第9話 簡単な作業



 エルドライヒ帝国の密偵による王都内での襲撃から数日が経過した。黒い靄のような怪物を生み出す謎の兵器が何であるのかは、ブリューナス王国では未だに解明はできていないが、王都や各主要都市の検問では所持品検査が厳重化され、許可を得ていないものや身分が保障できないものは自由に行き来が難しくなっていた。そのため、ブリューナス王国では流通量が減少し、急激な物価高に襲われると危惧され始めていた。

 そんな最中、王都リンデルでは、破壊された街の修理がようやく始まり、修繕ができない箇所は取り壊しなども、慌ただしく行われていた。


 そんな平和を取り戻しつつある街とは相対して、白亜の城の中にある王国議会では、嵐のような論争が巻き起こっていた。


 「やはり、帝国とは相容れない。ここは全力で我が国の力を見せつけるときではありませんか!」

 「こうなったのは、シュテファーニエ殿下が帝国との和平交渉に失敗したからではないか……」

 「王都の物流を制限し続ければ、我が国の産業は立ち行かなくなる。即刻、この憂慮すべき事態を解決すべきではないか!」


 話題の紛糾は絶えない……しかし、何一つ決定できることもなく、会議は進展を見せない。シュテファーニエに関しても、失態の当事者であるが故に、強く意見を出すことはできず、今日に限っては、偶然来場したアリッサたちと傍聴席で歓談している始末である。


 「へぇ……始めてみせてもらいましたけど、やっぱり意見って分かれるものなんですねー」

 「アリッサよ……。お前は、我が国の議会をなんだと思っているんだ……」

 「えぇっと……君主政治だから、国王の意見でスパッと決まるものだと……」

 「あー、まぁ、一昔前はそうだったらしいがな……今じゃ、こういう有様だ。別段、王家の力が弱いわけではないが、広く意見を募るようになった結果が、この体たらくだ……」

 「トップダウン型はスピードに勝るけど、ボトムアップ型のような多様性は見えないから……ってところかぁ……」

 「アリッサよ。お前は賢いのかアホなのかどっちなんだ……。まぁいい、キサラはどう見る?」


 シュテファーニエが横に座るキサラに尋ねると、キサラは瞳を見開いたまま、シュテファーニエの言葉を無視して停止していた。シュテファーニエが瞳の前で手を横切らせても、反応を示さない。しかし呼吸のみはしっかりしているようであり、まるで眠っているようだった。


 「嘘だろおい! キサラはそんな不真面目なやつだとは思わなかったのだが!?」

 「あー、あれですね。あれは彼女曰く、寝てるのでは瞑想しているらしいです」

 「瞑想って、アハハ!! コイツは傑作だ! 寝ている以外に何が————————」


 お腹を抱えて笑うシュテファーニエの喉元にキサラの手刀が振り下ろされ、驚いたシュテファーニエの声が止まった。アリッサが止めていなければ、今頃シュテファーニエは頭と胴体が離れ離れになっていたことは想像に難くない。


 「え……なに、こわ……」

 「キサラさん。疲れて眠っていても、いたずらしようとすると反撃して来るんで気を付けた方がいいですよ」

 「化け物はお前だけだと思っていたが、まさかキサラまでとは……」


 シュテファーニエが冷や汗をかきながらため息を吐いていると、キサラは浅い呼吸を繰り返しながら、伸ばしていた手をゆっくりと自分の方へと戻し、再び、微動だにしなくなる。


 「なんだかんだで、まだ疲れが取れていないんだと思います。あの後、夜通しで治療や修繕に回ってましたから」

 「それはまぁ……すまないことをしたな。あの時、私が止められていれば……」

 「姫様だって、わざと失敗したわけではないでしょう。それに、聞いた話から推察するに、最初からそのつもりで仕組んでいた、なんてことはだれにでもわかりますし……」

 「それでも結果が全てだ。だれも過程の原因など見向きもしない。その上で、失敗に関しての責任を追及してくる始末だ」

 「辛いですね……」

 「こちらに押し付けておいてどの口が—————。おっと……それよりも、次が今回、お前たちが気になっていた議題だ」


 議会の喧騒に隠れて話し込んでいたシュテファーニエだったが、一度、喧騒が途切れていたことに気づいて、口を紡ぐ。どうやら、またしても何も決まらないまま、次の議題に進んだらしく、議会全体が一度、静寂に戻っていた。


 そんな静寂が破られるように開かれた議会場の大扉。そして、その議会場の中心に向けて歩く一人の女性。女性の首には魔封じの魔道具が施され、両手には暴れないように手錠がつけられていた。

 しかしながら、身に着けている衣服はシワ一つないドレスであり、彼女が高貴な生まれであることは、所作などを加味しても明白であった。


 アリッサは彼女のことを知っている。つい先日の事件の際、謎の怪物に襲われているところを偶然助けた女性……否、助けてしまったという方が正しいのかもしれない。なぜなら彼女は、件の事件を引き起こしたエルドライヒ帝国の第一皇女、リリアナ・エルドライヒ本人であるのだから……


 彼女は、兵士に促されるまま歩き、少しだけ怯えた態度で、質疑台の上に立った。そんな彼女を見て、残虐性の高い言葉や、皮肉めいた差別の言葉などを投げかける人物もいた。この議会場の中ではただの一人も彼女の仲間はいないのだろう……。


