第17話 誰かが始めた物語


 ブリューナス王国の大規模反転攻勢の結果、ネセラウス伯爵領に届けられていた戦時物資が喪失、そして補給線が途絶した。その防衛激戦の最中、ルイス・ネセラウス伯爵は死亡した。この結果、後を継ぐ指揮官がいなかったネセラウス伯爵軍は崩壊……その隙を突くように、南から北上してきたブリューナス王国軍により、挟み撃ちの形となり、戦場は包囲殲滅戦へと移行した。その殲滅戦は明後日で決着し、現在は、ブリューナス王国軍がネセラウス伯爵領を占領することとなった。


 ここまでが、戦時両国の公式的な見解である。


 本格的な冬を迎えたため、ブリューナス王国とエルドライヒ帝国は互いに手を止め、にらみ合う形で拮抗する。それは開戦時と同じであり、今も変わらない。

 ただ、ブリューナス王国はこの間に早期終戦に向けて和平交渉の打診を行い、エルドライヒ帝国はこれを形式上の受諾を行った。近々、そのための使者がブリューナス王国の首都リンデルに来賓する予定であった。



 あくまでも、『和平交渉が始まる』というだけであり、条件次第では、どちらかの国が拒否し、再び開戦にもつれ込むこともありうる。

 エルドライヒ帝国にとってしてみれば、自領が未だに敵国の占領下にあることが屈辱的であり、それを取り戻すために躍起になる。ブリューナス王国に関しても、この戦乱において少なくない犠牲を出している。それを何の賠償金もなしに終了させることはできない。


 もちろん、金銭で命が賄えるわけではない。それは、自らの仲間であるフローラを失った、ギルド『月のゆりかご』の面々も同じである。彼ら彼女らは、ギルドから政治的立場として発言することはないが、『このまま何もなしに占領地を手放して終わり』などという弱腰姿勢の外交には苦言を呈していた。



 その中でフローラと最も親しかったアリッサとキサラが暴走していないのは、単純に、アリッサの体調が万全でないこともあるのだが、第三王女であるシュテファーニエが頭を下げ、誠意を示したからである。


 それを聞き届けたアリッサは、無茶をし過ぎた自身の体を休ませるために、一次リンデルへと帰国。キサラもそれを追う形で戻ることとなる。そうして今現在は、用意された宿の一室で、アリッサは横になり、キサラは余念を払うかのように、勉学に勤しんでいた。



 横になった視界で、窓の外から見える景色は薄く積もっている雪景色ばかり……。普段ならば、多少なり気分も晴れるような天気ではあるのだが、部屋の空気はかなり重く、キサラとアリッサは互いに口を開こうとはしなかった。


 だからこそ、アリッサは晴れない気持ちを晴らすために、いつの間にか、口を開き、声にもならない声で嘆いてしまっていた。


 「もし、あの時……私が……」


 そのつぶやきを聞いてしまった同室のキサラは、勉学に勤しんでいたはずであるが、いつの間にかペンが止まっていた。


 「いいや、もっと前に……私が——————」


 何かが折れる音がした。

 アリッサがその物音に驚き、呟いている声を止め、上半身を起こしてそちらの方を見ると、机に突っ伏していたはずのキサラが、自らの持つペンを握力で握りつぶしていた。


 「アリッサ……本気でそう思っているんですか……」

 「キサラ……さん?」


 キサラはアリッサに背を向けたまま、ゆっくりとイスから立ち上がる。


 「本気でそう思っているのか、と聞いているのです?」

 「いったい、なんの話———————ッ!?」


 キサラは振り返るとほぼ同時に、未だに状況がつかめていないアリッサの方へ、床を強く踏みしめながら歩み寄り、そして、両肩を強く掴んだ。


 「今回のこと……全てあなたの責任だと……そう思っているのか、と聞いたのです」

 「それは……その……たぶんそうだと思う……」

 「では、シュテファーニエ様がわたしたちに頭を下げていた意味は?」

 「それは……総司令として果たすべき役割を果たしただけで……特に深い意味は……」


 キサラは奥歯を強く噛みしめ、両肩を掴んでいたアリッサをベッドの上に押し倒す。そして、馬乗りになり、困惑するアリッサを静かに見下ろした。起源魔術により、肉体と魔術回路を一時的に損傷しているアリッサは、それを振りほどくことなどできず、目線を逸らすことしかできなかった。


 「キサラさんだって……わかっているでしょ……。あの時私が、無茶をして魔力消費の激しい魔術を発動させなければ……。もっと前に、こんな戦争に、参戦するなんて言いださなければ……。もしも私が、みんなと出会わなければ————————」

 「アリッサ————————ッ!!」


 キサラの張り裂けるような怒号が静かな室内を埋め尽くす。それは、アリッサの声を遮り、ほんのわずかな静寂を生み出した。その静寂を破ったのは、少しだけ冷ややかに話しかけるキサラの澄んだ声だった。


 「こっちを見てください、アリッサ」

 「できないよ……」


 アリッサの中の何かがキサラと目線を合わせることを拒否する。目を合わせて、キサラと会話してしまえば、アリッサの中の後悔を、自分自身で勝手に許してしまう気がしたからである。

