第9話 魔術座学 その①

 あれから数日が経過した。アリッサは、部屋や教室でキサラに顔を会わせる度に、何度も話しかけているが、キサラは必要以上の会話はしようとはしなかった。無視をされているというわけではないが、会話をしようとすると、すぐに打ち切られてしまう。

 いつも、隣の席で授業を受けているフローラとは相変わらず、仲がいい。日々の課題の答え合わせや、昼食なども共にしている。ちなみに、モラルがいいのか、教室ではこれと言って喧嘩も起きていない。ただ、数日もするとグループというものが形成され始めるのか、気の合うグループで集まり始めたというのも現状である。


 今日の最後の授業は、魔術座学。つまりは、魔術の基本的構造や、扱い方を詳細に説明している授業である。ちなみに、セントラルでは魔術以外にも、算術学や歴史学をはじめとした、多言語習得、魔石工学、薬学、政治学など、多岐にわたる内容を三年間で学ぶことができる。入学試験である程度の算術学などができることが証明されている生徒しかいないため、一年時で基礎的な内容を習うとはいっても、アリッサの前世の記憶で言う小学生のようなことは習わない。その記憶で言うならば、中学生レベルのものであるため、算術の授業は、アリッサには退屈であった。魔術で簡単に物理法則が捻じ曲げられるこの世界では、高校生以上のレベルの一部の数学は必要ないらしい。アリッサは、内容が簡単にわかるため、来週の講義ではセントラルの制度を生かして、テストを早めに受けることにしている。ちなみに、その他は初めてのことだらけで、あまりわからないというのが、アリッサの現状である。


 「えー、魔術の詠唱には大きく分けて二つあります」


 講堂最前列、つまりは教壇に立つ男の教師は、机の上にある教鞭のような魔術杖を手に取り、話を続ける。


 「皆さんも知っての通り、製図詠唱、口頭詠唱です。前者は、床や壁または紙に描く魔術をはじめとして、事前に魔石に刻んだものを発動するものも一般的です。魔石に刻んでいるものは皆さんが日常生活で使う様々なものに使われていますので、知っているとは思いますが……」


 そう言って、教師は何か小声で小さな言葉を発して、誰もいない空間に、小さな雷槍を射出する。もちろんそれは、どこにも当たることなく空中で霧散して消えていく。


 「逆に、口頭詠唱は本来の意味や使い方を知らない人が大多数です。まず、基礎的なことを確認します。口頭詠唱で重要なことは何でしょう」


 そう言って、フローラが教鞭を向けられる。フローラはゆっくりと立ち上がり、説明を開始する。


 「何も書いていない魔術の陣を空中に描けるかどうかです。この無記述魔術式にスペルを言霊として刻んでいくのが口頭詠唱の基礎だからです」

 「うむ。模範的でいい解答だ。補足をするならば、この無記述魔術式を即座にイメージできるかが重要になってくる。そして、先ほど放った初級魔術の『サンダーランス』の例で言うならば『雷槍よ、敵を穿て』といったスペルを言霊として記述していくことになる」


 「ちなみに」と補足して、教師はもう一度、教鞭を何もない空間に向け直す。そして「『雷槍よ』—————」というたった一言だけで、先ほどと全く同じ魔術を発動する。


 「このように、強固なイメージさえあれば、このように魔術は発動できます。国や地域によって無記述魔術式の形や、魔術スペルが違うのに、同じような効果の魔術ができるのはこのためですね」


 そう言って、教師はどこの国の言語かアリッサにはわからない言葉と共にもう一度、同じ魔術を発動する。見比べても、最初のものと比べて大差はない。


 「なんども同じ魔術を繰り返し練習して、魔術の結果を詳細にイメージすることさえできれば——————ッ!!」


 説明しながら、教師はもう一度同じ魔術を、今度は詠唱などせずに発動する。ただ、今度は少しだけ射程が短くなったように見えた。


 「このように、無詠唱魔術というものになります。ちなみに、僅かなイメージの相違で、消費する魔力量や、威力、射程が大きく崩れます。皆さんが知っている魔術スペルや魔術式はこういったものが最適化されたものであり、オリジナル魔術を作る上で、超えるべき課題となるものです」


 席に座っていた知らない生徒が手を挙げ、質問を求めると、教師はそれを了承して発言を促す。


 「魔術式が最適化されていないとどれぐらい変わるんですか?」

 「そうだねぇ。威力が大きく半減したり、10倍の魔力を消費したり、様々なことが一定の法則で表れる。この辺りは数週間後の講義で詳しく説明するから、詳しいことはそのときにお願いするよ」


 アリッサは必死にノートを取っているが、内容は自分が試したことも含まれていた。あの試行錯誤は既に歴史として先人たちが行っており、アリッサだけが思いついたのではないという事実を知って、落胆と羞恥と関心が同じ割合で頭の中を渦巻く。

