第1部 天恵は誰がために

第1章 互いを認めること

第1話 転生者は思い出す

 吐き気を伴った突き刺すような頭痛と、焦点の定まることのない眩暈の中で少女は目を覚ます。体中が疲労のような倦怠感が通り抜けているが、四肢は全部繋がっている。それを認識するよりも先に、一筋の雫が少女の頬を流れていく。


 少女は思い出した——————


 それは自身の記憶ではなかった。否、正しいことを言うならば自身の記憶なのだろう。夢のような出来事のはずなのに、その記憶を自身の魂は否定することができない。それどころか、記憶の中で取り戻した人格が自身の中に溶けていく感覚すらある。

 少女のかつての名前は『長瀬望』というどこにでもいる人間であった。その人間は、好きなことにのめり込みすぎる性格であり、熱血で、そして、どうしようもなくお人好しであった。

大好きだった野球というスポーツ競技に対し、人生と青春をかけて努力を続けていた。毎日の練習でかいた汗と土の匂いは少女にも昨日のことのように思い出せた。

 

 結論から言うならば、その人間は不運だった—————


 高校生になって初めての冬。努力のおかげで、強豪校であるのにも関わらず、レギュラーに抜擢された。両親も、彼自身もそのことを喜び、そして、これからの将来のことに前を向き、憧れの球場に立つことをチームメンバーと目指した。


 だが、その人間が球場に立つことは二度となかった—————


 試合の前日、暗くなった帰路を歩いていた。そこで、その人間は自分の手で運命を変えてしまった。『もしもあの時に……』などという選択は、もうできないのだが、違う未来もあったと願ってしまうのは人間としての性だと少女はため息をつく。


 その人間は酷くお人好しだった—————


 その日にたまたま目撃してしまっただけなのだ。その日にたまたま、体が動いてしまっただけなのだ。タイヤの滑るようなスキール音と粉雪が溶けていくアスファルトの色。そして、目の前にいるのは、その人間よりも幼い小さな女子生徒。制御を失い、暴れ馬のように向かってくる鉄の塊を止める術などなく、突然の事故は起きてしまった。唯一、幸いだったのは、その男が咄嗟に突き飛ばしたことで、命が一つ救われたことだろう。

 だが、その代償は大きかった—————

 

 人間はこれで死ねなかった。死んでいればただの悲劇。そう、苦しみはここから始まっていた。全身の鈍い痛みと共に目を覚ましたその人間の顔はどうしようもないほどに絶望に染まった。


 動かなかった—————


 右手と右足が動かなかった。麻酔のせいで動きにくいというのではなく、繋がっている感覚はあるのに、ほとんどといっていいほど動かない。固定されている左手の指先はギブスの中でわずかに動く。自身の置かれた状況を飲み込めば飲み込むほどに、動かした左腕の鈍い痛みなどより強い疑念と混乱の渦に消えていく。そこから治療と共にその人間の地獄は始まった。


 何も残らなかった—————


 順風満帆だった人生はそこから存在していなかった。左手の骨が繋がり、左足が動かせるようになろうとも、失ったものは戻ってこなかった。

 大好きだったことも、大切にしてたことも、ずっと努力してたことも、何もかもが無意味だったと、誰かに押された車椅子が物語っていた。周囲も哀れみや同情を向けるだけで、何もすることができない。その光景を見るたびに虚しさだけが胸を突き抜けた。


 だが、それでもその人間は生きることをやめなかった———————


 こんな自分にも何かができるはずだと、文字を書いたことない左手でペンを持った。歩けないならば、座って頭を使えばよいと、今までないがしろにしてきた知識をむさぼった。まるで、絶望から逃げるように、自身の無気力さから逃げるように、そして、大好きだったことから逃げるように……。

 寝ることも忘れて、あの日大好きだったことに追想するかのように、ただひたすらにペンをとり続けた。ただひたすらに机に向かい続けた。


 そして、一つを取り戻した—————


 その執念は、やがて結果となって現れ、より良い進路を動かないはずの足で迷わずに歩き続けた。友人と呼べる人物もそれなりできていた。

 たまには、お酒で全てを忘れることも覚えた。それでも、無くしてきたものには届くことはなかった。だから、その人間は絶対に止まることはなかった。眩暈や吐き気を押し殺し、周囲の視線も顧みず、ただひたすらに机に向かい続けた。


