第5話 リタの旅路の1ページ


 リタはこの三年間で思い入れがある我が家で出立の準備を整える。

 ここに来た頃に来ていた服は既にボロボロであり、着られる状態ではない。腰のマジックポーチに一応の予備は何故か用意されていたが、わざわざ目立つ必要もないため、袖を通す気にはなれなかった。

 武器に関しても、メンテナンスフリーというわけにはいかず、用意されていた武器のほとんどが破損し、使用不可の状態になっている。それらを一応、村の鍛冶師に見せてはみたが、首を横に振るばかりで修理が不可能であった。この場所には、それらを加工する技術や設備が揃っていないことが主な要因なのだろう。

 したがって、リタの武器となっているのは、街の鍛冶師に作ってもらった無骨な片刃の直剣だった。これでも、高位のモンスターの牙をそのまま流用しているため、性能は申し分ない。だが、魔石を加工して武器と接合及び調和させる宝石加工師がいないため、新たに魔石に複雑な術式を組むこともできず、壊れた武器の魔石を致し方なく流用したが故に、その性能が十全に発揮されているとは言い難い。


 だが、そうだとしても、今までリタの命を繋ぎとめてきたのはこの武器だ。それをリタはないがしろにすることなく、大切そうに一度抱きしめると、忘れないように枕元の壁に立てかける。


 そうして準備を整えていると、狭い一戸建てのリタの小屋の扉を誰かが叩く。リタがそれに気づいて玄関の方まで駆け寄り、扉を開けると、見知った顔がそこにはいた。それは三年前、自分をここに招き入れた、グリーゼという小さな賢者だった……


 「どうしたの? こんな時間に……」

 「少しだけお話をしてもよろしいでしょうか」

 「いいよ。折角だし、外で話そっか……」


 リタはグリーゼの提案を受け入れ、彼女の背後に輝く満天の星空を見ながら語りかける。グリーゼはそれに対し、静かに首を縦に振り、リタと並んで歩くようにゆっくりと足を動かした。


 「リタさんは……あとどれぐらいここにいるのでしょうか……」


 道中、歩きながら先に口火を切りなおしたグリーゼは少しだけ寂しそうな表情を浮かべてはいるが、リタの方を見ようとはしなかった。

 単純な疑問だったのかもしれないが、流浪の民であるリタにとって、残されている時間は限られているが故、的を射ているものでもあった。

 リタはそんな素朴な疑問に、一度は目を見開いて驚きつつも、すぐに表情を緩め、細く微笑んだ。


 「さぁ……実のところ、決めてはいなかった……。でも、そろそろなんじゃないかって気もする」

 「やはり……そうですよね。いつまでも貴女の助けを借りられるというほうがおかしな話というモノです。ここは、貴女の旅路の途中に過ぎないことぐらい、自覚はしていました」

 「旅路の途中……か……。思えば三年……随分と長居し過ぎた気もする……」

 「理解はしていましたが、貴女の善意に縋り、利用し続けることしかできなかったワタシたちの弱さは、もう言い訳にしかできませんね」

 「そうだね……。昼間の会議の感じからいって、『この国はもう大丈夫だ』って心の底から確信した」


 リタは皆に啖呵を切ったグリーゼを思い出しつつ苦笑いを浮かべる。この三年で街は発展を遂げ、国となり、周囲が復興し、人口も増えた。この分ならば、問題なく、ここで生活し続けることもできるだろう。


 「その言い訳を前提に貴女に再度尋ねたいのです。もしよろしければ、この国の民となってはいただけないでしょうか……」


 藁にもすがるような表情でグリーゼはリタの薄桃色の瞳を凝視する。その表情は、不安と葛藤が入り混じったような不思議な顔であり、リタにはその奥底の考え全てを読み解くことはできなかった。

 だからといって、リタはそれを聞き返すことはしない。追及してしまえば、戻れないところまで足を踏み入れてしまう……そんな予感がしたからだ。


 故に、リタは首を横に振った————————



 「ごめん……。それはできない——————」

 「そう……ですよね。いつまでも貴女に頼ろう、だなんて、おこがましいにもほどがありますよね」

 「私は私の意志でここにいるから、そんな仰々しさはいらないけどさ……。ずっと一緒に、っていうのはたぶん無理……どこかしらのタイミングで、私はこの国を出なきゃいけないから」

 「それは、以前話してくれた、自分のルーツを確かめに行く、というモノですか」


 リタはグリーゼの質問に対して、無言で頷いた。自分が何者で、どこから来て、どこへ行けばいいのか……未だに暗雲の中にいるようで苦しい日々だった。

 もしも、グリーゼの提案を受け、ここに留まることを選択したのならば、どんなに楽だったのだろうかとリタは想像する。でも、それはリタの中にいる誰かが強く否定し、頑なに拒み続ける。