 結論を言うのであれば、『誰もが思いつくようなこと』は既に知られている、ということなのであろう。


 「話を戻して……。無詠唱魔術にはさらに二つに分類されるのだけれど、知っている人はいるかい?」


 教師が、ぐるりと講堂を見渡し、誰に当てるのか見定め始める。アリッサは当然の如く、思いつかなかったので、押し黙っていたが、どうやらそれは横に座るフローラも同じらしい。

 数秒の静寂の後、教師は、後ろの席に行儀よく座っている長身の男を指し示す。アリッサはその男に見覚えがあった。忘れもしない、入学パーティの時に、大男の石斧を片手で止めた男子生徒だった。

 漆黒のような黒い髪は眉下まで伸び、耳にもかかり、襟足は首元で止まっている。他人を睨むように鋭い深紅の瞳は、見ているものを威圧しているようだった。服装は着崩しているのか、わざとらしく襟を立てている。


 「じゃあ、そこのキミ。間違えてもいいから答えてくれるかな?」

 「それは、全ての魔術に精通したこの魔王アストラルだとわかっての質問か、教師よ」


 世間の誰もが恥ずかしいと思うようなセリフを平然と吐いた男は立ち上がり、ゆっくりと教壇の方へと歩いていく。アリッサの記憶で言うところの『中二病』というものであるのは確実なのだが、先日のパーティの一件をみるに、実力はあるようである。

 教壇の前に立った。男は理路整然しながら、教師と真正面から向かい合う。


 「実践をしてやろう。貴様が説明したいのは、無詠唱魔術の中の、無魔術式詠唱なのだろう?」

 「おぉ、よく知っているね。じゃあ、見せてもらおうかな」


 そう言って、教師の男は満面の笑みを浮かべて一歩下がる。教師の方も、この男を、事前に打ち合わせでもしていたかのように信頼しているようであった。


 「まずは、通常の魔術。『ウォーターカッター』だ」

 

そう言って、アストラルと名乗ったその黒髪の男子生徒は、軽く手を振り、詠唱もせずに青色の魔方陣を輝かせる。その瞬間、圧縮された水が高速回転し、もう一度軽く手を振ると、手裏剣のように前方の壁に頭一つ分ほども残痕を作り出していく。


「無詠唱魔術など、その道を学ぼうというものであれば誰にでも習得できる。だからこそ、この教師が説明し、授業もある。—————が、しかし、これは少し違う」


 その言葉と共に、その男はもう一度腕を振るう。先ほどと同じように圧縮された水が高速回転をはじめる。今度も無詠唱で発動はしているが、魔方陣は出ていなかった。それを気にせずに、男は射出するために、もう一度軽く手を振る。すると、前回と同じように、射出され、前方の壁の傷が十字となった。それと同時に、赤黒い液体が黒板と教壇近くの床に叩きつけられた。前の方の席に座る生徒の悲鳴で、ようやくアリッサは状況を理解する。

 どうやら、魔術を発動した黒髪の男子生徒の右手の指が、第一関節からすべて斬り落とされているようであった。その影響か、未だに床を叩く水の音が聞こえてくる。


 だが、それは数秒の間だけであり、即座に状況は変化する。まるで時間を巻き戻したかのように、飛び散った血液と、斬り落とされて指先が宙を舞い、男の右手へと集まっていく。数秒後には、壁の傷も含めて何事もなかったかのように元に戻っていた。


 「今のウォーターカッターは無魔術式詠唱だ。簡単なものならば、水を作り出したり、火を出したりと、手の中で制御も難しいわけではない。だが、高度な魔術になれば話は別だ」


 そう言って、アストラルは両手に生み出した火の球をお手玉のように転がし始める。


 「魔方陣には、制御を行う目的のほかに、魔術を行う発動者を保護する機能を持つ。それを取っ払って、魔術による現象のみを引き起こすのが、この無魔術式詠唱。習得できれば、敵に魔術式を読み取られることなく、高速戦闘ができる。—————が、しかし、制御を誤れば、自らのみならず味方にも被害が及ぶ。つまりは、利点を上回るほどにデメリットが大きいために、あまり採用されない魔術発動方式の一つと言える……で、あっているか、教師よ」


 そう言って、アストラルはズボンのポケットに手を突っ込み、ちらりと教師の方を見る。教師はにこやかに微笑み、ゆっくりと拍手をする。


 「パーフェクトだ。より細かい説明は、この講義では扱わないので、気になる人は文献を調べてみたまえ。ちなみに、過去の魔術災害事例集のような内容ばかりになっているので、そういうのが苦手な人は調べない方がいい」


 教師が、冗談半分に笑ったところで、授業の終了を告げる鐘が鳴り響く。それを聞いて、教師も自分のテキスト閉じた。


 「来週のこの時間は、実技になるから注意してくれ。その代わり、再来週はこの講義が2コマ連続になるからね、忘れないように」


 それだけを言い残し、時間に厳しい教師は即座に教室を後にしていく。これで本日の講義はすべて終わりであるため、講義室内では、先ほどの話を試そうという話で多少盛り上がっているようである。アリッサもその例に漏れず、フローラに別れを告げると、急いで演習場の方に向かうのであった。




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