第24話 東の魔術

 リチャードの全身がビキビキと音を立てたかと思うと、すぐさま人型に盛り上がり、新たな姿に変異した。

 人型——といっても、人の見た目はしていなかった。

 頭部から太い二本の角が伸び、目はおりのように黒く濁り、白蠟はくろうのような頬には青黒く浮き上がった静脈がひび割れのようにびっしりと覆っている。

 首から下は、胴体にしろ四肢にしろ、まるで棘だらけの鎧をまとっているような、いかつく物々しい形状をしていた。体のあちこちから鋭く尖った長い触手が、これ見よがしにゆらゆらと揺れている。

 凶悪さだけを集めて人型に濁らせたような異形の怪物——世界に独りで立つことを当然とみなすような超然たる風情で君臨していた。

「なるほど、玄翁女帝様の力はこういう風に使うのか……」

 魔人リチャードはみなぎる力を味わうようにゆるゆると腕を掲げ、半身を吹き飛ばされて地面に這いつくばるソルタへ高らかな嘲笑ちょうしょうを投げかけた。

「ありがとう、ソルタ・アリオト。貴様ほどの使い手が現れなければ、真の力を解放する機会がなかったよ。しかしもう用済みだ。今度は貴様が死ね」

 突如として、リチャードの体から伸びている無数の触手が雪崩を打ってソルタに襲いかかった。

「チッ———!」

 ソルタはさも忌々しげに目をすがめると、傍らの虚空に八挺はっちょうの宝剣を出現させた。光り輝く剣は轟音のうなりを上げて、蠢く触手の波へと直進する。

 剣は容赦なく触手の肉を切り裂いては腐汁のような血飛沫を撒き散らしていく。だがそうやってなますに刻まれた疵痕きずあとは、瞬く間に新たな肉によって埋まり治癒してしまった。

 うねくる触手は勢いを止めることなくソルタに襲いかかると、彼の体に巻きつくや否や万力のような力で締め上げ始めた。ソルタは触手の緊縛に締め上げられたまま、空中に吊り上げられてしまう。

「惨めだなぁ……音に聞こえし七聖賢も、こうなれば赤子より無害だ。さぁて、どうしてくれようか。さっきは散々いたぶってくれたからなぁ……十億倍にして返してやる」

 宣言するや、リチャードの体から生えたおぞましい数の触手が一斉にソルタに向けられ、敵を喰らい尽くそうと鎌首をもたげる。

 一瞬の間が空くと、触手は蛇の群れのように一斉にソルタに襲いかかった。

 絶叫。無数の生物が舌を鳴らすかのような湿った音と、細い骨を砕き折る乾いた響き。長年の空腹を満たすかのように、触手は貪欲にソルタを捕食する。

 しばらくして触手が引いた後、ソルタの体はもはや人体としての意味合いを喪うほどに破壊され、地面に放り出された。

 だが、ソルタは全身を引き裂かれながらも、無惨なことにまだ呼吸を止めていたかった。無論、致命傷は全身数箇所に亘り、どうあっても逆転の望みはない。

「驚いた。まだ息があるとはな。その類まれなる生命力に敬意を表して、祝砲・・をくれてやろう。光栄に思うがいい」

 何かを撒き散らすかのように、右腕で虚空をぎ払うと、黒色の魔力が高波のように溢れ、無数の人形となってリチャードの眼前に広がっていった。

「四方の守り手よ……来たれ!」

 目の前で整列する人形たちが横溢おういつする夥しい魔力量を察知し、ソルタは最後の意識を覚醒させると、片手を突き出して詠唱を開始した。

 喘鳴ぜんめいと共に出た弱々しい掠れ声であり、喉の奥から息が漏れる度に吐血しそうになったが、それでも神経の集中を緩めるわけにはいかなかった。校舎の中にはまだ東がいると分かっている以上、確実に爆撃を防がなくてはならない。

「トドメだ! ソルタ・アリオト‼︎」

 高らかな宣言と同時に人形たちが一斉に起爆した。

「≪光華コート・オブ結界・ジャスティス≫‼︎」

 喉の奥から技名を放つと、校舎を覆うように強力な光のバリアを張った。ドーム状に展開された防御壁は爆風を弾き、灼熱を遮る。

 しかし、爆撃は止まらない。巨大な壁に食らいつき、爆音を轟かせながら噛み砕きにかかる。砕けかかる障壁に、さらなる魔力を流し込んで耐えながら、ソルタは呻きを噛み殺す。

