第16話 勇者の些細な願い



 荒れた呼吸を整えながら、パラドイン・オータムは戦闘により荒れ果てた大地に立つ。目の前には、天を仰ぎ見て大の字で倒れ伏しているルイス・ネセラウスがいる。もう、起源魔術も、何らかの復活手段も尽き果てているような様子であり、完全なる決着を意味していた。


 パラドは呼吸を整えなおすと、自分の周囲を自立浮遊している勇者の槍杖マルミアドワーズを掴み取り、ゆっくりとルイスに歩み寄る。そして、彼の喉元に槍先を向け、静かに口火を切った。


 「チェックメイトだ……。ルイス・ネセラウス伯爵」

 「この期に及んで、まだ慈悲をかけるとはな……。喋っている間に魔力も回復するぞ」

 「構わないさ……俺にお前を殺す意味はない」

 「————————なぜ?」


 単純な疑問をルイスはぶつける。自らの肉親を殺され、親友を殺され、仲間を殺されたパラドが復讐者として堕ちない理由がわからない。

 それよりもなぜ、未だに自分自身に対して、殺意のない視線を向けられるのかがわからなかった。率直に言って、「バカなのか」という疑問すら湧いてくる始末である。

 だが、そんなルイスの疑問を振り払うかのように、パラドは当然の如く、堂々と宣言する。


 「俺は“ワガママ”だからな……誰かを殺してハッピーエンドっていうのが好きじゃない」

 「その選択で、おれは再び、お前の首を取りに行くかもしれないぞ?」

 「やってみればいいさ……。その時、一番後悔するのは、お前自身だ————————」

 「甘すぎるな。おれが自軍に戻れば、すぐにでも戦場で再び会うことになる」

 「そりゃあ、無理だな」


 パラドは不敵な笑みを浮かべながらルイスの顔の横に槍を突き立てた。


 「言っただろう? 『チェックメイトだ』って……。お前の逃亡用の偽名、職業、後ろ盾、そいつら全部がもう既にない」

 「さて、そいつはどうかな……」

 「虚勢を張ろうとも無駄だ。お前は、俺なんかより、とんでもなく恐ろしい吸血鬼を敵にまわしてんだぞ」

 「まさか、“がめつい商売女ミセス・ヴェラルクス”か————————」


 ルイスの見立てでは、ミセスが利益の出ないこの争いには参加しない、と高を括っていた。だからこそ、敵対しない形で様子見程度に抑えていたのである。だが、蓋を開けてみれば、ミセスが『たった一人の友人』のために、財を投げ売ってこちらを潰しに来ている。

 どこで、彼女を見誤ったのだろうか……などと、強く打ち付けた頭で思考を巡らせる。すると、そんな感情を読み取り、パラドが答えを口にした。


 「お前の頭の中では、人間の思考が、『0』と『1』の単純なロジック感情で動いているんだろうけどな、実際はそうじゃない」


 パラドは思い出すかのように顔をしかめながら、自らの右手に巻かれた黒い聖骸布をさすった。


 「ヒトの感情ってのは単純じゃねぇんだ。時には、2つも3つも、相反する感情をぶつけて行動を決めようとする。だから、お前が想像している人形のような思考回路は持ち合わせていない」

 「わからない————————」

 「あぁ、永遠にわからないだろうな……。誰もが主人公で、誰もがこの世界の中心だ、って事実に気づくことすらできない神様気取りのお前には————————」


 会話が一度途切れる……

 その十数秒にも及ぶ静寂の中、戦闘を終えたパラドの元へ、重くなった四肢に鞭を打ちながらアリッサが歩み寄ってくる。息を切らしながら、金属バットのヘッド部分を地面に引きずりながら歩く彼女の表情には、確かにルイスに対する殺意が垣間見えた。


