終章 終部

 事の顛末だけを先に述べるならば、リリアルガルドには元の平穏が訪れていた。

 あの夜の一件のあと、三方面衝突をさけるためにリーゼルフォンドとリリアルガルドは即座に和解で足並みをそろえ、リーゼルフォンドが多額の賠償金を支払うことで手打ちとなった。相互不可侵条約が調印され、リリアルガルドは政府としてリーゼルフォンドと他国との戦争に参加しないこととなる。

 リリアルガルドはその後、ブリューナス王国とアストラル王国に対しても同様の条約を締結させ、完全な中立地帯となるのであった。その背景には、今回のリーゼルフォンドの行いで、リリアルガルドに預けていた他国の貴族が犠牲になったことが大きい。

 リリアルガルドが中立地帯となったからと言って多国間の戦争が止まったわけではなく、大きな衝突はないものの、未だに小さな小競り合いは続いている状況となっている。


 今回の引き金を引いたリーゼルフォンドは内部情勢が怪しくなり、最近では皇帝派が力を弱めはじめ、枢機卿派が力をつけ始めたことにより、国家元首が変わり、教皇国へとなるのではないかという噂がまことしやかにささやかれている。

 それらの情勢のニュースの中には当然のことながらアリッサやアスティの情報は一切なく、あの夜の一件はまるで夢物語かのように消え去っていた。



 そんな情勢のリリアルガルドはというと、事件の爪痕が残るものの、国が一丸となり、多額の資金投入で奇跡と呼ばれるほどの復興が始まっていた。壊れた建物や、遺族に対して相応の金銭が支払われたが、やはり、救われたものとそうでなかったものはいる。ただ一つ言えることは、これ以上の流血が止められたということだけであろう。

 その後のサリーはというと、近々、アストラル王国で正式に研究を開始することが決定し、彼女の支援に第二王子のアスティが名乗りを上げていた。だが、それまでの期間はリリアルガルドで過ごすこととなり、限られた命ながらも、アストラルと共に懸命に成長を積み重ねて行っている。




 だが、そんな希望の光とは裏腹に、街の復興前、あの夜の一件のあと、アリッサは一人、誰もいな郊外の森の中でとある人物と待ち合わせをしていた。昼間は晴れていたため、森の草木に湿り気はなく、初夏の虫たちも嵐など知らないという風に騒ぎ立てている。日は既に落ち、アリッサと以外の気配はなく、周囲に人影は見えない。

 しかしながらそれは、つい先ほどまでの出来事であり、アリッサが瞬きをした後には、目の前にもう一人の人影が現れていた。それはアリッサが良く知る人物……少々小太りの男であり、アリッサに様々な指示を飛ばしていたパラドイン・オータムという転生者のひとりであった。アリッサはパラドが目の前に現れたことを確認して、重い瞼をゆっくりと開き、クマと泥のついた顔でぎこちなく笑って見せる。


 「お疲れさまです。先輩……」

 「おう……どうやらそっちも無事に終わったみたいだな……」

 「えぇ、つつがなく任務遂行しました—————」


 アリッサは優し気な口調の中、体だけが勝手に動くことを抑えられなかった。まるで心と体が切り離されたような感覚になり、酷い吐き気に襲われる。それでも、アリッサの体は勝手に動き、気が付くとパラドの服の襟首をつかみ上げて握り締めていた。その動きに反応して、パラドも片手で杖を握っていた。


 「先輩……一つだけ教えてください……。これが本当に正しかったことなんですか—————。この結末が、本当に一番の結末なんですか……」

 「そのことか……。そうだな、しいて言うのであれば、漫画やアニメのようにみんな救われてみんな笑顔になれればそれでよかったんだがな……」

 「はぐらかさないで答えてください……。私は答えを求めているんです……」

 「———————なぁ、アリッサ……。お前はこれが正しかったと思うのか?」

 「———————ッ!!」


 アリッサは俯いたまま目を見開いて、さらに拳を握る力を強める。その言葉は、パラドもアリッサと同じように、この結末に満足していないということに他ならなかった。それでも悔しいと感じるのは、『この結末が正しくない』と否定できないからである。正義感だけを語るのであればきっと、残虐なことをしたアリッサは正しくないのであろう。だが、全体の秩序を考えれば、それはより多くの命を救った正しさになる。そんな矛盾がアリッサの心をさらに縛り付け始める。


