第15話 プライドと命の天秤
アリッサがアスティを連れて訪れたのは、リリアルガルドの首都ベネルクにある冒険者組合のホールであった。夜中であるためか、大きな木製の観音扉を開いても、灯りが消えていて誰もいない。だが、不思議と、扉にカギはかかっていなかった。
アリッサは背中に眠っているサリーを背負ったまま、窓から差し込む月明りだけで、ギルドホールを突き進む。灯りが存在しないにも関わらず、アリッサは途中の障害物にぶつかることなく、部屋の扉に手をかける。
そして、ノックもせずに開けようとして、手を止め、アスティの方を見てから、軽く扉を叩き、相手の返答を待たずに扉を開く。すると、視界一杯に魔術の灯りが映り始め、白く染め上げる。急なまぶしさを慣らして少しずつ目を開くと、そこは、3人の男がいた。
一人は、部屋の奥に一つだけ存在する書類仕事をする作業机に肘をつき、椅子に腰かけた中年の男。もう一人は、その隣に立っている初老の男性。最後に、窓の外の景色を見て、こちらを振り向こうとしないアスティやアリッサとそう変わらない年齢の少年。
初老の男性をアスティは知っている。というのも、この冒険者組合に登録する際に出会った、タライザラックという組合支部長であったからだ。
もう一人、奥にいる少年に関しては、入学式などの行事の際に見たことがある。名前は、ステファン・ハワードといい、リリアルガルド中央魔術学院の生徒会長であることぐらいは知っていた。
だが、一番偉そうに椅子に腰かけている中年の男性の名前だけはどうにも出てこなかった。アスティはどこかで見たことがあるのだが、首元まで出かかって出てこなかった。
そうやって悩んでいると、その中年の男性が最初に口火を切った。
「やぁ、エニュマエル・アーストライア王子……。こうして直接、顔を会わせるのは初めてかな?」
「お前は……誰だ?」
「あぁ、失礼。私はこの国で大統領をしているルドガーだ。キミに会えることを楽しみにしていたよ」
「大統領か……。なるほど、オレはとんだ化け狐に頬をつねられたらしいな」
そう言いながらアスティがアリッサの方を睨みつけるが、アリッサはそれを無視して、部屋の隅の追いやられた来客用ソファにサリーを横たわらせた。
「残念ながら、彼女はただのメッセンジャーだ。キミと、キミの所有する外交チケットを持って、私の元に連れてくる、という情報だけを伝えてこの場をセッティングしただけに過ぎない」
「外交チケット……。まるで、サリーが物のようではないか」
「実際、生き物ではなく、物じゃないか……。私はそう聞き及んでいるがどうかね?」
「確かに、そうだが、彼女は生きている。それに、オレが今から生を与えればいい話だ」
「ふむ……。だがそうすれば彼女は単なる不法入国者だ。こちらで引き渡しをするのは当然の権利であるな」
「身元の保証ならばオレがする。それで差し支えなかろう」
「いいや、大ありだ。キミは今、国賓でこの国にいるが、それは何でもしていいというわけではない。この国にはこの国の法律がある。それに従えないというのであれば、キミまで裁かなくてはならなくなる。そうした場合、キミは即座に帰国してもらうこととなる。もちろん、キミの国がソレを欲するというのであれば別だが……」
「ならば、答えは決まっている」
「あぁ、決まっている—————。アストラル王国の回答は『NO』だ。その少女は危険人物であるため、我が国で処分してほしいそうだ。この意味が分かるかね?」
「まさか……そんなはずは……」
「さて、これで話は終わりだ。ソレをこちらに渡してもらう」
アスティは、一瞬、魔術を発動してこの場にいる全員を説き伏せようと思考を巡らせる。だがその瞬間に、連れ戻される途中で言われたアリッサの『やっぱり、そういう手段しか知らないんだね』という言葉が頭をよぎる。酷く冷めた目で見られたその瞬間の記憶だけは、アスティの脳裏に焼き付いたまま離れようとしない。
そうやって、開いた両手を強く握り、どうにかして感情を抑え込むことをアスティは生まれて初めて行った。そして、そのまま、震えた唇を動かして、うめくように小さな声を上げる。
「待て……」