「見上げた根性だ。だが、いつまで保つかなぁ⁉︎」

 リチャードの嘲笑と共に、爆発の威力がいや増した。ソルタが決死の覚悟で張ったバリアすらも食い破り、その奥にある全てを焼き尽くすべく怒涛のごとく荒れ狂う。

「……ッ、うおおぉぁぁぁぁッ‼︎」

 片手を突き出した姿勢のまま歯を食いしばり、魔力を臨界まで流し込むと、バリアの厚みが一気に数倍に膨れ上がった。

 炸裂する音と光、吹き抜ける灼熱の炎が障壁とぶつかり合い、はじけ合う。

 やがて一際眩い閃光が奔ると、バリアは砕け、人形も全てはじけ飛んだ。強大な暴威を相殺し、きしんだ空間にはソルタとリチャード、そして燃え盛る校舎しか残っていなかった。

「がはッ……!」

 肺に残った最後の酸素を吐き出すと、ソルタは地面に伏した。体の大部分を損傷し、魔術の過剰行使によって心身に強烈な負荷がかかったのだ。意識がある方がおかしい状態である。

「はは、ははは……」

 口を半開きにして荒い息を繰り返しては、リチャードは残忍な笑みを浮かべてソルタの無惨な姿を眺めていた。身体は小刻みに震え、目は血走って真っ赤である。

 やがてエクスタシーの塊が津波のように身体中に押し寄せると、凄まじいほどの昂揚が湧き上がった。

「はは、ははは、あはははははは、あーっははははははははははははははッ‼︎」

 哄笑が空を裂く。今度こそ最強の英雄を倒した達成感に、全身がパワーの塊になったような気分になる。あまりの快感に、全身の神経が躍り出してしまいそうになるほどだった。

「あぁ……最高だ。これがボクなんだ。最強こそがボクなんだ。この地上のありとあらゆる命をほしいままにできる存在、生命を所有物とする大富豪! その絶対なる権力者として選ばれたんだ! ならば、今までボクを認めなかったゴミ共をまとめて始末し、さらなる富を満喫しよう! あぁ、生きてて本ッッ当によかった‼︎」

 屍山血河の中、ガッツポーズも高らかにリチャードは人生の勝利を歌い踊った。

「……さて、まずはこのゴミにトドメをさすとするか」

 リチャードは軽く指を振るうと、傍らに一体の人形が現れた。人形は頼りない足取りでソルタのもとへ向かうと、首を掴んで持ち上げる。

 爆発させようと人形に魔力を込めたその刹那、リチャードはその違和感に気が付いた。

「……ふッ」

 あえぐように開いたソルタの口から喀血かっけつと共に笑みがこぼれていた。

 腕はちぎれ、耳は剥がれ、眼は焼け焦げ、傷口からは血だけではなく内臓液まで噴き出していてなお、ソルタは自身の敗北を認めていない。むしろ、こうなることすら予定通りと言わんばかりの自信に溢れる態度であった。

「あー、危なかった。テメェが予想通りのバカで助かったぜ」

「なに?」

「実はな、万が一敵がオレよりも強かった時のために、あらかじめ次善策を講じておいたんだ。それを察知しなかった時点で、テメェの敗北は決まっていた。本音を言えば、オレが倒す方が丸く収まったんだがな。こうなった以上は仕方ねぇ、今回の檜舞台ひのきぶたいに譲ってやる」

 瞬間、炎が描く陰影の奥に男の姿が現れた。まるで炎がその男を避けるように、燃え盛る校舎の中から悠然と歩いてくる。

 くすぶる黒煙の向こう側に、その男は人型の怪物を見出し……

 ゆらめく陽炎の彼方に、リチャードはその男の姿を見定める。

「だからさっさと仕留めろ。アズマ」

 炎より出でし魔術師、東秀。迎え討つは異形の怪物、リチャード・アウェイク。

 今ここに、究極の対決が幕を切って落とされた。


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