第17話 七聖賢②
校門を出て、表通りに入ると、異世界に来てようやく馴染んだ街の景色が、東たちを迎え入れてくれた。
背の高い建物、
表通りを歩く直中、東とアリアの取り合わせは、通りを行き交う人々からの注目を存分に集めた。
なにしろ、アリアは絶世の美形であり、国を束ねる王族の姫である。見るからに生地や仕立てが違う超高級なフリルのブラウスや、クラシカルなスカートという王女にふさわしい装いは、生まれ持った気品によって馴染みすぎるほど馴染んで、彼女の美貌を飾るに相応しい華となっている。どだい彼女ほどの高貴な美人が衆目を浴びずに街中を闊歩するなど無理な相談でしかない。
その隣に、
「賑やかなもんだな」
そんなアリアへの
午後の表通りは、一時の休息を謳歌しようと繰り出してきた労働者たちの談笑する声や、そんな彼らに料理を売りつけようと目論む商人たちの呼び込み声などが入り混じり、実にがやがやと騒がしい。
出歩く人が増えれば、そうした人々を乗せる馬車の往来も増え、ひっきりなしに石畳を駆ける馬と車輪の音が、ただでさえ混沌とした空気を豪快にかき乱していく。
「これでも落ち着いている方よ。普段はもっと活気があるもの」
そう語るアリアの声もどこか重く沈んでおり、憂いを帯びた眼差しで景色を眺めていた。
「ほーん。どうでもいいけど、なんでまた今日に限って静かなんだ?」
アリアは一瞬だけ動揺した後、呆れたように嘆息した。
「貴方ねぇ……ちょっと値段するのは分かるけど、新聞くらいは読みなさいよ。ほら、ちょうどそこに呼び売り商人がいるでしょう」
ふと視線を横に移すと、少年が茶色の紙を片手に道端で声を張り上げていた。
この都市の人々はみな洒落た服装をしているが、やはり貧富の差はあるらしく、呼び込みをする少年の衣装は薄汚れたものだった。
「新聞? 近くでヤバい事件でもあったのか?」
もしかして、路地裏で暗殺されかけた青年のことではないか、と
「えぇ、この規模の事件は人類史においても極めて
「街を爆撃……? それほどの破壊を魔物や巨竜じゃなく、魔術師がやったっていうのか?」
「そうよ。信じられないかもしれないけど、襲われた街は例外なく焦土の山と化しているの。犯人は爆弾でできた人形を魔術で操り、街に向けて放った。押し寄せた人形の大軍は周囲のものを攻撃しながら街中に広がり、最後には爆発して街を焼き尽くしたの。この事件は規模の大きさと奇妙な手口から、パペットボンバー事件と呼ばれているわ」
「自走する爆弾を作る魔術か……でも、街を破壊できるほどの実力を持った魔術師なんて、相当数限られているだろ。それに、使う魔術も分かっている。犯人を特定するのは簡単なんじゃないか?」
魔術師が使える魔術は、原則一人につき一つが限度とされている。故に、犯行に使用した魔術の形跡から犯人を特定することは、正確で簡素な調査手段とされている。
「そうね、犯人はおおよそ特定されている。特定されているからこそみんな絶望しているの。あの方には、誰も勝てないから」
「あの方?」
「〈
「七聖賢……?」
聞き覚えのない単語であったが、重要な意味合いを持つ言葉であると即座に判断し、アリアに向かってその意味を問いかけた。
「なぁ、当然のように話しているけど、七聖賢って誰のことだ?」
「……はぁ?」
あり得ないものを見る眼差し。よほど衝撃的な発言だったのか、さしものアリアも色を失っていた。
「貴方、正気? 私が殴ったことでの後遺症がまだ残ってるの?」
どうやら
「正気だよ。俺は常に真面目な優等生だ。なぁ、その七聖賢って奴を教えてくれよ。そいつら強いのか?」
「強いというか、あれは別格よ。七聖賢はその名の通り七人いるんだけど、人類全員の強さを格付けして、上から七人選んだ集団なの。純粋な戦闘力のみが評価され、基準を満たした者は半ば強制的に加入させられる世界最強のギルド。それが七聖賢よ」
この世界では企業、公務員、商店、軍隊、宗教団体などの様々な役割をギルドが担っている。故に、国家の防衛組織である特殊部隊もギルドが担当しているのだ。中でも七聖賢は、最強の英雄達を
「七聖賢は何のために作られたんだ? 悪人を捕まえるための治安維持組織か?」
「いいえ、それは
無論、たった一人の英雄に任せずとも、軍隊を動員すれば強力な魔物であっても対処は可能である。しかし、魔物は人間と異なり、出現地点や行動原理が明らかになっていないことが多い上に、巨大な翼や
そのため、どこに出没するか判らない一匹の魔物に千の兵を進めるのはあまりにもリスクが高かった。魔物討伐に必要なのは、強力な軍隊ではなく究極の個、すなわち単騎で魔物と闘える最強の魔術師なのである。
