第8話 名も知らない誰かの結末


 心地よい振動に揺られ、いつの間にか、どこかに座っていた。その状態からゆっくりとまぶたを開けば、そこはどこかの列車の中であり、自分が乗客として乗っていることがわかる。


 キサラは自身の体に異常がないかを確かめる。


 最後の記憶は、黒い靄の柱に飛び込んだところまで……そこから先は一時的に意識が途切れていた。だが、寝ていたにも関わらず、衣服はそのままであり、相変わらず泥で汚れているだけでなく、所々切れて肌が露わになっている。

 そんな状態でも、自らの武器である華烏は手放していないらしく、意外にも自然な形で手に握っていた。


 周囲から殺意や敵意は感じない——————


 窓の外をふと見てみれば、何も映さない暗黒が広がっている。そのため、列車の天井につけられた灯りのせいで、自分の顔が窓に映り込む。変化はない……年齢も、状態もそのままである。


 「あなたは……どこから……」


 キサラは、ふと、声のした方に振り向く。すると、通路を挟んで向かい合わせの席に、誰かが座っていた。

 それは頭の上にキツネの三角の耳を持つ獣人の女性。しかし、獣人ではあるが血筋が薄いのか、顔面や体型などはほとんどがヒト種であり、亜人種に分類される生物であった。灰色の瞳とクロムイエローのセミロングの髪、丸い顔立ちは、見ている者の警戒を解き、その可愛らしさに武器を降ろしてしまうのだろう。

 彼女は、後ろから伸びる毛量の多い尻尾を前へと運び、膝の上を枕にして誰かを眠らせていた。それは、白髪の10代に満たない少年であり、彼は眠るように座席の上に横たわっている。


 「あなたこそ、ここがどちらかご存知でしょうか」


 キサラは相手の問いに対し、臆することなく質問で返す。暗闇であるトンネルを走行しているではなく、何もない空間を走り続けている列車は複雑怪奇であり、キサラでなくとも、一目でこの状態が異常であることは気づけた。


 「いいえ、知りません。わたしたちも気が付いたらここにいましたから……」

 「それは、一体いつから?」

 「……いつからだったでしょうか。長かった気もしますが、短かった気もします」


 キサラは怪訝な顔をしながら目の前の女性を睨みつける。すると、女性は戸惑ったような笑みを浮かべて少しだけ怯えたように見えた。


 「あなたの名前をお伺いしても?」

 「わたしですか? わたしは“——————”です」


 キサラの耳元でノイズにも似た雑音が混じる。それは、まるで女性の名前のみを覆い隠すようであり、非常に不自然であった。

 しかし、それを悟られないように、さらなる情報を得るために、キサラは会話を続け始める。


 「そうですか……。ここであったのも何かの縁です。少し、お話をしませんか?」

 「えぇ、いいですよ。ちょうどルイス様もお眠りになられましたし」

 「それはちょうどよかったです……」

 「なにがちょうどよかったのでしょうか?」

 「いいえ、なんでもありません。それよりも、あなた方はどこから来て、どこへ向かうのですか?」


 キサラは誤魔化しながらも少しだけ踏み込んだ質問をしてみる。すると、女性は小首をかしげて眉間にしわを寄せてしまった。聞いてはいけないことを聞いた、というよりもどちらかと言えば、「わからない」というような困惑が見え隠れしているようにも見える。


 「不思議です。何も……憶えていないのです……。なにか、大切なことをしようとしたはずなのに……」

 「大切なこと?」

 「はい……でも、何故だか思い出せないのです……」


 手がかりがつかめないことにキサラは歯噛みする。こちらへ飛び込めと指示した女性の話では、ここに黒い靄の柱の本体があるはずだが、目の前にはそれらしきものもないし、列車のどこかにあるのかという保証もない。


 「思い出せないのでは仕方ありません。他に何か憶えていることはありませんか?」

 「憶えていること……。それは具体的にはどのような……」

 「この列車に乗る直前のことです」

 「えぇと……あれ? それも……。どうしちゃったんだろう……」

 「もういいです」

 「ま、待ってください! そうだ、少しだけ思い出しました。雪原であったシスターさんに————————」


 唐突に女性の言葉が止まる。それは自分の記憶の混濁に気づいてしまったせいなのか、それとも何かしらの強制力が働いたせいなのか、女性は何事もなかったかのように会話を続けようとした。


 「はい、たしか……雪原であったシスターさんに、わたしの願いを叶えてもらって……」

 「この列車に乗ることがあなたの夢だったのですか?」

 「いえ、そうではなかった……と思います」

 「では、なぜ、この列車に————————」


 今度はキサラの言葉が止まる。

 それは、キサラの記憶が混濁しているからではない。列車の通路の奥……進み続ける先頭車両の方へ視線を移したときに気づいてしまったからである。

 自らが乗っている車両の次の車両。そこには、まるで合わせ鏡を見ているように、次の車両に座る女性がいたからである。つまり、前方車両の全く同じ位置に、座っている彼女がいたのである。

