第6話 聖女ブロスティ・リーゼルフォンドⅠ
クライムと共に出発してから約3日……。早馬を走らせてようやく、リーゼルフォンド国にたどり着く。その時のリーゼルフォンド国の周辺地域の惨状は酷いものだった。
目的地に近づくにつれ、理解できる程の異臭————————
それは、魔族の遺体だけではなく、動植物がモンスター化した後に討伐された死体、そして、それらと闘った人族の遺体がそのまま土に埋もれるように放置されていた。
途中で立ち寄ろうとした村々に人影はなく、荷物が持ち去られていることから、どこかしらに避難したことが伺える。
それらに目を向けることなく、突き進めば、頑強な城壁で取り囲まれている一つの街があった。遠目から見て、結界機能は未だに維持されているようであるが、城壁などに破壊痕が残っていることから、万全の状態であるとは言い難いように思える。
たどり着いた城門では、疲弊した兵士が壁にもたれ掛かるように、休憩を兼ねながら次なる襲撃を待っていた。リタとクライムはその人物たちに、自分たちが他国の使者であることと、受け取った手紙を見せ、城内へと案内されるが、その中には更なる地獄が待ち受けていた。
怪我をしているにもかかわらず、路上で横たわることしかできない兵士たち……。装備の充足率が低いのか、それとも、急遽徴兵されたせいなのか、明らかに武器や防具類が粗末な人たちが多い。
家屋に関しても、治安が急激に悪化しているせいもあり、閉め切っている家が多く、皆どこかに怯えた様子でこちらを見ている。
ただ、こちらを憎んでいるようには見えないことから、おそらく、憎悪の対象はモンスターや彼らを率いている謎の統率者なのだろう。
そんなことをリタは考えつつ、街の中央に位置する小さな屋敷へと案内される。この環境下で屋敷を建てられたのは、おそらく、未だに崩壊していない強固な都市結界のおかげ……つまりは聖女ブロスティ・リーゼルフォンドの活躍であるのだが、皆がそれを称えているようには見えない。
中に入るとそこは意外にも簡素な作りであり、調度品の類は少なく、どちらかといえば今は物資の緊急的な貯蔵庫のように、木箱がいくつも見られたが、そのどれもが空であり、状況の悪さを物語っていた。
おそらく、あと数日遅ければ、既にここに街は存在していなかっただろう。
◆◆
リタとクライムは屋敷の応接室に通され、領主が現れるのを待つ。自分たちが座っているソファが以外にも上質な布で出来ていることに驚きつつも、二人はこの街の現状について情報を共有し合う。
「あまりいい状態とは言えないようだ……。俺も驚いたけど、今まで持ちこたえていた方が奇跡に見える」
「相手はやっぱり手紙に合った通り、モンスターを操る謎の侵略者?」
「そこは疑っても仕方ないと思う……。ただ、友人の頼みだ。このまま無碍にするわけにはいかないだろう」
「ブロスティ・リーゼルフォンド……私はあったことないけどどういう人物なの?」
「そうだなぁ……」
クライムは少しだけ考えるように顎に手を当てつつ、俯く。そして、ポツリと、心情を吐露し始めた。
「一言で言えば、責任感が強い女の子だったよ」
「まぁ、終戦後の大地を歩き回ったって聞いたからそうなんだろうけどさ……。それだけ?」
「他を言えば信じてくれるかい?」
「内容によるかな」
「じゃあ、少しだけ……。彼女は聖女とは言われているけど、戦い方はそれに似つかわしくないほど暴力的で、言動もそれに近かった」
「例えばどんな感じなの?」
「力任せに武器で殴りつけたり、まぁ色々……。魔術の才能に関して言えば、至近距離でなら秀ででいたよ」
「それって、細かい制御が苦手とか?」
「そういうんじゃないかな。座標指定して発動させたり、撃ち出したりするのが苦手なだけで、至近距離で行使する魔術に関しては誰もが息を飲むような繊細さを持ち合わせていたよ」
「なるほどねぇ……じゃあ、性格は?」
