第14話 闘う君へ②

「逃げずに来たことだけは褒めてあげるわ」

 胸の辺りに両腕を組んで、校庭の真ん中に堂々と佇む女は、東を視認するや否やさも不愉快げに口元を歪めて、眼前の東を侮蔑も露わに睥睨へいげいする。

 その傲然たる態度と威容は、東も覚えがあった。金髪の巻き毛に、長い睫毛まつげの凛々しい顔立ち、見事としかいいようのない張りと膨らみを誇る胸がブラウスの胸元から溢れ、短いスカートから伸びた美しい脚が、陽の光を浴びて白く輝いている。

 アリア・アルブレイド。入学試験で東に難癖をつけ、あまつさえ試験辞退さえ促した高飛車な女である。

「アリア様やっちゃってください!」

「不正入学者なんか蹴散らしてください!」

 歴史ある名門のアルブレイド家への阿諛追従あゆついしょうか、あるいは東がなぶられ悶絶する様を見て愉しむためか、あるいは純粋に決闘を観戦するためか、校庭には東とアリアを囲むようにして、大勢の取り巻き連中が興奮も露わに叫んでいた。校庭の雰囲気は、スポーツ大会さながらの熱狂ぶりである。

「さて、決闘のルールを説明するわね」

 そう言うとアリアは懐から二本の剣を取り出した。木造の短剣ではあるが、野菜や果物程度なら切断できそうなほど鋭利に研ぎ上げられている。

「ルールは簡単、この剣を相手の胴に当てるか、『参った』と言わせた方が勝ちよ。参ったと言えなくなるまで追い詰めても勝ちとするわ」

 アリアが短剣の一本を空中に放り投げると、それは放物線の軌跡を描きながら東の手に向かって飛んでいった。

「一つ聞きたいんだが……なんで決闘なんてマネをするんだ? 俺に恨みでもあるのか?」

 放物線を描いて飛んできた短剣をキャッチすると、東は憮然と言い放つ。

 対してアリアは、短剣を手の中で何度か回した後、顔に向かって水平に構え、余裕ある声で返答した。

「勿論それもあるわ。だけど本当の目的は、貴方の実力を見極めるためよ。入学試験放った貴方の魔法……少なく見積もってもレベル70はあったわ。魔術を習得して三ヶ月であの域に至るなんてあり得ないわ。何かしらの不正をして威力をかさ増ししたか、経歴を詐称したに違いないわ。どちらにしても、王族の誇りにかけて断じて看過できない。今ここで、貴方を罰してあげる」

 どうやら説得の余地はなさそうだ。東はそう判断すると、冷静に戦況を分析する。

 彼我ひがの距離は十メートル、いのしし並の走力を誇るアリアでも間合いを詰めるまでに一秒はかかる距離だ。

 次いで、アリアの戦闘能力——情報源は、入学試験でのエクセリアとの交戦。

 長距離アウトレンジにおける剣の投擲とうてき。一投は予備動作を含めてコンマ五秒以下。未視認標的に対しても支障なく攻撃。威力は不明だが、見たところ鉄パイプ程度なら寸断可能。

 近接戦における剣術。達人と呼べるほどではないが、洗練された動き。だが、躊躇ためらいなく剣を投擲するという剣士にあるまじき動きを見せたため、拳法のような徒手空拳としゅくうけんの技法が前提にあると思われる。そちらの詳細が未だ不明。

 使用魔術はおそらく『肉体の強度増幅』。魔術使用時の全身の強度は、重機関砲並の威力があるエクセリアの光弾を防ぐほど。拳銃程度の武器では貫通、及び衝撃による制圧効果は見込めない。

 ——以上が東の参照し得る諸情報だった。

「……楽勝だな」

 たしかに第一級の戦士であるが、所詮はその程度。東ならどんなに手を抜いても一秒以内に瞬殺できる。この試合、東が僅かに本気を出せば、一瞬で肩がつく失笑ものの茶番なのだ。

 今回も入学試験同様、魔法を使ってアリアが怪我しない範囲で完膚なきまでに叩きのめし、早々に帰宅する。そう思っていた、次の瞬間までは。

「では……始めるわ」

 そう高らかに宣言すると、試合を開始してすぐにアリアは手にした短剣を足元に放り捨てる。そして、それを踏みつけ粉々にした。踏み込んだ足が地面を雷鳴のように打ち鳴らす。

