第6話 たった一言の絶望



 アリッサは大きく息を吸い込み、そして屋根の上を飛び回る。街中の至る所で火の手が上がり、悲鳴や怒号が絶えず聞こえてくる。原因となっているのは、街で暴れている無数の黒い靄のようなモンスターたちである。

 その形状は様々であり、鳥のようなものもいれば、節足を持っている虫の形状、そして人型の巨人までさまざまである。それはさながら百鬼夜行のようであり、数か月前の魔笛を用いたモンスターの大量召喚を彷彿とさせるものであった。

 そんな折、街中の喧騒と打って変わり、唐突に頭の中に声が響き始めた。


 「聞け————————。愚かな王国の民たちよ……。オレは、エルドライヒ皇帝テオドラム・エルドライヒである」


 アリッサが驚きながらもそちらの方を見上げると、そこには漆黒のマントと鎧を身にまとった筋肉質な中年の男がいた。空中に居ながら、推進力もなしに停止し、こちらを見向きもしていない。下からではよく見えないが、少々癖のある燃えるような赤い髪に伸びた立派な髭を携え、青白い瞳で全てを見下しているようにすら思える。

 そんなエルドライヒ帝国の皇帝を名乗った男は、淡々と事実を語り始める。


 「今や首都は我が手中に落ちつつある。今ここで恭順するというのであれば、慈悲を与えよう。ヒトは保護し、野蛮なる魔族や亜人種には苦痛なき死を与える」


 内容はすぐにでもわかる……。ただ、どうしてその結論に至ったのかはわからない。確かに帝国は徹底した人類優位主義を唱える国である。だからと言って、多種多様な種が認めらえた王国を攻め入る理由にはなりえない。

 それに、たった一人で、王国の全ての人間を敵にまわして勝てるわけがない、とすぐにでもわかる。

 だからこそ、階下の街では即座に、反論などということはなく、武器を向けて遠距離砲撃で撃ち落とそうとするものまで現れた。しかし、それらは、どんな威力か、などということは関係なく、テオドラム・エルドライヒの体や鎧に傷一つつけることはできていなかった。


 「愚かな————————。言葉よりも行動を選ぶとは……」


 テオドラムは静かに、眼前の王城に手をかざす。王城には、兵士のみならず、王族、そして、一時避難した市民たちがいるはずである。だからこそ、それらを護ろうと、白亜の城にいた兵士たちは一斉に武器を構え、そして魔術の詠唱を始める。

 それだけでなく、浮かんでいるテオドラムの真下の街では、その他の魔術師たちが一斉に攻撃を開始していた。

 アリッサはそれにつられるように、金属バッドを手に持ち、そして自らも魔術を発動しようとした。



 背中に嫌な汗が伝った————————




 それは、何度も感じたことのある死の間際を知らせる警鐘……。アリッサの起源魔術である『虫の知らせ』はどんなことであろうとも、正確に命の危機を知らせてくれる。だからこそ、即座に攻撃をキャンセルして、金属バットを前に構えて防護魔術を多重展開させた。


 「『死ね————————』」


 空中にいるテオドラムから無機質な声が王都中に響き渡る。その瞬間、王城を取り囲んでいた結界は全て弾け飛び、そして攻撃を仕掛けようとしたすべての人間が音もなく息絶えた。


 それは比喩などではなく、まさに魔法の領域の出来事であった。隣で武器を構えていた者たちが、皆一斉に、糸の切れた人形のように地面に倒れ伏し、呼吸を止めたのである。誰かが泣き叫びながら蘇生魔術をかけても、無意味であり、一向に蘇ろうとしない。それはまるで、本当の“死”を与えたようであり、魂そのものが消失しているようであった。


 そんな攻撃を受けたアリッサは見えない何かに弾き飛ばされ、地面や壁だけでなく、いくつかの建物をなぎ倒しながら地面を転がることになる。その衝撃はすさまじく、持っていた金属バットが内側から弾け飛び、中の液体の魔石を外にぶちまけながら壊れた。

 当然のことながら武器だけでなく、吹き飛ばされたアリッサ自身も無事ではなく、立ち上がろうとすると視界が歪み、耳と鼻、そして口が粘性の液体で満たされるような不快な感覚を味わっていた。


