第21話 激闘②

「では、今日は模擬戦闘をしていただきます。呼ばれた生徒は前へ出て下さい」

 アリアを含めた七十人の生徒たちは、校庭にて魔術戦の実践演習の講義を受けていた。下手をすれば命の危機すらある危険な授業だが、この学校に入学した生徒たちは皆、苛烈にして難易度の高い入学試験を乗り越えた猛者たちである。今後、実社会の前線で民を率いて戦うことを考えれば、この程度の授業は軽くこなすようでなければならない。

「では、アリア・アルブレイドさん、カウス・アウストラリスさん、前に出て下さい」

 実践演習は生徒同士が直接対決する形で行われる。どちらかが「参った」というか、致命傷を与えるところで寸止めすれば、試合終了となる。即ち、東とアリアが前に行ったような決闘を教師の監視下のもと安全に行う授業である。

「———ん?」

 試合開始の寸前、ふと校門の近くに、生徒たちは人影を見咎みとがめた。青白く痩せ細った体に、毛先の傷んだ長い髪の少年がおぼつかない足取りで校舎に向かって歩いている。ともすれば死体と間違われそうな形相ぎょうそうであるが、その眼光が全てを裏切っていた。少年の眼差しは、既に憎悪とか怒りといった域ですらなく、どこか手負いの猛獣じみた妄執の殺意に燃えていた。

「あれ、リチャード先輩じゃないか? 珍しいな、あんまり学校来ないのに……」

「リチャード? あぁ、エイト・プリンス魔法学校創設以来の劣等生か」

「三年の分際でレベル9しかないらしいぜ」

「エイト・プリンス魔法学校の恥さらしだ。よくこの学校に来る気になったものだな」

「あいつ、爆弾を作る魔術師らしいぜ。もしかしたら、パペットボンバー事件の犯人ってあいつかもな」

「ないない。あんな落ちこぼれのクズにできるわけないだろ」

 嘲笑が周囲に伝播でんぱする。中には石を投げつける者もいたし、中指を立てる者もいた。教師ですら、「何しに来た」とめ付けるような眼差しを送っている。

 限度を超えた怒りが、憎しみが、リチャードの中で黒い感情となって燃えたぎる。しかし、それが復讐の原動力になるのであれば、怨敵を殺し尽くす糧となるのなら、辛く苦しいとは思わなかった。むしろ、祝福とすら感じていた。

「ハハッ……」

 リチャードは笑った。いつになく朗らかに。

 校庭の中心に立つと、彼の体からぞっと黒い魔力が噴き出した。ほとばしる魔力は逆巻く風を呼び、雷気を帯びていく。絶大な力の波濤はとうを感じ、生徒たちは思わず身震いした。

「時は来た。彼の者らに玄翁女帝様の導きを」

 呪詛のような祝言を吐き出し、リチャードは両手を広げると、魔術を発動させた。黒色の魔力が高波のように溢れると、次の瞬間、無数の人形が出現した。人間ほどの大きさがあり、デッサン人形のように木製で顔が描かれていないその異形の集団は、瞬く間に校庭中に広がっていく。

「祝福あれ」

 数秒後、人形達が次々と爆発した。白い閃光と赤い灼熱が周囲を覆い、凄まじい轟音と共に大気が振動する。

「きゃあああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアッ——————‼」

「うわああああああああああああああああああああああああああああッ——————‼」

 瞬間、女たちの金属的な悲鳴と男たちの叫び声がなだれ込んだ。

 肌を焦がすほどの猛熱で建物が飴のように溶け始め、吐く息までもが熱くなる。

 阿鼻叫喚の坩堝るつぼの中、リチャードはさらなる人形を出現させ、校庭に放った。人形は生徒たちを襲い、最後には爆発四散する。

 耳をつんざく轟音、噴き出す炎と黒煙、絶叫、これらが大気の中で混ざり合い、昏く紅くよどんでいく。

「やめなさい‼︎」

 荒れ狂う炎の嵐の中、アリアは拳を構えたままリチャードと対峙する。

「リチャード・アウェイク。まさか、貴方がパペットボンバー事件の犯人だったの?」

「その通りだよ。すごいだろう? 君たちにはできないだろうけど、ボクにはできるんだ。天才だからね」

「なんでこんなことしたのかしら?」

「偉いお方に頼まれたんだ。君たちは被害者ヅラしているけど、むしろとうとい生贄に選ばれたんだ。感謝して欲しいくらいだよ。玄翁女帝様は人の慟哭を何よりも尊ぶ。君たちの悲鳴があのお方の高貴なる魂を躍動させるんだ。即ちそれは、君たちの魂が玄翁女帝様の魂に触れることに他ならない。どうだ、有り難さが分かったかな? 分かったらさっさと覚悟を決めて、玄翁女帝様の慰みものになりたまえ」