 呆然と佇む東を前に、アリアは殺意を総身にみなぎらせながら、腰を落として拳を構える。即ちそれは、正攻法での勝算を放棄し、東に屈服を認めさせる戦術に終始すると宣言したも同然の行為である。

「ほぅ……面白い」

 東はそれを挑発と受け取ると、当初の戦術を変更した。

 簡単には倒さない、魔法を使って一瞬で勝負を決めることはしない。そちらが外道に徹するなら、こちらは正攻法で勝利する。即ち、正々堂々と短剣をアリアの胴に当て、完全に負けを認めさせて勝敗を決するというものである。

 無論、面倒くさがり屋の信念に反する行為だが、ここまで舐められて大人げなく勝利するなど、それこそ東の沽券こけんに関わる問題であった。

「いくぞ……」

 小さく、獰猛な声でそう囁いてから、東も渡された短剣を構える。

 すると突然、東の姿が消えた。比喩ではなく、忽然と風のようにその身を消したのだ。そして次の瞬間、アリアの目の前に突如として出現すると、手にした短剣を振りかざした。

 瞬間移動。瞬時のうちに空間上の距離を突破し、異なる二点間の移動を完了させる魔術である。東は即座に間合いを詰め、即座に間合いを離すことで、攻撃位置を操作できるのだ。

 アリアにとっては掛け値なしの不意打ちであったが、彼女は眉一つ動かすことなく、泰然と構え直す。そして白く妖艶ようえんな生足から、まるで死神の鎌のような右踹脚みぎたんきゃくが横薙いだ。轟然と振り上げられたアリアの右足が東の首を刈り取らんと疾走する。

「————‼」

 当惑よりなお先んじて脊髄反射で瞬間移動を使うと、間一髪で攻撃を回避した。アリアの振り上げた右脚が空を切り、一瞬前まで東のいた空間を音を立ててよぎる。

 空を切った蹴りを一回転させると、アリアは間合いから逃れた東をめつけた。

「瞬間移動ね……まさか、そんな魔術を身につけていたなんて」

「日常生活の些細な移動すらも面倒なんでな。割と便利な能力だぜ」

 軽口を叩きながらも、東は自らの陥落に思わず歯噛みした。

 空振りに終わったとはいえ、アリアの蹴り技の壊滅的な威力は、肌を掠めた風圧、目端で認識できた速度から容易に察することができた。おそらく、大型猛獣なら一撃で昏倒させられるだろう。さすがの東も、アリアにこれ程の膂力りょりょくがあるとは予想だにしておらず、致命的なまでの誤算に焦燥感を覚える。

 加えて、彼女が使う武術も完全に達人の域だ。技や構えから察するに、中国拳法・心意六合拳に近い。爆発的な突進力と、全身を凶器として活用する打撃を極意とする流派のため、蹴り以外の技も圧倒的な威力があるだろう。

 となれば、武術に関しては素人の東に、正面戦闘での勝ち目などあろうはずもない。兎にも角にも、攻撃を当てるには奇襲を講じる必要があった。視覚で動きを捉えられたら反撃は必至、ならば死角から攻めるしか方法はない。

「……」

 東は瞬間移動でアリアの背後に跳んだ。アリアは前方を向いたまま振り向かない。その無防備な背中に向けて、勢いよく短剣を突き出す。

 しかし東は、この時点でもアリアの脅威を見誤っていた。

「な、に——⁉︎」

 今度こそ東は戦慄した。背後から迫り来る東の刃に、アリアは振り向くことなく片手だけで応じたのだ。

 アリアは前を向いたまま、背後で立て続けに閃く短剣の連撃を左手だけで捌いている。突き上げた刃をてのひらで受け、返す刃を腕で防ぐ。これを五回にわたって繰り返してなお、アリアの腕は明らかに視野の外からの攻撃を阻んでくる。

 空気の流れや、影の動き、呼吸の向きなどを参照にして、相手の動向や感情を読み取り、攻撃を察知して事前に防御する間接護身術。アリアは視覚で敵を捉えてなくとも、周囲の状況から相手の次の動作を読み取ることで、見えているかのように攻撃を防ぎ通していた。

