第5話 朝餉


 居間として案内された座敷を訪れて私は目を瞠った。食堂でもないのに既に食事が用意されている。割烹着を纏って忙しく働く水希ちゃんを見て慌てて何か手伝った方が良いかと尋ねた。


「いいえ。座っていてください。もう終わりますから」


 断られたなと思いながら私は膳の前に座った。雨竜さんはもう座っている。おひつから米をよそって水希ちゃんがお茶碗を置いてくれた。ありがとうと言えば少し不思議そうな顔をして、いいえ、と俯かれてしまった。


「今朝も美味そうだ。いただきます」


「いただきます」


 雨竜さんの声の後に私も両手を合わせて口にする。焼きたての魚は川魚なのか馴染みのない味がした。でもとても美味しい。芋の味噌汁と山菜も美味しかった。

 食事は無言で進んだ。食器に箸が触れる音や、汁物を吸い込む音はするけれど会話はない。でも誰かと摂る食事は久しぶりな気がして、少し手を止めて私は二人を見た。雨竜さんも水希ちゃんも、魚を綺麗に食べる。話しながら食べなくても何も問題ないようだった。職場のランチでは寄り集まっておしゃべりしながら食べないとならない雰囲気を感じて苦手だった。だからひとりで外へ食べに出た。夜の飲み会も盛り上がらないとならない雰囲気を感じて苦手だった。いつも端っこに座っていたしできる限り断っていた。でも此処では話さなくてもそれで疎まれることはなさそうで安心した。


「お口に合いませんか? 人の子の食べるものはよく分からなくて」


 水希ちゃんが心配そうに私を見た。手が止まっているから口に合わないと思われたのかもしれない。食欲があるかというとまだ色々なことを受け入れられなくてよく感じてはいないけれど、美味しくないわけではないから私は慌てて首を振る。


「う、ううん。大丈夫、とっても美味しいです。あの、その、静かだなって、思っただけで」


「静かなのはお嫌い?」


「そういうわけじゃ……でもこんなに静かなのは随分と久しぶりで、ちょっと戸惑ってるだけ、です」


 水希ちゃんにどう口をきいて良いか分からなくて微妙な話し方になってしまう。もう全部敬語にしてしまった方が楽だろうか。あぁ、それも良いかもしれない。


「あなたは忙しなさそうですね。でも此処で暮らしていくのですから、慣れてください」


 心の中の落ち着きのなさを見透かされたような気がして少し恥ずかしかった。はい、と答えながら私も食事を再開する。食べ終わって下げるのを手伝おうとしたら、そのままになさって、と水希ちゃんに止められてしまった。


「この家で家事をするのはわたくしの務めです。あなたの務めは他にありますから、どうぞお気になさらず」


「で、でも私も何か」


「必要ありません。わたくしよりも叔父様と親睦を深めてくださいな」


 ぴしゃり、と言葉で拒絶されて私はその先に続ける言葉を持たず、う、と言葉に詰まった。水希ちゃんはそんな私に構う暇もないとばかりにくるりと背を向けてお皿を洗い始める。要らないと言われ、かといって追い縋ることもできず私はすごすごと座敷を出た。廊下では雨竜さんが空気の膜の向こうに広がる魚群を眺めていた。襖を開けて出てきた私に気づいた様子で深琴、と名前を呼んでくれる。


「水希に追い出されたか。好きにさせてやってくれ。いつもの仕事をすることであれも変化に対応しようとしている」


 私は小さく頷いた。此処へやってきたのは突然だったけれど、それはつまり二人にとっても突然だったことに他ならない。

 あの、と私はつい声に出して尋ねていた。ん? と雨竜さんは優しい眼差しを私に向けてくれる。


「雨竜さんは、良いんですか……? 神様だって夫婦になるっていうのは、大事なことじゃないんですか……?」


 その相手が私だなんて良かったんだろうか。そう尋ねる私に、んー、と雨竜さんは考えるような声を出したけれど、眼差しは優しいままだった。


「お前は僕では不満かな。この見目が気に入らないなら変えることもできるけど」


「い、いえ、そういうつもりでは。それにとっても綺麗だと……思います……」


「そうか? お前が気に入ってくれたなら良かった。当世の流行には疎くてね」


 質問にははぐらかされたのだろうかと思いながら私は俯いた。心が重たかった。私は此処にいて良いのだろうか。何もしないでいるのは落ち着かない。あんなに休みが欲しいと思っていたのに。


「僕はお前が傍にいてくれれば良いんだ。この身が尽きるその時まで、いてくれれば」


 はらり、と水面に木の葉が落ちるようなささやかな声だった。え、と顔を上げた私の目には穏やかに私を見る雨竜さんの顔が映る。その目が何処か泣きそうに見えたのは、気のせいなんだろうと思った。


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