「下衆め……死んで身の程を弁えなさい」

 淑女しゅくじょ然とした慎みを保ちつつも、こめかみの血管は怒張どちょうしきって音を立てており、握りしめた拳は岩のように固まっている。

 決死の覚悟を決めて敵を睨み据えると、喉の奥から禁断の呪文を放つ。

四重quad 強固block, 三倍triple 強化enhance‼︎」

 詠唱と同時に、アリアの体が風を纏い、灼熱する。

 絶対的な魔力の膜で覆われた拳はこの瞬間だけあらゆる金属を超越する硬度となり、限界以上に強化された肉体は猛獣を凌駕する膂力りょりょくを発揮する。

「覚悟————‼︎」

 アリアは地面を蹴った。風を切り、音を置き去りにして突進し、秒もかからずリチャードとの間合いを詰める。

 そして、その無防備な体に向けて、渾身の鉄拳を喰らわせた。

「……え?」

 だが、アリアの拳はリチャードの前に脆く崩れ去った。圧倒的な拳圧を喰らってなお、リチャードは立ち位置どころか眉一つ動かさず、悠然と立ちはだかっている。

 この男の防御力は、東のそれに匹敵するというのか。

「……生贄は、君のような女こそが相応しい」

 僅かな抵抗すらも癪にさわるのか、リチャードは満面の笑顔で宣言する。アリアはその言葉の意味するところをみ取り、全身の血が凍る思いがした。

「やれ」

 命令と同時に、控えていた人形達が一斉にアリアに群がり、首元を掴んで持ち上げる。

 アリアは必死になって抵抗するが、圧倒的な数の暴力にもろく屈した。

「いやああああああ! やめて、やめてぇぇぇ‼ これからなの、これから幸せになるの‼ だからまだ……まだ死にたくないぃぃ‼」

 アリアの眼から大粒の涙が溢れる。だが、どんな叫びも、如何なる嘆きも無機質な人形には届かない。

 肌が蒼く、白く染まってきた頃、全てを悟ったアリアは最後の覚悟を決め、細く呟いた。

「アズマ……お願……い……」

 そこまでだった。アリアの首元を掴んでいた人形達が突如として激しい光と音、そして熱を放ち、爆発四散した。

 爆風に巻き込まれたアリアの体も果実のように割れ爆ぜる。割れ砕け粉々になる頭蓋。飛び散る脳漿のうしょうと目玉の放物線。一瞬にして辺り一面が血の海になった。かつてアリアという人間が存在した形跡などなく、血と粉々になった臓物を吸って泥濘ぬかるんだ校庭の土だけが虚しく残っているだけだった。

「さて、次はこの四阿あずまやを吹き飛ばすか」

 今はもう見る影もないアリアの亡骸には一瞥も与えることなく、リチャードはエイト・プリンス魔法学校を見咎めると、リチャードは魔術を発動させる。

 夥しい数の爆弾人形が、一斉に出現すると今度は校舎に向かって疾走した。人形たちは破壊の意思を持って建物の中に侵入する。

「福音を」

 数秒後、凄まじい轟音と共に地面を突き上げるような振動が奔ると、灼熱の爆風が吹き抜けた。

 その衝撃で校舎の窓が全て吹き飛び、三階建ての校舎はあっという間に二階建てになってしまった。傾きながらかろうじて上に乗っている三階部分の窓からは、何人かの男が顔を出してわめいている。

 校舎の前にいた生徒は、血だらけになって横たわり、助けを求めて金魚のように口をパクパク動かして痙攣けいれんする。みな服は焦げ、剥き出しになった皮膚は真っ赤に焼けただれている。中には右足がおかしな方向に曲がり、左腕は肘から下がもげ落ちた者もいた。