 キサラは焦りを覚えながら、何かを確かめるように座席から立ち上がる。


 そうして気付く————————


 前方車両にも、後方車両にも、同じ位置に彼女が座っていることに……

 ただ、自分の姿はこの車両だけであり、他には映し出されていない。この事実が、キサラの中の思考回路の点と点を線で結び、結論を導き出した。


 「どうかなさいましたか?」


 座っている女性が、眠っている少年の頭を撫でながら小首をかしげて尋ねてくる。キサラはそれが異様に感じられ、同時に、胸の奥底で心臓が締め付けられるような恐怖を覚えだす。

 それでも、それに臆することなく、キサラは手にもっている太刀“華烏”の柄を強く握りしめ、立ったまま、静かに……そして、凛とした表情のまま口火を切り直した。


 「何でもありません。それよりも、最後に一つだけ、お伺いしても?」

 「はい……何でしょうか……」

 「あなたの膝の上で眠っている少年……どうして“息をしていない”のですか?」

 

 キサラが言葉を発した瞬間に、進み続ける車両の振動が消えたような気がした。同時に、少年の頭を撫でている女性はキサラの言葉を聞いて酷く困惑し始める。

 キサラは隣の車両に座る女性を眺める。しかし、その膝の上には誰もおらず、女性が一人で座り続けているようにしか遠目では見えない。


 「何を……おっしゃっておられるのですか?」

 「事実を言ったまでです……。いえ、そんなことよりも、それは、本当に——————」


 ほんの一瞬、目線を逸らしたのが、キサラの過ちであった。気が付いたときには、目の前の女性が撫でている少年が、人の形を保っておらず、黒い靄のような蠢く蛇の塊になっていた。いやむしろ、もっと前からその姿であったのだが、キサラがここにきてようやくその事実に気づいたという方が正しいのかもしれない。


 「————————ッ!?」


 それを自覚したキサラの行動は意外にも素早かった。剣先を女性の喉元に向けると同時に床を蹴り飛ばし、擬態していた少年のような怪物に向けて太刀を横薙ぎに振るっていた。



 ———————しかし、その斬撃が当たることはなかった。


 女性が座っていた座席のクッションを引き裂くだけであり、肝心の対象は、女性が抱え、飛び退いて回避されてしまったからである。その動作に送れるようにして、床には焼け焦げたような線の痕、そしてわずかに残る空中放電の音がした……。

 だが、そんなことを気にならないほどの事実が一つ……女性が座っていた座席のクッションからは、羽毛の一つも吹き出さず、虫のようなものが蠢いていた……。


 「な、何をするんですか!」


 女性が、唐突に武器を振るったキサラに抗議するように声を荒らげる。しかし、キサラはそれに臆することなく、武器を振るった状態化からゆっくりと立ち上がり、距離を取った女性を視界に捉える。そのまま流れれるような動作で、片肘を前に突き出し、刃を逆に構えるような独特な車の構えをとり、相手を完全な敵として認識し直した。


 「申し訳ありませんが……わたしは、アリッサのように甘くはありません———————」

 「そうだ……アリッサ……。そうだ、あの女が————————ッ!!」


 窓が割れる音と共に、左右から黒い靄に形作られた虫がキサラの元へと飛び込んでくる。キサラはそれらを太刀に纏わせた炎で一閃し、次いで、相手の追撃として放たれた雷の鞭をバックステップで回避しながらもう一度距離を取り直した。


 「あの女が!! あの女が! ルイス様を!!」


 まるで怒り狂うような雷光が列車全体に轟く。それは黒い靄の触手を伝い、そしてキサラの命を穿つための槍となって襲い掛かってきた。しかし、キサラは一度だけ息を吸い込むと、それらすべてを同時に太刀で叩き落としていた。

 遅れるようにして、まるで静電気が生まれたような通電のスパーク音が鳴り響き、そして、それと同時に、黒い触手の槍は灰となって霧散していた。


 「愚かなものですね————————」

 「お前に何がわかる!! あの女の仲間であるお前に!!」

 「もはや正気に非ず……ならば、せめて苦しまずに逝かせてあげましょう——————」


 キサラは剣先が上に向くような八相の構えを取り、両足に力を込めた。その瞬間、足先から竜巻が起こるように、魔力のうねりが生まれ、蒸気のように揮発し始める。

 その状態で、床を蹴り飛ばし、キサラは一気に相手との距離を詰めた。


 一歩————————


 地面を蹴ったはずのキサラの姿が掻き消えた。それは雷の速さではではなく、まるで光が駆け抜けたがごとく、空間そのものを飛び越えているかのように見えた。


 さらにもう一歩————————


 踏みしめた両足を軸として繰り出す袈裟に振り下ろされた斬撃は、相手の纏う黒い靄だけではなく、まるで空間そのものを引き裂いたかのような虹色の残影がその場に残り続けた。

