第7話 聖者の行進
重いまぶたをゆっくりと開く……
冷たくなっている体に力を入れ、ゆっくりと体を起こすと、そこは倒れる前と少しだけ違う街並みが広がっていた。中途半端に欠けたその街並みはさながら復興途中の現場であり、どれもが不安定であるように思えた。
そんなことよりも、自分はどうして意識を失っていたのかとキサラは立ち上がりながら逡巡する。最後の記憶は、空中で演説をしている男に対して敵意を向けた瞬間である。
その直後に、視界がブラックアウトして気付けば今ここで立っている。
いつの間にか、黒い靄の怪物は消え去っているのか、街の中では感嘆を漏らすような声も聞こえてくる……。それと同時に、幻想的な光の粒子が残滓となってわずかに彷徨っていた。
それを見たキサラの感情を貫いたのは、最初こそ困惑だったものの、徐々に自分の不甲斐なさに対する怒りがこみあげてくる。それは、自分の知らない誰かが、自分を音もなく倒した相手を退けただけでなく、街を救ったからである。指先一つすら届かなかった自分を悔い、奥歯を噛みしめる。
その悔しさを噛みしめながら、頬についた泥を拭うと、再びの轟音が響き始める。音のした方をよく見ると、未だに事件は終わっていないとでもいうように、黒い靄が柱状に噴き出していた。
キサラはそれを見て、頬を強く叩き直すと、地面に落ちている諸刃造りの太刀である“華烏”を拾い上げ、寝起きの体に鞭を撃ちながら再び街を疾駆する。
石造りの建物の屋上を駆け抜ければ、次第に現状が見えてくる……。
首都リンデルの中心で暴れているのは、無数の黒い靄であり、異常に気付いた衛兵や冒険者たちが対処にあたってこそいるが、黒い靄の再生速度がすさまじく、対処しあぐねているように見えた。加えて、市街地戦であるため、取り残されている市民も存在し、それらの避難が完了していない現状も災いしていた。
市民も守るために守備に徹すれば、その分、黒い靄が無尽蔵に増殖して状況は悪化していく。無作為に大規模魔術を行使すれば、その分だけ市民が巻き込まれる。だからこそ、避難が完了するまでの時間をどうにか稼がなければならなかった。
キサラはそれを理解し、大地を蹴り上げて、地上で対処している冒険者や衛兵たちを飛び越えるようにして前に出る。そして、振り下ろすような黒い靄の触手の鞭を、真正面から縦に引き裂いた。
その瞬間、切り裂いた斬撃から遅れるように虹色の光があふれ、切断面だけではなく切り裂いた触手を根元から稲妻で焼き焦がしていった。
“
しかし、そんなキサラを嫌がったのか、地面から生える巨大な黒い靄の柱は、触手を増殖させ、今度はキサラを避けるように生きている者に向けてその魔の手を伸ばして来る。当然のことながら近くにいた魔術師たちに迎撃をされるが、多すぎるその影の何本かは迎撃網を搔い潜り市民を取り込もうとしてきた。
キサラはそれよりも早く、触手の攻撃位置に先回りして、先ほどと同じように魔術を発動させながら太刀を横薙ぎに薙いだ。すると斬撃から送れるようにして、触手を飲み込むような黒い旋風が巻き起こる。それは数本の触手を切り裂くと同時にその断片を喰らうように赤黒く輝き、そして跡形もなく霧散させていく。
しかし、やはり、後ろで避難中の市民を護りながらではキサラの手が足りない。他の冒険者も確かに戦力にこそなってはいるが、レベル100を超えているキサラと肩を並べることは当然できない。遠くの方でアリッサも奮闘しているように見えるが、混戦しているため、そちらに向かうことも叶わず、現在の位置で対処し続けるしかなかった。
だからこそ、迎撃に徹しており、幾度となく迫りくる黒い靄の触手たちを薙ぎ払っているが、どうにも消耗戦で勝てる見込みが見られない。
その証拠に、周囲で戦っている人間たちの息は乱れ始め、キサラもその例に漏れず、残存魔力が心もとなくなり始めていた。
刹那————————
