第14話 逃げないための選択肢


 鎧の天使の存在を仄めかし、リリアルガルドに対し、最後通牒を突きつけてからおおよそ12時間後。最後通牒の期限は48時間であるため、まだ36時間ほどは残っていた。あの悲劇的な事件からは24時間が経過している。

 そんな夜も更け始めた頃、アリッサは手渡された最初の封筒を開く。パラドから渡された複数の手紙のうちの一つ。時間指定で開けることを約束しているため、他のものには手を出さない。

 アリッサは手紙の内容を確認し終えると、魔石のライターを取り出して、手紙に火をつける。そうして、レンガタイルの上で手紙が完全に燃え尽きて沈下し、風に流されて飛んでいくのを確認して、アリッサはたった一人で歩き出す。



 『今から1時間ほど前、アストラル王国第二王子エマニュエル・アーストライアが天使の少女を連れて行方をくらました。指定の座標にて、対象を認識し、第二ポイントへと誘導せよ』

 

 それが最初の指令—————


 エニュマエル……つまりはアスティがサリーを連れ出した理由はアリッサにも理解できる。このまま、何もせずにいれば、リリアルガルド政府はサリーを連行し、リーゼルフォンドへと引き渡すだろう。たった一人の違法入国者を引き渡すだけで外交になるのなら、政府がそちらに舵を切ることは頷ける。

 対し、アスティはサリーに魔術をかけることはできない。無理な移動をして暴走状態になったとき、止められる保証も、サリーが魔力切れで崩壊しない保証もない。

 故に、闇夜に紛れてベネルクから、アストラル王国へと海路で帰国する手筈なのだろうが、それを予期していたパラドによりアリッサという先手が撃たれていた。



 アリッサはフードを目深にかぶり、誰かを待っているかのように、荷車が付いた馬車の御者に扮していた。時間にして15分ほど……パラドが指定した時間よりは少し遅かったが、息を切らしながらこちらに親子のような誰かがやってくる。それを確認して、手渡されていた変装の魔術が込められた護符で、若い青年の容姿と声に自らを変貌させた。


 「おい、そこの旅商人。金なら出す。港町のラッセルまで夜明けまでにたどり着け」

 「ちょっとそんなこと急に言われても……」

 「これでもダメか?」


 そう言いながらボロボロの布を被ったむしろ目立ちそうな若い声の男はアリッサに金貨が大量に入った袋を手渡す。恐らくこれだけで、アリッサが扮したであろう規模の商人の十数年分の年収に相当するだろう。


 「そこまで言うのなら仕方ありません。もうこいつもお眠のようですが、鞭をうつしかないですね」


 アリッサは先導する二頭の馬の首元を撫でてあやす。そして、謎の男に屋根のついた荷台に乗ることを促す。そして、自らも荷台の前に乗り込み、それを引く二頭の馬に鞭を打って走らせる。最初だけは港町に向かうふりをしつつ、土地勘のない二人を騙すように森の中を通りながら首都ベネルクに戻る道をたどりながら……


 そんな変化にぼろ布の男が気づいたのは、1時間ほど経過した後だった……


 「おい、お前……道を間違えてないか……」

 「間違えてないよ……アスティ……」


 アリッサは既に解けていた変異の魔術を気にせずにしゃべる。その瞬間に、夜風に煽られ、アリッサの肩まで伸びるセミロングの茶色の髪が姿を現す……。それを目撃した瞬間に、アストラルは即座にこちらに魔術を詠唱始めた。

 アリッサはそれでも振り向かずに、静かにしゃべりだす。


 「やめときなよ……ここで戦えば、お隣ですやすや寝ているサリーに魔術が当たるよ……」

 「何が望みだ! なぜ裏切った!」

 「落ち着きなよ……。別に裏切ってないし、サリーを助けたいのは変わらないよ……」

 「じゃあなぜ、こんなことを……」


 アリッサはこちらを睨んでいるであろうアストラルに目もくれず、静かすぎる森の中から見える夜空を見上げる。聞こえてくるのは動き始めた虫の声と、低速のまま走り続ける馬の足音だけ……