 だからこそ、ルイスは今度こそ終わりなのだと思い、一度瞳を閉じる。


 ————————しかし、いつまで立っても衝撃は訪れない。


 なぜならば、今にも食って掛かろうとするアリッサを、パラドが腕で制していたからである。


 「すまん……アリッサ……」

 「わかっているんですか? 先輩……」

 「それでも……だ……。それでも、俺は……」

 「————————納得は……できません……。でも、今は……先輩の意志を……尊重します……」


 そう言いながらアリッサは武器を強く握りしめ、振り上げた腕をゆっくりと降ろす。そして、空いた右手で腰のマジックポーチから一枚の手紙を取り出した。一度、封が切られており、誰かが先に読んだ跡のあるもの……。

 アリッサはそれに、自らの苛立ちをぶつけるかのように、倒れているルイスの胸元に投げて叩きつけた。そして、数歩、身を引いて後ろにさがり、限界を超えている体を岩に預けて休息を取り始める。


 その間に、残されたパラドは地面に突き立てたマルミアドワーズを回収し、自身もアリッサの横に腰かけて、ルイスが自分の力で立ち上がることを待つ。


 それは、ルイスにとって奇妙でならなかった————————


 ルイスは、まるで、こちらが再び刃を向けないことを確信しているかのような彼らの様子に目を疑う。そしてそれは、答えにならない疑念ばかりが連鎖的に噴出させた。

 だからこそ、その答えを探すために、押し付けられた開封済みの手紙を開く。中には、丁寧に書かれた可愛らしい字の便箋が入っていること以外は別段、おかしなことはない。


 ただ、手紙を封じていたシーリングスタンプがブリューナス王家のものである点と、書かれた文字の筆跡が第一王女ヒルデガルドのものに似通っていることを除けば、の話だが……




 男は手紙を読む————————




 その結果、男はそれ以上しゃべらなかった。気づけば男は、自らの腫れたまぶたを覆い隠すように、また、溢れ出る涙をこらえるように、右手で両目を覆い隠していた。


 そこに書かれている内容を、アリッサは知っている。

 

 本当に、偶然の産物ではあるが、自らの出生の謎を追うために、王城内の資料室を閲覧させてもらった際に、発見してしまったものだ。その時は、読んだ後にその場に戻したのだが、最近になってシュテファーニエに事実が露呈して、託されてしまう形になった。


 手紙の中身は、ヒルデガルド自らの心境を語ったもので、そのほとんどが彼女の仲間に向けたメッセージであった。だが、読む人が読めば、彼女自身がそれぞれにどんな感情を抱いていたのかはすぐにでもわかる。


 例えば、友情の中にある慕情……

 例えば、臆病の中にある好意……

 例えば、殺意の中にある恋慕……


 そのすべてが、彼女には見えていて、それでもなお、皆のことが大好きで……そして、この国が好きだ、という事実が書かれていた……。

 そして最後に綴られていたのは、たった一言だけ————————



 『どうか、みんな仲良く過ごしてください————————』



 そんな、些細な彼女の願いが込められていた。

 それを目にした瞬間に、ルイス・ネセラウスという人物は、武器を握ることができなかった。彼自身は、一般的な感傷に浸れるような人間ではない。常に、体と心を切り離して動かし、どんな時でも冷静に任務をこなせるような人材であった。

 それでも、彼はそれ以上の戦意を生み出すことができなかった————————


 闘う理由も、目的も、何もかもが失われ、縋った答えですらも崩れ去った……

 そこにいたのは、無力と成り果てた、ただの少年であったことは間違いない……



 その光景は見ていたアリッサは静かに、自らの奥底に渦巻き続ける怒りを強引に押し込めていく。そんなアリッサを見たパラドは、彼女の横に腰かけたまま、静かに口火を切った。


 「すまん……我慢させちまったな……」

 「謝らないでください、先輩……。たしかに、私は……フローラを殺したアイツを許すことができない……。でも、それ以上に、今の先輩の選択を裏切りたくはないんです」

 「それは……」


 アリッサは疑念をぶつけてこちらを見ているパラドの方に振り向き、不器用な笑みを浮かべる。


 「先輩は気づいていないかもしれませんが、今の先輩……以前よりもずっといい表情をしているんですよ」

 「————どういう意味だ?」


 パラドは自分の頬に触れて確かめてみる。だが、いつもとの違いはわからなかった。それをみて、アリッサはさらに、冗談っぽく笑って見せた。


 「もちろん、先輩が間違えているのなら正しますが……今回の場合は、そうじゃないですし、特に意見はいいません。それに、どのみち誰かが止めなければ、ただの報復合戦です。そうでしょう?」

