第8話 ルームメイトと喧嘩


 重い空気が室内に立ち込める。理由は至って単純であった。湯あみを終え、髪を乾かし終え、アリッサを待ち受けていたのは、部屋の真ん中で背中を一切曲げず、正座のまま不動の体勢を取っている件の黒髪の少女である。

 会場の豪奢な照明のせいでよく見えなかったが、今近くで見れば、少女の髪色が純粋な黒ではないことはわかる。わずかに青みがかった黒、鴉の翼の色のように艶のある濡羽色といったところだろうか。わずかな釣り目の中にある瞳も同じように水を帯びたように透き通っているが、光はわずかしか反射していない。その髪は癖が全くなく、水のように腰まで伸びている。もみあげを頭の後ろで結んでいるのか、淡紅色と唐紅色を基調としたモダンな柄のリボンが彼女の凛とした輪郭から覗かせている。身長はアリッサと同じか、それよりもわずかに小さいぐらいだろうか。服装は先ほどまでのアリッサと同じように、セントラル指定のブレザー制服だった。今思い返せば、パーティ会場でも、彼女は制服であった。つまりそれは、アリッサと同じように平民である確率が非常に高いという裏返しでもある。

 ただ一つ気になったのは、彼女の肌の色である。黄色をわずかに帯びたその肌はこの辺りでは非常に珍しいどころか、ほとんど見ない。そのそも、肌の色が水色の魔族もいる環境のため、周囲の人間はあまり気にしていないようだったが、アリッサは、その前世の知識から、彼女がどのあたりの出身であるかがの推測が付いたのだが、初対面の相手に聞くほど常識外れでもないため、今は尋ねる気が起きなかった。

 代わりに、二段ベッドの下段のふちに、何食わぬ顔で堂々と腰かける。


 「とりあえず、自己紹介でもしよっか。私はアリッサ。何の変哲もない田舎娘だし、呼び捨てでいいよ」

 「そうはいきません。初対面であのようなことをしてしまったのは事実。まずは謝罪の言葉を述べさせてください」

 「あー……。いいよ、飛び込んだのは私だし……。それに、そんな畏まられると、これから一緒に過ごすことを考えると、窮屈でたまらないから」

 「そういうわけにはいきません——————っ!!」


 頭を下げた彼女に、軽く呆れながらも「いいよいいよ」とあしらいつつ、アリッサは会話を切り返す。


 「もう一度聞くけど、名前はなんていうの?」

 「怒っていないのですか? シャツが血濡れているということは怪我をした、そういうことではないのですか?」

 「まぁしたけど、怒ってないよ。もう治してもらったから何ともないし、気にしなくていいってば……」

 「そうですか。それならば安心しました……。改めて名乗らせてください。わたしは“キサラ”というものです。お好きなように呼んでくれて構いません」


 アリッサのキサラに対しての第一印象は、『話を聞かない堅物』だった。アリッサが怒っていないと言っても食い下がってくる彼女は、こちらの顔色を見てはいなかった。実際、アリッサは本当に怒ってなどいない。それは、飛び込んだのはアリッサ自身であり、キサラという少女にも、剣を抜かねばならない理由があったからだと、アリッサは考えているからである。もちろん、どのような理由があれ、あの場で暴力沙汰を起こしかけたことに関しては賛同してはないし、その理由を知ろうという気も、アリッサにはない。


 「じゃあ、キサラさんで……。さっそく部屋割りだけど、荷物が置かれている通り、机は私が入り口側、ベッドはこっちが私で問題ない?」

 「それで問題ありません。部屋の中も領土の線引きは必要でしょうか?」

 「そこまでしなくていいでしょ……。キサラさんはやりたいの?」

 「いえ、必要はないかと……」


 「じゃあ、そういうことで」と言いつつ、アリッサは荷物の整理を始める。ドタバタと急ぎで出立したため、荷物は少ないが、なけなしの所持金の確認や、明日の用意ぐらいは必要であるため、寝る前に多少は手を動かなければならない。だが、同室の少女との最初の挨拶が『ナイフと右腕』、二回目がシャワールームというのは、今後に響くとアリッサは顔を顰めながら考えていた。プライベートな部分を多少なりとも共有しなければならないのに、互いに安心をできないのは、ストレスになるからである。そんなわけあって、アリッサはため息を一回吐き、手を動かしながら再び静寂を破る。


 「そういえば、キサラさんは同じクラスだったよね。希望したの?」

 「習いたいことが複数あったにすぎません。あまり一つのことに時間はかけたくはありませんので……」

 「まじかー。まぁ、私はなんか入学したらそうなった感じ。できれば、魔術師のクラスにいきたかったんだけどね。そこは運に恵まれなかった感じでして……」

 「魔術師ですか……。あなたは何か得意な魔術とかあるのでしょうか」

 「ないよ——————。というか、使えない」


 一瞬のうちに、キサラの表情が奇異の眼差しに変わる。魔術師志望なのに、魔術が使えないのはどういうことかと疑念に思うのは当然のことであろう。


 「というか、正確には、属性魔術が使えないっていう感じかなー。お恥ずかしながら、いろんな魔力を持ってないみたいでして、私——————」

 「そうですか。ならば、魔力量をあげてはどうですか。多少無理をすれば、ほんのわずかでも使える属性はあるでしょうから」


 膨大な魔力を注ぎ込めば、1%程度の属性魔力でも、その属性の魔術は放てる。ただ、非常に効率が悪いので、だれもやろうとはしない。キサラはこのことを言っているのだろうとアリッサは即座にわかり、思わず自嘲気味に鼻で笑ってしまった。