 「さぁ、なんでだろうね……。でも、これだけは言える。例え、今の状態でアスティの母国に帰れたとしても、その先はないよ……」

 「誰にものを言っている……。このオレは—————」

 「今は魔王じゃなくて、第二王子じゃん。それとも、第二王子は勝手な判断で、自国民を危険にさらしていいの?」

 「だったら、サリーを受け渡せというのか? それこそバカげたことではないか」

 「そうだね。連中は、まともに約束を守る気なんてさらさらないだろうし、手札の一つにもなりはしない」

 「ならば、やはりオレの考えが正しいではないか!」


 意気揚々とした声が背中から聞こえると、アリッサは大きなため息を吐いて、寝不足により疲れ果てた自分の瞳を休ませるだけに少しだけ閉じる。眠るわけではないが、多少なり楽にはなる。


 「あのさぁ……そういう風に人の話を聞こうとしないのを叱ってくれる人はいなかったわけ? あなたが、間違った選択をしようとしたときに止めてくれるような臣下が—————。……ごめん、今のは忘れて……」


 アリッサは一瞬だけアスティの側近であるセイディの顔を思い浮かべてしまい、言葉を止めてしまう。それぐらいの配慮は、消えつつあるアリッサの感情にも残っていた。


 「あいつの言葉など所詮は戯言だ。最終的にオレの判断が正しく、あいつが間違っていたことがほぼ全てだ……」 

 「本当にそうなの? そうやって突っ走って言って、最後に色々尻ぬぐいをセイディはしてたんじゃない?」

 「お前にあいつの何がわかる。たかだか数週間話した程度の仲であるのに、大きくでるではないか」

 「それもそうだね……。でもさぁ……少なくとも、今みたいなあなたよりかはセイディの本音は聞けてたと思うよ。まぁ、そんなセイディを護れなかったのも私だけどさ……。そうじゃない? 自己中バカ王子……」

 「慰めているのか? それともオレを怒らせたいのか?」

 「怒らせたいに決まってるじゃん。だって、あなたが遅かったからセイディが死んだんだからさ……。『オレを誰だと思っている?』『オレとお前では地力が違う?』……。ばっかじゃないの……。そういった傲慢な考えで、セイディの声にも耳を傾けず、その結果がこれ……。ねぇ、何ができた? 魔王の力で誰かを救えた? 国を護れた? 民を護れた? 寄り添ってくれた幼馴染一人護れないじゃん……。バカらしいにもほどがあるよ—————」


 唐突に荷馬車が揺れた。それは、殴りかかろうとして、アスティがアリッサの服を掴み、荷台の中に押し倒したからだ。それでも、荷馬車を引く二頭の馬は、森の中の道を等速で進み続ける。


 アリッサは荷台に仰向けに倒れ、その上に覆いかぶさるように襟首をつかんだアスティが拳を握り締めていた。魔術を使わない攻撃であるが故に、サリーに影響はないだろう。また、レベル差のあるアスティの拳をまともに受ければ、アリッサの顔面は簡単にひしゃげてしまうこともすぐにわかる。

 それでもアリッサは表情一つ崩さず、薄桃色の瞳を真っ直ぐ見開いたまま、視線をアスティから逸らさない。


 「どうした、バカ王子……。むかつく人間ならいつもみたいに殴り殺して、蘇生させればいいじゃん。やれよ……。ほら、やってみろよ……」

 「そうか自殺志願者だったか、なら、望み通り今ここで殺してやろう」

 「—————やっぱり、それしか手段を知らないんだね」


 アスティの拳がアリッサの鼻さきスレスレで止まる。衝撃だけで荷車が揺れ、驚いた二頭の馬がいななきながらようやく停止して、その場で足踏みを始める。


 「暴力でしか解決方法を知らない。言葉で解決する素振りを見せて、結局、そういう選択肢しか取れない……。2000年前からずっとそうだったんじゃないの? 魔族の誇りが傷つけられたとか言って、互いに手を止めることをしなかった……。だから、歴史の教科書みたいに国が滅びかけた……」

