第18話 生存本能


 光すら差し込まない土の中で、アリッサは目を覚ます。軋むような体に力を入れ、指先から少しずつ体を起こしていく。口に入った土を、血液と共に咳き込みながら吐き出す。頭が未だに重く、吐き気がするために口元に手を当てれば、咳と共に、鼻と口から血液が漏れ出ていることに気づく。さらには、耳にもどろりとした粘性の感触が伝っていることがわかった。加えて、頭を打ったせいなのか視界がチカチカと明滅している。

 生きてはいるようであるが、あまりいい状態とは言えない。それを実感しながら、覆いかぶさるようにして自身の下に押し込めたキサラを探すと、自身と同じように、土の中で倒れていた。呼吸を確認すると、息はしているが、とても弱く、体もぐったりとしている。喘鳴の呼吸音を、くぐもって聞こえる聴覚で聞き取ったため、アリッサは、キサラを抱き起し、数回背中を強く叩く。

 その瞬間、血液と泥が入り混じったものがべチャリという音を立てて地面に叩きつけられる。吐き出すものを吐き出すと、キサラの呼吸は次第に安定を始めたが、額や腕などから血を流しているため、油断はできない。治療をしようとしたが、どうやら、それを許してくれるほど、ニードルベアーは甘くなかったようである。


 大地を揺らす音ともに、周囲の針を退けて近づいてくる音が聞こえてくる—————

 どうやら、本格的に死体を確認するまで、この怪物は止まらないらしい。


 アリッサは、ため息と悪態を吐きながら、キサラを横たわらせて、ゆっくりと立ち上がる。

 もとより倒すつもりでここにいるのだから、恐れる理由などどこにもない。だが、アリッサは同時にどうにもならない現実を知っている。奇跡はあるのかもしれないが、それは偶然の産物—————

 アリッサがおいそれと引き当てられるものではない。先ほどの針の雨の時もそうだった。咄嗟に、圧縮させた爆風で、針の雨の直撃を逸らさなければ今ここで生きてはいない。直撃は避けられたが、余波で生み出した自分たちの爆風でここまで痛めつけられているのだ。


 故に、アリッサは恐怖をしていたとしても、考えることは捨てていなかった。


 もしも、考えることを放棄すれば、その時点でアリッサの命はない。生き残るために、自らのダメージをコントロールし、ギリギリのラインで繋ぎ留めてきたのである。それをもう一度行うことで決着はつく。だが、今度は事前の準備や作戦などは一切ない。周囲にあるもので何とかしなければならない。


 それを自覚し、アリッサは自身の横に落ちていたあるものを手に取った—————


 そして、瓦礫の中からはい出るように、アリッサは地上に顔をのぞかせる。片手には途中で折れて手ごろなサイズとなったニードルベアーの針。その自らの命を奪おうとした兵器を鷲掴みにしていた。

 アリッサは、怪我で揺れる視界の中、鼓膜が破れて失った平衡感覚をどうにか保ちながら、千鳥足で、怪物の前に躍り出る。ニードルベアーは死人が動いたことに驚いたとでもいうように、後ろに飛びのき、距離を取った。どうやら、こちらを警戒しているようである。


 その瞬間、僅かにアリッサは微笑んだ。


 頭から血が流れてしまったが故に、若干、気分が高揚しているのかもしれないと、アリッサ自身は自覚しつつ、怪物が切り離した針をもう一度強く握りしめた。


 「逃げてやんの……レベル差は40ぐらいあるのにねぇ……。もしかして、もう限界なのかな?」


 アリッサの言葉を理解しているのか、手傷を負っているニードルベアーは低い唸り声を上げるだけで、最初のような威勢は存在していない。それを見ながら、アリッサは勝負を決めるためにたった一度だけ深呼吸をして、腰を下げる。



 最後の勝負はほんの一瞬の間——————



 何の合図もなく、怪物が咆哮と同時にこちらに疾駆し、残された左腕の爪で押しつぶそうと上から飛び掛かる。今のアリッサに避けるだけの体力は残されていない。だからといって、攻撃を受ければ、『シールド』を失ったアリッサには致命傷となる。