「なんだね。まだ何か言いたいのかね。すまないが私はこれでも多忙な身でね。あまり時間はかけたくない。これ以上、話し合う気はない」
「待ってくれ……。頼む……」
「延長はしない……話は以上だ—————」
その言葉を聞き届けたのか、それとも言葉の途中だったのかはわからない。ただ一つ言えるのは、席を立ちあがって去ろうとするリリアルガルドの大統領ルドガーを前にして、アスティが深々と頭を下げていたことだけであろう。
アスティは動かないはずの体を、気が付くと強引に動かしていた。それを成したのは、道中でのアリッサの最後の言葉——————
それをアスティは今更ながら思い返す。
それはアリッサがアスティをバカにするように笑い出した直後の言葉—————
そして、アスティが知らず知らずのうちに握り締めていた、セイディの御守り—————
手渡された御守りが、セイディのものであり、中にある石が、元から二つに割れていて、誰かに手渡せるようになっていること……。ほんの昔話の言い伝えによるゴシップ染みた恋物語に倣う番いの御守り……。
それが、2000年前のアストラル王国魔王という肩書を全て壊していった。
頭を深々と下げたアスティに、誰もが目を見開き、驚愕した。
「頼みがある——————」
短い言葉を繋ぎ、アスティは喉の奥の動かしにくい声帯を強引に動かして、言葉を続ける。その言動に、ルドガーの足は自然と止まっていた。
「力を貸してほしい—————」
「話は終わりだ。これ以上、話すことなんて何もない」
「オレは鎧の天使が生み出される場所を知っている。あいつらは死ねばそこで蘇る」
「そんなことは既に調べがついている」
「————その数は、1万はくだらないだろう。どのみち、この国は滅ぼされる」
「いちまっ——————。たとえ、それが真実だとしたら、尚更、その天使の少女を引き渡してでも火種を潰さなくてはならない」
「だから、頼みたいんだ。オレに……もう少しだけ時間をくれないだろうか……。いや、オレがなんとかする間、時間を稼いでもらいたい……」
「時間稼ぎで何とかなるものではない。具体策は? まさか、原始的な闘い方をするわけではないだろう?」
「それは……」
アスティの言葉が止まり、会話が途切れる。もしここで、『自分の力で全てを倒して回る』なんという具体策にもならず、戦術にもならないことを喋れば、それで交渉は途切れてしまう。故に、ここで口火を切ったアリッサの一言は、破城の一撃となった。
「————司令狩りをします。アスティが知っている鎧の天使たちが生まれる場所、天使たちを生み出した人物、そして、この戦いを先導している連中を全て黙らせてきます。正面からぶつかってダメなら裏から崩すというのが定石ではないでしょうか」
「ほぉ……それが彼にできるというのかね?」
「—————できます。むしろ、彼にしかできない……。荒波を立てずに穏便に……そして、たとえ失敗したとしても隣国に責任を転換できる。どのみち、戦力差がある現状では、いずれこのリリアルガルドは飲み込まれます。結局は、どちらを味方につけるのか、ということないでしょうか」
「面白いことを言うじゃないか。お嬢ちゃん……。それで? 私がこの国の民を護れるという確固たる自信を持たせるには、まだ掛け金が足りないと思うのだが?」
「ならば、このオレが約束してやろう! 第二王子の名において、貴国との長期的な友好関係を築くことを……。それは、交易に限ったことではない。軍事や世界情勢に対して、協調の道を歩むと誓おうではないか!」
「言っただろう。キミはただの第二王子だ。そんなキミに何ができるというのかね? 何を差し出せるというのかね?」
「——————全てだ」
アスティの言葉に再び静寂が訪れる。その瞬間、アリッサを含めた誰も彼もが、目を見開き、アストラルという元魔王の曇りのない深紅の瞳を覗きこむこととなる。
「オレの持つ魔術知識、財産、政治的立場……そのすべてを差し出す。これでも足りないというのならば、もはや、オレにはどうすることはできない」
「ちょっと待ちたまえ。では君は、私が世界平和の為にここで死ねというのならば、自害するというのかね?」