「んぬぅ……‼︎」

 化け物だ。瞬間移動の攻撃すら対応する反射神経に、一撃で人体を破壊するほどの膂力りょりょく、加えて死角からの攻撃も見えているかのように防ぐ行動予測能力を持つ極悪さ。これを化け物と呼ばずしてなんと呼ぼう。

 いくら短剣の斬り返す速度を上げても、アリアの防御は一向に止まらない。そして、彼女の攻撃予測が限界を迎えるより先に、東の肩と腕が悲鳴を上げた。

「はぁ、はぁ……」

 思わず息が上がり、集中力が緩む。

 その隙を見逃すアリア・アルブレイドではない。独楽こまのように身を翻して東と向かい合うと、腰を落として拳を構える。

 そして、魔術を発動させた。


二重dual 強固block, 二倍double 強化enhance———‼︎」


 アリアの呟きに呼応するように、拳が恐ろしいほどの勢いでうなりを上げると、東の内懐に蛇の如く滑り込む。繰り出された鋼の縦拳が東の胸板を直撃すると、東の身体は烈風の中の枯れ葉のように吹き飛ばされた。

「ごはっ……がぁ……‼︎」

 そのまま東は宙を舞い、校舎の壁に叩きつけられ、呆気なく意識を失った。背後では、東と衝突して粉々になった煉瓦れんがの壁が虚しく煙を上げている。

「ふぅ————」

 アリアはその一部始終を見届けると、静かに吐息して残心を取る。

 先ほどまであれほど騒がしかった取り巻き達も、一気に青ざめて静かになった。

「すげぇ……」

「あれがアリア様の魔術か……」

 アリアの魔術、≪バトロイヤル≫は肉体の『強化』と『強固』、二つの干渉魔法を組み合わせた複合魔術である。

 『強化』の魔法で筋肉や神経を強化することで人間の限界を超えた動きを可能にし、『強固』の魔法で肉体の強度を鋼鉄並みにすることができる。この魔術を使用している間、アリアは単身で数千人の軍隊にも匹敵するほどの戦闘能力を発揮する。

「こはっ———」

 今まであれだけ優位を保っていたアリアが、突如激しく吐血した。余人には預かり知らぬことだが、彼女の体は至る所で血管が破断し、強烈な負荷にさらされた筋肉には、所々に亀裂が生じている。

『強化』の魔法は身体能力を爆発的に向上させる作用があるが、これは筋肉や神経を強制発達させるものであり、言わば肉体改造に等しい。発動のたびに体に大きな負担がかかり、筋肉は砕け、神経が蹂躙される。故に、『強化』は一撃で勝負を決めるときにだけ使う荒技である。

「はぁ、はぁ、ぁぁぁ……」

 宝玉のような緑色の眼から真っ赤な血涙が流れて頬を伝い落ちる。荒くなった呼吸を鎮めながら、二十メートル先であわれ壁にめり込んだ東を凝視する。

 まさに会心の手応えだった。肋骨は全て粉砕し、その衝撃は内臓まで達しているだろう。魔術で治療を施せば二週間で治るような怪我だが、それでも当分まともに動けなくなるくらいには痛めつけた。

 これでもう、東は決闘を続けられない。アリアが勝利を確信し、服の袖で口元の血を拭ったその時だった。

「あー、マジで痛かった」

 突如、周囲からどよめきが起こった。だが、この時一番驚愕していたのは、他でもないアリアだったであろう。

 完膚なきまでに叩きのめしたはずの東が、何事もなかったかのように復活し、校舎の壁から歩いてアリアに接近してきたからだ。

 校庭を闊歩する東の面持ちの底には、穏やかな微笑が張り付いている。それは死の恐怖とは無縁の圧倒的強者だけが浮かべうる、悠然たる余裕の笑みだった。

「貴方……なんでまだ動けるの⁉︎」

「さぁ、怪我がでもしたんじゃないか?」

 東は小馬鹿にしたようにアリアのげんを一蹴する。真実、彼の粉砕された骨は完全に再生し、潰れた内臓も元通りになっていた。今の東は万全であり、体も魔術も十全に機能する。