 最後の記憶は、よく憶えていない。


 文字を書いていたはずなのに、脱力感と激しい頭痛が同時に走り抜け、視界が暗くなっていって、そこからはよく憶えていない。事実としてわかることは、ここでこの人間の人生がようやく終わりを迎えたということだった。

 少女はそれらのことを全て思い出し、同時に自分の名前を再認識する。たとえ、記憶や人格を取り戻そうと、今の体で過ごしてきた15の年月は消えなかったようである。それは、少女の人格と生前の人格がほとんど一致していたことが大きいのだろう。唯一違和感があるのは、体の性別と記憶の人格が一致しないことだけだろう。

 少女は眠気の酷い頭を左右に振ることで強引に覚醒させ、鈍い痛みが走る上半身を純白のシーツの上から起こす。誰かが、治癒魔術をかけてくれたおかげで、体は無事であるが、再生させた影響で体力はほとんど残っていないように思える。

 それでも、少女は夕日のせいで茜色に染まる窓辺を見る。もう一度、自身を再認識するために——————

 身長は、座高のみであるが、年相応にある。筋骨隆々というわけではないが、野山や畑仕事のせいで、多少なり筋力はついているようである。胸は、ないというわけではないが、おそらく控えめな部類に位置する。そして、顔の輪郭は、僅かに幼さが残るが、すこし日焼けしているところを見ると、健康状態に問題はなさそうである。窓から見える花壇に溶け込むような薄桃色のぱっちりとした瞳で、外傷を確認しつつ、最後に、寝癖が立ってしまった肩まで伸びた茶色の髪を、いつもの癖のない状態に手で戻していく。


 そして少女は『アリッサ』という名前を認識した。


 アリッサは今まで自分がしてきたことの回想を始める。そして思い出す。

 将来的にやりたいことの為にここの門をくぐり、試験を受けていたこと、そしてその途中で意識を失ってしまったこと。あれから何時間ほどたったのだろうか、もしかしたら日付をまたいでしまった可能性もある。そう思いつつ、下半身から羽毛の布団を引きはがし、まだしびれが残る足を、冷たい床の上に乗せる。そして、腕に力をいれ、屈んだ姿勢から上半身ごとゆっくりと自らの力で立ち上がろうとしたとき、突然、目の前の扉が開かれた。


 突然の物音に驚きつつ、アリッサは立ち上がるのを急停止して顔をあげる。すると、半開きとなったスライド式のドアに誰かが立っているのが見えた。

 それは、アリッサよりも一回り程大きい、輪郭が少しだけ骨ばったやせ型の男だった。純白の白衣らしき服を着こなしているところを見るに、ここの担当医であることは間違いないのだろう。男は自身の無精ひげをさすりつつ、あまり整えていない髪の毛を掻いた後、こちらを見て、焦点を合わせるために、黒縁のメガネを少しだけ上げる。


 「おや?ようやく目を覚ましたのですか」

 「あ、どうも……。えーっと、ここはもしかして、天国とかじゃないですよね?」


 苦笑いを浮かべつつ、アリッサが不器用に笑って見せると、男は微笑んで、冷めたコーヒーらしき黒い液体を自身のマグカップに注ぎつつ、背もたれのないパイプ椅子に腰かけた。


 「残念ながら、キミは死んではいない。まだ体に痺れが残っているのだろう?無理もない、三日も寝ていたんだからね……」

 「————三日もッ!? じゃあ、入学試験は?」

 「残念ながらつつがなく終わったとも……。まぁ安心したまえ、圏歴2015年という月日の中でたった三日ほど寝ていたにすぎない。今から準備をすれば、周辺の学校に編入は出来るはずだ」