「おお……おおお!」

 リチャードは今、胸の内に高鳴る昂揚こうようを抑えきれずにいた。

 鮮血の臭いの心地よさ。耳に届く悲鳴の快さ。火に包まれながらもだえる者の可笑しさ。そのどれもが自身の空虚を埋めていく。紅蓮の地獄がもたらすものの全てが甘く、鮮やかで、愛おしい。

「……ははッ」

 哄笑こうしょうが迸る。止まらない笑いに総身が震える。

 沸き立つ感情を抑えられない。何一つ与えられなかった少年は、生涯最高の幸福を手に入れていた。

「ははは、あははははははははハハハはははハハはははははは‼︎」

 笑い疲れて息切れを起こし、それでもなお腹を抱えている。

 激情のあまり滲み出た涙を拭うと、改めて死の宴を凝視する。

「最高だ……憎い人間を皆殺しにするのがここまで愉快だったとは……だが、まだだ……まだ足りない。この場にいる全員から悲鳴を搾り取るまでボクの復讐は終わらない‼︎」

 リチャードは軽く指を振った。

 赤く燃えた空の下に、怪異な異物が浮かぶ。ひとつ、またひとつと、紅蓮の中に花咲くかのように出現する木造の人形。

 続々と現れる影の数は既に十七に達していた。そのどれもが必殺の威力を持つ破壊人形であり、よくできた執事よろしく静かに主人の傍らに控え、指示を待っている。

「全員……死ねぇぇ‼︎」

 号令と共に、人形達が一斉に校舎に向かって襲撃する。

 その時、上空から張りのある凛とした声が響き渡った。

 

「全員、ね。当然だが、テメェもその頭数に入っているんだろうな? クソガキ」

 

 次の瞬間、稲妻のように光り輝きながら上空より飛来した剣の群れが、リチャードの人形を刺し貫いていた。剣は人形を破壊するのみならず、深々と地を穿ち、無数の轟音を周囲に響かせる。

「……誰だッ!」

 信じられない思いで頭上を振り仰ぎ、投手の姿を探す。

 探すまでもなく、燃え盛る校舎の頂きに、その壮麗なる男は立ちはだかっていた。満点の星さえも霞み、太陽の光さえ恥じらうほどに、燦然さんぜんと輝くその偉容。彼こそ世界の英雄にして生ける伝説であり、幾万の命を救ってきた救世の権化である。

 〈魔導〉の七聖賢 ソルタ・アリオト。その強さと偉業を知らぬ者はこの世界には存在しない。人形を破壊された怒りすらも忘れ、リチャードはその圧倒的な威圧感にただただ恐怖した。

「こんなガキに街を滅ぼされるとは……澆季ぎょうきな世になったモンだぜ」

 紺碧こんぺきの双眸で見下ろしながら冷然と呟くと、ソルタはさらなる剣を展開する。

 数にしておよそ三十二。空中から忽然と現れたそれらは、残らず切っ先をリチャードに向けていた。

「死ね」

 風を切る唸りとともに、輝く刃がリチャードへと降り注いだ。

「……ッ!」

 すぐさま人形を盾にすると、身を翻して飛来した剣を回避した。

 剣が穿った地面はまるで発破はっぱをかけられたかのように吹き飛び、粉塵が視野を覆い尽くす。

「なるほどねぇ、少しゃあ身こなしが軽いらしいな」

 剽軽ひょうきんに呟くと、ソルタは校舎の頂きから空中に身を躍らせ、まるで天から降臨する偉大な存在のように優雅な所作で地表に着地を決める。

 その軽やかな手練てだれには、尋常な使い手であれば溜息を禁じ得なかっただろう。だが、最高潮に達した愉悦を邪魔されたリチャードにとって、優美さ華麗さは格の違いを意識させられるだけで、ひたすらに恨めしいだけであった。