 全部自分のせいにして、『誰かのせいではない』とする方が、今のアリッサにとっては都合がよく、その方が、誰かを憎まずにいられるからである。

 だが、そんなちっぽけな抵抗もむなしく、キサラはアリッサの顎を片手で掴み、強引に自分の方へと顔を向けた。


 「こっちを見ろと言っているのが聞こえませんか?」

 「自覚はしてるんだよ……。これは、私が始めてしまった物語の結末だって……」


 未だに、目線だけを逸らし続けるアリッサに対し、キサラは短くため息を吐きつつも、真っ直ぐな瞳で、アリッサを見続ける。


 「たしかに、あなたの言う通り、あの時、魔力切れを起こさなければ、フローラが死ぬことはなかったのでしょうね」

 「ほうら、やっぱり……。だから、もう……危険なお遊びは終わりにしなきゃ……」

 「アリッサ……そんなことをしても、フローラは戻って来ません」

 「————————ッ!! わかってるよ……そんなこと……。過去をやり直すことなんてできないことぐらい……」

 「その通りです……。————————しかし、一つだけ気に入らないことがあります」


 キサラはアリッサに自らの顔を近づけ、強引にアリッサの薄桃色の瞳の中に自分を映り込ませる。アリッサが見えたその表情は、怒りに満ちていて……同時に、どこか優しさに溢れていた。


 「あなたは、いつから、わたしの人生ものがたりの主人公になったのですか」

 「————————ッ!?」


 その言葉に、アリッサは驚き、そして一時的に言葉を失ってしまう。キサラはそれを意に返さず、畳みかけるように会話を続けた。


 「あなたの物語は、確かにあなたの言動によって結末が導かれる。しかし、わたしの選択は、けっして、あなたの“行動の結果もの”ではありません」


 それは、アリッサにとって……いつの間にか、力をつけて、ありとあらゆることが自分で何とか出来るようになったが故に忘れていたこと……。

 この世界に生きている一人一人が、物語の主人公であるという事実……

 他の誰かの思惑によって、“自分の物語”が決定されるものではない……。だからこそ、アリッサと一緒にいるキサラの選択は、『アリッサがそう望んだから』などではなく、『キサラがそう望んだから』というものが真実である。

 そんな当たり前のことに、アリッサは気づくことができていなかった。


 「あの場に、あなたを助けるためにフローラが現れたのは、彼女の決断選択です。彼女がそう望み、それを成し得た。わたしやフローラが、あなたと共に戦ったことも、あなたの思惑によるものではありません。わたしたちが自分で選んだことです」


 いつの間にか、キサラの透き通るような濡羽色の瞳をのぞき込んでいたアリッサは、キサラがアリッサの顔から手を離しても、目線を逸らすことができなかった。そんなアリッサを見て、今度はキサラが悔しそうに顔を逸らした。


 「それに……責任というのであれば、わたしにもあります……。あの時、分断せずにあなたについていっていれば……。あのとき……作戦に異議を申し立てていれば……などと挙げたらきりがありません……」


 キサラは、俯いていた顔を上げ、再びアリッサに顔を近づけ、「だけれども」と続けた。


 「幸運なことに、わたしたちはまだ生きています……。まだ、終わってはいません。前を向くことも、歩くことも、戦うこともできる。だから、一人で悩むのは止めなさい……。辛いのならばいくらでも愚痴ぐらいは聞きます。怒りたいのなら喧嘩ぐらいやってみせます。泣き出したいのなら、ハンカチぐらいは差し出します……。それらを全て払いのけて、『自分だけ楽になろう』というのなら、わたしはあなたを殴らなければならない」


 アリッサはその言葉を聞き届け、少しだけ自嘲気味に笑う。


 「そっか……痛いのは……嫌だな……」

 「だったら、取るべき行動は一つではないですか……」

 「うん……ごめん……キサラさん……」


 キサラは、アリッサの体の上から自身の体をどけて、アリッサの横に彼女と同じように寝転がる。その動作で少しだけベッドが揺れ、アリッサとキサラの手がわずかに触れた。


 「そういう時は、『ありがとう』の方が適切ではないですか?」

 「そっか……じゃあ……ありがとう———————」

 「どういたしまして……。それで、次はどうするんですか?」


 キサラは、アリッサと同じように、何もない真っ白なタイル張りの天井を見つめ、静かに呟く。それを聞いてアリッサは少しだけ考え、そしてゆっくりと口を開く。


 「“過去に戻ることリセット”はできない。だってまだ……“私の物語の終わりゲームオーバー”じゃないから……。もちろん、いずれ、そうなるのかもしれないけどさ……」

 「栄えあるものにもいずれは衰え滅びゆく。これすなわち、『盛者必衰』なり……。そういえば、わたしの故郷でこれを花の色に例えた者がいましたね……。物事には必ず終わりがある……それを認めなければ、ありとあらゆることが立ち行かなる……そうですよね、アリッサ」

 「————うん……だから、どんなものであれ、私は“足掻いた結末エンディング”を目指したい。こんなところで、終わりには……したくない……」

 「だったら、言うべきことがあるのではないですか?」

 「うーんと……ごめんなさい?」

 「流石に怒りますよ?」


 アリッサは冗談交じりに「ごめんごめん」と平謝りをして、場を和ます。そして、一拍置いて、以前、キサラがアリッサに対して口にしたように……。そして、それよりも前に、アリッサとキサラに向けてフローラが口にしたように……。堂々と、そして凛とした態度で、挑みかかるように宣言した。


 「力を貸してほしい、キサラさん—————」


 たった一言……。天井に向けて放ったその言葉は、反芻するようにキサラの耳元へと届いていく。それを受け取ったキサラは、数秒の沈黙の後、静かに微笑むのであった————————




 しかし、この二人はまだ知らなかった……。彼女たちが本来持っていた“フローラという存在ブレーキ”の意味を————————


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