 「できたら苦労しないんですよねー。言ったでしょ、『持ってない』って……」

 「………。———————失礼ですが、所持属性魔力の割合は? それがわかれば、マッチ程度の火をつけるのにどれぐらいの魔力を注ぎ込めばよいかが、計算で算出できますので、教えてください」

 「だから、無属性100%だって!! ないものにいくらかけようが0。理由はわかった?」

 「それは………。お気の毒でしたね。何か困ったことがあれば言ってください」


 そう言いながら、無表情にキサラは目線を逸らして、日記か何かを書いていた。こちらに興味がないのか、それとも申し訳なさそうにしているのか、アリッサの位置からでは背中しか見えないためわからない。


 「それだけ? もっと驚いたりするものだと思った」

 「単一属性は特段珍しいものでもありませんので、この反応が妥当かと。リーゼルフォンドの聖女は光の単一属性であったと聞き及んでいますし、自慢をしたり、卑下したりするようなことでもないかと言ったただけです」

 「なるほど……。キサラさんって意外と分析家というか、偏見とかそういうのはもたない人だったんだね。——————少し安心した」

 「それはどうもありがとうございました」

 「そういえば、キサラさんは? 闇属性の割合とか高いの?」


 日記を書いていたキサラの万年筆が一瞬止まり、すぐに何事もなかったかのように動き出した。


 「そうですね。闇属性の割合が一番高いです」

 「ちなみに、ほかの所持属性は?」

 

 一度、答えるのが億劫そうな大きなため息が聞こえた後に、「全部です」という驚愕の返答がキサラからくる。この言葉が真実かどうかは定かではないが、仮に真実だというのならば、目の前にいる少女は、万物の才能に恵まれた器用な人間と言わざる負えなかった。


 「すご……。というか、羨ましい……」

 「別にいいことなんてありませんよ……。強くなければすべてが無意味です—————」


 日記を書く手を止め、苦虫を噛みしめたように眉間にしわを寄せ、万年筆を強く握っているキサラの姿を見て、アリッサは焦りと共に話題を変え始める。


 「そ、そういえば! キサラさんは将来の夢とかあるの? キサラさんは才能あるし、宮廷魔術師とか? もしかして、パン屋さんとか?」

 「そうですね……。そういうものに成れたのなら、幸せになれたのかもしれないですね……」


 悲壮漂う顔で、話を続けるキサラを見て、アリッサは話題の振り方を間違えたことに気づく。アリッサは、それなりにコミュニケーションをとれると自負していたのだが、こういうタイプとの会話は苦手らしいということに今更ながら気づき始める。


 「あぁ……えぇっと……。なにかしたい……というか、やらなければならないことがある—————とか?」

 「まぁ、そんなところですね。あまりいい話でもないので、聞いてもつまらないですよ」

 「ふーん……。じゃあ、聞かないでおく。あ、ちなみに私は、探したい人たちがいるからで———————」


 取り留めない話のため、アリッサが気軽に過去を放そうとしたとき、キサラが机の方からこちらに向き直るのを見て、アリッサは言葉を止める。より正確に言うならば、話を聞いていたキサラの表情が、明らかに怒り半分、呆れ半分で曇っていたからである。


 「あの男もそうでしたが、自分のために力を求めて、それで何が嬉しいのですか?」

 「うん……? 嬉しいとかじゃなくて、やりたいことだし、べつにいいんじゃない? それに、自分のやりたいことのために力を求めてなにが悪いの?」

 「悪いとは言っていません。けれど、力を持つものにはそれ相応の振る舞いが要求されるもの。剝き出しの刃で、身勝手に人を不幸にすることの意味をあなたは理解しているのか、と聞いているのです」

 「あのさぁ……。ノブレスオブリージュの考え方はいいことだと思うけど、それとこれはちがうんじゃない? それに私は平民。騎士や王様みたいに誰かを護る義務も、高潔な精神もない。私がどんな理由で力を求めようと、それは私の勝手でしょ?」

 「失望しました——————。あなたが、野盗や差別主義の貴族と一緒だとは思いませんでした」


 アリッサはここまで来て、自分も少し熱くなってしまったことに気づく。相手の棘のある言葉で少々、イラついてしまったことが原因ではあるのだが、それを言ったところで事態は好転しないため、アリッサはこれ以上の言葉を発さず、ただひたすらにキサラの瞳を真正面から見つめることしかできなかった。


 「お話は以上です。可能ならば、もう話しかけないでもらえると助かります。迷惑ですので—————。それでは、おやすみなさい」


 そう言って、キサラは上段にある自身のベッドの中に潜り込んでいく。アリッサはそれをただただ、拳を強く握りしめてみているだけであった。完全にキサラの姿が見えなくなった後、アリッサは一度だけ小さくため息を吐き、部屋の明かり消して、自信も下段のベッドの中に潜り込んでいく。

 疲れのせいなのか、不思議と眠ることは出来たが、心の暗雲が晴れることはなかった—————

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