 「………。ごめんなさい、実は、そこまでのお金が用意できなくて」


 二人の間にしばしの沈黙が流れる。医者らしき男は少し気まずそうにしながら頭を下げる。どちらにも非はあまりないため、アリッサも特に気にしている様子はない。


 「いらないことを言ってしまったね。おっと、名乗り遅れた。僕の名前はハンスだ。寝起きで悪いが、軽く問診をさせてもらうけどいいかな?」

 「どうぞ。といっても、異常はないのですが……」

 「では遠慮なく……。名前と出身地を答えられるかい?」

 「アリッサです。出身は、南方山脈を超えた先にあるアルド村です」

 「ふむ……。記憶障害はなさそうだね」


 アリッサとしての記憶は知っているのだが、転生者としての違和感が少しだけあった。元の世界ではどんな人でも大抵は苗字を持っていた。だが、この世界においては貴族や領主のような人しか持っていない。そんなわずかな知識の齟齬がアリッサとしての感覚にわずかな乖離を及ぼす。特に影響があるというわけではないが、まだ転生前の記憶が、現在の記憶に馴染んでいないことは明白であった。アリッサはそんな感情のぶれを胸の奥底に押し殺しつつ、ハンスの問診を聞く姿勢を整える。


 「自分が何で倒れたのかわかるかい?」

 「えぇっと……。たしか、実技試験の途中で、何か光って……。そうだ!他の生徒たちは大丈夫だったんですか?」

 「他の生徒?あぁ……奇跡的にキミ以外は軽い怪我で済んだからね。だからこそ、つつがなく終わってしまったんだが……」

 

 『あぁ、だからこそ、再試験はないんだ』と落胆しつつ、アリッサは医師の深刻そうな顔を緩和させるために、再度苦笑いを浮かべてみせる。


 「てへへ……。じゃあ、実技の成績は直前の魔力量測定の結果だけですかね。あとは筆記がそれなりに出来ていれば……」

 「それも残念ながら、キミの成績では実技を省いた場合、何らかの奇跡でも起きない限り入学は不可能だ。厳しいことをいうが、ゆっくり休んで、実家に帰りなさい」

 「………そうですか。面倒を見ていただきありがとうございました。今年はダメだったけど、来年は頑張れるように頑張ります。」

 

 アリッサは悔しさに声を震わせつつ、ひたすらに平静を装って話し続ける。そんな姿を見てか、医者であるハンスは畏怖と哀れみを混ぜた視線をこちらに向けた。


 「キミ……。言いたくないならば答えなくていいが、キミの現在のレベルは?」

 「えっと……9、ですかね……」


 この世界には、ありとあらゆる生物にレベルという概念が存在する。街道や遺跡にいるモンスターや人間を倒せば、マナと呼ばれる物質が魂と融合し、より強い生命体に進化を遂げていく。レベルが上がることで一度に扱える魔力量や、肉体能力が向上していく。しかしながら、どのように向上していくかは本人の資質によるため、自身の好きなようにゲーム感覚で上げることはできない。肉体能力が向上することで、長い距離を走れるようになったり、素早く動けたり、岩を両断したりと、おおよそ人間にはできない芸当もできるようになってくるが、この世界ではこれが普通のようである。

 しかしながら、肉体能力が向上したからと言って、体に変化があるわけではない。あくまで魂の資質が上がることがレベルアップであるため、小人が巨人になるということはないらしい。

 ちなみに、アリッサの現在のレベル9というのは、一般の村人や街で暮らす人よりもわずかに運動が得意である、というほどでしかない。きちんとした訓令過程を終えた兵士でレベル30程度、冒険者と呼ばれる何でも屋の平均で40程度。宮廷魔術師や、歴戦の騎士ともなれば70~100が一般的と言われ、それ以上になると、ネームドと呼ばれるような名の残る英雄の領域になっていく。アリッサの知識では、レベルの上限がいくつであるのかはわからない。だが、世界にはそういった人外クラスのレベルを持つものがいるのも確かである。

 アリッサのレベルを聞いたハンスは一口だけ冷めたコーヒーに口をつけて話を続ける。


 「それでは不十分だ。合格者の一般的なレベルは20。最低でも15は必要になる。キミはたしかに村ではそれなりに優秀だったのかもしれない。けれど、このリリアルガルドのセントラルにおいて、それは通じない」


 永世中立学術国家リリアルガルド——————。

 このエウロピア大陸に存在する諸外国の中で、一番面積が小さい。西の魔導大国リーゼルフォンドと東の軍事王国ブリューナスに挟まれ、海をまたいで北には魔人族と呼ばれる種族が世界している魔族王国アストラルがある。小国ではあるが、優れた知識や技術を求めて、この国に学びに来る人間は多い。そうして形成されたのは、リリアルガルドの首都ベネルクに存在している巨大な学園都市である。様々な学校が乱立し、学びに来る若者や、その就職先である、冒険者や皇室警備隊、そして研究所なども存在している。

