第9話 勇者クライム・ブリューナスⅡ


 クライムが立てた作戦は非常にシンプルであった。

 それは、クライムが件の魔女を相手取り、時間を稼ぐ。その間に、放棄された村々にある都市結界の魔術式を改変そして応用し、封印魔術式を作り上げる。最後に封印魔術にて、敵を永遠に目覚めないように捕縛する、というものであった。

 幸いにも従えているモンスターたちはリーゼルフォンド国に残る魔術師や兵士でも倒せないレベルではない。だからこそ、首領さえ抑えることができればどうとでもなる……。


 ただし、聖女ブロスティ・リーゼルフォンドを殺すことはできない。それは、生前からの彼女の強さでもある“再生力”のせいである。封印を選択したのも、彼女は頭を吹き飛ばそうとも元に戻るため意味がないという理由に他ならない。

 加えて、相手は『エーテルリアクター』という魔術を用いて、周囲から無尽蔵に魔力を吸収生成し続ける。本来であれば、モンスターになってしまうのだが、そもそもが怪物となっているため、そのデメリットは存在しない。


 だからこそ、この作戦は時間との勝負であり、クライムが疲弊し、敗北するまでの間に、他の者たちが魔術を完成させる必要がある。


 それを理解して、クライムは先日、彼女が現れた場所に逃げることなく姿をさらす。瞳を閉じ、剣を振るえば、彼を喰らおうと急降下してきた鳥の魔物の体が両断され、辺り一面に腐臭を漂わせる。


 ゆっくりと重いまぶたを開ければ、そこには、彼のかつての友人である、聖女ブロスティ・リーゼルフォンドがいつの間に現れ、こちらを冷ややかな目で眺めている。

 再戦までのインターバルは約24時間ほどであるが、こちらの魔力は十全に回復しきっており、対策などは考えうる限り行ってきた。夜の帳が差し込み、昼間より視認性は悪いが、煌々と輝く月明りに照らされ、二人の姿は影の輪郭がはっきりする程に見えている。


 クライムが剣を振るえば、刀身に反射した真っ赤に燃えるような光が包み込み、氷のように冷たい青色の彼女の持つ杖と相反する形で光輝く。その光は互いに引き寄せられるように近づいていき、互いに吸い寄せられるようにぶつかり合う。


 不意打ち染みたクライムの踏み込みに対し、魔女ブロスティは素手でその直剣を受け止めた。赤黒い血しぶきが舞い、相手の右腕の肘から下を切断し、クライムはさらに首を刈り取るために剣を横に振るう。だがこれは光の盾により彼女の真横で阻まれ、それ以上刃が進まない。

 そうこうしているうちに、彼女は右腕の再生を終わらせ、継ぎ目一つない綺麗な肌を取り戻していた。


 普通であれば、モンスター化した人間は理性を失い、魔術のほとんどが失われるはずである。だがしかし、目の前の魔女はそれが全くといいって言い程なく、むしろ、生前に苦手だった遠距離砲撃までも完璧にこなして来る。

 これではクライムの不利は明白であり、聖剣を用いて、相手の降り注ぐ光の槍を弾こうとも、徐々に生傷が増えていくばかりとなってしまう。そうして、最初の邂逅から数分経過したころには、元の地形は維持されておらず、周辺一帯は草木すら生えない荒地へと変わり果てていた。


 クライムは無事であるが、肩で息をしているため、あまりいい状態とは言えない。それを見かねたのか、魔女ブロスティは冷ややかな声で、表情を崩さないまま、彼を見据えた。


 「何故抗うのです……勇者よ……。貴方とて星の守護者——————。数多の命を管理する立場でありましょう」

 「やめろ……」

 「人に命を育む資格などありません。魔族に勇士を示す資格などありません。これらは取るに足らない保護すべき数少ない命として管理すべき存在ものです」

 「やめてくれ……」

 「勇者はそれらを刈り取り、輪廻を回すことで、星を安定させていく……。不確定な異物を排斥し、より星が生きながらえるよう、管理していくことが勇者たる役目ではないのですか?」

 「違うんだ……」

 「己の役目を忘れ、憎悪の連鎖を積み上げるときではありません……。愛を向ける矛先を間違えてはなりません、勇者———————」

 「その顔で……その声で……彼女と真逆のことを言わないでくれ!!」


 クライムは大地を蹴り上げて、疾駆する。途中、影の先兵に襲われようと、光の刃で一閃して薙ぎ払い、瞬く間に相手の懐に入り込む。そして、振り上げるように相手の胴体を逆袈裟に切り裂こうとした。だが、その瞬間に、青白い肌を持つ魔女がいつものような優しく、クライムに微笑みかけた。


 それは、酷く残酷であり、同時に生前の彼女の笑顔そのものだった。



 ふと、クライムは昔のことを思い出す————————

 それは、精神が壊れかけ、妖精国に引きずり込まれたときのことである。そのとき彼女は、引きずり込まれた自分を単身で追ってきた。そして、アッシュグレイの髪をなびかせ、燃える太陽のようなオレンジ色の瞳を輝かせながら、こちらを殴りつけ、クライムを現実に引き戻した。そのときの表情は涙こそあれ、優しく、彼の脳裏に焼き付くには十分すぎる程輝いていた。


