第20話 経験と知識、そして言葉遊び


 アリッサは何も見えない暗闇の中で瓦礫を蹴り飛ばして地上へと這い出る。元々天から降り注いできた虹色の柱のおかげで、アリッサの頭上には瓦礫が少なく、動き出すのにはそう時間はかからない。なにより、託された防具の障壁が起動してくれたおかげで大怪我には至っていない。


 対し、先ほどまで相対していた勇者ケンヤはアリッサが這い出てきた数秒後にようやく瓦礫から顔を出すほどに遅かった。アリッサは、土ぼこりを手で払い、無言のままマジックバックから金属バッドを取り出し、右手で強く握る。

 そんなアリッサすらも視界に入っていないのか、ケンヤは這い出ると同時に魔術を発動して必死で何かを探しているように見えた。


 「サーチ! サーチ! サーチ! 良かった。まだ生きている……」

 「二分……。腕の放射動脈を切って大量出血した場合の失血死までの時間だよ。違うとこならもっと速い……。さて、何秒持つのかな? あなたのお仲間さんは—————」

 「お前は! お前は——————ッ!!」

 「ほらほら、急いで私を倒さないと、お仲間さんを蘇生も出来なくなるよ」

 「許さない……」

 「私はあなたの魔術を利用しただけだし、今回、たまたまそれが逃げているときや攻撃を逸らしたときに建物の大切な部分に当たっただけ……。あなたの言葉を借りるなら『作ったもので死んだ人の責任まで取らなきゃいけないのかい』っていうとこなんだけど?」

 「それとこれは違う!」

 「同じだよ……。私は逃げたり逸らしただけで、全部やったのはあなた……。だから、これから死ぬ人も、既に死んでしまった人も……すべてあなたにも責任がある————」

 「そんな支離滅裂な考えが通じると思うな!!」


 怒りに任せて唐突に放たれたケンヤのガンブレードの銃弾を、アリッサは金属バットを軽く横薙ぎにすることで弾き飛ばす。甲高い音が鳴り響くが、金属がこすれ合う音とは少し違う。恐らくは、このバットの表面に使われている素材が鉄鋼の類ではなく、モンスターの表皮を利用しているせいなのだろう。

 アリッサが、指でこちらに向かってくることを促すと、ケンヤは獣のように咆哮しながら大地を蹴り上げて、先ほどは比べ物にならないほどの速さでガンブレードを振り下ろす。

 アリッサはそれを予測により動きを見切り、金属バットで受け止める。その瞬間に相手のガンブレードがスタンロッドを斬り落としたときと同じように光り輝く。だが、いつまでたっても金属バットに傷がつくことはなく、むしろ打ち付けたはずのガンブレードの方の刀身が折れてしまう。


 「なん……で—————」

 「バカでしょ……。いくら鉄を高速で振動させようと、それよりも硬度が高いものには傷がつかないのは必然。コランダムやダイヤモンドじゃないんだから、当たり前だと思うんだけど……」

 「じゃあ……なんで……それは……」

 「材料物性ぐらい学んどけ、阿呆—————」


 アリッサはバットをお手玉のように手の中で転がし、剣が砕け飛んで無防備になっている状態のケンヤへと追撃をする。咄嗟に残された銃部分で防ごうと試みたのを見て、アリッサは弧を描くようにバットを振り回し、ケンヤの手から武器を弾き飛ばす。


 だが、ケンヤも負けじと即座に魔術を起動して、火球を至近距離でアリッサに飛ばして来る。アリッサはバックステップでそれを避けつつ、再び距離を取る。そうして今度は電撃をこちらに放ってくるが、アリッサは瓦礫を畳のように裏返して盾にすることで防ぎきる。


 「武器を失った程度、ハンデにもならない!」

 「ふーん。で、今のあなた頭の中ではこうかな? 『大丈夫。アイツに攻撃を与えられる手段はない。すぐに倒して早く仲間を—————』っていうところ?」

 「時間稼ぎをするなァ!!」


 土属性の魔術により、大地から瓦礫もろともに土の槍が出現するがアリッサは、飛びあがりながらそれらをバットを一閃して地面へとはじき返す。土の槍が次々に地面を抉り、瓦礫を舞いあげ、瓦礫の地面の地形がわずかに変わる。


 「今ので誰か巻き込まれたかな? まぁ、簡単に言うとさ……あなたの言う『物理衝撃無効』とか『魔術攻撃無効』とか、私にとっては何の障害にもなりえないんだよね」

 「ウソを付くな。お前のような詐欺師の話はもう聞かない!」


 放たれたかまいたちのような風の刃を虚空へとバットをフルスイングすることで軌道を逸らしてアリッサは難を逃れる。風圧でなびいたアリッサの茶色の髪がわずかに切れたが、それ以外は地面や瓦礫を切るだけで終わってしまう。

