幕間Ⅱ

 時間を入学式の夜まで遡る。あの日、キサラという少女は、他のクラスの人がどのような人なのか、聞き耳を立てるように会場の中心にいた。話しかけてくる人に対しては多少なりの世間話を交わす。そうしているうちに悲劇は起こった。


 「ふーん。魔族の汚らわしい髪の匂いはやっぱり汚物の匂いがするんだな」


 自身の髪の毛を触られたわずかな違和感と、嘲笑う男の声で、顔を顰めながらもキサラはゆっくりと後ろを振り向く。そして、それと同時に、自身の髪に触れている大男の左手を自身の手の甲で弾き飛ばし、手を放させる。

 今までも、このようなことがなかったわけではないため、そういった差別行為自体は毅然とした態度で対応をすることに決めていたキサラにとっては、反射的な行動であった。


 「あら、ごめんなさい。汚物に虫が寄ってきたものだから、ついはたき落としてしまいました」

 「へぇ……。汚らわしい魔族がそんなことしていいと思っているのか? 聖女ブロスティ様の光の鉄槌がお前を焼き尽くし、地獄に落とすことは確定だな」

 「聖女? あぁ……リーゼルフォンドの過激派の方でしたか。でもごめんなさい、私は無宗教ですので、そういった教えはわかりません。それと、わたしは魔族ではなく人間です。見てわからないなんて、目にも聖女様とやらのヒールをかけてもらった方がよいのではないでしょうか」


 煽り言葉に買い言葉が続き、どちらの間にも険悪な空気が流れだす。しかし、大男の眉間にはしわが寄っているが、それを見上げるキサラの表情に変化はない。それを不利と見たのか、大男の方は、手に持っていたワインを振り上げ、キサラに投げつける。


 「おっとすまない!」


 明らかにわざと手を滑らせて、キサラの顔にかかるようにかけているのは目に見えている。しかし、これを馬鹿正直に受ける程、キサラも善人ではない。飛び散るワインの軌道を見て、軽く右にサイドステップをしながら体をひねる。すると、胸元ギリギリの軌道を、広がったワインの雫が弧を描きながら飛び、床に敷かれた絨毯に赤いシミを作っていく。


 「今度は腕に異常をきたしているのですか? 早く教会でお祓いをしてもらってはどうですか」

 「さすがは魔族。無様に逃げるのだけは得意みたいだな」

 「何度も行ってますが、これは生まれついてのものです。あなた方にどうこう言われる筋合いはないですし、第一、ここはあなたの国ではありません。魔族も人間も、どのような種族であれ、知識を身に着ける場所です。それを我慢ならないというのであれば、故郷で過ごした方がよいのではないですか」

 「へぇ、つまり、お前の親は、汚物なんだな。もしかしてスライムとかか? それとも魔王の子孫とかかぁ? だったらこのゲロみてぇな臭いも納得だな。卵から生まれて、汚泥が育てた魔物野郎は汚物なんだなぁ、やっぱり」


 キサラは、右こぶしを強く握りしめ、呼吸を少しだけ浅くし始める。キサラにとって両親とは、自分を命がけで護ってくれた存在であり、遠い彼の地で生きているのかもわからない存在であった。だが、落ち延びたが故に、その両親の覚悟と誇りを汚すことは自分の命よりもあってはならないことであった。


 「口を閉じてもらえませんか。さっきから聞いていればギャーギャーうるさいんですよ。それと、息が臭いです。これ以上、囀るのであれば、声が出ないようにしますけど、どうしますか」

 「魔族は性格が獰猛っていう噂は、本当なんだな。傲慢で、身勝手で、そして身分をわきまえない。今なら、這いつくばって地面をなめれば、お前の母親と共に一生、ペットとして飼ってやるよ。なぁ、いい話だろう?」

 「確認はしました。また、囀りましたね」


 その言葉と同時に、腰に下げていたマジックバックから短剣を引き抜く。戦闘をする想定でパーティに出席してはなかったため、これ以上のものはないが、男の喉元を掻っ切るには十分な刃渡りがある。あまりにも急な動作に、大男の方は一瞬の判断が送れ、後ろにさがるのにワンテンポ遅れてしまう。数歩にも満たない距離のため、地面を蹴り上げ、肉薄したキサラの短剣が、相手の喉を切り裂き、声が出ないようになることは確実であった。

 誰かが間に、割って入らない限りは———————




 この後、ブリューナス王国の第二王子を名乗る男に事情聴取を受け、自室に帰宅したキサラであった。その後は、同室の少女アリッサとつまらないことで口喧嘩をして、今に至る。日をまたいで話しかけられても、解決の糸口が見えないまま、数日が経過している。

 キサラの目線から見て、『アリッサ』という少女は自由奔放で、学ぶという意思も、強くなるという意思も希薄であるように感じた。生きてきた環境も、経験も、何もかもが違うが故に、アリッサの言動全てが、命を繋ぐために必死に生きてきた自分を否定するようで、キサラには鼻についた。


 しかしながら、キサラはアリッサの全てを否定したいわけではなかった。授業でまじめに受けている後姿はその一つであり、何よりも、空いている時間は演習場で自主鍛錬を一人でひたすらにこなし、夜遅く帰ってくる姿には胸を打たれていた。

 少しずつではあるが、キサラはアリッサを認めてしまっていた。しかし、そんな自分自身を否定するかのように、懲りずに話しかけてくるアリッサに段々とキツイ口調で話してしまうのもまた、事実であった。



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