「出会った頃から、道を違えるまで、ずっと……義理堅く、誰に対しても平等で、そして意地っ張り……。でも、時折見せる涙や笑顔がとても魅力的でね……」
嬉しそうに語るクライムを見て、リタは彼がブロスティ・リーゼルフォンドに対して、淡い恋心を抱いていたのだということを理解した。ただそれは、今もそうであるとは言い難く、どちらかといえば、過去を懐かしむ哀愁のようにも感じられた。
だからこそ、リタは、あえてそれに口を挟まず、別の表現を使用した。
「いい“仲間”だったんですね。彼女は————————」
「あぁ……とても心強い存在だったよ……。彼女がいなければ、俺はきっと、途中で何もかもを投げ出していたのかもしれない」
「だったら、絶対に、この街を救わなきゃいけないね。恩返しの意味も込めて」
「あぁ、わかっているとも……」
そんな会話をしながら、二人が盛り上がっていると、ノックもなく唐突に部屋の扉が開かれたため、二人は驚きながらもすぐに姿勢を正すことになった。中に入ってきたのは、こんな環境ながらも汚れ一つない衣服を身に纏っているキャロットオレンジの髪を持つ若い男性。そして、銀色の長い髪をなびかせながら堂々とした態度でリタたちの前の席に腰かけたトパーズ色の瞳を持つ幼い容姿の女性であった。
その女性は凛とした態度を保ったまま、少し帯びたように隣にいる若い男性の手を握りながら口火を切る。
「この度は我が国にお越しいただきありがとうございます。勇者クライム様……。わたくしはこの国の代表……聖女ブロスティ・リーゼルフォンドです」
刹那————————
クライムが目を見開きながら立ちあがり、それに怯えた様子で俯いている女性を冷ややかな瞳で凝視し始める。鋭い黄金の瞳はまるで獅子のようであり、隣にいた男性すらも口元を震わせているように見えた。
「もう一度、名乗れ……。俺の聞き間違いだったのかもしれない……」
「わたくしは……わたくし……が……ブロスティ・リーゼルフォンド……です」
「その名は彼女から賜ったものか? それとも、自らそう名乗っているだけか?」
「ちょっと、クライム……。どういうこと? そんな高圧的な態度だと怯えちゃうから……」
「リタ……これは重要な問題なんだ……。今、目の前にいる女は、あろうことか俺の仲間であったローティの名を騙った……」
「え————————ッ!?」
リタはクライムの言葉に驚きつつ、怯えている聖女の方を見る。彼女は、わざとらしく目線を逸らすのみであり、弁明を口にしようとはしない。この態度から言うのであれば、名を受け継いだ【2世】という肩書を名乗ったという線は消え失せる。
そうした場合、残された可能性としては、彼女が何らかの悪意的な理由でそれを騙っているという線しか残されていない。
「答えろ。この国の代表者……お前は何者だ……」
「それ……は……。わたくしは……その……」
「何故、その名を騙る。本物の彼女はどこだ? お前の容姿程度で、欺けると思ったのか?」
「違います……騙すつもりは……。わたくしは……この国の為に……」
「言い残すことはそれが全てだな。どんな理由であれ、ローティを侮辱するような真似は———————」
「クライム————————ッ!!」
クライムが怒りに身を任せて右手に持っていた剣の鞘を引き抜きかけたところで、リタが声を張り上げてそれを制した。たった四人しかいない室内は、その一喝によりしばし静まり返る。
リタはそれを確認してから立ち上がり、クライムに一度座ることを促したが、彼は首を横に振って拒否したため、リタもすぐに動けるように立ちながら話を続けた。
「まずは経緯を話してもらえないかな……。何故、彼に助けを求めたのか……。何故、あなたが聖女を名乗っているのか……」
リタの落ち着いた声により、張り詰めた空気はほんのわずかに解けるが、それでも一触即発の空気は維持されたままであった。それを嫌ったのか、聖女を騙った女性の隣にいた男性が立ち上がり、そして、ソファの横に移動して、頭を床に押し付けるようにして静かに懇願を始めた。