 「結局、何が正しくて、何が正しくないか、なんていうのは立場が変われば大きく変わっちまうもんだ。もしもあの時早く動いていれば、なんていうのは負け犬の遠吠えでしかない。残念ながら、俺たちに時を遡る術はない……」

 「じゃあ、先輩は……なんで……。先輩が動けば、もっと良い結末にできたはずです。アイツを説得もできたかもしれない。なんで……なんで……」


 パラドは振り絞るような声を出すアリッサを見て、襟首の手に軽く自分の手を重ねる。


 「それが現実ってもんだ。たしかに俺たちは人並み外れたチート能力を持っているが、それでもなんとかならないほどのクソゲーなんだよ……この現実ってやつは—————」

 「そんなの! わかってはいるけど……でも、あの行為は—————」

 「アリッサ……もしも、罪悪感を拭えないのなら命令をした俺を恨めばいい。俺のせいにすればいい……。すべてはあの状況を操れなかった俺に責任があると責め立てればいい。その権利ぐらい、お前にはあるはずだ」


 その言葉を聞いて、アリッサはゆっくりと握っていた手を緩め、腫れたまぶたを開いて顔を上げる。


 「—————できません……。あの瞬間で、救えたはずの命を奪ったのは私です。それを先輩のせいにするなんてできるはずがありません。そんな無責任な真似は私にはできないんです……」

 「そうか……なら、俺からこれ以上いうことはない」

 「先輩は受け止めるつもりで私の目の前に姿を現したんですよね。だったら、本当に酷い人です。あんな命令を下し、私が殺す結末までわかって、それでもあの結末を選んだ……。その勇気を私は尊敬します」

 「そんな尊敬されることはしていない。選んで殺すことなんて褒められたもんでもないからな……」

 「私は……あなたを尊敬することでしか、あなたの行いを肯定することができないんです。今の私には……昔、あなたのそばにいたであろう人たちと同じように……あなたを持ち上げることでしか、あなたという存在を認められない……わかってください」

 「そうだな……。だから俺は……」


 パラドは少しだけ昔のことを思い出す。パラドイン・オータムという人間は昔、神童と呼ばれ、確かに慕う人は多かった。でも、彼はそれらを突き放した。何かを為すたびに全てを肯定される。そこにもっとよくできたという結末を予測できる脳があったが故に、心が廃れていく感覚が拭えず、何もかも投げ捨てた。目的地が見えず、確かめることもできず、暗闇を進み続けることに疲れてしまったのである。


 だれも「間違っている」とは言ってくれなかった—————。


 それは、彼にとって、人間を人間として見れなくなった要因の一つであるのかもしれない。いづれにしても、今、目の前にいるアリッサもその昔の仲間と同じように、パラドの今回の選択を否定はしなかった。彼女ならばと期待していたが、それは裏切られた形になる。



 だが、アリッサは裏切ってなお、パラドの瞳を真っ直ぐに見つめ返す。薄桃色の瞳は自分の閉ざしてしまった過去によく似ていて、鏡を見ているような錯覚すら覚える。


 「先輩—————。私の立場では、今のあなたを『間違っていた』とはいえないんです」


 唐突に世界が変わったような気がした。

 アリッサという存在は、パラドが何に苦しんでいるかを理解した上で、肯定していたという事実に、パラドイン・オータムという人物は、まるで心を読む化け物が目の前にいるかのような恐怖に戦慄した。