「いや、それでは我が国の民は幸せにできない。サリーを救うこともできない。そして何より、世話になったこの国に礼を言うことがままならない」
アスティの言葉に、最初は唖然にとられていたルドガーであったが、まるで大統領という政治的立場を忘れたように、腹を抱えて大声で笑いだした。
「クハハハハハハハハハッ!! 随分と大きく出たものだ。だが、そんなお前に突きつけるのならば『NO』だ。命や古すぎる魔術知識などいらない……」
ルドガーは先ほどまで大笑いしていた表情を一瞬のうちに戻し、再び出口に向けて歩き出し、立ち止まってしまったアスティと背中合わせの状態で再び足を止める。
「私は貴国の紅茶が好きでね。いい茶葉があればほしいと思っていたんだ」
「あぁ、最高のやつを用意すると誓おう」
「くく……青いな……全く……。さて、キミの話を聞いて我々が随分と嘗められていることが分かった。少しは小さいモノの恐怖を思い知らせてやらねばなるまい……。タライザラック! 冒険者組合で国からクエストを発布しろ。ステファン! メディアにプロパガンダの準備をさせろ。我々こそが正義だということを知らしめろ!」
その言葉を最後にルドガーは全周につばのついた帽子を目深にかぶり、杖を突きながら部屋の外へとゆっくりと退出していった。
アリッサがどうしたものかと、顔を上げると、組合支部長であるタライザラックは疲れたようにため息を吐き、逆に生徒会長のステファンはこれから起こる出来事に笑っているように思えた。だが、そんな微妙な空気を振り払うように、アスティが再び頭を下げた。
「頼みがある、アリッサ——————」
「どうせ、手が足りないから一緒に手伝ってほしいっていうことでしょ。大丈夫、プランの中には私があなたと一緒にリーゼルフォンドに行くことも入ってる。あと、頭を下げるべきは私じゃない……。あなたの誠意を手に取ってくれた目の前の人……そして、これから立ち上がってくれる人……。全員に対して以外ありえない」
「そうだな……まったくもってその通りだ……」
アスティは少しだけ悩んでいた顔を振り払い、前を向き、凛とした態度で残る二人の方に振り向く。
「サリーをお願いできないだろうか。我々が戻るまででいい。この国の民の一人として—————」
「面白いこと言うじゃん。第二王子様。ま、ボクとしては父さんと同じで、連中にはちょーとイラッとしていたし、丁度いい機会だよ。あ、天使ちゃんのことなら任せておいて! むしろ、キミよりも彼女の方が国民感情を煽りやすいからね」
「会長……あなたっ人は……」
「アリッサちゃんはよくわかってるじゃないか。生物は、『正義』という言葉のためなら、どんな道義だろうと枷がゆるくなる。まさに持ってこいの舞台装置じゃないか!」
「ステファンくん……あなたは、若い頃のルドガーに似てきましたね……。ひねくれているところまでもそっくりです……。さて、クエストについてですが、ステファンくんの意見もくみ取って、正義感を煽るものとしましょう。なーに、今回は国からの依頼な上に、勝てばさらなる賠償金を振り分けらえる。お金のことなら心配なさらずとも問題はありません」
「皆——————。感謝する……」
戦端が開かれるまでの十数時間前、国の命運を左右する会議は、こうしてやけにあっさりと終幕した。最後に頭を深々と下げたアスティによって、少しずつ、リリアルガルドという国が動き出す。夜明けまでのほんの少しの間に、瞬く間に準備を整え、強襲を受けたことがまるで嘘のように、軍備の再整備が整い始める。
だが、それは烏合の衆に過ぎず、平均レベル80を超えている鎧の天使たちの前では、押し負けてしまうことだろう。しかしそれでも、確かな志を持った人間の手によって想定以上の結果を招くこともある。
そんな誰もが未来を予測できない夜明けの中、リリアルガルド政府はリーゼルフォンドに電信を送り返す。請求された『サリーの身柄』に対しての返答。
それは、短く、とても簡潔に、そして戦端を開かせるのに時間を要さないほど卑劣に、たった一言だけ—————
『クソくらえ』—————と
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