第7話 飛び出した結果、招いたもの
冷や汗拭い、荒い息を立てながら、会場から寮までの帰路の途中にある木陰に腰を下ろす。痛覚が残っているだけ幸せという気分にアリッサは陥りそうになるが、それもこれも、すべて、大きく腫れたこの右腕のせいであろう。擦れる痛みに歯を食いしばりながらブレザーの袖をまくり上げると、本当に自分の腕なのかと疑いたくなるレベルで腫れていた。内側に着ていたシャツには、傷口からにじみ出た血液でワインをこぼしたように赤く染まっている。
さらなる応急処置をするために、張り付いたシャツをゆっくりと肌から引きはがすと、そこには、鬱血しているのか、青白くなった自身の肌が存在する。
症状を見るに、おそらく、骨にひびが入ったのか、内部で折れているのかの二択ではあるが、回復魔術を使えないアリッサがすべきことは決まっている。
まずは患部を冷やし、その後に添え木でもつければあとは、翌日に保健室にでも駆け込めば何とかなるだろう、などということを想定しつつ、自分の現状と自身の弱さに、アリッサは思わず苦笑いを浮かべた。
「うわ、酷い怪我……。なんであなたは飛び出したのよ……」
誰かの声が聞こえた—————。
アリッサが重たい瞼と顔をあげて、そちらの方を見れば、雲一つない月明りの下が、スカイブルーの透き通るような髪が風になびき、光と影を新たに作り出していた。どうやら、ユリアがこちらを追いかけてきたようである。
「あ、どーも。汚れるから触らない方がいいですよ」
「バカ言ってんじゃないわよ。とっとと、こっちに腕見せなさい」
アリッサはいつの間にか、腕を自分の胸元に引っ込めて隠してしまっていたらしい。そんなアリッサの腕を、こちらが痛がる様子も気に留めずに、強引にユリアは引っ張り出す。
ドレスが汚れることも厭わずに、地面に膝をつき、注意深く傷口を見るその姿は、やはり貴族令嬢には見えない。
「折れてるわね。アリッサ、レベルは?」
「たぶん、10だと思う。ごめんね、低くて……」
「低いことを責めてるんじゃない。でも、流石に友達が死ぬなら怒るからね」
「死なないよ、これぐらいじゃ……。大体、骨が折れたぐらいじゃ人は死なないし……」
これを聞いて、ユリアは面を食らったように驚いたが、即座に呆れたようなため息をまき散らす。
「同じようなことを抜かすバカがいたわ。やせ我慢はほどほどにしておきなさい。ほんとは痛いくせして」
「大丈夫だって、ほら、このと—————ッ!! いだだだだだだだだッ!!」
ユリアがわざとらしく患部を押しつぶしたために、二人しかいない木陰に悲鳴が響き渡ることになる。
「もう一度、言ってみなさい。今度は雑巾みたいに腕を絞るわよ」
「はい、すみません。すっごい痛いです。正直に言って泣きたいぐらい痛いです」
「素直でよろしい。まったく、この場にこのあたしがいたことを、神龍ラグナロク様に感謝なさい」
そう言って、ユリアが傷口に手をかざすと、白色の魔方陣が小さく展開され、アリッサの腕が光り出す。冷たいユリアの手は、熱を帯びた患部から痛みと腫れを瞬く間に小さくしていった。そして、光が収まるころには、傷を負ったことなど皆無であるかのように、問題なく右腕が動き出した。
「回復魔術……。あれ、というか、今、詠唱してた?」
「え、あ、うん。してたよ、心の中で——————」
「腕を雑巾のように絞ってもいい?」
「あ、ごめんなさい、してませんでした。いつもの癖でついうっかり……」
無詠唱魔術というのは、高位の魔術師でも出力や規模や効果が安定しないことで知られている魔術方式である。その信頼性の低さから、魔術師はよっぽどの博打や、緊急性を要しないでない限りは使わない。
「———————。治してもらった手前、聞きにくいんだけどさ……。ユリアって本当に何者?」
「うーん……。説明しづらいというかなんというか、メンドクサイ立ち位置なんだよねーあたしって……。今は、ブリューナス王国の伯爵令嬢で、あんたの友達だと思ってもらえれば助かるかも……」
「わかった。それ以上は聞かない……とでも、いうと思った?」
「ぐぅ……。あ、今回の治療費とドレスについたシミのクリーニング代を請求してもいい?」
「やめてください。お金ありません——————」
「じゃあ、この件は内密にってことで、お願いねー」
アリッサは痛みとは別の意味で「ぐぬぬ」と歯を食いしばる。その光景を面白おかしく、ユリアは笑い始めたため、アリッサもつられて笑ってしまう。
「時が来たらあたしから話すよ。だから、それまでお願い!」
「頼まれなくても、これ以上聞く気はないから……」
「サンキュー。マジで助かるー」
アリッサは伯爵令嬢らしからぬユリアの口調に、二重人格を疑いつつ、木陰から自分の力で立ち上がり、ユリアに手を差し伸べる。ユリアもその手を取って立ち上がり、アリッサの血で汚れたロンググローブで、膝についた土を払う。
「ごめんねー。またあの人の元に戻らなきゃ、心配するから。一人で帰れる?」
「帰れるわ!! 私はユリアの孫か娘か!」
「だよねー。じゃあ、なんかあったら言ってね。あと、遊ぶ約束も忘れないでねー」
そう言いながら手を振って慌ただしく会場に戻りだすユリアの背中を見つつ、アリッサも軽く手を振り返す。今回はユリアのおかげで何とかなったが、次は本当に首が飛びかねないと、自嘲気味に笑いつつ、アリッサも寮へと帰宅するのだった。
◆◆◆
寮に帰ってきて、アリッサはとある問題に気づく。
「このシャツどうしよ……。まぁ、シャツは替えがあるからいいとしても、制服の裏地についたこの血糊は……本当にどうしよ……」
それは先ほどの乱闘騒ぎでついた血液であった。破損すれば交換をしてくれるとパンフレットには書いてあったが、この程度では破損したとは言い切れない。制服のおかげで最悪の事態は避けられたが、面倒ごとも増えてしまった。
アリッサはため息を吐きつつ、とりあえず、先ほどの冷や汗と血液で、あまりいい気分ではなかったため、シャワーを浴びることを決意する。血で汚れた服は、他の家具につかないように、袖の部分だけをたらして、部屋の真ん中にある背の低いテーブルの上に置く。
魔石で外からお湯を沸かさなくても、シャワーから暖かいお湯が出るのは、大変助かるのだが、貧乏性のアリッサにとって、少し引け目は感じていた。けれど、不衛生なのもよくないため、周囲の影響を考慮して湯あみを始める。
アリッサが湯あみをしながら、体についた血を流し落としていると、部屋のドアがノックもなしに開く音が聞こえてくる。一瞬、不審者だと警戒したが、同室者がいたことを思い出し、気にせずに湯あみを続ける。
結果、数十秒後に、部屋を走り回る音と共に、浴室のドアが開け放たれることとなった—————
「あなた、怪我したんですか!? 大丈夫———————。あっ……」
「え? したけど、大丈夫ですよぉ……って、え……?」
二人はお互いの姿を見て十数秒間固まることになる。何故ならば、そこにいたのは、先ほど、パーティ会場で、アリッサのことを斬りつけた黒髪の少女……つまりはその加害者本人だったからである。
静寂の中、熱を帯びた水が、タイル質の床を叩く音だけが、湯気の立ち籠る室内に響いていた……。
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