 「————————ッ!! あぁ……たしかに、そうだな……。そりゃあ、本人が満足する以外は無意味だ……」


 パラドはアリッサの言葉に驚きつつも、すぐに表情を戻し、物腰柔らかく、吐息を漏らす。直後に訪れるのはしばしの静寂……。その最中で、二人は互いに目線を一度そらし、そして再び隣り合わせの状態に戻る。

 次に、その静寂を破ったのは、アリッサの弱々しい問いかけだった。


 「もしも……もしもの話です……。もしも、私が、誰かに殺されたら、先輩は……その人物を恨みますか? それとも、今回と同じように、何らかの手段で蘇らせることを選択しますか?」


 単純な疑問……。ただそれ故に、アリッサは、自分が、パラドイン・オータムという人物においてどんな位置付けにあたるのかを知りたかった。


 未だに護るべき後輩であれば、少しだけ悔しい。どうでもいいのはもっと嫌だ。願わくば、宣言通りに隣に立てていればそれで……

 

 そんな年相応の感情が、アリッサの中を逡巡する。そんな彼女の逡巡に、終止符を打つように、パラドは一度口を大きく開けて何かを言いかけては止める。そして、言い直すように、もう一度、自信なく言葉を口にした。


 「わからない……。でも、お前自身の意思を尊重すると思う……」

 「なんですかー、それ……。死んでいるのにわかるかけないじゃないですか……」

 「まぁ……だから……その……なんだ……。そうならないように俺がいるんじゃないか……」


 少しだけ照れ隠しをするかのように誤魔化すパラドを見て、アリッサはいたずらっぽく微笑み、そして鼻を鳴らした。


 「じゃあ、約束してください。私がもし、先輩の前から消えそうになったら、絶対に引きとめてください」

 「随分と曖昧な表現だな。『死なないように護ってください』とかじゃないのか?」

 「うーん……どちらかと言えば、私が護る側なのでそれはないかと……」

 「ヒデェな、おい……」

 「いいじゃないですか、別に……。まぁ、端的に言えば、『絶対に私を選んでください』ってことですよ」

 「それは……もしかして……告白してんのか?」

 「————————ッ!?」

 

 アリッサは、遅れてようやく、自分が口を滑らせてしまったという事実に気づく。もしかしたら、起源魔術の“暴走”を使用した反動で、思考能力が鈍っていたのかもしれないと、今更ながらに思いつつ、すぐに顔を逸らして否定するしか方法を取れなかった。


 「な、何言っているんですか。自意識過剰ですよ!!」

 「まぁ、そりゃあそうだよな……。お前は、そういうやつじゃないもんな」

 「え、あ、うん……そうですね……たぶん、そうです」


 拍子抜けするような返答をするアリッサにパラドは気づくことなく、普段通りに立ち上がり、ズボンについた泥を払いのけた。

 そして、アリッサを立ち上がらせるために、手を伸ばす。アリッサは多少戸惑いながらもその手を取り、パラドの力強い腕力で腕の中に収まることになった。


 「お前を一時的に駐屯地に送り届ける。そのあと、アイツと少し話がある」

 「————————へ? あ、ひゃい……」

 「大丈夫か?」

 「だ、だいじょうぶですよ、先輩……」

 「そうか、なら飛ばすぞ。支えがなくなったからって転ぶなよ」

 「え————————」


 アリッサが驚く間も与えず、パラドはアリッサを自軍の基地まで強制転移させる。瞬きすら許さない間にパラドの腕の中にアリッサはいなくなり、腕には彼女の温もりだけが残り続ける。パラドはそれを名残惜しく思いつつも、マルミアドワーズに再び手を伸ばし、柄を握り締め、前に進む。

 自分の答えに……この半生に決着をつけるために————————



 そして、二人の男の最後の喧嘩が始まった————————



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