 だからこそ、アリッサは避けなかった—————



 針を堅い地面に、先端を上にして叩きつける。それと同時に、押しつぶされないように、頭を伏せる。下が岩盤だったおかげか、それともわずかなくぼみにはまったおかげか、針はわずかな間だけ自立し、その鋭利な先端を上に向ける。

 そして、その上にニードルベアーの左前足が振り下ろされる。


 土台とした岩盤は砕け散り、アリッサの顔のスレスレまで怪物の前足が迫る。しかしながらそれ以上、下にはいかなかった。この硬質の針は、ニードルベアーから生まれたものであり、自身を傷つけるには十分すぎたのである。足の裏から貫くように血しぶきが噴き出し、貫通した針の先端が前足の甲から覗かせる。


 怪物は絶叫と共に咆哮し、痛みでわずかに後ろによろける。

 アリッサはそのチャンスを見逃さず、腰に差した短剣を引き抜き、両手で持って、巨体をぐらつかせるニードルベアーの腹部に向けて体重を乗せたまま突進する。

 フィジカルアップの魔術も切れ、通常ならば堅い表皮は貫けない。しかし、アリッサが突き刺したのは、一番最初に成形炸薬弾爆風で穿ったあの傷であった。


 突き刺したナイフは再生していないピンク色の肌を貫通し、怪物の内臓にまで到達する。

だか、この程度では目の前の怪物は倒れない。自らの腹に肉薄するアリッサを弾きだそうと暴れ出す。それに振り払われないようにアリッサは全体重を押し付けたナイフの先端に預け、前へ前へと進み続ける。その瞬間に、全身の血液が沸騰するように熱く感じられ、怪我によりまともに開けられていなかった薄桃色の瞳が大きく開く。


「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ—————ッ!!」


アリッサはそのまま自身は怪物のように咆哮し、ナイフを手首の力でひねり回す。その瞬間に、夥しい量の血液が、腹の中からあふれ出し、アリッサに降り注いでいく。アリッサはそれを位にかえさずに、さらに傷口広げるために、右手の掌底で堅い表皮をずらすように少しずつ傷口を広げていく。その出血量に、口から血を吐きよろめきながら、それでもニードルベアーは最後の力を振り絞り、こちらに既に爪が失われた右前足を振り回して吹き飛ばそうとする。それを確認するよりも早く、アリッサは一度体重を後ろにずらし、怪物の体にナイフを突き刺したまま、手をはなす。そして、膝に体重をかけながら、両足で大地を踏みしめ、ナイフを押し込むために使っていた右手を引き、拳を強く握りしめる。


 「しつこい—————ッ!!!」


 そう言いながら、アリッサはニードルベアーの右腕が当たるよりも早く、ナイフの柄頭を真っ直ぐに勢いよく殴りつけ、自身に残された魔力を全て注ぎ込む。その瞬間に、ナイフの鍔に取り付けられた魔石は白色に輝きだし、過剰な閃光を伴って刀身に伝わっていく。それは殴り飛ばしたアリッサの拳と同じ方向に、衝撃と共に突き抜けていき、刀身が弾け飛ぶ。魔力の塊は、針を失ったニードルベアーの背中を易々と貫通し、淡い光を放ったかと思うと、空気に溶けるように消えていく。その衝撃で、ナイフを突き刺していたニードルベアーの傷口が円形状に大きく広がっていく。


 その瞬間に、ニードルベアーの口から沸騰するような血液があふれ出し、後ろに数歩よろけたかと思うと、仰向けに重低音を響かせながらゆっくりと倒れ伏していく。

 あれだけ驚異的な再生力と生命力を見せた目の前の怪物はそれを最後に、それ以上動くことはなくなった。どうやら、勝負は決着し、アリッサたちは満身創痍ながらも生き延びたようである。


 その状況を確認すると同時に、アリッサは足が震え、全身の力が抜けはじめる。怪我のせいもあったせいか、自重を支えることができず、アリッサは、仰向けに地面へと沈んでいく。

 無理やり動かしていたことに対する反動であるのか、起き上がろうとしても、全身に重りをつけられたように、全く動けない。

 諦めて、両手を広げ、空を見上げると、いつの間にか太陽が沈み、空の色が変わっていた。夕暮れのようなオレンジ色の残光など一切なく、今は星々の光と太陽光を反射した月のみが仰向けに倒れたアリッサの薄桃色の瞳に映る視界に光りを与えていた。


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