第18話 死の淵より出でる深淵Ⅱ

 誰かが呼ぶ声が聞こえてきた—————


 冷や汗に似た何かが背中を伝う。このまま体を動かさなければ死ぬぞと、アリッサに警鐘を鳴らし続ける。それに応答し、奥歯を食いしばり、潰れた肺で酸素を取り入れ、心臓に無理やり鼓動を刻ませる。

 その瞬間、アリッサの中の何かが切れた気がした—————


 気付けば、人間らしからぬ白い吐息が漏れ出し、体にもう少しだけ動く気力を与えていく。それは仮初の体力……戦闘後にどんなことがわかるのかはわからない。それでもアリッサはそれを受け入れる。


 その瞬間、体の中の魔力が行き場を失うように暴れ出し、切り裂かれた腹部に白い膜が形成されると共に、偽物の臓器を作り出していく。アリッサの癖の少ない茶色の髪は根元からゆっくりと、光を全て反射するような煌めく白色へと染まっていく。

 跳ねるような心臓の鼓動に瞳孔が大きく開き、アリッサの薄桃色の瞳が異常な輝きを放ち始める。


 「あ……くあぁ……っ——————」


 漏れ出すような声と共に、アリッサの理性は途切れた—————





—————意識が混濁する





—————思考が加速する





—————体が勝手に動き出す




——————すべての光は闇へと消えた






 ナイフを逆手に構えたまま、四肢に力を入れ直し、アリッサは千鳥足でゆっくりと立ち上がる。その光景をゴブリンロードは瀕死の人間が足掻いていると思い込み、嘲笑いながら見ていたが、地面を抉るほど蹴り上げて、一瞬のうちに肉薄したアリッサを見て、認識が変化する。


 瞳の光彩が消えたアリッサの体はそれでも動き続ける。逆手に構えたナイフの柄につけられた魔石が輝きだし、砕け散るとともに、白色に輝きを放ち続ける片手剣へと変貌する。

 そして、そのままゴブリンロードを引き裂こうとするが、ゴブリンロードは咄嗟にラウンドシールドの魔石を使い、キサラの魔術を防いだようにアリッサの攻撃を受け止める。


 純粋な魔力を凝縮しただけの片手剣は盾とぶつかると同時に、激しい閃光を伴うが、薄い障壁のようなものを即座に食い破り、砕く。だが盾が真っ二つに引き裂けると同時に、ゴブリンロードが大きく後ろに飛びのいたため、僅かに腕をかすめた程度で収まる。


 それを確認すると、アリッサはだらりと腕を降ろし、再び千鳥足でふらつきながらゆっくりとゴブリンロード方へと歩いていく。ゴブリンロードはそれを迎撃するために、大きく縦に剣を振るう。剣に込められた魔石の効果によりアリッサの『シールド』は機能しないことをわかっているため、アリッサはそれをサイドステップで飛びのきながら回避し、同時にゴブリンロードの頭部に向けて回し蹴りを放つ。

 空気を引き裂くような破裂音が大空洞に鳴り響いたかと思うと、ゴブリンロードの体はまるでボールのように吹き飛び、大空洞を塞いでいた岩盤に激突する。その瞬間にゴブリンロードが持っていた剣が宙を舞い、遠くへと突き刺さる。

 アリッサは、それでも追撃を止めず、再びノロノロとした足取りで歩いていく。それに恐怖を覚えたゴブリンロードは逃げ出そうと大空洞出口の瓦礫を必死で退け始めるが、瓦礫を退けている右手が宙を舞う。結果、元からの恐怖に加えて、腕を失ったことにより激痛に悶えながら転がることとなる。

 後ろを振り向けば、ゆらゆらとこちらに歩きながら薄桃色の瞳を炎のように揺らめかせているアリッサの姿がある。


 アリッサは、左手で腰に差しているピッケル魔術杖を取り出し、『ブラスト』のチャージを開始する。それを見たゴブリンロードは怯えながら後ずさりして、背中を岩盤に擦り付けた。そして、目に涙を浮かべながらなくなった人の言葉で話し出す。


 「だすげでください。もうごんだことしまぜん。ゆるじでください……」


 その言葉を聞き届けた、アリッサは平衡感覚が定まらない体を左右に揺らしながら、光彩の一切ない瞳で、ゴブリンロードを見下ろし、小さく呟いた。


 「そのセリフ……さっきも聞いた——————」


 アリッサは言葉と共に、左手に貯めていた『ブラスト』でゴブリンロードの右肩を吹き飛ばし、再び『ブラスト』をリチャージする。その間に、順手に構え直した魔力の片手剣で胴体を横一線に薙ぎ祓い腹を引き裂く。そして、再び『ブラスト』を右脚に向けて放ち膝から下を爆散させる。追加でリチャージしながら、右手の片手剣で胴体を引き裂き、心臓に向けて『ブラスト』を発動。胴体が肉片と化してなお、追撃を止めず、最後に片手剣で首を刎ね飛ばし、さらに、わずかに残ったゴブリンロードの胴体を縦に引き裂こうと、腕を振り上げる。


 だがそれを誰かが手首をつかむことで制した————


 それは既にゴブリンチャンプを討伐し終えたキサラであり、アリッサの容姿を見て、驚くような顔と共に、醜悪に歪んだように顔をしかめていた。その悲しそうな表情を見た瞬間に、アリッサの持つ右手の片手剣はガラスが砕け散るように魔力が解け、元のナイフへと戻り、砂のように瓦解していく。アリッサの白色に変化した髪も外側に魔力が弾け飛ぶように砕け散り、元の茶色の髪へと一瞬のうちに変化する。

 そしてそのまま、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちていった。アリッサの体は、まるで魔法を解いたかのように、腹部から再び出血をはじめた。そうして冷たい地面に倒れ伏して、ようやく理性が戻り始めると同時に、意識が泥の中に沈んでいった。

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