第2話 歴史座学その①

 大きなあくびをしながらアリッサが講義室に入ると、まじめに予習をしているキサラの姿が目に映る。だが、時間ぎりぎりに入ってきたにもかかわらず、フローラの姿は見当たらない。キサラの隣の席に座ろうとも思ったが、前の方の席で既にほかのまじめな生徒が座っていたため断念。他に開いている席はないかと見渡し、中間の端に開いているところを見つける。


 「ここ、座っていいですか?」

 「えぇ、構いませんぞ」


 そう言ってアリッサに返答をしてくれたのは、白い毛並みを持つ、魔族の男子生徒。四本足で立っている下半身は山羊の姿をしているが、上半身はきちんと指定の制服を着ている筋肉質な男性の姿をしている。なお、頭は下半身と同じように山羊であった。

 種族名をあまり覚えていないアリッサは、これと言って魔族や亜人に抵抗がないため、特に気にも留めず、その山羊の男子生徒の隣の席に腰かける。

 ちなみにこの学院では半数以上が魔族や亜人族のため、こういった生徒は珍しくはない。一番多いのはヒト種ではあるが、それは単純に総数が多いというだけである。

 アリッサが黙って筆記用具を広げていると、何を思ったのか、その山羊の男子生徒がこちらに声をかけてくる。


 「すみません。宿題を見せてはもらえませんか……」

 「ん? やり忘れちゃったの?」

 「いえ、そうではなく。食べてしまったようです—————」

 「ちょっと、言ってる意味がわかんない」


 アリッサが困っていると、山羊の生徒は、くしゃくしゃになったまま、半分だけ食いちぎられている何かの紙をこちらに見せてくる。


 「えっと……あの……」

 「ペルートスです」

 「いや、名前を聞いてるんじゃなくて……。これは?」

 「先ほどまで宿題であったものです」

 「いやそうじゃなくて、どうしてこうなったのかって……」

 「わたくし、今朝は早く目覚めたものでして、上機嫌に校内を全力疾走で駆け回っておりました。それで、疲れたもので、授業前まで講義室で一睡しようとここに来たわけであります。そして目が覚めると、こうなっていました」

 「うんうん……わけがわからない」

 「おそらく、寝ぼけながら朝食を取ろうと食べてしまったのだと思います」


 話しているだけで疲れて来たのか、アリッサはあきれ果てながら、自身の書いた宿題を渡す。これ以上関わっていると、寝起きの頭が痛くなる気がしたからだ。


 「とりあえず、はい。あってるかわからないから、写したことをバレないようにはしてね」

 「かたじけない。この恩は必ずや果たしまする」


 アリッサがジト目で、眉間にしわを寄せながらため息を吐くと、講義室に一限目の授業の担任が入ってくる。後ろで束ねられた三つ編みにされたエメラルドグリーンが腰まで伸び、同じ色で見るものを魅了するように透き通っている瞳。丸ブチのメガネを身に着け、少しそばかすとしわが顔にある所と、学院の制服ではない紺色のローブを着こなした低身長の女性。アリッサはそれがローザリー講師だということをすぐに理解する。


 「はーい、では皆さん。授業を始めますから席について静かにお願いしますねぇ」


 その一言ともに、世間話などでざわついていた講堂内が瞬時に静まり返る。皆、授業を受ける姿勢だけは、できているようである。


 「今日は前回に引き続き、歴史の授業ですぅ。今日は、周辺諸国の建国についておはなしいたしますよぉ」


 そう言いながら、ローザリーは踊るように魔方陣を空中に描き出し、同時にチョークのような白い棒が空中で動き出し、後ろの大きな黒板に文字を刻みだす。アリッサはおいていかれないように板書を取り始める。


 「今から2000年ほど前、このエルドラード地方は一つの統一国家となっていましたあぁ。東の端はエルドライヒから西の端はリーゼルフォンドまで、それはもう大きな帝国だったのですぅ。今の名前で言うと、マスクヴ連邦と、ノルド連邦とは、特にこれといった戦争をせずに、商業取引も盛んでしたぁ。ですがぁ、そんな故エルドラ帝国と全面戦争となったのがぁ、今でいう魔族の国、アストラル帝国ですねぇ」


 空中に描かれた地図はまるで映像か何かのように、白い線だけで状況を説明しだす。こういった魔術を使用している授業のため、話を聞き逃さない限りは、非常にわかりやすい。


 「戦争の原因はぁ、空気中に拡散している正常なマナが減少したことによるモンスターの増加、それに伴う不作と、人的被害が出たからというった一説がありますがぁ、私個人としてはぁ、故エルドラ帝国が、魔石の産出国であるアストラルに仕掛けた侵略戦争という一説も推したいですねぇ」


 クスクスと笑って見せるローザリーなのだが、彼女も一応魔族であるらしい。なお、この世界の歴史は、『これが絶対に正しい』ということはなく、あくまでも『諸説ある』といった具合に曖昧なものでしかないらしい。ここからローザリーによる当時の出来事などが、少しずつ解説されていく。この辺りから、疲れで眠くなってきているまぶたをこすっているアリッサだが、まだギリギリのラインで眠りについてはいない。


 「————魔族の身体能力や、魔力資質に押されぇ、エルドラ帝国は徐々にその領土を小さくしていきますぅ。最終的にぃ、現在のエルドライヒの首都であるワルシアス付近まで攻めいられたとされていますぅ。ですがぁ、ここでぇ、ある人物が反撃を開始するのでぅ。その人物こそ、後に剣王と呼ばれるクライム・ブリューナス陛下ですねぇ」


 そういいながら、当時の肖像画をローザリーは魔術で映し出す。当時の絵のため、お世辞にも写真のようにきれいではないが、歴史を感じさせるような芸術作品であった。

 ここから、後に剣王と呼ばれる勇者が勢力を盛り返していく出来事が事細かに説明されていく。そのあたりでアリッサの意識は一度、闇に落ちた。

 どうやら、睡魔には抗えなかったようである。


 再び目を覚ますと、いつの間にか終戦しており、エルドラ帝国がどうなっていくかの話に変わっていた。


 「戦争には勝利しましたがぁ、両国ともに疲弊してそれどころではなかったと言われていますぅ。特に、エルドラ帝国の西側は、戦争で使われた魔術などで大地が破壊され、とても住める環境ではなかったと言われていますぅ。エルドラ帝国は、残された市民を集め、現在のエルドライヒ帝国が誕生いたしましたぁ」


 ローザリーは「ですが」と付け加え、戦地となり、人が住めなくなった土地を空中に浮いた教鞭で指さす。


 「エルドライヒの保護を受けられなかった市民、そして亜人族、魔族も多く、この土地に残されてしまいましたぁ。結果、終戦まで導いた4人の英雄のうち3人はこの土地を割譲し、現在の国家形態が出来上がったというわけですぅ。中でも、無秩序な魔術によって汚染された土地を今の状態にした、聖女ブロスティは、今もなお、その教えが受け継がれ、広く市民に知れ渡っていますぅ—————」


 ここで授業終了のチャイムが鳴り響く。それを聞いたローザリーは魔術を止め、空中に描いていた地図などを消していく。最後に、開いていた本を閉じ、一礼をする。


 「本日はここまでですぅ。それでは、先週の課題を教卓に提出して、退出してくださぁい」


 その言葉を聞いたアリッサは大きなあくびと共に、背中を伸ばし、隣で爆睡している山羊の男子生徒から自分の先週の課題を奪い返し、堅くなった体を動かしながら課題を提出し、講義室を後にした。

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