「『他人の魔術をコピーする魔術』を使う七聖賢、ソルタ・アリオトか……貴様、何故ここにいる⁉︎」

 もはや、かつての笑みも恐怖もない。リチャードの顔からは既にあらゆる表情が削げ落ち、ただ憤怒の殺意のみに燃えていた。

「何故とはなんだ? テメェを殺しに来たからに決まってんだろ」

「そういうことじゃねぇ! なんでボクが犯人だと分かった! ボクが犯人と分かった上で追跡していなければ、この時間この場所に貴様が来ることはなかったはずだ! 南十字星軍サザンクロスも七聖賢も、皆アルカイド様を狙っていたはずだ‼︎」

 激情のあまり吼えるリチャードに向けて、ソルタは嘆息しつつも返答する。

「そんなもん、行動分析と鑑識捜査でテメェを犯人だと推理したからに決まってんだろ」

「なに……?」

 あまりに予想外な返答に、しばしリチャードの思考は空白となった。そんなリチャードの虚にますます呆れたかのように、ソルタは淡白な口調で続ける。

「まずだけどな、今回の爆破事件の犯人がアルカイドじゃないことは早い段階から分かっていた。現場から採取された爆発物の破片や燃焼残物から、使われた爆薬が黒色火薬と特定されたからな。アルカイドは人形に仕込む爆薬として黒色火薬を使わない。使うのは主にダイナマイトの主原料、ニトログリセリンと珪藻土けいそうどなんだよ」

「……なんだと?」

「この証拠を掴んだオレは、すぐさま真犯人の候補者をリストアップした。爆発物の扱いに長け、爆破被害を受けた街付近に住む人間を洗い出した。その段階で、テメェは既に容疑者として挙げられているんだよ」

 犯罪環境学や心理学などでも、放火魔や爆弾魔は自身の拠点に適度に近い場所を犯行現場に設定しやすいことが示されている。

 これは、『犯人の行動は地理的、時間的な制約を受ける』という考えが背景にある。土地鑑とちかんのある場所なら、犯人は住居周辺の状況を正確に把握しているため、いつでも行動できるが、あまり近すぎる場所で犯行を行うと、捜査の目がすぐに向けられるようになってしまう。

 この深層心理が行動に現れたリチャードは、ソルタに犯行を特定されることになったのだ。

「それと、午後三時の犯行が多いことから、犯人は学生だと推測した。この時間は、学校を早退した若者が最も行動盛んになる時間だからな。あとは周辺捜査をするだけだったよ。そしたらどうだ、路地裏でえつに入った笑いを漏らした薄汚ねぇガキがいるじゃねぇか。そいつを追跡したら、エイト・プリンス魔法学校で爆破事件を起こしていたってわけだ」

「ぐぬぬ……」

 呑気なソルタとは対照的に、リチャードの心中は怒りと焦燥しょうそうで乱れていた。

 今日この日まで、南十字星軍サザンクロスはパペットボンバー事件の犯人を特定できなかったため、市民は怯えて暮らすしかなかった。

 その事実に、リチャードはかつてなく心踊り胸を高鳴らせていた。今まで誰にも顧みられることなく、透明だった自分を世界中が探している、注目している。常に忘れられない闇の存在として、世界を震撼させている。自己の力を証明した勝利感に、彼は幸福のあまり快哉かいさいを叫ぶほどだった。

 だが、たった一人の英雄によって、その栄華はあっけなく崩れ去った。しかもその英雄は自分を標的として目の前で命を狙っている。かつてない憤怒と危機感が、焼けつく酸のように、じわじわと着実にリチャードの内面を蝕んでいた。

「まぁ、テメェみたいなザコには大量殺人なんて荷が重過ぎたんだ。オレみたいに強くならなきゃ、殺しの一つも出来やしねぇな」

「だまれぇぇ‼︎」

 歯を剥いて唸った後、リチャードは木製の爆弾人形を召喚した。

 一つ、また一つと人形は増えていき、リチャードの背後で隊伍たいごを組んだ。瞬く間に大軍を揃え、かまびすしく軋む木の腕を構えた人形たちは、ゆっくりと戦闘態勢を取る。

「それがテメェの魔術か……全く、酷い出来だ。アルカイドのそれとは程遠い」

 失笑混じりの涼しげな表情で呟くと、ソルタは炎の術式を展開した。手のひらから炎が出現し、蛇のようにうねり、大気を焦がして紅蓮と燃える。

「クズのよしみだ。何一つ誇れねぇテメェの人生に、このオレに殺される栄誉をくれてやる‼︎」

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