「どうかお許しください勇者様……。どうか彼女だけは……」
「私は謝罪が聞きたいわけじゃない。経緯を聞きたいんだけど、言葉は通じるかな?」
「それは————————ッ!! わたくしのほうから……お話します……」
聖女を騙った人物は両こぶしを固く握りしめ、恐怖に耐え忍び、両目に涙を浮かべながらも小さな声で語りだす。
「我々は元々……聖女様に賛同し、ここに移り住んだ流浪の民でした……。聖女様は……誰に対しても平等で、全てを受け入れ、ここに拠点を建て、皆から距離を置いて過ごしておいででした……。それを父が……」
「お前は、その名を騙った理由を、肉親の罪と言うのか……」
「滅相もございません……。ただ、事実として、父がその名を利用し……わたくしに、その名を騙るように……」
「———————で、あなたはそれを受け入れて、晴れて聖女サマってわけね。拒否はしなかったの?」
「———————したんですッ!! ……でも、いつも大事な時になると記憶が曖昧で……」
力なく俯く聖女を騙った女性を庇うように、隣で謝罪していた男性が地面に頭を擦り付けたまま、声を荒らげる。
「彼女は、洗脳の呪術具を使われていたんです!! だから、彼女はむしろ被害者で!」
「——————だから……なに? でも、今は、そうじゃないでしょ? だったら、最初にあなたたちはそれを話すべきじゃなかったの? わざわざそうせずに、クライムの友人である聖女を名乗ったのは、『彼女を騙れば勇者クライムに助けてもらえる』っていう腐りきった性根がそうさせたんじゃないの?」
「それは————————」
リタは冷ややかな目で、何も言い返せずに俯く情勢を凝視しながら、クライムに顔を向けて、もう一度、落ち着いて話をするために、彼に座るように促した。
クライムは少し悔しそうにしながらもリタの意見を聞き入れて、リタと共にもう一度ソファに腰かけた。
「お話の続きをしましょうか……。それで、騙されて可哀そうなあなたの父親はどうしたのかな? こんな立派なお屋敷を建てたんだから、さぞ裕福な暮らしをしていたんでしょう?」
「リタ————————っ」
リタの相手を煽るような言葉遣いを不快に思えたのか、今度はクライムが声を張り上げてリタの言動を制した。リタは自分が言い過ぎたことを認めて、次の言葉を噤んだ。
「父は……つい先日……死にました……。滅ぼされかけたこの街を見捨てて……荷物を抱えて飛び出した道中で……」
「そうか、それで、キミに対する洗脳が解けたわけか……。その事実は公表したのか?」
「もちろん!! ————————ですが……ダメだったんです……」
重圧に押しつぶされてきた小さな少女は、限界を迎えた感情を解き放つように、荒々しい口調をしたまま訴えかけるように叫ぶ。
「魔術の元となった魔石を破壊しても! 誰かに真実を口にしても! 皆、わたくしが“聖女”だと主張するんです! わたくしは、そのような大それたことはできないのに!! ほんの少しだけ回復魔術を使えるだけの……それだけの……。……っ。……それだけなのに……」
顔を覆い隠してなく少女に対し、クライムは同情の眼差しを向け始めていた。だが、リタは表情を崩さないまま、冷ややかに対応した。
「だから、勇者に手紙を出して助けてもらおってわけ……少し、虫が良すぎない? 泣けば許してもらえると? 泣けば助けてもらえると? そんな甘い考えで聞き入れてもらえると思ったの?」
「わかっています……。でも、わたくしにはどうすることも……」
「はぁ……。これじゃ何にも進展なし……。クライムはどうする?」
「俺は……そうだな……」
クライムは悩むような素振りを見せながらバツが悪そうに目線を逸らした。おそらく、彼は今、自分の中にある彼女らに対する怒りと、助けたいという優しさがせめぎ合い、葛藤しているのだということがリタにも感じ取れた。