 同時に、アリッサという人物がまるで人のように泣きじゃくる姿を思い出し、その恐怖が杞憂であることを即座に訂正することもできた。


 「そうだな。出会った時みたいに、俺には干渉せず、何もしないのが正しい選択だ—————」

 「そんなの正しくはない!!」


 アリッサがパラドの声を遮るように強く咆哮する。その声量に、周囲に寝ていた鳥たちが驚いて飛び去ってしまう。


 「そんなの……正しいわけないじゃないですか……ただの言い訳です……。できない自分への言い訳です……。そうやって、互いの心の平穏を保つことは正しいのかもしれない。でも、苦しんでいるあなたを見捨てることは、正しい選択じゃない……」

 「じゃあなんで、あの時はそんなことを言えたんだ……」

 「決まってるじゃないですか……。私は、先輩のことを知りすぎてしまったんです。立ち止まって振り返ってしまうほど……。見て見ぬふりをできないほど……」

 「ならどうするって言うんだ!」


 今度はアリッサの怒号に当てられて、いつも冷静沈着でいたパラドが年相応に怒り狂った。


 「何もできないなら関わるな。無責任に正義感を振りかざしても迷惑なだけだ! それで救えると思うな。みんなを救う未来なんて存在しない。あぁそうだよ、俺はそれをわかっていて天秤を傾けているだけだ。誰もいないチェス盤の上で駒を動かして、救世主気取りで死守選択をしているだけの愚か者でしかない。それなのに誰も否定しない。だれも責めない。『アレは仕方なかった』『お前は悪くない』『ありがとうございます』なんていう言葉ばかりをかけてきやがる。バカみたいだろ? 本当にバカばっかりだ。俺が苦しんでいると知ってなお、かける言葉は同じような繰り返し。慰めているつもりか? 無責任に正義感だけで俺を認めて自分の心だけ救われて満足しやがる。なんなんだよ。畜生——————」


 責め立てるようなパラドの怒涛の言葉にアリッサは思わず押し黙る。自分が彼に対してどうするべきかはわからない。それでも、パラドを否定することでしか自分を保てない自分がいることも理解できる。おそらく、他の人もそうなのだろう。本当は誰もが、この結末が正しかったと納得して安心したいから、憤っているパラドを理解できない。満足のいかないパラドを否定してしまえば、それに関わった自分も否定することになる。だれもそれができないのである。

 例え関わっていない外部の人間がそれを言ったとしても、それは単なる文句でしかなく、パラドの心には響かない。結局、誰も彼を理解できなかった。

 そんな彼の人生に杭を打ち立てるようにアリッサは一度躊躇った口をもう一度開いて言葉を紡ぎ出す。


 「先輩……。次は、もっといい結末にしたいです。誰もが笑顔になることは無理かもしれないけれど、もっともっとたくさんの犠牲をなくして、先輩が『これなら及第点』と言えるぐらいの結末に私はしたい」

 「そのために、俺に従うっていうのか。そんなのただの奴隷じゃねーか……」

 「いいえ先輩——————。私はあなたを否定します。そのために、私とあなたは『仲間』であるべきです」


 アリッサは疲れてまともに血液が通っていないような冷たい手でパラドの頬に一度触れる。そしてすぐにそれを離し、静かに片手だけを握手する形で差し出した。


 「先輩——————。仲間を作りましょう。もう二度と、こんなことを繰り返さないために……。転生者が、己の力の使い方を間違えず導けるような……何かが起きる前に手を打てるようなそんな組織を作りましょう。そこであなたが満足のいく結果を導けるようにみんなで話し合いましょう。時に喧嘩して、それでも手を取り合って、より多くの人が救われたと思える未来を作りましょう」


 凛とした態度とは逆の、アリッサの幼さを帯びた丸い薄桃色の瞳と、ふっくらとした唇が視界に入る。確かに今の彼女では、パラドが思っているような存在にはなれていない。それでも、彼女ならばいつかは……などと考えてしまう自分がいることにパラドは逡巡し、少しだけ目を瞑って空を見上げた。

 できるのだろうかと、考え、何も思いつかず、目の前の少女が無茶無謀で突っ走っていることがすぐにでもわかる。それでもパラドは顔を元へと戻し、静かに瞼を開き、鸚緑の瞳を露わにする。




 そして彼は、アリッサの手を取った——————

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