 しかし、それはあり得ないことだ。確かに、東は不老不死ではあるが、不死身というわけではないはずだ。ならば、致命傷に近い怪我を負いながら動けるはずもなく、まして立ち所に傷が治るはずもない。それは魔法はおろか魔術の領分すらも超えている。

「ぐっ……舐めるなぁぁ‼︎」

 激しい怒りの咆哮とともに、拳を振り上げると東に向かって突進した。次いで拳による連撃。はやぶさをも凌ぐ速さのそれを、東は冷静に瞬間移動で回避する。

 東がアリアの攻撃を躱せなかったのは、あくまでアリアの動作速度を見誤ったが故の驚愕で判断が遅れてしまっただけのことであり、決して動作そのものを見切れなかった訳ではない。故に、アリアの動作速度を把握した今ならば、瞬間移動で攻撃をいくらでも躱すことができるのである。

「ぬぐぅぅ……はぁ、はぁ」

 アリアの前に現れては、触れる瞬間に幻のように消えていく東の姿に苛立ちを覚えながらも、冷静かつ冷酷に必殺を狙い、攻撃を続けていく。

 濁流のような猛撃が功を成したのか、不意に東の体勢が崩れた。東が後ろに反った重心を取り戻すべく踏みとどまると、その僅かな隙を活かして、アリアは再び右踹脚みぎたんきゃくを振りかざした。

 彼女の細い脚が、大きな弧を描いて東の顔を狙い打つ。その華麗な足技が東の顔を掠める瞬間、

「パンツ見えてるぞ」

 彼は何のはばかりもなくそう呟いた。顔を目がけて蹴りを入れるということは、必然足を大きく開くことになり、スカートの中の白く健康的な下着が露わになる。角度的に、東の立ち位置からはそれが丸見えであったのだ。

「————ッ‼︎」

 頬を赤らめながら下を向くと、すぐさまスカートの裾を押さえ、距離を取って体勢を立て直す。

 その一部始終を見ていた取り巻きが大声で喚き散らした。

「貴様ァ‼︎ 平民の分際で、我ら貴族でも高嶺の花とされるアリア様のスカートの中を覗くなどぉぉ‼︎」

「けしからん! 破廉恥はれんちだ! 羨ましい‼︎」

「アリア様、わたくしめの胸が空いております。どうぞ、その可憐なお御足みあしで踏んで下さい‼︎」

「黙りなさい、貴方たち‼︎」

 羞恥と激情によって顔を真っ赤に染めたアリアが取り巻きを一喝する。

 そして、東を睨みつけると、焼き尽くすような殺意を向けてきた。

「もう許さないわ……記憶がなくなるまで殴り続けてあげる……」

 頭部を狙おうとしだしたのは、下着の一件が尾を引いているからであろう。アリアは細い指を組み合わせると、ボキボキと鳴らして東を威嚇した。

「まぁまぁ、そう怒るなって。減るもんじゃないだろ? それに、これはお前が持ち出した決闘もどきだ。何を決めるわけでもないお遊びの結果に、何本気になってるんだよ」

 瞬間、彼女の怒りの性質が決定的に変化した。本気の是非を問われたことが、彼女にとっては許容し難い侮辱であった。

 彼女は常に本気だった。人の何十倍も努力し、汗にまみれ、泥に汚れ、血を流し、這いつくばってでも強さを追い求めた。民のために、国のために、世界のために、王族として弱さを見せることだけは決してしなかった。

 だからこそ、大した決意も持たず、努力も重ねずに怠惰な人生を歩み、生半可な覚悟で名誉あるエイト・プリンス魔法学校に入学した東が許せなかった。挑まずにはいられなかったのだ。

「殺すわ。確実に」

 アリア・アルブレイドの遍歴へんれきに懸けて東だけは仕留めなくてはならない。彼女の決意がそう叫んだ。

 故に———


四重quad 強固block, 三倍triple 強化enhance‼︎」


 禁断の呪文を唱えると、神経が肥大化して浮き上がり、ひび割れのように身体中をびっしりと覆っていく。

 激痛の炸裂に意識が沸騰する。腕が、脚が、心臓が、猛烈な痛みで悲鳴を上げる。おそらく、あと数分この状態を維持し続けたら、死は免れないだろう。

 しかし、肉が裂け、骨が砕ける激痛をなんら躊躇することなく体を強化し続ける。常人であれば数秒も保たない負荷を、鋼の肉体が耐え続ける。一体如何なる執念が、人間をここまでの戦闘機械に仕上げられるのか。