 それは少年を形作っていた黒い靄の塊に対し、女性が反応することすら許さず、女性の腕ごと斬り伏せるには十分すぎる威力であった。故に、華が開くように空間そのものに引き裂いた斬撃は、人間の形をした靄を霧散させ、女性の腕の血液が床に滴り落ちると同時に空間に溶けるように消えていった。


 「あぁぁぁぁあああああ!!ルイス様ぁああああああ!!」


 女性の悲痛な叫びが聞こえてくる。しかし、耳をつんざくようなその声は、女性の声だけでなく、空間全てが泣き叫んでいるように頭に響いてくる。そのあまりの衝撃に、キサラは両耳から粘性の液体が出るような不快な感触に襲われ、平衡感覚がほんの一瞬だけブレた。


 その隙を逃すことなく、床にこびり付いた女性の血液が唐突に真っ黒に染まり、そこから樹木が育つように無数の赤黒い肉の触手が暴れ狂いだした。気が付けば、切り裂いたはずの女性の腕も同じような赤黒い肉に覆われており、それらは女性の体にまとわりつくように包み込み始めていた。


 普通ならば退くところではあるが、キサラは超至近距離にいるのにも関わらず、それらを回避することなく、むしろもう一歩前へと踏み込んだ。そして、まるで太刀を躍らせるように前方へと振るい、生み出された肉の触手を引き裂くと同時に内側から弾け吹き飛ばす。

 しかし、寸でのところで逃げるように、後ろへと飛びのいたことで難を逃れられ、追い詰めることができなかった。


 普通ならば、キサラがたった一人で勝てるわけがない相手……。しかし現に、相手を圧倒しているのには理由がある。


 

 もし、対人戦に限るのだとすれば、キサラとアリッサを比べたとき、勝敗はわからない。たしかに、アリッサは特異な能力を持つ。しかし、キサラはそれ以上に、無数の選択肢を常に持ち続けているため、時にレベルの高いアリッサすらも凌駕する。

 故に、“可能性の操作”を失っている単なる高レベルの“人間”に対してならば、キサラが遅れを取ることはない。確かに、キサラの魔力は心もとなくなっている。しかし、それ以上に相手が丸腰である上に、冷静さを失っているとなれば、勝敗は戦う前から決まっていた。




 キサラは、最後に横に振るった一閃の残心状態から、もう一度、ひじを前に突き出すような独特な車の構えに移行する。ここでようやく、止まっていた時間を動かすように、遅れて、最後に振るった一閃が、前方のみならず、キサラがいる車両全ての窓と壁を音もなく両断した。


 切り裂いた空間から舞い散るように無数の花びらが車両内に吹き荒れ、同時にまるでオーケストラのようにあちこちから誰の者ともわからない無数の叫び声がこだまする。

 それらをくぐもった聴覚でキサラは聞き取りながら、両の足腰に力を込めた。



 もっと前へもう一歩————————



 息を吸い込んだキサラの口から魔力の籠った白い吐息が漏れる。それとほぼ同時に、体全体が虹色に淡く輝きだす。魔力の奔流が花開き、まるで鳥が大きな翼を広げるように吹き出し、キサラが踏みしめた力と合わさるように更なる推進力を与える。

 空中で後ろを向いていた太刀は、地面を踏みしめると同時にその刃を喉元へと向けるように変わり、背中の翼を羽ばたくように胸を大きく開けば、濡羽色のキサラの瞳が見開かれ、そして眩い閃光と共に一度姿が掻き消えた。


 「肆の太刀————————」


 その美しい光景に立ち尽くしてしまった女性の後ろで落ち着いた声が聞こえてきた。女性が声のした方を振り向くと、まるで滑空した鳥のように、魔力の煙が燻る刃を地面に向けたまましゃがみ込んで制止しているキサラがいつの間にか自分の後ろにいた。


 刹那————————



 女性が認識するよりも早く、心臓から螺旋を描くように虹色の光が噴き出し、翼のような衝撃波となってキサラの後ろの空間全てを弾き飛ばしていった。それは、車両のみならず、窓の外の闇、そして、肉塊になり始めた女性を全て巻き込み、切れないはずの闇すらも引き裂いた。

 それはまるで、闇の中で差し込む朝日のようであり、その光が壊れた空間全てを包み込むと同時に、一切の闇に覆われていた空間は解けるように融解し、外の景色を映し出す。


 「さようなら。名も知らない誰か—————」


 キサラは立ち上がると同時に、取り出した鞘に自身の愛刀である“華烏”を一度振って闇を振るい落としてから納刀する。その収まる最後の甲高い音が鳴ると同時に、キサラの後ろにいた女性は、眩い太陽に焼かれ、灰となり、やがては外から吹き荒ぶ冬の風に乗って大空へと消えていった……。


 キサラがその光景を振り向くことない。代わりに彼女が視界にとらえるのは、消えていく黒い靄の柱に駆け寄ってくる自らの親友の姿だけであった———————



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