 だからこそ、こちらを見つめるグリーゼの表情が心に突き刺さり、とても痛かった。しかし、グリーゼはそれを察したのかリタと目線を合わせることを中断し、もう一度、満天の星空の方へと視線を移してくれた。

 そして、数秒間の沈黙ののち、再び口火を切り直す。


 「ワタシは医学が専門ではないため詳しいことは言えませんが、状況証拠だけを並べるのならば、いくつかたどり着いた推論があります」

 「それは、私について?」

 「そうです。以前、ワタシはあなたを信頼できず、何者であるのかを調査しました」

 「答えは————————」

 「結論から言えば何も出てきませんでした————————。それこそ、目撃情報から始まり、風の噂まで全てにおいて……」


 グリーゼは夜空に右手を掲げ何かを指さす。その瞬間、何かの因果であるかのように、一粒の煌めきが夜空を駆けた。


 「まさに、流れ星アレと同じですよ。あの場、あの時に、唐突に我々の前に現れた————————。そう、結論付けるしかありませんでした」

 「それがグリーゼのたどり着いた推論?」

 「いいえ、この話にはまだ続きがあるんです」


 そう言って賢者は掲げていた右腕を降ろし、数歩だけ前に進んで、お腹に負担をかけないように、大きな石にゆっくりと腰かけた。

 リタは数拍遅れて歩き出し、彼女の前に立ち、続きを促した。


 「最初に出会ったとき、貴女は多少なりの衣服の汚れこそありましたが、全体的に見て、怪我をしている様子はありませんでした」

 「確かに、怪我はしてなかったね。でも、それがヒントになるの?」


 グリーゼは眉間にしわを寄せているリタに対し、「えぇ、とても」と微笑みながら肯定してみせた。


 「頭部に怪我は見られず、精神的障害を負っていたような印象は見られませんでした。加えて、当時の貴女の装備の充足率から行って、入念に準備されていることが明白でした。だからこそ、最初は貴女を疑ってかかるしかありませんでした」

 「けど、そうじゃないことが分かった今は違うってこと?」

 「えぇ……。しかし、当時の貴女の服装はとても奇抜でしたから、この周辺の派閥ではないことは明白です。だからこそ、ワタシは貴女を流れ星に例え、一つの仮定をたてました」

 「それは?」


 グリーゼは考え込むように、自らの癖を出し、右眼のまぶたの少し上を数回叩く。


 「『渡り人』と呼ばれるような別の世界や、別の時空、別の時間軸からここに来た可能性。そして、それを差し向けた人物からにじみ出るあなたに対する善意……といった方がいいのでしょうか。この世界でも順応できるように意図的に準備していたという仮説です」


 グリーゼの頭脳は軍を抜いている—————

 それはリタが遠く及ぼなないほどであり、彼女がこの地域を復興させた立役者となり得る器を最初から持っていたことに他ならない。恐らく、この弱肉強食の魔術至上主義の世の中でなかったのなら、賢者として、かの帝国に崇められていたのはまず間違いなく彼女の方とリタは確信する。

 何度か、ここに同じように賢者を名乗る人物が訪れることはあったのだが、皆、魔術が突出して上手であること以外にこれと言って評価すべきところはなく、リタは彼ら彼女らを『ただ魔術が上手な人』と揶揄したほどであった。

 だからこそ、当事者であるリタですら辿り着けなかった答えに手をかけたグリーゼはまさに“異常”としか言い表す言葉がない。


 「たしかに、私が目覚めたとき、ここではない場所……それこそ、人間がほとんどいないような奇妙な場所だった。モンスターというか、どちらかといえば妖精に近いような奴らがたくさんいて……」

 「少し歩くたびに、景色が一変した……で、間違いはありませんか?」

 「————————ッ!!」


 グリーゼがその世界の特徴を言い当てたことで、リタのグリーゼに対する評価は一変する。驚きよりも、目の前の賢者に対する畏怖が入ってくる。そして、これこそが、かの帝国が彼女を追いだした理由なのではないかと変な予想すらも頭を過り始めた。


 「やはり、貴女の記憶の最初の地点は“妖精の住まう場所アヴァロン”でしたか……。だとすれば、渡り人という仮説は証明されたものですね。あとは、それよりも前についてですが……」

 「ちょっとまって……もう少し詳しく……」

 「あぁ、すみません。簡潔に説明をするのならば、この世界には神代の妖精たちが暮らす隣接する時空のようなものがあるんですが、そこは、時間と空間が不連続であるが故に、貴女のように迷い込んでしまうと、別の時間軸に出てしまう可能性があるんです。もちろん、実証された形跡はありませんが———————」