「ハァァァアアアァァ————‼︎」

 残像さえ遥か、突風となって東に躍りかかると、その懐に弾丸もかくやという速度で渾身の鉄拳を叩き込む。その衝撃の咆哮が大気を震わせ、地を揺らす。

 巨象をも殴り飛ばす腕力で、金剛石ダイヤモンド並に強固になった拳を撃ち込まれたのであれば、致命傷は免れない。東の胸元で小型ミサイルが炸裂したも同然の破壊力である。その圧倒的な拳圧で、東の体を再び大きく吹き飛ばす。

 だが、固めた拳の先に死の手応えがないことに、アリアは驚愕した。

「う……そ」

 小型の核兵器にも匹敵する攻撃を受けた東は、十メートルほど吹き飛ばされると、何事もなかったかのように平然と立ち直った。

「すげぇな……あの試験官ババアの光弾すら防いだ俺の魔力の壁に亀裂を入れるとは。正直、予想外だったぞ。まさか、お前がここまで本気ガチだとはな」

 魔力の塊を、今度は鎧のように纏うことで、アリアの拳から身を完全に護りきっていた。今の東は、核爆弾の爆風を受けても倒れないほどの強度を誇っている。

「そんな、有り得ないわ……魔法なんかで私の奥の手が……ごふっ、ごぼぉあッ……‼︎」

 今度こそアリアは大量の血反吐を迸らせ、足元に血の海を作っていた。

 足元だけではない、全身が血塗れだった。至るところで血管が破裂し、ただれて裂けた皮膚から血がじくじくと滲み出ている。加えて、四肢の骨には大量の亀裂が生じており、筋肉は薄絹のように張り裂けている。

 衰弱しきり、軋みを上げる体に鞭打って、アリアはよろめきながらも体を支えていた。

「有り得ない、ね……いいだろう。本物を見せてやる」

 堂々と宣言すると、右手を目の高さまで上げる。

 悠揚とした笑顔とは裏腹に、正直なところ東は敗北を認めていた。彼は最初の決定——正面から短剣を当てるという方針——を捨てた挙げ句、背後からの奇襲も失敗した。即ち、正攻法でアリアに勝つことは不可能だと判断したのだ。

 東は美しくも誉れ高い強敵に敬意を表して、魔法・・を以って究極の破壊を再現することにした。

「其の光は明日へのきざはし、煌きにて未来を明示す———」

 喉の奥から詠唱を放つと、東の手から白色の閃光が放たれた。

 解き放たれた光の束は、万象を焼き尽くす殲滅の灼熱となってその場の全てを呑みこんでいく。

 何者にも抗しがたい、圧倒的なまでの光。燦然極まる、麗しくも雄々しい輝き。そんな大いなる光の中でアリアは案山子かかしのように呆然自失のていで立ち尽くす。

 激しい衝撃の中でも、彼女の心を占めるのは恐怖ではなく、東脩という人物についての謎だけだった。魔術を三ヶ月しか習っていないが、瞬間移動を完璧に使いこなし、魔法に関しては熟練の魔術師の魔術すら遥かに凌駕する威力を持つ規格外の存在。普通に考えれば、そんな人間がいるなど確実に有り得ない。

 彼女は東脩という少年を理解するために戦いを挑んだが、拳を交えても謎は深まるばかりであり、実力を引き出そうとすればするほど、底のなさを痛感する一方だった。いっそ、天界の使者が粛清のために人間界に降りてきたと考えた方がまだ納得できるほど超越的な力を東は持っていたのだ。

「……」

 光が止み、とりあえず自分が生きていると理解したアリアは、恐る恐る目を開けると、そこに仮借ない破壊の跡を目の当たりにした。

 東の魔法は地面を瞬時に焼却し、花壇や庭木を蒸発させていた。アリアの背後にあった直したばかりの旧校舎は、灰も残さず吹き飛ばされている。

 アリアも閃光の灼熱を一身に受けたが、肌には火傷の跡はおろか痛みの残滓ざんしすらなかった。それはアリアが直前に強固の魔術で肉体を守ったからではない。その場にいた人を保護しつつ、周囲のものだけは正確に焼き払う東の精妙な出力調整ゆえである。

