第21話 戦乱を止めるために



 アストラル王国第二王子であり、2000年前の魔王だと自称する青年は一人、目の前の肉塊が炭のように黒く染まり、端からボロボロと崩れていく様子を眺めていた。先ほどまではまるで生き物の内臓のように赤黒い触手をうねらせていた存在。それは繭のような機関を有し、そこから鎧の天使が生まれていた。

 材料はもちろん人間の兵士であるのだが、アスティはそれらをものともせずに軽く腕を払うだけで発動させた魔術で追い払っていった。

 結果として、そう時間がかからずに、鎧の天使の大本である天使の心臓の破壊に成功したのである。


 その天使の心臓が崩壊して灰のように白くなっていくと同時に、先ほどまでに絶えず攻撃を仕掛けては死に続けていた鎧の天使たちが光の粒子となり消えていく。養分にされてしまった彼らのその後は、アスティにはわからない。だが、灰になった天使の心臓の末路ならば理解している。


 なぜならば、天使の心臓を保管していたリーゼルフォンドの地下の研究施設を全て爆破するための魔術式をアスティが仕掛けたからである。あと数分足らずにこの研究施設は火の海に包まれ、跡形もなく消え去ることだろう。

 過去の調査で得た情報を元に、この研究に携わった人物やその資料も抹消した。もう、だれもこの天使の研究に手を付けることはないだろう。


 アスティはそれを確認して、転移魔術を使い、アリッサから事前に知らされた場所へと転移した。転移してまず気付くのが、唯一の灯りである星空が見えないほどの曇天の空であること。

 地下にいたせいで気づかなかったのか、傘をささなければ外を出歩けないほどの雨が降りしきっていた。雨で濡れることについて、アスティは気にしていないようであった。何故なら、彼の周囲だけ振り続ける雨が避けるように通っているため濡れていないからなのであるが、傍から見れば風情も崩れてしまうような光景であったことは間違いないだろう。

 そんなアスティはアリッサがどこにいるかを探るために、虫と雨の音だけが聞こえる森の中で探知魔術である『サーチ』を発動させる。


 探知に引っかかったのは数キロ先の森の中である。アスティはそれを確認してもう一度転移をして、一気に距離を詰める。そして、再度『サーチ』を発動させて、その存在が本当にアリッサであるのかを確かめた。

 『サーチ』に引っかかったのは一人だけ。魔力パターンからそれがアリッサであることは数秒足らずで結果が分かったのだが、足元や周囲の環境が明らかにおかしいことにアスティは眉をひそめることになる。

 アスティの足元は先ほどまでの森の中とは打って変わり、レンガや大理石の瓦礫の山。周囲一帯の木々をなぎ倒してその光景が広がっているため、ここで壮絶な戦闘が繰り広げられたことは誰にでもわかった。


 そんな地獄の最中で、アリッサは一人、瓦礫の中で立ち尽くしていた。アスティがポケットに両の手を入れながら跳躍してそちらの方に近づくと、アリッサの足元に顔の潰れた人間が倒れていた。血肉は雨の影響で流れ始めているが、それがなくとも、息絶えていることは誰にでもわかった。


 「あぁ……アスティか……そっちは終わったの?」


 アリッサは疲れたように紫色の唇をわずかに動かしてアスティに話しかけてくる。手に持っている鈍器は紛れもなく、彼女が行ったという事実を裏付けていた。アスティはそんなアリッサに対してかける言葉はなく、まるで必然であるかのように死んでいる誰かに手をかざした。


 「こっちはもう終わっている。貴様の方も終わったらしいな」

 「うん……終わったよ。これがその勇者だっていう人間—————」

 「あぁ……見ればわかる。それで、アリッサ……次の指令はなんだ?」

 「指令? あぁ、先輩の命令のことか……」


 アリッサはマジックバックから封筒を取り出し、静かに封を開く。そして、一枚のパルプ紙を広げてみるが、即座に大雨にふやけ始める。


「———————っ……。」


 だが、そんなことにすら気づいていないのか、アリッサは奥歯を噛みしめ、持っていた紙を握りつぶす。まるで、何かに堪えるかのようなその光景にアスティは哀れみの目を向けたが、アリッサはそれに気づいて、アスティの胸元に持っていた手紙を押し付ける。


 「これ、読んだら燃やして……」


 アスティはアリッサから封筒ごと指令書を受け取り、内容を確認した。そこには短い文章で『王が執着した元凶の首を、王に献上しろ』としか書いていなかった。だが、アスティにはこの現状から、アリッサが殺したこの人物こそその人物であることぐらいは読み取れる。

 そこまで理解して、アスティは魔術で手紙を燃やし尽くし、土属性の魔術で即席の剣を作り出した。しかし、それを振り下ろそうとした瞬間にアリッサがアスティを手で制して、その剣を渡すように促し始める。


 「私がやる——————」

 「いいのか、お前は……」

 「私がやらなきゃいけない——————」


 アリッサの振るえるような声に応答し、アスティは魔術で作り出した黒曜石の剣を手渡す。アリッサはその武骨な剣を持って、静かに呼吸をすると、顔を伏せたまま、呼吸を置かずに首を断ち切った。

 アスティは、彼女がもっと躊躇い、そして泣き喚くと思っていたのだが、現実はそうではなく、躊躇ったことすら過去であるかのように、腕を動かしていた。まるで、彼女の心と体が全くの別物であるかのようなその光景に、アスティは僅かながらの恐怖を感じ、同時に自分の使命を思い出す。