 「一体……何が……」


 まったく視界に捉えることができなかった何らかの魔術……それは、今のアリッサでも手も足も出ない。まるで、光そのものが激突してきたようであり、どう考えても対処が不可能であった。

 アリッサは自らの四肢が折れておらず、打撲で痛む程度で済んでいることを安堵しながら、口の中の血液を吐きだす。そして、体全体に力を入れてゆっくりと立ち上がった。すると、目の前には自らが吹き飛ばされたであろう痕が、直線状にあり、その凄惨な威力を物語っていた。


 「いやぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 アリッサはしばらく放心してしまったが、誰かの悲鳴ですぐに現実に引き戻される。何が起きたのかと周囲を見渡せば、少し先でドレスに身を包んだ女性が、六本腕の怪物に襲われている光景が目に入った。

 襲われている女性は尻餅をつきながらも、必死に後ろにさがって逃げようとしているが、恐怖で足がもつれているのか、無意味な抵抗になっていた。アリッサはそれを見て、即座に地面を蹴り飛ばし、そして六本腕の怪物に向けて、流星のような蹴りを放つのであった———————



 ◆◆



  「『死ね————————』」


 空中にいるテオドラムから無機質な声が王都中に響き渡る。その瞬間、王城を取り囲んでいた結界は全て弾け飛び、そして攻撃を仕掛けようとしたすべての人間が音もなく息絶えた。

 王城にいる兵士は全て動かない死体となり、その異様な光景を見た市民や王城で働く非戦闘員たちは遅れて悲鳴を上げる。もしかしたら、王族やその他の貴族が殺されたのではないかとパニックとなり、城中が大混乱に陥り始めた。


 「愚かな選択をしたものだ……。王よ……民を思うのならば姿を現し、首を垂れろ……。そうすればそれ以上の人間は殺さぬ」


 地獄を作り出したテオドラム・エルドライヒは飽きれたような口調の声を首都リンデル中に響かせる。誰もが、その声に恐怖し、今度は自分が殺されるのではないかと唇を震わせた。


 そんな折、王城の上にある謁見のための物見台に誰かが姿を現す。白銀のブーツで石畳を鳴らしながら、遥か彼方のテオドラムにゆっくりと歩み寄っているのは、意外にも国王アウグスティーンではなく、女性であった。

 一世代前かと思われる昔ながらの白銀の鎧……手には大きな王国旗を掲げた旗棒を持ち、もう片方の手には蒼い宝玉のついた魔術杖があった。腰には魔導書のようなものが取り付けられており、テオドラムに対して決戦を挑むような立ち姿であった。


 綺麗な癖のある金髪に、流れるような美しい体型。そしてテオドラムの眼光にも怯むことがない、宝石のようなコバルトグリーンの瞳……整った顔立ちを持つこの女性は、かつての戦争の英雄であり、今現在は王族に名を連ねる女性……つまりは、ハイデマリー・ブリューナスであった。

 


 「今すぐに、この暴挙を止めろ。皇帝テオドラム……」

 「久しいな……ハイデマリー……」


 二人が真正面に向かい合い、突風が二人の間を駆け抜ける。その瞬間、ハイデマリーの手握られていた旗棒の国旗がその威光を示した。


 「お前の要求は一切飲むことはできない」

 「オレに立ち向かうか……。貴様も知っているだろう。この我の起源魔術を……。この“即死”を受ければお前であっても例外なく死に至る」

 「やってみるがいい」

 「ふむ……前のように無様に命乞いでもすれば、助けてやろうと思ったが……歯向かうか……」


 テオドラムはハイデマリーに手をかざし、薄気味悪い笑みを浮かべ、たった一言、先ほどと同じように、抗うことのできない“即死”の起源魔術を振りかざした。


 「『死ね————————』」


 直後、目に見えないと光のような突風が駆け抜け、ハイデマリーが立っている白亜の城を取り囲む大気を震わせる……。だがそれは、城壁の淵に立つハイデマリーにぶつかった瞬間に、まるで、ガラスが砕け散るように爆ぜて黒い光の粒子となり空間に溶けていった。


