第2話 試験結果通知
入学試験の日から一月ほどが経過した。結果を残せずに戻ってきたアリッサを彼女の両親は責めることなく迎え入れてくれた。一カ月たった今でも、あの時のことは昨日のことのように思い出せる。あの時に感じた恐怖、そして取り戻してしまった前世の記憶。窓の外に思いを馳せれば、長い冬が終わり、春がもうすぐやってくることを、動き始めた動物たちが教えてくれる。
アリッサは一つだけため息を吐きながら、家事の続きをする。庭では汗まみれの金色の髪の毛を後ろに流した父親が、青空と同じ碧眼を輝かせながら薪を割っている。少し目線をずらせば、オーケストラの指揮者のように、小さな杖を振るい、水属性の魔術で何もないところに水球を作り出しながら、洗濯物をこなす彼女の母親がいる。父親と同じように金色に輝く艶やかな髪を、頭の後ろで垂れ下がるように結んでいる。アリッサの前世の記憶ではポニーテールという髪形らしいのだが、おそらく作業をする際の利便性がいいのだろう。窓の外を見ているアリッサに気づき、母親は時折、庭に根付く草樹のような澄み渡る瞳をこちらに向けて手を振ってくれる。
アリッサはそれに軽く返答をしながら、自身の仕事を進める。母親のように魔術を上手く扱えないアリッサは自分の力だけで、まな板の上に並べられた根菜類を手際よく、切り分けていく。半身が扱えなかった前世では経験のなかったことであるが、アリッサとしての経験と記憶が生きているため、この辺りでミスを犯してしまうことはない。
油の引かれた鉄板に、庭で飼っているニワトリらしき鳥の生みたての卵を入れつつ、今朝がた解凍した燻製の肉を軽く炙っていく。
前世の記憶であるようなライフライン……つまりは、電気ガス水道は存在しない。しかしながら、文明レベルは中世というよりは現代に近い。だからと言って、現代というわけではなく、あえて言葉を探すならば、日本の年号の『昭和』に近い。電気やガス、電子回路を含む製品の代わりに魔術を込めた魔術石と呼ばれるものが扱われている。そこに、僅かな魔力を注げば、熱や光を事前に込めた術式通りに生み出してくれる。水道も聞いた話によると、土属性の魔術を応用して、床下まで水を通して、浄化をこなした水が蛇口から出るようになっている。
つまりは、科学の代わりに魔術が発展していったということなのだが、決して物理法則が滅茶苦茶というわけでなく、運動方程式や、化学反応などは概ね同じであることがこの一か月間で、アリッサが狩猟の片手間に調べ上げたことだった。
出来上がった料理を木製のさらに取り分けていると、自身の足にしがみついてくる生物がいた。生物とは言っても、父親と母親の遺伝子を余すことなく受け継いだアリッサの妹だ。怖い夢でも見たのか、アリッサの足を放そうとはしなかった。
アリッサは軽く微笑んで、二人を両脇に担ぎ上げて、食卓の椅子に座らせる。脱出を試みようとする子供に気を配りながら、家事を続けていく。
そうして、もうすぐ完成というあたりで、顔を洗ってきたアリッサの弟も礼儀正しく、食卓に腰かける。それを皮切りに、作業を終えた彼女の両親も食卓に着き始める。
弟の特徴を確認して、その事実に目を伏せつつ、アリッサは食事を続ける。
自身の弟の特徴も、アリッサの両親を細部まで遺伝させていた。金髪に緑色の瞳、鼻のあたりは父親に似ているだろうか……。それに比べて、アリッサという少女の特徴はあまりにもそこに馴染んではいなかった。
薄桃色のぱっちりとした瞳と肩まで伸びた茶色の髪、さらには、顔立ちなどの明らかな不一致……。アリッサがその事実に気づいてしまったのは5年ほど前だ。当時の彼女はその事実を両親に問いただし、ある事実を聞かされた。
それは、アリッサが両親の実の子供ではないということだった—————。
アリッサという少女は、いつの間にかこの家の前に置かれていて、それを見つけた両親がここまで育ててくれた、というものだった。幸いだったのが、両親がそれでもアリッサという少女を受け入れ、本当の家族だと言ってくれたことだろう。その言葉に、アリッサという少女がどれだけ安堵し、救われたことだろうか。だが、救われたという事実と、現実の問題は別である。その事実を知って数か月後に少女の頭の中に渦巻いたのは、『本当の両親は誰か』ということだった。両親はそれ以上知っていることもなく、村の周囲の人間を当たっても、情報を得られることはなかった。
だからこそ、彼女は強くなりたいと思った——————
誰かを救うなどという高潔な理由などではなく、自らの起源を知るために力を追い求め始めた。宮廷魔術師にでもなれば機密情報に閲覧できるのかもしれないし、レベルが上がれば旅をして情報を集めることもできる。もしかしたら、永遠を生きると言われる賢者メルリヌスにでも会うことができれば、真実も知ることができる。
そのためにも、その教育を行ってくれる場所を追い求め、両親に頼み込み、僅かな路銀を手に旅立ったのが、一カ月前だ。
今となっては、どうしようもできないことだ。しかし、そのせいでアリッサは計画が足元から崩れ落ち、次の一手を決めかねていることも事実だった。
それは食事を終えて独りで後片付けをしている間も永遠とどうするべきかという思考めぐり続ける。指導者に頼れない以上、何らかの手段をとらなければならない。成人してから、上京し、どこかの冒険者ギルドに入るというのも手だろう。
だが、どんな手段をとるにしてもまともな教育を受けられない以上、時間を要することは明白であった。
そんな状況に、ため息を吐きつつ、地道な努力でやるしかないと前向きに考え始めたときだった。誰かが、家のドアをノックした。
