第12話 超えてはいけない境界線


 同時刻——————— アリッサ




 アリッサは崩壊する街を走り抜けていた。先ほどまでは、鎧の天使と激闘を繰り広げていたが、相手のワンパターンな攻撃に気づいてから、形勢を逆転。結果的に、アリッサは、管槍を戦闘中に破損させるのみで、勝利に至ることができた。

 故に今は、街で未だに暴れている鎧の天使たちを少しでも減らそうと奮闘していた。鎧の天使たちは、この街に住む冒険者や、リリアルガルド国軍などが少しずつ減らしてくれているおかげで、収束に向かいつつある。


 そんな最中、アリッサは上空に打ちあがるような光の柱を目撃する。それは何かを穿ったような槍のようにも見えたため、アリッサは進路を変えてそちらに急行する。もしかしたらまだ戦っている人がいるのかもしれないと胸をざわつかせながら……




 だが、そこでアリッサ瞳孔は大きく見開くこととなる—————



 そこにいたのは、片翼の鎧の男であった。やせ細ったその頬に似つかわしくないほどのフルプレートの鎧。しかし、その口には誰かのものであろう血液がべっとりとついていた。男は咀嚼をしながら何か虚空を見つめている。そして、そんな男の腕には、女性のようにしなやかな右腕があった。


 「ふぅむ……薬草の味でもするかと思いましたが、案外、豚と大差ないですねぇ」


 今までの鎧の天使が理性というものがなかったが故に、アリッサはその男の発言に驚いた。だが、それと同時に、この男が一体何をしているのかという疑念が頭を渦巻く。

 結果、アリッサは、たじろいでしまい、数歩後ろにさがることで、足音を立ててしまった。不幸なことに、その音を聞いた口周りに血液が付いた鎧の天使の男は、アリッサの方をのぞき込むようにして顔を向けた。


 「おやおや、またお客様でしたか……。すみません。ごみ処理をしているので、もうしばしお待ちください……」

 「お前は……いったい……何を……」

 「何って……味見ですよ。これでも私はグルメでしてね。食べたことのないモノがあるという事実にいてもたってもいられないのですよ……」

 「そうじゃない……。お前……は……」


 そうして、アリッサは少しでも冷静さを取り戻そうと、周囲を見てしまう。視界にとらえてしまったのは、純白のワンピースを真っ赤に染めて地面に倒れ伏している誰かの姿。右腕と頭部がなく、息絶えていることがすぐにでもわかる。

 だが、その失われた部位の行先を見つけた瞬間に、アリッサの中の何かが切れた音がした。


 右腕の行先は、先ほどまで口周りに血糊をつけていた男の手の中。そして、もう一つの頭部は、意外にもすぐ近く……。崩壊した建物に打ち込まれていた鉄筋の折れた先……。天を剥くようにして露出したその先端には、落とされた頭部が確かにあった。


 深緑の透き通るような髪は斬り落とされてこそいるが、中性的な顔色と長い耳に見覚えがないはずがない。それは紛れもなく、アリッサがつい先日まで一緒に話していたセイディであった。




 「お前は……絶対に——————」


 空気にアリッサから溢れ出た魔力が覆いかぶさり、一瞬のうちに重しをかけたように灰色に変化させる。アリッサの薄桃色の瞳は見開き、噛みしめた奥歯からは鮮血があふれ出し、頬を伝う。体内の魔力が高速循環し、全身の神経がマヒしたかのようにピリピリとした鈍い痛みを訴えだす。

 心臓の鼓動がアリッサの予想以上にうるさく、前世の記憶が呼び起こされ、アリッサとして過ごしてきた記憶にノイズが走り始める。


 「おやおや。怒りですか!? 私はここで酷い教育を受けるあなた方を救いに来たというのに!」

 「だま……れ……」


 アリッサは、吐き気にも似た頭痛をどうにか堪えながら返事をする。衝動に飲まれてしまえばどんなに楽だったのだろうかと、自嘲気味に笑いつつ、ノイズが走ったことで思い起こされてしまった人々のことを心に刻みつける。それは親友であるフローラやキサラをはじめとしたこの世界でアリッサとして出会った人々……。それらの思いが、白色に染まりかけたアリッサの髪の毛たましいをどうにか現世に引き戻した。


 「あなたはなぜ、このような野蛮な種族と親しくするのです。この世は全て我々人間が納めるべきものです。そう、神がおっしゃられている。だというのに、魔王などという邪悪な存在は我々人間を蔑み、そして世の中の平穏は崩し続けている!」

 「布教活動は大概にしろ、クソ野郎……」

 「おぉ、あなたは、人であるのにも関わらず、偉大なる創造主を信じないのですか!」


 アリッサは聞く耳を一切持たず、瓦礫を蹴り上げて、相手の懐へと入り込む。武器をだすことすらせず、拳に込めた魔力を握り締めながら……。そんなアリッサを迎撃するかのように、光の剣が、降り注ぐ。