 「輸送はオレがやる。その剣は捨て置け。もう不要だ」

 「そっか……じゃあお願い……」


 アリッサはそれだけ口にすると、残されている体の元々首があった場所に受け取った剣を墓標のように突き刺した。その間に、アスティは分かたれた頭を片手で掴み上げ、アリッサの元に戻ってくる。


 「変異の魔術を使え……。オレはいいが、お前はいろいろと面倒だろう」

 「大丈夫、心配しなくても使うから……それよりもアスティも使いな。いろいろと面倒になるのはあなたの方も一緒だから……」

 「そうだな。ならば、こちらで発動させてもらうぞ。完了後に帝城に転移する」

 「うん。任せた……」


 アリッサは土砂降りの雨の中、アスティの方を見て笑って見せるが、アスティにはその表情がどこか歪で、生きているようには見えなかった。まるで目の前に無辜の怪物でもいるかのようにしか見えなかったのである。それでも、そんな妄想を振り払い、変異の魔術を発動させて二人の容姿を変化させた後、転移の魔術を発動させ、この地獄を終わらせるための最後の場所へと出向くのだった。



 ◆◆◆



 帝城では深夜にも関わらず、皇帝を中心とした執政者たちが緊急収集を受けていた。そこには枢機卿や、公爵など、多くの権力を持つ者たちがいた。だが、その者たちは皆一様に、現状でなにが起きているのかという事態を掴めてていなかった。


 鎧の天使の1師団でリリアルガルドを襲撃し、夜明け前までに押しきれるだろうという報告を受けていたにも関わらず、夕暮れには予想以上の反抗を受けているという状況に変わり、そしてついさきほどの大爆発。

 消火や現状確認に奔走した者の情報によると、あちこちで研究施設や軍事施設が破壊され、最後には天使の核となる心臓も破壊されたという風の噂が舞い込んでくる。予想打にしなかったほどに電撃的な移り変わりに、巨大なラウンドテーブルに集まった執政者たちは、通夜のように顔を伏せていた。


 そんな空気を打ち破るように唐突に議会場の扉が開かれ、誰かが入場してきた。それは二人組の男女であり、装いなどからはどこの組織のものであるかが読み取れない。

 その二人に視線が集まったのを確認してから、男の方の侵入者は堂々と口を開き、皆に聞こえるように宣言した。


 「天使の心臓は我々のお散歩で破壊した。さて、陛下よ、これ以上続けるか?」

 「お前らは一体何者だ! ここをどこだと心得ている! 警備は何をしている!」

 「もう遅い。すべてオレが眠らせた。さて、回答を聞こうか……。いや、聞くまでもないか……」

 「わかったぞ、貴様らはリリアルガルドの兵だな! 天使の心臓が破壊されたからなんだというのだ。小国の分際で調子に乗りおって……この無礼もろともに捻り潰してやる」


 皇帝が怒りでペンのようなものを握りつぶした瞬間、議会に設置されている国家間の通信用の魔術デバイスが鳴り響く。誰もがその音に注意を奪われたため、静寂が起こるが、長いコールであったため、慌てて事務次官が応答して通信に出る。


 だが、その事務次官はどんどん青ざめていくのが見て取れた。そんな光景を見せられている最中にさらなる不幸が舞い降り、国家間の通信デバイスに、一つの電報が入ったのを最後に、事務次官は何もしゃべらなくなった。そんな光景に業を煮やしたリーゼルフォンド皇帝は机を強く叩きながら叱責する。


 「なんだ! 何を伝えられた! どこからだ!」

 「それが……」

 「早く言え! それが貴様の職務だろう!」

 「は、はい……それが……。ブリューナス王国がこちらの宣戦布告を受諾したという連絡を受けました……」

 「それはどっちだ! 文字通信か、それとも音声通信か!」

 「文字通信の方であります。音声通信では、アストラル王国が我が国に対して最後通牒として謝罪と賠償の要求を……」

 「何故だ! 彼らとの関係はそこまで至らないように調整したはずだろう!」

 「それが……。どうやら先日のリリアルガルド襲撃の際に、アストラル王国の貴族を巻き込んで殺害してしまったらしく……」

 「そんなバカなことがあってたまるか! いや、だがしかし、ケンヤの力さえあれば、その程度ならどうとでもなる。彼は平和主義だ。こちらが攻められている現状を教え、相手を震え上がらせてやればいい。場合によってはやつにさらなる領土と金を献上しても構わん」


 そこまで聞いていた乗り込んできた男はラウンドテーブルの真ん中に何かを放り投げた。それは顔の半分が潰れた青年の首から上であり、この場にいる誰もが見たことがある人物の姿であった。


 「その人物ならば、こちらで処理させてもらった」

 「そんな……まさか……そんなはずは……ありえない……」


 あまりにも非現実的な出来事の連続に、リーゼルフォンドの皇帝はその齢相応の動きであるかのように力なく椅子に腰かけた。それを見て変装したアリッサが最後に前に出て、死神のように死んだ瞳をしながら理路整然とした態度で口を開く。


 「近いうちに、我が国から会談を申し込む。貴国の良い返事を期待している————」


 その言葉に誰も答えようとはせず、皆、わざとらしく俯いていた。野心を企てるものもいたであろうが、この場においてはそれ以上の行為は無意味であるように思えた。

 変装したアリッサは横にいるアスティを軽く肘でついて、撤退を指示する。アスティはそれを受けてこの場で転移の魔術を発動させ、その場に立ち尽くすような執政官たちを差し置いて、虚空へと姿を消すのであった。




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