足元から噴出した新たな黒い靄の触手に気づくのが遅れ、キサラは脚を絡めとられ、空中へと吊り上げられた。即座に魔術を発動させて、脱出を図ろうと試みるが、それよりも早く、槍のような触手が脇腹を貫いたことで、魔術の狙いが逸れ、関係のないところで炎が爆ぜてしまう。
「————————このッ!」
口の中にせり上げてくる血液と脇腹の鈍痛に耐えながら、今度は太刀で両断しようとするが、それすらも触手は腕を絡めとることでキサラの動きを止める。そして、それだけでなく、残った四肢も丸ごと絡めとり、キサラの動きを封じる。
そして、まるで雑巾を絞るかのように、暴れるキサラの四肢を別々の方向に引きちぎろうと蠢く。
「あがぁ————————ッ!!」
キサラは痛みに悶絶し、そして右手に持っていた太刀を地面へと落としてしまう。その乾いたような金属音を合図に、触手はさらに力を強め、悲鳴を上げるキサラを弄ぶかのように、骨や肉が引きちぎれるような音を奏でさせた。
まるで公開処刑のようなその光景に、誰も対処することができず、ただただ悲鳴に耳を塞ぐことしかできなかった————————
光の槍が天から降り注ぐ————————
それは寸分たがわない精度でキサラの手足に絡みついた触手のみを引き裂く……。それと同時に誰かが駆け寄ってくるような音が聞こえてきた。触手から解放され、痛みに意識を持っていかれそうになったキサラは一度地面に叩きつけられた後、霞む視界でその人物を捉えた。
その人物は走りながらロングバレルのライフルを構え、再びキサラを狙おうとしていた黒い靄の触手たちを、一発も外すことなく全て打ち抜いていく。キサラが呆気に取られていると、その人物はキサラの隣で立ち止まり、左手をかざし、光属性の回復魔術を付与し始めた。
すると、キサラの四肢の痛みは少しずつ消え去り、後に残ったのは、僅かな鈍痛だけとなる。回復した視界でその人物をよく見ると、とても印象的な女性であった。
160弱の低めの身長と丸みを帯びた輪郭、そして太陽のようなオレンジ色のショートボブの髪を持つ少女……。何より印象的なのは燃えるような真っ赤な瞳であった。
その人物はロングバレルの武器を変形させ、向かってくる触手を叩き切るとこちらに振り向くことなく、こちらを護るような動きをしながらキサラに対して声を荒らげる。
「大丈夫!? サムライガール!」
「え……えぇ、大丈夫です」
キサラは四肢に力を入れて、腰からリボルバー型の魔術杖を取り出し、数発引き金を引きながら、女性の援護に回った。
「なら良かった。見る限り、あなたぐらいしか、できそうな人物がいなかったから————」
「できそうな人物?」
キサラは助けてくれた女性と背中合わせになる形でリボルバー型の魔術杖を構え、簡単な魔術で、無数に迫りくる触手を叩き落としていく。
「アイツの弱点……あの黒い柱の中に入れるぐらい強い人が近くに居なかった」
「何故それが弱点だと?」
「情報源は聞かないでもらえると助かるかな————————」
「それで、信用しろと?」
二人が同時に振り向き、女性はショートソードの剣先をキサラの喉元へ、キサラは銃口を女性の眉間へと向ける。
「あなたを助けただけじゃだめ?」
「最初から仕組むこともできたはずです」
「はぁ……じゃあ、信用しなくてもいい。だから————————」
女性が何かを言い終えるよりも先に、キサラは銃口を引き、魔術を発動させる。女性は慌てて、倒れ込むように回避し、反撃と言わんばかりに、キサラの喉元に向けてショートソードを振るった。
しかしそれは、キサラの首を引き裂かない。むしろ、その後ろに迫っていた黒い触手を切り裂き、キサラへの攻撃を防いで見せた。また、キサラが放った魔術では、先ほどまで女性がいた位置に迫っていた触手を氷漬けにして動きを封じていた。
「————————ちょっと! 殺す気!?」
「無駄な言葉は不要です。作戦を聞かせてください」
「そっちから不安を煽ったんでしょ!」
再び二人は背中合わせになりながら振り向くことなく、言葉をつづけ始める。
「あなたを信用しきれていないのは事実ですから」