 その中でも、魔術学園の中でエリートが集まると言われている中央高等学院、通称『セントラル』を卒業すれば、各国の宮廷魔術師など、引く手数多になると言われている。学院側も、可能性がある若者を積極的に入学させ、最初のレベルが15だとしても、卒業まで生きていれば、50を超えているというのがもっぱらの噂である。

 だからこそ、平凡であったアリッサはこの学園に入学することが叶わなかったのだが—————

 だが、そんな現実を叩きつけられてなお、アリッサという少女の魂は折れてはいなかった。それは転生の影響であるのか、それとも生来の資質であるのかは定かではないが、彼女の薄桃色の瞳が輝きを無くしたことはなかった。故に、少女は凛とした姿勢で、諭してくるハンスの瞳に自身の顔を鏡のように映す。


 「わかっています。でも、どうしてもやりたいことがあるんです。そのためには、知識と戦闘技術、あるいは過酷な環境で生きる術を身につけなきゃいけないんです」


 あまりにも真っ直ぐにこちらを見据えるアリッサに少しだけ怖気づいてしまったハンスは、わざと目線を外し、冷めたコーヒーを再度口にする。


 「残念ながら、僕が力になることは出来ない。来年に挑むというのであれば、止める権利もない。だが、医者として、今日ぐらいは体を休めることを進めておく」

 「それは私が怪我をしたからですか?」

 「それもある。これは伝えるべきか悩んでいたが、今の君に対する警告になるというのであれば伝えよう」

 ハンスはここで一度区切る。そして深呼吸をしてカルテに再度目を通した。

 「アリッサくん。キミは他の生徒が放った魔術に巻き込まれて死にかけたんだ。右肘から下が消失、抉れた腹部から大量出血。左膝から下には飛び散った大きな瓦礫が突き刺さっていて、キミの肉体なのかそれとも石の塊なのかわからなくなっていた」

 「————————ッ!!」

 「今でこそ、聖魔術の回復で繋がっているが、キミの体の内側は、今でも文字通りバラバラなんだよ……。手足の痺れもそのせいだ。キミを救ってくれた天才的な魔術師がいなければ、キミはあの時死んで、ここにはいない」


 思わず想像して息を飲んでしまったアリッサとは対照的に、マグカップに残っていたコーヒーを飲みほしたハンスは、気まずさから逃げるように立ち上がる。

 アリッサも恐怖心を強引に押し殺しつつ、震えた声で去ろうとするハンスに声をかける。


 「もしも、あの時死んでいたら……。私は他の誰かに生まれ変わっていたのでしょうか……」

 「……。輪廻転生の話かい? 稀に、生前の記憶を持ったまま生まれてくる人がいると聞いたことはあるが、生まれ変わったとして何が変わるのかな?レベルや生来の才能に変化はないと思うがね……」

 「そう……ですよね……」


 夢物語のような話になったと呆れと落胆の顔を浮かべたハンスをみて、アリッサはそれ以上のことは話さなかった。例え、今の自分のことを話したからと言って何か変わるとは思えなかったからである。それどころか、信じてもらえるわけがないとすら思っていた。

 だからこそ、それ以上の言葉をかけず、ハンスがこの病室から去るのをただただ見送った。結果的にだが、そのせいで、ハンスが去った後に孤独感を引き金に、先ほどまでの死の体験がフラッシュバックすることとなった。

 押し寄せるのは、どうすることもできない恐怖だ。一度死んだという経験をしているのにも関わらず、『死』という経験はなれることができない。考えるだけで、足がすくみ、手先が震えてしまう。

 アリッサという少女も、その生前も、結局のところは『普通の人間』なのである。蛮勇でも勇者でもないからこそ、未知のものや命に関しての感情で大きく揺さぶられてしまう。いずれ慣れる可能性もあるが、当分の間は無理そうである。

 もしも、全てを解決するようなチート能力が、ゲームや小説のようについてきて、誰にも負けないほど強ければと、苦虫を噛みしめつつ、アリッサは自身の非力さを嘆き、そして恐怖から逃げるように病室の布団の奥に潜り込んだ。

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