 「じゃあ、私が第一号?」

 「あくまでも可能性の話です。元より、貴女が妖精の類であるのならば前提が覆ります。けれども、もしそうでないのだとしたら……」

 「そうでないのだとしたら?」


 顔をしかめながら言葉を濁したグリーゼに、リタは問いかける。彼女ならば、自分の辿りつけなかった答えにたどり着けることを期待して———————


 「貴女の持っていた武器や防具を考慮すると、何らかの意図をもって“妖精の住まう場所アヴァロン”に送り込まれたというのが一番しっくりくるんです」

 「それは何故?」

 「先ほども言った通り、怪我や装備の充足度です。突発的な事故であるのならば、もっと怪我や武器の損失が顕著であったはずです。もし仮に、食料や衣類がそっくりそのままカバンの中にでも入っていたという証拠があるのならば、それはまず間違いなく、答えを指し示しています」


 リタは思わず、自分のマジックポーチを確かめる。確かに目が覚めたとき、カバンの中身は異様に整理整頓されており、まるで『今から旅路が始まる』というような状況だったことを今更ながら自覚させられる。


 「答えはどうですか、リタさん……」

 「————————たしかに、カバンの中身は一切手を付けられていなかった……」

 「そうですか……ならば、答えは決まりましたね……」


 グリーゼは一呼吸おいて、目を逸らすことなく真っ直ぐにリタを見つめ直す。そして、満天の星空が降る街の中で賢者は静かに推論を語りだす。


 「リタさん……貴女は意図的に記憶を奪われています。魔術を使用したことは明白でしょうが、その理由は間違いなく“善意”です」

 「記憶を消すことが善意?」

 「えぇ、“善意”ですよ。おそらくは、何らかの悲劇があなたに訪れた。そこから一時的にでも精神を安定させるために、意図的に記憶を奪ったと考える方が自然なんですよ。流刑や落ち延びた人に行う措置ではないことは状況証拠が物語っていますから」

 「それじゃあ、私は————————ッ!!」

 「———————そうです。それを取り戻すということは、貴女にとって辛い選択である可能性が高いです」


 リタは少しだけ後退りして考える。最初のグリーゼの提案を受け入れれば、永遠にこの記憶に蓋をして、楽に生きられる。そんな選択肢ばかりが頭を逡巡しだす。

 だが、リタはそれらの考えを、首を強く横に振って、全て払いのけた。


 「それでも、私は————————ッ!!」

 「わかっています。だから、これ以上、貴女を引き留めることはしません」


 グリーゼは『ですが』と否定的に続けながら、腰を下ろしていた大きな石から立ち上がり、もう一度リタに向き直り、握手をしようと右手を差し出した。


 「我儘なことは承知ですが、せめて、彼が……クライムが……友人を助ける手助けだけはしていただけないでしょうか」


 リタはその手を見て少しだけ悩む。そして、今すぐにでも走り出したい逸る気持ちを抑え、グリーゼの手を恐る恐る握った。


 「わかった————————。あなたと出会えて本当に良かった」

 「それは我々も同じです、リタさん————」


 しばらく握手を交わした後、二人は手を離し、互いに微笑みながら友情を確かめ合う。


 「戻ってきたら、貴女の新たな出立の手伝いをします。“妖精の住まう場所アヴァロン”への転移術式構成は初めてですが、必ずあなたを導いてみせます」

 「私を送り出した人に会えるんですか?」

 「えぇ……貴女を送り出した人は容易周到だったはずです。だから、必ず、貴女の所持品の中に、あの不連続空間で迷わないための“えにし”があるはずです。それを手繰り寄せれば、必ず会うことができるでしょう」

 「そっか……よかった……」


 リタは感極まって、思わず両手で顔を覆いながら涙を流してしまう。それは、不安の影の一部が取り除かれたが故だったのか、それとも、リタの中に眠る誰かの叫び声だったのかは、今の彼女にはわからなかった。涙を服の裾で拭おうとしてもそれは止まらず、溢れ出す。


 「貴女を送り出した人に会うためにも、まずは戻ってくることです」

 「わかってる……わかってるよ……」

 「今まで、こちらを助けていただいた分を返す時間が来ただけです。貴女を送り出した人と同じように、ここを去るときは、最大限の感謝と、貴女が旅路で困らないように準備をします。楽しみにしてください」


 しゃがみ込んで顔を覆うように泣きじゃくるリタの頭を、微笑みながらグリーゼは優しく撫でる。

 それは、リタという少女の旅路の一ページ———————

 長い長い休暇であると同時に、これから幕が閉じる最後の一節を始まる予兆だった。



 その一ページには、沢山の思い出と共に、小さな国で過ごした三年の月日が、隙間なくびっしりと書き殴られていた————————



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る