依頼を好んで受ける頭のおかしいギルド』です」

 「それ、自分で言う?」

 「その方がわかりやすいでしょう。彼女からお金なんて期待できませんし……」


 まるでコントのように言い争う二人を見て、リリアナは一瞬呆気にとられ、言葉を失う。しかし、なにか、意を決したように頷き、そして、壇上から降りて、二人の前……つまりはより国王アウグスティーンに近い方に回り込んだ。


 「彼らを冒険者として雇います。これで、文句はありませんね?」

 「いいや……彼女たちを利用して逃げるやもしれない」


 食い下がるようにアウグスティーンは首を横に振る。しかし、本当に否定しているようには見えず、他の議員たちの疑念をわざと自ら口にしているように見えた。


 「一ヵ月……それだけ下さい。もしも、逃げたと判断したのならば、殺せるような呪術具を身に着けても構いません」

 「呪術具の件は当然だ。しかし、一ヵ月は長すぎる」

 「ならば三週間で構いません」

 「二週間……それ以上は譲れない—————」


 一見すると、不可能な日程……。目の前の国王は、たった二週間で帝国をひっくり返すような革命を起こせと申し出てきた。そんなことは明らかに不可能であり、誰がどう見ても処刑を先延ばしにしたようにしか見えなかった。


 「では、2週間で構いません。その代わり、革命を成し遂げることができたのなら……我が帝国市民が苦しむことのないよう、配慮をお願いいたします」

 「その程度の些末な事……了承しよう」


 リリアナは、細く、今にも倒れてしまうそうな体で、大国の国王の前で宣言する。それは、高らかに、そして勇ましく……なにより、議事堂にいるすべての人間が口をはさむ余地を与えないほど堂々としていた。

 そして彼女はたった一言……


「もう一度あなたの前に立ちます」


 という言葉と共に、前へと踏み出した————


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