 ケンヤはこの瓦礫のフィールドで本気を出せない。もしもアリッサに軌道を逸らされてしまえば、そこでまだ生きている可能性がある仲間を自ら死に至らしめることになってしまうのだから……。ゆえに、最低限の力で、目の前の存在を倒すしかないのだが、アリッサには当然のことながらその縛りはない。悪魔のように笑って見せるアリッサという少女が、相手にどう映ったかなどもはや言うまでもないだろう。


 「だってさぁ、あなたの言う『物理』って私の思う『物理』じゃないんだよね。『魔術』も『魔術』をどうやって発動しているかも理解しないで使っているあなたと私では認識が違う。これって非常に馬鹿らしいと思わない?」

 「ダマレェェェ—————ッ!!」


 怒りに身を任せ、ケンヤは空中に光の槍を無数に生み出す。アリッサはそれらをものともせず、大地を蹴り上げて疾走する。自らに当たりそうな光の槍は、手に持つ金属バットを振るい、弾き飛ばし、前へ前へと突き進む。そして、最後の直線にてアリッサが光の槍を叩き落とした瞬間、その余波で一瞬だけ視界が白く染め上げられた。


 アリッサはその隙を見逃さずに、一瞬のうちにケンヤへと肉薄する。対し、ケンヤはわずかに反応が遅れてしまう。気が付いたときには、目の前でバットのグリップを握り締めるアリッサがいる。

 アリッサはベクトル操作の魔術を発動させながら、左バッターボックスに立ったかのように、足から膝、膝から腰、腰から肩、肩から肘、肘から手首へと力を伝達していき、バットが一番反発する力点へと集約させていく。


 「『ドラゴン・インパクト』——————っ」


 アリッサの周囲に旋風が巻き起こる。だがそれは、バットをフルスイングしたことの余波でしかない。本来の衝撃はケンヤの腹部の衣服から彼の脇腹へと正確に伝達された運動エネルギーである。魔力で足りない分を補った運動エネルギーの劇的な増加により、ケンヤの体はボールのように吹き飛び、地面に突き刺さって名残惜しく残されていた城の塔部分へと激突し、さらなる後方に瓦礫を弾き飛ばす。


 本来であれば防具の『物理衝撃無効』の“魔法”が発動し、ダメージになっていないはずであるのだが、アリッサはそれを易々と貫いてみせた。それは『物理』という意味の違い。ケンヤの頭の中ではただの白兵攻撃やそれに類する物的衝突だけなのであろうが、アリッサの頭の中の物理とは『力学』や『構造力学』などの学問であった。故に、大きな差異がここに生まれる。

 ケンヤの服が本当に『物理衝撃無効』を全て行っているのならば、重力や空気抵抗により、体にぴっちりと張り付いて服自体がほとんど動かない、またはバグのような挙動をしているはずである。もしかしたら、装着者が歩行する力すらも無効にしてしまい大惨事になってしまう可能性すらある。しかし、それが起きていないということは、意図的に吸収する力と、そうでない力を分けているということになる。

 アリッサはその吸収していない力に着目し、ベクトル操作の魔術を用いて、フルスイングのベクトルをその吸収していない力に加えた。その上で、服が破けないようにわざと服にかかるベクトルを調整し、相手の腹部へと伝達させる割合を増やした。

 『魔術攻撃無効』にも引っかからない。何故ならば、これは“攻撃”ではなく、自然現象の操作でしかないのだから……。濡れた服が渇くのを魔術で行っても服は『魔術“攻撃”』とはみなさない。つまりは、意図的に許容されているセキュリティーホールでしかないのである。


 アリッサは瓦礫を払いのけながらゆっくりと立ち上がろうとするケンヤへと歩みを進ませる。その姿は悠々自適であり、殺し合いをしているのにも関わらず、リラックスしているようにも見えた。


 よろけながらも穿たれた自分の腹部に回復魔術をかけるケンヤの喉元に、アリッサは自分のバットの先を突きつける。十数メートルの距離はあるが、この程度では障害にすらならない。


 「終わりだよ……。もうあなたに勝ち目はない」

 「まだだ! そうだ、ボクはあらゆる魔術が使えるんだ。キミの魔術だって!!」


 そう言いながら、ケンヤはアリッサに向けて無属性の魔術を発動しようとする。その魔術式は一言一句アリッサの魔術式と変わらなかったのだろう。アリッサはそれを見て、呆れたように冷ややかな瞳のまま、相手を睨み続ける。


 「吹き飛べ——————ッ! あれ? どうして! なんでなにも起きない!」


 ケンヤは見様見真似で何度も何度もアリッサの『ベクトル操作』を発動させようとする。しかしながらまともに起動はせず、発動しただけで終わってしまう。それもそのはずであり、アリッサのベクトル操作の魔術では、定義式に周囲のパラメータの値を代入して、計算結果を導いてようやく発動するのだ。なにも入力しなければ不発に終わるのは当然のことである。