在中していることを声で示しつつ、掃除の手を止めて玄関の方に駆け寄っていく。アリッサはのぞき窓を軽く見つつ、特に気にせずドアを開ける。この辺りは、盗む物もない故に、野党の類もいないため、警戒するだけ無駄ということもある。
外開きのドアをあけ放ち、立っていた人物を見ると、そこにはアリッサと同じぐらいかそれ以上の男性がいた。身なりはこの村の人間とは思えない。というよりは、入学試験の時に何度も見たことがあるようなセントラルの制服だった。男性の体型はお世辞にも整っているとは言えなかった。いい意味で言えばふくよか、悪い意味で言えば肥満であるといったことだろう。胸元よりも大きく前に出たウエストに、内側の骨が見えないほどの覆われている頬の輪郭。男性は癖のあるこげ茶色の短髪を弄りつつ、その巨体に似使わないほどに鋭い
鸚緑の瞳でこちらを凝視する。
それにアリッサはたじろぎつつ、勇気をだして声を振り絞る。
「あの……うちに何か用ですか?」
「あー……っ。えっと、突然に来訪してすまない……。受験結果を伝える封書は届いているか?」
「封書? 不合格者には送付しないんじゃないんですか」
「あー……。やっぱりか……。通りで返信がないわけだ……。通信魔術も試したんだが、通じなかったのをみると、そちらは書き間違えたな……」
「え?えっと……ごめんなさい……」
小太りの男はため息を吐きつつ。大きな腰のカバンから、一つの封書を取り出し、宛名を確認する。
「キミのような人がたまにいるんだ……。だから、こうして毎年、面倒ごとが増える……。まぁ、愚痴を言っても仕方ない。一応確認するけど、名前は?」
「———————アリッサです。もしかして、セントラルからの結果通知ですか?それとも、他の学園への推薦状ですか?」
前述の通り、例えセントラルに落ちても、多少のお金はかかるが、周辺のセントラルよりも低いレベルの学校に入学することは出来る。ちなみに、セントラルは入学金から授業料などは免除され、必要なのは生活費のみとなっている。つまりそれは、階級に囚われない実力主義の世界がそこにあることを暗に示してるのである。
「俺はただ手紙を届けるだけの役割だ。中身は知らん。自分で確認しろ——————」
そう言って、小太りの男は、こちらに封書を押し付けてくる。ろう付けされた封書をアリッサは受け取り、どうせ落ちていると考えて、ナイフの類を使わずに横の部分を持って破るように封を切り始める。
そのガサツさに小太りの男は呆気にとられたように放心しているが、アリッサは横目に見つつ、封筒の中の手紙を引っ張り出す。四つ折りにされた紙を広げ、そこに書かれた文字を読み始める。内容を理解した瞬間に、アリッサは自分の奥から湧き上がる感情を抑えられず、嗚咽をこらえなら口を覆う。そして力の抜けた足腰が強制的に膝をつかせるのに抗うことができず、へたり込んでなお、手紙の内容を凝視していた。
それを見て、小太りの男はしわや乾燥が酷い手を叩き、何もない青空に響くような祝砲を鳴らし始める。
「おめでとう、アリッサ。——————補欠入学だ。いや、返答期日は過ぎているし、こちらが補欠審査の結果をこの場で伝えよう」
男は一呼吸おいて、くしゃくしゃにした手紙を胸元に引き寄せて泣いているアリッサに淡々と言葉を続ける。
「試験合格おめでとう。アリッサ殿—————審査の結果、キミを我らが中央学院高等学校に合格したことをここに通知する」
アリッサという少女はいつの間にか諦めていた。そのことが何よりも衝撃的で、何よりもうれしいという感情を引き出していた。堪えられずに出てきた嬉し涙が床を濡らすのを厭わずに、ただひたすらに泣き続けた。やがて、それはいつの間にか収まっていき、涙も止まり始める。そうして力の入るようになった四肢で再び立ち上がり、腫れた瞳を拭いながら頭を下げる。
「ありがとうございました。あなたが届けてくれなければ——————」
「礼はいらない。仕事だからな……。それより、返答期日が過ぎている関係で、手続きを早めに進めなければならない。急ぎ書かなければいけない書類がある。あとそれと、出立の用意をしてくれ」
小太りの男はそれだけ告げると、こちらの都合を気にせずにアリッサの横を通り抜けて、リビングの椅子に腰かける。そして腰につけたバックから書類一式を机の上に広げ、自らは足を組み、こちらが記入するべき場所がわかりやすいように丸を付け始める。
「何をしている。キミの保護者も呼んできてくれ。あまり時間がないんだ」
「あのー……。少し焦りすぎじゃないですかね……。幾ら過ぎているとはいっても、こうして学園側の了承が得られているんですし、多少遅れても……」
アリッサがあまりの光景にどぎまぎしつつ、鬼の形相で書類を進める小太りの男の機嫌を取るようにのぞき込む。すると、その男は、アリッサの薄桃色の瞳を睨み返すように眉を細めて、書いていたペンをテーブルの上に置いた。
「お前……セントラルの入学式が何日か知っているか?」
「え?そういった書面は受け取ってないので——————」
この言葉をアリッサが発言するとともに、男は深いため息を吐き、頭を抱えて、ふさぎ込む。だがそれはほんの数秒のことで、男は頭を軽く掻いて、アリッサの方へ向き直る。
「明日だ——————。入学式は……」
「————————はい??」
感嘆と静寂の入り混じった疑念の声がアリッサからたった一言だけ漏れ、即座に、慌ただしく時が刻みだした。
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