「あぁ、もう! ややこしいな! 手伝ってくれるの?」
「先ほどから、そうだと言っているじゃないですか……」
「そんな疑問形で言われても……。まぁいいや……あなた、あの黒い柱で微妙に光っている場所わかる?」
「いや、どこですか? 見えませんけど?」
女性が指さした先をキサラが目を凝らしてみても、そんなところは見えなかった。もしかしたら近づけばわかるのかもしれないが、今現在は、この場所での対処が精一杯である。
「じゃあ、わたしが攻撃を加えたところだと憶えておいて……そこにこの怪物を形成している核がある」
「それを破壊すれば、コイツは消滅するのですか?」
「こちらを信じるのならば」
「なら、答えは決まっています——————」
「ちょ——————ッ!? まだ、説明が————————」
キサラは、何も聞かずにその触手を生み出し続けている、地中から生えた黒い柱に向けて、地面を蹴りだす。後ろから何やら声が聞こえてきたが、途中で聞こえなくなったため無視する。
ただ、キサラは彼女の作戦を無視しているわけではない。長年の冒険者として経験から、説明を聞かずとも、次に何をすればいいのかが予測がついているが故の暴走だった。
キサラは迫りくる触手をスライディングで避けながら、地面に落ちている自身の太刀である“華烏”を拾い上げる。そして、手をつきながら片腕の力だけで地面を再び離れると同時に、キサラを支援するかのように後方から銃声が数発鳴り響いた。
それらはキサラに迫りくる触手を全て貫き、霧散させ、再び目の前を開けてくれる。
キサラは体を逸らしながら地面に着地すると、再び地面を蹴り上げる。走り抜けるキサラの足元にはまるで稲妻のような焼け焦げた跡が残り、僅かに残った雷弧が周囲を照らしていた。それに共鳴するかのように、後方から何らかの光属性魔術が付与され、キサラの足はさらに加速していく。
キサラが息を吸い込み、触手を足場にしながら駆け抜けると、斬撃が遅れて発生し、絡めとるような触手たちは全て叩き落されていく。前方に立ちふさがるような触手たちは後ろから飛んでくる弾丸や光の槍により吹き飛ばされ、綺麗に道を開けてくれる。
そして、その内の一発がさらに後ろで鎮座している黒い靄の柱に向けて放たれる。しかしそれは不自然に防御を固めるような触手の肉盾で防がれ、届きはしない。
「あそこか————————」
キサラは短くそう呟くと、空中を地面のように蹴り上げる。すると、あたかもそこに見えない床があるかのように踏み込むことができ、キサラを前へ前へと加速させていった。
そんなキサラを食い止めるべく、無数の触手たちが迫りくるが、キサラはそれらを意に返さず、最後に大きく跳躍すると両手で太刀を大きく振りかぶった。
それとほぼ同時に、キサラの背後から、キサラの体を避けるように光の鞭が放たれ、道が開く。
「チェェェアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア————————ッ!!!」
奇声にも似たキサラの声が響き渡り、太刀が触手の肉壁へと振り下ろされる。その瞬間、鈍色の斬撃が舞叩いたと思うと、鳥が翼を広げるように光の粒子が大きく瞬き、まるでバターを引き裂くように肉壁は切り裂かれた。また、それだけではなく、後ろの黒い靄の柱の一部を切断し、その内部を露わにさせる。
キサラの視界に映ったソレは、まるで深淵のようであり、誰も寄せ付けないような暗黒が広がっていた。
しかし、キサラはそれに臆することなく、再び空中を蹴り上げ、剣を構えながら真正面からその穴へと飛び込んでいった。キサラが飛び込むと同時に、その穴はすぐに塞がり、何事もなかったかのように修復してしまう。
虹色の翼が消えると同時にキサラが飲み込まれていった光景を見て、誰もが死に至ったと錯覚した————————
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