だからこそ、リタは頭を一度かきむしり、ため息を吐きながらも、目線を逸らすことなく、聖女の名を騙った女性を視界にとらえ続けた。
「ねぇ、あなた……本当の名前はなんていうの?」
「————————エルミナ……です……」
「じゃあ、エルミナさん……。あなたはこれからどうするつもりなの?」
「わかりません……。しかし、わたくしが皆から聖女と言われるのであれば……たとえそれが虚像だとしても……せめて、本物が戻るまでここを見捨てるわけには……いきません……」
絞り出すようなエルミナの声をリタは聞き届けつつ、隣にいるクライムの方に向き直る。
「ねぇ、クライム……彼女を許せない?」
「そうだな……。彼女の成し遂げたことを奪うような真似をした連中は滅ぼされるべきだと思うさ……」
「ふーん……。じゃあ、本物の聖女様ならどうする?」
「それは————————」
言葉に詰まったクライムに追い打ちをかけるように、リタは半笑いを浮かべながら、わざとらしく「そういえば」と続けた。
「三日前のことだから、よく思い出せないんだけど……私たちをここによこした賢者グリーゼはなんて言ったっけ?」
「————————そうだな……全くもってその通りだ……。すまないリタ……彼女に教えられた大切なことを忘れるところだった」
「どういたしまして……。それで、我らが勇者様の結論は出た?」
「あぁ……ようやくな……」
クライムはリタに対して自身気に頷き、そして、未だに俯いているエルミナの方へと向き直る。その表情に迷いは一切なく、伝奇で登場するような『勇者』そのものだった————
「エルミナ……。我々、ブリューナス国は友を見捨てない。それは、わが友が作り上げたこの国……そして、貴公含めてだ……」
「だが———————」とクライムは続け、歓喜と謝罪を織り交ぜたようにゆっくりと顔を上げたエルミナをその場に留まらせる。
「ローティの教えを違えると言うのであれば話は別だ。彼女が作り上げたものを『二世』として、語り継ぐのであれば、今回の行いを水に流そう」
「わかっています……元より、聖女様から授かった教えを無碍にすることなどありません」
「ならば良し……。しかし、そうなると、一つ疑問が湧く……。肝心のローティの行方はどうなった?」
クライムの言葉に対し、エルミナは少し戸惑いつつも、先ほどと同じように申し訳なさそうにしながら言葉を紡いだ。
「記憶が曖昧なため、断片的で申し訳ありませんが……。このような事態になる数か月前、父が、『増えた魔物の対処をする』といって、街の外に出歩たことを憶えています。父は、聖女様のような大魔術師ではありませんから、もしかしたら、聖女様に頼み込みに行ったのかもしれません」
「へー……というか、それ……完全に黒だね」
「そうか……未だに行方不明ということは……ローティは例の謎の統率者とやらに敗北した可能性が高いな……」
「生きている可能性は?」
「わからない……ただ、酷く絶望的なことは間違いない……」
悔しそうに顔を逸らすクライムの唇は、強く噛みしめたせいか、赤い血液がにじみ出ており、それは口元から頬を伝って床に落ちていった。彼が未だに冷静でいられるのは、地獄のような魔族との大戦を経験しているからであろう。
楽し気に話していた友人が次の日には冷たくなっている……よくあることであるが、それ故に、リタは未だに友人の死に感情を揺り動かすことのできるクライムを『強い人間』だと信頼することができた。
「とりあえず、今回の件はこれで手打ちにするとして、実際問題、現状をどうするか、だよね」
「あぁ……エルミナ……もう一度、詳しく……今に至るまでの経緯を説明してくれ」
クライムの言葉と共に、エルミナ……つまり、ブロスティ・リーゼルフォンド二世は深々と頭を下げ、しばらく経ってから、用意していた地形図などをテーブルの上に広げ始めた。
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