 その面影を、目の前の魔女に重ねた瞬間、クライムの手が一瞬だけ緩み、その僅かな間に反撃を入れられ、チャンスを逃してしまう。



 そこから先は全てがその流れだった————————



 笑顔でなくとも、魔女のほんの少しの仕草に、彼女との思い出を重ねてしまう。旅の途中で料理を作ってもらったこと……。はじめは下手だった彼女の料理は次第に上達していった。最後には、彼女の料理と、美味しそうに食べるこちらを見て顔色を伺っている彼女の顔が浮かんでしまう。


 魔術を発動させるときの表情もそうだ。少しだけ凛々しい顔をしながら、彼の隣に立ち、一歩も退かずに敵と渡り合う。背中を預ければこれ以上ない程、信頼できる人物はいなかっただろう。


 あの夕焼け空の下。既に動かなくなった友人の手を取り、泣きじゃくる彼女の姿は年相応であり、同時に、自分が人間であるという自覚を取り戻させるくれる。




 いつだってそうだ————————



 彼女の喜怒哀楽により、クライムは人間でいられた。数多の命を殺し、数多の敵を退け、与えられた運命を嘆きながらも、彼女の「お前はあたしにとって、ただのクライムだ」という言葉に救われ続けた。

 自分が星を維持するための歯車だと知らされたときも、同じ言葉を叫び、自らの力を持ってそれを押し付ける敵を退けてみせた。



 クライムにとって、ブロスティ・リーゼルフォンドは紛れもなく太陽だった—————



 それを追い求め、抱きしめ、近づけることで、凍てついた心が解けていった。だからこそ、自らの思いの丈を告白し、首を横に振られたときは胸の奥が痛かった。それでも、彼女が幸せでいるのならば、と、旅路に出たその後姿を応援した。



 その結果がこれである————————



 クライムが剣を振るい、止めなくてはならない程、変わり果て、ただの怪物モンスターとなってしまった。

 彼女と対峙し、攻撃を受け止め、自らも剣を振るい、攻防を繰り返すたびに、心が壊れていくような感覚がする。

 もしもあの時、強引にでも引き留めていればと後悔ばかりが、剣に乗り、疲労と共に徐々に動きを鈍らせていく。そうして増えていく生傷は彼の限界を告げ始め、いつしか、膝を折り、大地に剣を突き立てて、動くことを拒否してしまった。



 頬に汗と血が伝い、息をすればまともに呼吸ができないほど肺が酸素を取り込もうとしない。



 ようやく動いた体で顔だけを上に上げれば、こちらに光りの槍を撃ちこむために魔術式を組み上げている聖女が見えた。彼女はもう戻ってこないとわかってはいるのだが、それでも、奇跡が起きて、彼女の意識が表層に出てくることを願ってしまう。


 「愚かな選択をしましたね……。その身に不滅の呪いを魔王より受け、生きながらえているのにも関わらず、個々人の感情をとるなんて……」

 「個々人の感情を取って何が悪い……。たとえ世界が敵になろうとも、俺は……」

 「それは、本心ではないのでしょう、勇者よ……。貴方の剣から伝わるのは遺恨ばかり……。それを隠し、剣を振るい続ける理由がどこにあるというのです」

 「違う————————ッ!!」

 「なにも違いません……。本当の貴方は、自らの生の終焉を願っています。何か大切なものを失ってしまったのでしょうね……。それは、愛する人か、それとも心の拠り所か、はたまたその両方か……。いずれにしても、私にそれらを作り上げることはできません」

 「ふざけるな! そんなことをしても———————」

 「その通りです、勇者。そんなことをしても、それはただの人形であり、そこに心は宿らないのです。そのような愛なきヒトなど無価値に等しい……。ならばどうするのですか、勇者———————」


 そう言いながら魔女はクライムに対して微笑みながら手を伸ばした。


 「私ならば、その不滅の呪いを喰い破り、その生に終わりをもたらすことができます。次の命を持った時、貴方が幸福であることを願うしかありませんが、少しぐらいの助力はさせてください」

 「それ……は……」

 「長きに渡る勇者としての務めは大変だったでしょう。ヒトでありながら、心を壊すことなく、役目を終えた貴方に最大限の賛辞と祝福を贈ります」

 「お前に……何がわかる……」

 「記録として、この体が憶えているのです……。貴方が苦節の末、前に進み続けたことを全て憶えているのです……。だからこそ、私は貴方に“愛”を贈りたい」


 彼女を見つめれば、いつものようなアッシュグレイの長い髪が戦場の風になびき、燃える太陽のようなオレンジ色の瞳が、傷ついた自分を映し出す。

 その瞬間、もう一度、生前の彼女の姿を魔女に重ねてしまった。



 きっと、手を取って、まぶたを閉じることは正しい選択なのだろう———————

 それほどまでに、彼の心はひび割れ、足は動こうとしていなかった。それは終わりのない闇の中で動き続けてきたが故の結末だったのだろう。

 灯りすら見えない暗闇の中、ただ一つの温もりを握り締めて、必死で歩き続けてきた、青年の最後の人としての在り方……。


 おそらく、この機会を逃せば永遠に訪れることない運命の分岐点。


 その帰路に立ち、クライムという青年は、『もう、苦しむことがないのなら』とまぶたを閉じ、そっと剣を手放し、耳を塞ぎ、燃やしていた心の火を沈め、静かに魔女へと手を伸ばした——————



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