 「あれが、お前の助けてしまった皇女さまだ……。あの場で死ぬことができればどんなに楽だっただろうか……」

 「それは……」

 「目に焼き付けると言い……あれが、全てを失った王族、そして皇族の末路だ……」


 シュテファーニエはまるで、鏡合わせの自分を見るかのように、眉間にしわを寄せて傍観に徹する。もし、少しでも間違えていれば、あの場に立たされていたのは自分だということを理解しているが所以である。

 議長は先に、「ここでの回答如何では、隣国の皇女に対してでも相応の措置を取る」と前置きしていた。しかし、遠目から見て、アリッサの目には、リリアナの背中など、目立たないところに傷が残っていることが映っていた。それはつまり、もう既に調べは終わっていて、ウソの証言などなくとも「相応の措置を取る」ということの表れでもあった。


 「では、証人、エルドライヒ帝国第一皇女、リリアナ・エルドライヒ殿下に問います。先の都内でのモンスターの召喚……これは間違いなく、エルドライヒ帝国の作戦ですね?」


 リリアナは乾いた唇を震わせながら、ゆっくりと口を開く。やつれたその姿は、皇族には見えず、ブリューナス王国側の強硬姿勢が垣間見えた瞬間でもあった。

 彼女が何を話そうとも、帝国との停戦は望めない。もしかしたら、今すぐにでも、攻勢計画のない進軍すら起こる可能性もある。


 「その通りです……。帝国は……卑劣にも……王国の首都にて暴動を起こし……数多の無垢な市民を虐殺いたしました……」

 「———————認めましたね。では、その方法をご説明願えませんか?」

 「ポスナーゼン公爵より以前借り受けた『魔笛』と呼ばれるアーティファクトを疑似的に再現し、被験者に撃ち込むことで、同じような効果を得ました。それを都内にて発動させ、今回の事件に至りました……」

 「そのアーティファクトの詳細はわかりますか?」

 「わたくしは……科学者ではありません故、存じ上げません……」

 「本当に知らないのですね? 嘘をつけば、あなたの立場が不利になるのですよ?」

 「本当に存じ上げていません……」


 『まるで魔女裁判だ』とアリッサは内心で皮肉を口にする。尋問に近いやり取りは、もはや皇女を辱めるだけのものであり、無意味な議会の遅延行為……。なんせ、リリアナが述べていることは、事前に聞きだされ、配布された資料に記載されているからである。

 それでもなお、この行為を行う理由はただ一つ……怨みの矛先を向けて、国民の団結を促すため……。

 そんな行為が10分……20分と繰り返され、様々な派閥から、わかり切ったことや、感情論に任せた怒りなどをぶつけられ続ける……。まるでリンチにも似たその光景は、もはや議会のあるべき姿とはかけ離れていて、正常に機能しているとは言い難かった。


 誰も止めない————————


 この狂った魔女裁判を、誰も止めはしない……。確かに、彼女は皇族として、国を背負う立場にある……。だがしかし、目の前にいるのは神仏ではなく、ただの人間である……。にもかかわらず、議長や、上院議員や下院議員、そして国王すらもこの行為を止めはしない。

 中には、哀れに思い、口を閉ざして何も語らないシュテファーニエや、国王アウグスティーンと同じような人も議会場にはいた。それでも、止めようとせず、見て見ぬふりをしていた時点で、本質的には何も変わらない。



 やがて、魔女裁判がヒートアップしてくると、議員の一人が手を上げ、議長と示し合わせたかのように前に出た。その表情は、あまりにも清々しく、そして輝きに満ちていたことだろう……。

 疲れ果て、やつれたまま下を向いている皇女リリアナの影とは正反対に……


 「あなたは、皇族として……今回の行いを恥ずべき行為と認識していますか? 認識しているのならば、どのようなことをすべきかわかりますか?」

 「はい……この度は……我が帝国が、貴国に対し……多大なる損害を与えてしまったことを……お詫び申し上げます……」

 「認識しているのですね? ならば、先ほどの質問はどうでしょうか。皇族として、あなたがすべきことはどのようなことだとお考えですか?」

 「それは……その……」

 「あなたは、皇族として、成すべきことも為せないのですか? 未来永劫、母国に汚点として残り続けるおつもりですか?」

 「わかって……おります……。わたくし……わたくしは……」


 アリッサは静かに目をつぶる……。議長や、議員が言わせたい言葉はもうわかった。それは、皇女リリアナの口から、『自害を申し出る』ことである。その意味は、帝国以外からの正当性の主張のため……。

 リリアナをこのまま帝国に送還することはできない。かといって、人質としての価値もありはしない。何故なら、彼女は帝国において、“王国にて殺される悲劇のヒロイン”なのだから……。


 「はっきりしてください!!! それでも皇族ですか!?」

 「も、もうしわけ……ございません……。わたくしは……」


 議員が強い口調で責め立てても、また、リリアナの言葉が止まる。それを重いまぶたの裏で聞き届け、そして奥歯を噛みしめた。アリッサとて無鉄砲というわけではない。そして勇者でも聖女でもない。


 アリッサは普通の人間である————————


 何もかもを顧みず、誰かの為に動けるような人間ではない。だから、『これはおかしい』とわかってはいても、前に踏み出すことはできない。

 もしもここで、アリッサが飛び出した場合、築き上げてきた信頼を全て崩すことになる。下手をすれば、ブリューナス王国を敵にまわすこともあるのだろう……。

 それは自分のみならず、自らの友人や家族も含まれる。自分の手の届かないところで、大切なものが死んでいくことを見ることは、アリッサにとって……耐えがたいものだった。

 だから、眉間にしわを寄せて沸き立つ感情を全て内側に抑え込む……とても単純で、そして簡単な作業を行った————————

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