 「そうやって、猿真似ばかりで、『自分に何ができるのか』なんて考えたこともなかったんだろうね……」

 「なにかロックをかけているんだな。だったらそれを解除して—————」

 「二分は経ったかな……まあ、戦闘の余波とかで押し潰れているだろうし、もっと早かったのかもしれないけど—————」 

 「————————ッ!!!!」


 ケンヤが慌てて探知魔術を発動させようとしているのを見て、アリッサは地面を蹴り飛ばし、距離を詰める。そして、別のことに集中して反応が遅れた相手の右ひざに向けて、バットを縦に振り下ろす。水中に波紋が発生するかのように一点に集中したインパクト音が鳴り響き、服の防具など無意味であるかのように骨と肉が砕けて弾け散る音が遅れて響く。


 バランスを失ったケンヤの体は膝から崩れ落ちるように前のめりに傾き始める。だが、どうにか片膝で姿勢を保ち、倒れることを防いだと同時に、こちらに反撃をするために魔術の発動を始める。そんなケンヤの悲鳴と断末魔の入り混じった詠唱の最中、アリッサは静かに心を殺した。



 アリッサはケンヤの詠唱が終わるよりも早く、無防備な胸部へと逆手に持ったバットの柄頭を叩きつける。杖としての役割も果たしている金属バットであるが故、アリッサの魔力消費を軽減しているため枯渇の心配はまだ遠い。

 だが、それと威力などは別の話であり、アリッサが伝わる衝撃を制御しなければ今頃、ケンヤの体は遥か虚空へと放物線を描いて飛んでいったことだろう。しかし、そうなると、生存する可能性が高いため、アリッサはわざと威力を落とし、後ろによろめく程度の力に抑える。

 しかし、それほどの衝撃が胸部にかかれば、必然的に肺の中の空気が全て強制的に外に排出されてしまうため、魔術発動は停止してしまう。そういった環境下で訓練をしていなければ、誰であろうと言葉を魔術詠唱としている関係上、キャンセルされる。そうアリッサも考えていた。


 だが、魔術は強制的に停止させたが、不発に終わったケンヤの中途半端な魔術は、彼の才能故か、至近距離で雷鳴が轟いた。アリッサは静かに目を伏せ、自分の防具に魔力を一定以上に通した。すると、体を覆うような緑色の閃光がアリッサを包み込む。それは雷撃に触れるや否や、アリッサを避けて通り、周囲の瓦礫を走り抜けた。あちこちでスパーク音が鳴り響くが、やはりアリッサには届いていない。


 ララドスから託された防具の機能の一つである『魔術による緊急特殊装甲』。それは、絶縁や耐燃焼と言った、用途を限定して回路を切り替えなければならない欠点こそあるが、咄嗟の場面では今のようにダメージを緩和することができるものである。もちろん、完全無効ではなく、『電流を通しにくい』『燃えにくい』と言った材質を模した光を纏うだけであるため、過度にダメージを受ければ効果がない。


 それでも、今回の場面においては不発により制御を失っているためすべて防ぎきるに至った。対し、ケンヤは胸部を強く殴られたことにより後ろへと仰け反り、膝が壊れているせいでバランスを保つことすらできずに仰向けに地面に倒れ伏す。


 「がぁァァァ——————ッ!! 痛い! 痛いよ! なんでボクがこんな目に! ボクはただ、みんなで幸せになりたかっただけなのに!」

 「もういい……うんざりだ——————」

 「お前さえいなければ! お前のようなチート野郎さえいなければボクは—————」


 子供のように泣きじゃくり、何かを喚き散らすケンヤを黙らせるために、アリッサは最後に大きくバットを振りかぶり、垂直に振り下ろした。それはしゃべり続けるケンヤの鼻先へと吸い込まれていき、その骨や顎、そして首もろともに肉と骨を叩き潰す。

 肉塊と血しぶきがべちゃべちゃという不快な音を立てて周囲の瓦礫に叩きつけられ、アリッサの頭にも泥のように覆いかぶさる。


 静かに呼吸しながら振り下ろした後のバットの先を見つめたまま動かないアリッサの額から頬にかけて涙のように返り血が伝い、両手に持つバットのグリップ部分に滴り落ちる。地面を転がっているのは、頭の下半分が潰され、胴体と切り離された、つい先ほどまで人間であったもの。


 アリッサはそれを見て、退屈に似た、酷い無気力感に襲われていた。そんなアリッサを洗い流すかのように、急な雨がポツリ、ポツリ、と瓦礫しかない地面に落ちはじめた。やがてその雨雲は全てを覆いつくす曇天の空へと変貌し、瓦礫の中で生きていたであろう者も含めて、死の川へと誘うのであった—————。


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