 「オレが間違っていただと……。当時、勇猛果敢に戦い抜いたオレの部下たちが間違っていたと?」

 「そこまでは言ってないよ……。でも、そういう環境下に置かれたときに、必ずあなたの近くで何かを言ってくれた人がいたんじゃないかって思っているだけ……」

 「そんなものはいない。いるはずが—————」


 アスティが自分の顔に手を当てて、過去の記憶をたどり始める。その表情にはどこか余裕がなくなりつつあることはアリッサの目からもはっきりと理解できた。


 「いたんでしょうね……。でも、同じように途中でいなくなった—————」

 「いるわけがない! あいつは裏切ったんだ。オレの考えを否定して、敵国に情報を流した!」

 「止めようとしたんじゃないの……それ以上の悲劇を……。あなたを理解していたからこそ、最後にあなたが、自らを犠牲にして止めることまで見越して……」

 「違う! それに、あいつとセイディは似ていいないし、性格も全く違う!」

 「何を当たり前のことを……。あなたみたいに2000年も前から転生してきましたみたいなバカげたやつがいると思わないでくれなかな。セイディはセイディの考えがあって、あなたの傍で仕えてたし、あの夜に闘い続けた。そんなの当たり前じゃん—————」


 アリッサは嘲笑するかのように口角を浮かべ、腰のポーチから何かを取り出す。それは誰かの血液が付いてしまった布袋……その中には魔石ではない光る石が入っている。アスティはそれを見てはじめは困惑した。

 そんな彼を厭わず、アリッサは彼の肩を軽く押して体を起こして、元の馬鞍へと戻る。そして、彼女のあっけらかんとした態度に戸惑っていたアスティにその小さな血まみれの布袋を投げて手渡す。


 「あなたの行動理由……逃げようとした理由……。全部今ここで私が答えてあげようか?」


 そう言いながら、アリッサは立ち止まっていた馬に鞭を打ち直して、再び足を進ませる。


 「『リリアルガルド政府なんてオレほどの力があれば容易にねじ伏せられる』『向かってくる鎧の天使なんてオレが全て残らずに倒してやろう』—————。でしょ?」

 「一つもあっていないではないか」

 「合ってるよ……。だってその選択をしなかったのは、『また誰かが巻き込まれる』っていうことを理解しているから……。あなたがどれだけ強くても、戦闘中に他の場所は守れない。その間に、他の人が死ぬかもしれない。ひょっとしたら、今度は私かもしれないし、侍女のエステルかもしれないし、サリーかもしれない……」

 「人の考えを勝手に値踏みするな!!」

 「—————だからバカ王子なんだよ。そんなことをしても、取り残されたエステルが無事でいる保証はないし、サリーだって無事に連れていく保証はない。何も考えず、自分の殻に閉じこもって、周りを見ようともしない。いい加減、そのバカな癖を治したら?」

 「いい加減にしろ。お前が何を言いたいのか、主張が全くわからん」

 「おうおうバカ王子……そうだろうと思って、もっとわかりやすく言ってやるよ」


 アリッサは顔を振り向かないまま、相手を嘲笑するするように口角を上げてケタケタと化け物のような声を上げる。


 「相手を頼ることを覚えろ。自らが何でもできるという驕りを捨てろ。プライドを捨てて、できるだけ多くの人を仲間に引き込め……それができなきゃまた同じことを繰り返すだけになる。ま、あなたにできるわけないでしょうけどね、バカ王子」

 「おい! お前はこのオレに頭を垂れて懇願しろというのか!」


 アリッサの声に反応し、アスティが声を荒らげた瞬間、アリッサは急に黙り込み、数秒後にたった一言だけを口にする。


 「——————さっき手渡したそれ……セイディが持ってたものだから……」


アスティは、アリッサの言葉を聞き、手に持った御守りがセイディの持ち物だとわかった瞬間に、それ以上何も言えずに、口を噤んでしまった。

 アリッサもそれ以上は何もしゃべることなく、静かに馬車を動かし続けた。馬車の周りの音は、馬が地面を蹴り上げる音と、馬車の灯りに群がってきた夏の虫、そして、夜明け前の風の音だけであった——————




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