第15話 闘う君へ③

——雨が降っていた。

 灰色に濁った雲が、篠突しのつく雨を降らせている。

 東は仰向けになって地面に倒れ、もはや指先一つ動かす力とてなく、甘んじてその雨を見に受けていた。

「ごめんなさい……私、こんなつもりじゃ……」

 傍ら、アリアが膝を突いていた。罪人のように悄然しょうぜんと雨に打たれて。

「……本当だよ。全く、メンドクセーことに巻き込みやがって」

 顔中に青あざを作り、全身の至る所から血を流し、全身の骨は砕かれてもなお、東の顔に浮かんでいるのは、同情を含んだ微笑みだった。

「まぁでも、お前の気持ちも分かるよ。お前、ここに来るまでに死ぬ気で努力してきたんだろ? そんで、俺みたいな努力も苦労も知らないろくでなしが学園の頂点に君臨するのが我慢ならなかったんだろ? だから俺に喧嘩を売ってきたんじゃないのか?」

「……分かるの?」

「そこまで舐めていたのか。当然だ。強化魔術は使うたびに激痛が伴う。なのにお前は、地獄の苦痛の中でも動きが一切鈍らなかった。生半可な根性じゃあそこまでできない。普段から常人の数十倍の鍛錬を積んできてるんだろうな」

「……」

「でもきっと、どんなに努力しても、天才の一言ひとことで一蹴されてきたんじゃないか? お前の陰の努力も理解せず、天才に産まれたから幸福だと、良家の娘だから苦労を知らないと、ひがまれ、疎まれ、蔑まれてきたんじゃないか? 自分だけが苦労してると思い込んでいる連中から心無いことを言われ続けてきたんだろ?」

「……うん、……うん」

 実際はより壮絶だった。彼女の常軌を逸した努力を、実の親すらも理解しなかったのだ。正真正銘天才に生まれた兄や姉、妹ばかりに期待を託し、どこまでも普通な凡人であるアリアは家族として認められず、会話はおろか食事を同席することすら許されなかったのだ。

 家の中では家畜同然の扱いを受け、外では良家の才女として疎まれつづけながら、それでも彼女は地獄の修行に身を投じてきた。いつか、誰かが自分を認めてくれると信じて。

「だが、これだけは覚えとけ。後ろ指を指されるってことはな、そいつらより前に立っている証拠なんだ。努力している自分だけは、誰よりも強い自分だけは、誇りに思ってやれ。お前がお前を愛さなければ、誰も本当のお前を愛さなくなっちまう」

「……っ‼」

 アリアの頬を透明な雫が伝った。それが雨ではなく涙だと気付くのに、一体どれほどの時間を要したのだろう。見開かれたままの瞳から熱い塊が澎湃ほうはいと流れ出る。

「お前は強い奴だよ。なんたって、一度たりとも自分には負けなかったんだ。弱いと知りながらも、諦めることなく努力し続けたんだ。そこだけは、俺にも真似できねぇからな」

 その言葉にどれだけ救われたか。自分を理解してくれる人が、まさか自分とは正反対の生き方をしている人だったなんて。

「今までよく頑張ったな。大した奴だ」

 それは、今まで誰も、親ですらかけてくれなかった労いの言葉であった。

「うぅぅ……うあぁぁ……‼」

 恥も外聞もなく、大声で泣き叫んでしまった。止めようもない涙が、頬を伝ってぽたぽたと地面に落ちていく。

 震えるほどの救いが胸に満ちるのを感じた。心のどこかで求めながら、決して得られるものではないと諦めていた救いが。

「何泣いてるんだよ、めんどくせぇな」

「ぅ……うぅ……泣いてなんか……ない……」

 精一杯落ち着きを込めたが、震える声を抑えることはできなかった。

 本来ならば決して分かり合えない宿敵同士の二人は、努力に関して他者の理解を得られなかったという点で共通していた。

 東は無駄な努力を完全に省くことを良しとしたために、周囲との軋轢が絶えず孤立し、アリアの方は、常軌を逸した実力をまさか鍛錬によって磨き上げたとは誰にも信じてもらえず、孤独を感じていた。

 だからこそ、東はアリアの血の滲むような努力を理解し、その在り方を尊敬できた。アリアは怪物的な東の才を素直に認め、対等に接することができた。

 これは一つの絆である。寒く、汚泥に塗れた、青春の始まりである。

 降りしきる雨の中、互いに見つめ合う二人の笑顔は虹のように輝いていた。

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