 アリッサを地面に縫いつけんばかりに降り注いだ光の剣だが、そのすべては、アリッサに触れる直前で方向を替え、花道を作るかのように鎧の男とアリッサを繋いだ。鎧の男……ピエトロは何が起きたのかすらも理解できないまま、アリッサに接近を許してしまう。だが、それでも、ピエトロは笑っていた。なぜなら、彼には反転魔術があるのだから……



 そんなことを知りもしないアリッサは、ピエトロの直前で、体にブレーキをかけ、勢いを全て右こぶしへと移動していく。そして、アリッサは足から膝、膝から腰、腰から背中、背中から肩、肩から肘、肘から拳へと勢いを伝達させ、拳を、鋼すら容易に打ち砕く兵器へと変貌させる。

 だが、その動作に反して、アリッサの右こぶしがピエトロの鎧の胸元に触れた瞬間、まるで水に小さな波紋を作り出したかのような柔らかい衝撃のみが最初に訪れる。

 その光景を見て、ピエトロは自身の反転魔術が上手く行ったのだと確信した。


 刹那—————


 ピエトロの体はポンボールのように後方に吹き飛び、地面をこすることなく何度も瓦礫に背中を叩きつけることなる。もしも、ピエトロのレベルが90を超えていなければ、この段階で、鎧の中がミキサーにかけられたように、あとには骨と血肉と臓器が入り混じった液体になっていたことだろう。

 吹き飛ばされて、体中の骨が砕け散り、視界が明滅してなお、ピエトロは自分に何が起こったのかを理解できなかった。事実としてわかることは、『反転魔術』が、自分よりも格下と思われる少女に効かなかったことだけである。それ以外は、何故、あそこまでの威力のパンチが繰り出せたのかなどわかるはずもなかった。



 アリッサが行ったことは至極単純な事。拳をぶつけた自身の反作用分も含めて、そのすべての運動エネルギーを、魔術で、ピエトロが身に纏う鎧へと付与しただけのことである。もしも普通の衣服ならば破れるだけで済む。だが、フルプレートはそうもいかない。ほとんどすべての衝撃が、モンスターの素材で鋼よりも強固に作られたチェストプレートへと伝えわることで、まるでその部分を鉄板で殴られたような衝撃がピエトロの肉体に伝播することなった。

 アリッサの持つ『無属性』の魔術では、相手に付与することはできない。だが、相手が身に着けているものや、発動している魔術ならば、話が変わってくる。つまり、相手が発動した光の剣なども、自在に方向を変えることができるのである。ちなみに、アリッサのベクトル操作の魔術は、遠くのものに対しての遠隔発動も可能ではあるが、座標指定などの三次元的な計算が必要となり、その分だけ魔力も消費する。それが動いている的ならば、余計に複雑になる。故に、最大効力で放つならば、今さっき、アリッサが放ったように、接触した段階である必要がある。


 その結果が、数十メートル先まで鎧の天使を弾き飛ばし、装備やレベルの差を埋めた。それを成したアリッサという人物は、何もしゃべらないまま、無言で、歩き出す。歩いている最中、ポツリ、ポツリと、星一つない曇天の空から涙があふれ出し、街で燻る炎を全て沈めていく。

 アリッサは急な豪雨で顔や服を濡らしているのにも関わらず、歩くのを止めず、遂には、瓦礫の中で倒れ伏すピエトロの元へと辿り着く。ピエトロの両手足は瓦礫に叩きつけられた衝撃で引きちぎれ、あらぬ方向に曲がっていた。砕けた鎧からは大量の血液が滴り落ち、泥と雨の中に溶け始めているため、この男が長くないことはアリッサにもすぐにわかる。


 それでも、仰向けに倒れたピエトロに、アリッサは冷ややかな瞳を向けた。それを見て、ピエトロは、干ばつ後で大粒の雨を祝福するかのように、歓喜の声を震わせた。


 「素晴らしい! 素晴らしい! あなたこそ、魔王を倒す本物の勇者となりえましょう!」


 それにアリッサは答えなかった。ただ一言もしゃべらずに、アリッサに対して歓喜と祝福の笑い声を上げ続けるピエトロを見下ろしていた。


 そして、その笑い声をかき消すように、泥にまみれた靴で、顔を踏みつぶした—————



 肉を引きちぎる音と共に、堅いものが砕け散る音が聞こえ、血肉の一部がブーツだけでなく、頬にも叩きつけられる。しかし、降り注ぐ雨は、アリッサの頬を伝い、それすらも即座に洗い流してしまう。


 肉片が地面に落ちて音を立てたのか、そうでないのか、というタイミングで、その血肉や途中で砕けた鎧や、引きちぎれた四肢が全て光の泡となって消えていく。まるで、そこに、踏みつぶした人物が初めからいなかったかのように……。


 アリッサは驚くほど冴え切っている頭で、何も考えることなく、街の炎が全て消え失せた地上から、空を見上げた。アリッサの薄桃色の瞳に反射するかのように、天から降り注いだ大粒の涙は、赤色の光を放ち、そしてまた無色透明に戻っていく。


 自分が泣いているのか、それともそうでないのか自分ではわからないほど、空虚な心の中に沈んでいったアリッサは、天へと吠えるように、声にならない声を上げていた——————


 

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