「歴史を遡っても、七聖賢によって世界は何度も救われている。だから私たちは、その時代における最強の七英雄に畏敬の念を表すため、彼らを天に輝く七星に
北の空に輝く、北斗七星。その特徴的な形から
だが共通の認識として、北斗七星は神聖で侵し難く、尊い存在として崇められているものだ。ある時は闇を斬り裂く七星の剣として、ある時は北の空に輝く旅人たちの
そんな逸話に
「七聖賢の名前くらいは覚えておいた方がいいわね。彼らには本名と二つ名があって、二つ名は彼らが持つ功績や能力に関係しているようなの。
〈転生〉の七聖賢 メグレス・アルブレイド
〈破壊〉の七聖賢 アルカイド・ノヴァフレア
〈金剛〉の七聖賢 メラク・エデン
〈覇軍〉の七聖賢 ミザール・シュトマホーク
〈業火〉の七聖賢 ドゥーベ・リゲル
〈魔導〉の七聖賢 ソルタ・アリオト
〈起源〉の七聖賢 ∞《インフィニティ》
この七人よ」
「……ん?」
一瞬、東の中で時間が止まった。
〈魔導〉の七聖賢 ソルタ・アリオト。同姓同名の他人かとも思ったが、すぐに違うと直感した。森を焼き尽くすほどの大火災を起こしたり、無数の剣を
もっとも、英雄として名が通っていることには
「なぁ、七聖賢って偉いのか?」
「偉いなんてもんじゃないわよ。この世の絶対権力であり、世界の英雄よ。中には、世の中が乱れて危機が訪れる度に、神が姿を変えて天下り、七聖賢として事を解決するとまで言われるほど神格化されることもあるのよ」
「……」
実際に、神殿や聖地などで様々な七聖賢の像が
「……何よ、知り合いに七聖賢がいたような唖然とした顔をして」
「……いや、別になんとも」
可能な限り気丈に振る舞っていたが、声音には隠しきれない狼狽が
「にしても、そんな誉れも高い英雄サマが、どうしてこんな愉快犯みたいな破壊工作をしているんだ? まぁ、英雄と呼ばれるだけの実力があるなら、街の一つや二つ、余裕で破壊できそうだけど」
なんなら、俺でもできるけどな。そう口を
東の質問を聞いて、アリアは口の周りにばつの悪そうな表情を浮かべながら、低く答えた。
「あの方は……英雄の中では少し特殊なの。人を救うためならば、英雄どころか人間の誇りすらも捨てられる残虐非道な人物……多数を生かすためならば、少数を殺し尽くす血も涙もない殺戮者。それがアルカイド・ノヴァフレア様なの」
「多数を生かすために……少数を殺す……?」
「そう。前に一度、人里離れた小さな村で、未知の病気が
「まさか……」
「うん、アルカイド様は村を焼き払い、感染者を全員殺すことで、外部への病気の流出を防いだのよ。いいえ、感染者だけじゃないわ。感染の疑いのある無症状の村人までみんな抹殺された。その中には、
「……」
「でも結果として、感染拡大は防がれた。感染源を根絶やしにしたのよ。三百人程度の村人を犠牲にして、後に死ぬはずだった何百万という人の命を確実に救った。死ぬしかない者を殺し、死ぬ理由のない者を生かした。たしかに、これは正義と言って差し支えないかもしれないわね」
「でも、村人たちは……」
「えぇ、何も悪いことはしていない。むしろ最大の被害者だったのよ。未知の感染症による恐怖に怯えながらも、村人たちは生きる希望を捨てず闘病し、看病し続けた。なのに、アルカイド様はそんな彼らの意志を一切尊重せず、世界を存続させるために全員抹殺した。爆弾を使って、村を跡形もなく吹き飛ばしたの」
「……」
「多数を生かすためならば手段の是非を問わない殺戮の英雄。あの人に生存を約束された人間は確実に生き残り、あの人に死を宣告された人は確実に死ぬ。容赦なく、是非もなくね」
「……そんな人でなしだからこそ、
「えぇ。しかも、アルカイド様の使う魔術も、爆弾でできた人形を操る能力なの。パペットボンバー事件も同じ手口の犯行よ。能力的に考えて、アルカイド様以外あり得ないわ。きっと今頃、他の七聖賢が行方を捜索しているでしょうね」
嫌悪を多少露わにそう語るアリアの語調に、東は疑問と興味を抱いた。
たしかに、アルカイド・ノヴァフレアという人物は、
だが東は、アルカイドは猟奇殺人鬼ではないという印象を受けていた。人々を守りたいという信念のために心を凍らせて、血も涙もない殺人機械として自身を完成させた犠牲と救済の英雄こそがアルカイドという人間のはずだ。感染症拡大を防ぐために村人全員を抹殺するという合理的すぎる判断は、ただの殺人鬼にはできない。
むしろ、アルカイドは
「本当に……事件の犯人はアルカイド・ノヴァフレアなのか?」
東の呟きは、街の喧騒に呑み込まれて消えていった。
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