第19話 魔力切れ


 仰向けに倒れ、潰れた肺で息苦しいことを感じながら、アリッサは指一つ動かせずにいた。理由は魔力切れである。最初に逃げているときの『シールド』での消費。少し休んで回復したとはいえ、再発動。それに加えて、幾度となく魔石を暴走させるための過剰投与。これで、今の今まで魔力切れを起こしていなかった方が不思議と言わざる負えなかった。

 アリッサは浅い呼吸を繰り返しながら、目に異物が入っているような鈍い痛みが今更ながらやってきたことに嘆く。元より、最後に立ち上がった時に、眼球から流れていたのかもしれないが、アドレナリンの過剰分泌で抑えられていたようである。それは当然のことながら眼底出血だけではなく、全身の打撲に対しても同じである。視界に広がる澄み渡るような星空とは対照的に、アリッサの全身は地獄絵図のような痛みという警鐘の嵐を呼び起こしていた。

 そんなアリッサを心配してか、誰かがこっちにゆっくりと歩いてくる。


 その人物はアリッサの視界を遮るように顔を覗き込むと、長い髪をかき上げながら無表情のままこちらを凝視する。


 「大丈夫ですか? ニードルベアーは息をしていないようですが、あなたの方ももしかして、呼吸が止まっていますか?」


 それは、吹き飛ばされた後で、気絶していたキサラであった。自分で回復魔術を発動させたのか、前頭部や体の裂傷からの出血は止まっており、血が拭われた後だけが残されている。


 「息は、今にも止まりそうかなぁ……。全身が泣きたいぐらいに痛い……」

 「ちょっと待ってください……。今、あなたにもヒールをかけますから」


 そう言いながら、キサラは、アリッサの体に手をかざし、頭部の傷から治し始める。治癒の暖かい光が輝きだすと、アリッサの額に触れているキサラの冷たい手とは対照的に、熱を帯び始め、同時に一番ひどかった頭痛が引いていく。出血もある程度まで小さくなってきている。あともう少しで、疲れで眠れるぐらいには痛みが消えそうである——————


 刹那、つい先ほどまで自分の枕もとで、しゃがみながら回復魔術をかけていたキサラが、突然ふらつき、立ち上がろうとした瞬間に、バランスを保てなくなり、そのまま仰向けに倒れ伏す。その光景に、アリッサは動かない自分の頭部の代わりに、眼球だけで、そちらの方を凝視する。


 「キサラさん——————っ!?」

 「あ、これ……だめです……」

 「どうしたの————っ!? もしかして服の下にあいつの針が刺さってたりとか—————」

 「いえ——————。そうではなく……魔力切れです」


 直後に、驚嘆と呆れが入り混じったアリッサの困惑の叫びが、誰もいない荒れに荒れた戦闘跡地に響き渡る。


 「ええええええええええぇぇぇ!?!? ちょっ! ここでキサラさんが倒れたら、助けを呼びに行くどころか、他のモンスターから身を護る術もなくなるじゃん……」

 「すみません。わたしも消耗しているのを失念してました」

 「ど、ど、どどうするの? もしかしてこのまま二人で、星空を見ながら仰向けでお昼寝タイム?」

 「それもいいかもしれませんね。今度は、他のモンスターや、悪人に襲われないかの運試しですか……」

 「よくないから!! 今の季節は流石にまずいでしょ! 凍え死ぬから!」

 「あー……たしかにそうですね。じゃあ、また作戦でも—————ぷっ……ふふふ—————」


 何かを思い出したのか、キサラは唐突に言葉を止めて、クスクスと笑いだす。それを聞いて、アリッサも現状のうっかりの阿保らしさと、今までの緊張感のギャップで思わず笑ってしまう。


 「こんなことで、二人で野垂れ死にしないようにする対策とか……。ほんっとバカみたい……。今までの作戦が全部余興みたいになっちゃうじゃん—————」

 「そうですね、アリッサさん。でも、ニードルベアーを倒した今なら、やりたい放題できます。いっそのこと森を燃やしますか?」

 「燃やせる魔力は————?」

 「ありませんね。でしたら、ポーチの中の信号弾を—————」

 「腕は動かせる—————?」

 「指一つ動かないです。このまま寝れば、数時間後ぐらいには動くと思うのですが—————」

 「そっかぁ、じゃあこのまま二人で数時間お休みだねー……って、アホかッ!」

 「そうですね。わたしもそれは勘弁願いたいです。いろいろなところから血を失い過ぎて体が寒いです」

 「あ……それ、私も—————」


 しばしの沈黙が流れ、再び二人が同時に笑いだす。今度は動かせないが、腹の底からの大笑いである。そんな二人はしばしの時間、ひたすらに笑い続け、疲れたころにゆっくりと静かになっていく。


 「そういえば、講義の終了時間ですね。これはどうなるのでしょうか……」 

 「失敗で、『補講』じゃないかなぁ……。もっと変な奴は頭の上に転がってるけど……」

 「それもそうですね。補講の日に、出たい講義の日が重ならなければいいのですが……」

 「それ以前に、帰れるかがわからないでしょ……」

 「いえ、それならば——————」


 そう言いかけたところで、月と星だけの明かりだけで照らされていたはずの瓦礫だらけの地面を、それ以外のぼやけたような揺らめく灯りが照らし出す。どうやら、誰かがこちらに近づいてくるようである。キサラが言葉を止めたことで気づいたアリッサが眼球だけを動かして、そちらの方を見ると、魔術で足元を照らしながら、瓦礫を遊具のように飛び越えてこちらに向かってくる、担任講師のローザリーであった。


 「どうやら、わたしたちは無事に帰れるようです」

 「補講は免れないけどねー」


 そう言って二人はまたクスクスと静かに笑いだす。そんな瓦礫の中で仰向けに倒れたまま笑い合っている二人を見て、ローザリーは困惑の表情を浮かべていた。

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