 「な————————っ!!?」

 「どうした? 即死させるんじゃなかったのか?」


 自らの絶対死の呪いが効かなかった事実に対し、テオドラムが狼狽する。今までどんな敵に対しても、レベルに関係なく通用していたが故の驚愕。その事実は絶対の自信を持っていたテオドラムの精神を揺るがすには十分すぎるものであった。

 そんなテオドラムに対し、ハイデマリーはもう片方の手にもっている蒼い宝玉のついた魔術杖を天に掲げ、短い呪文を唱える。


 直後に天から光が降り注ぎ、空中にいるテオドラムを頭上から焼き焦がそうとする。しかし、それでも、テオドラムには傷一つつけることができず、天から降り注いだ光はすぐに収束して消えてしまう。


 「お前はただの分身……ならば……」

 「その魔術……いや……お前は……」


 テオドラムが何かに気が付いたように声を震わせるが、それよりも早く、ハイデマリーが手の持っている旗棒と魔術杖の杖底を同時に地面に叩きつけた。その瞬間、街全体を覆いつくしていた都市結界が全て弾け飛び、光の粒子となる。

 それらは一切を残すこともなく、全てハイデマリーの元に集い、彼女の全身を真っ白に輝かせた。その状態で、ハイデマリーはコバルトグリーンの瞳を大きく見開き、魔力の籠った声を震わせた。


 「『滅びた文明の神よ。今、其方に敗北を宣告する。心は廃れ、民は忘れ、名は消え失せた。最後の記録者として、貴殿の数多の決断と挫折に敬意を示し、苦痛なき永遠を断ち切ろう—————。この一撃は、神を撃ち落とす変革の鐘なり—————』」


 竜巻のような風が、ハイデマリーを中心に巻き起こり、集められた魔力が再び拡散していく。それは上空に浮かぶ巨大な魔方陣と共に、街全体に広がり、人々はその異様な光景に目を奪われた。


 「『この惑星でたった一つだけの宝物cosmos in my pleasure』——————」


 澄み渡るような声が街中に響き渡る。その瞬間、街全体を囲うような12本の槍が地面に突き刺さり、そしてそれを震源地として魔力の波が広がっていった。

 すると、先ほどのテオドラムの起源魔術で倒れた人たちの体がわずかに指先を震わせる。そして、何事もなかったかのように呼吸をし始めた。また、それだけではなく、霧状のモンスターの一部が弾け飛び、解けるように消えていく。

 破壊された街並みに関しても、時間を巻き戻すかのように復元されていき、元に戻り始めた。



 ————————が、しかし、それは途中で止まった。



 唐突に、魔術を発動させたハイデマリーが石畳に膝をつき、手にもっていた旗棒を手放し、残っている魔術杖を支えにして、荒い息をたてながらどうにか意識を繋いでいるように見えた。


 「すべては……救えないか————————」


 悔しそうに声を漏らすハイデマリーの姿が少しずつ変わり始める。黄金のような髪は銀色にも似たスカイブルーに染まっていき、宝石のようなコバルトグリーンの瞳も、いつの間にか青くなっていた。

 そんな状態のハイデマリーの姿をした誰かに、テオドラムは反撃することができなかった。


 テオドラムは……正確には、テオドラムを形作っていた黒い靄は、先ほどの魔術を受け、解けるように消えかけていたからである。それでも、鋭い眼光を崩さず、白亜の城の上にたつ、何者でもない女性を睨みつける。


 「お前は……だ————————」


 テオドラムは全てを言い終えることなく、空気に解けるように消えていく。しかし、ハイデマリーに扮した女性も、魔力が切れかけているのか、その場から動くことができず、その光景を眺めていることしかできなかった。


 残されたのは中途半端に復元された街並みと、そして、即死攻撃を受けた者のみが息を吹き返した現状であった。街にいた誰もが、唐突に訪れた静寂に放心し、そして、安堵の息を漏らす。

 たとえ、全てが救えなくとも、危機を乗り越えたことは確かであり、皆が胸を撫でおろすには十分すぎた。


 ————————刹那



 城下の街の中心地にて、再び、黒い靄が噴き出した————————



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