「勝てるわけ……ないじゃない……」

 誰に向けるまでもなく放った言葉を最後に、体から力が抜けて、よろめき、アリアは両膝をついた。彼女は自分の膝に視線を落としたまま、しばらく顔を上げずにいた。

「……」

 この上なく無防備な体勢のアリアに近づくと、その胸元に当てるため、東は手にした剣を構え直す。一髪千鈞を引く戦いに終止符を打つべく短剣を振り下ろした、その時、

 東の背後から激しい銃声が轟いた。

「がぁぁ……‼︎」

 肩におぞましい激痛の一撃が奔ると、鮮やかなる朱が空中に咲いた。

 何が起こったか分からぬまま、東は鮮血の迸る左肩を手で抑える。触れた掌に熱いぬめり気を感じた時、この痛みが現実のものであると認識せざるを得なかった。

 周囲の連中は、東を見るや否や次々と悲鳴を上げて後退る。東が血を流すとしたら、アリアの攻撃によるものだったはずだ。それが予期すらしなかった第三者の攻撃によるものと知り、東とアリアすらも愕然と目を見開くしかなかった。

「ぁ、ぁ……」

 地面にぶちまけられた血の中に東は倒れ伏したまま、弱々しく身体を痙攣させていた。それは銃弾が体を貫通した痛みによるものだけではない。この時の東は預かり知らぬことではあったが、東の神経系は支離滅裂な誤作動を起こしており、全身の筋肉が言うことを聞かない状態にあったのだ。

「ギナン・アヴェノニクスがはばかりながら仲裁する。双方、武器を収めたまえ!」

 校庭中に響くほどの大声で叫ぶと、ギナンと名乗る男が先込め銃を右手に構えながら現れる。

 予期せぬ第三者の登場に、周囲が再び騒然となった。

「ギナン卿だ!」

「ギナン卿のお通りだぞ、道を開けろ‼︎」

「あれが、十八歳の若さで国家最高の治安維持組織『南十字星軍サザンクロス』の一員に任命された男か……」

 透き通るような白い髪に、水晶のように透明な瞳。足を運ぶ所作の一つ一つが美しい、品のいい細面ほそおもての優男である。雲を突くような長身を、学年色である柔らかな白いローブで包んでいる。

 はたから見れば聖ペトロが率いる白いローブの使徒のような、敬虔けいけんで深みのある風貌だが、その笑顔は限りなく邪悪で陰湿。見かけとは裏腹に底知れない悪意を抱えた人物である。

「ケッ、何が仲裁だ……いきなり背後から銃をぶっ放しておいてよ……」

 東は地に伏したまま、目の前に現れた男を睨みつける。

 その眼差しすらも汚らわしいと感じたのか、ギナンは不愉快げに口元を歪めると、何の憚りもなく東の頭を踏みつけた。

「名もなき平民の分際で、断りもなくなぜおもてを上げる? 貴様のような愚昧ぐまいは私を見るにあたわぬ。ただこうべを垂れて恭順きょうじゅんを示すべし」

 足に力を入れて東を踏みつけながら、ギナンは侮蔑と殺意を秘めて眼下の東を見下ろしていた。

「私はそこらの馬の骨とは格が違う。歴史と伝統ある魔術、魔力放出術を受け継ぐ、アヴェノニクス家の嫡男ちゃくなんだ。この高貴なる血に懸けて咎人とがびとには正義の鉄槌を下させねばならぬ。私の姫であるアリア様の柔肌やわはだに剣を向ける貴様こそまさしくそれよ。死をって償うがいい」

 ギナンは憮然と吐き捨てると、東の頭から足を離して、粛然と歩みを進める。

 やがて、アリアを目前に捉えると、東の時の態度とは一転して、晴れやかな笑顔で声をかけた。

「お迎えに上がりました、麗しの姫よ。このような辺鄙へんぴで下賤な民が闊歩する場所は、貴女のようなお方には相応しくありませぬ。是非とも私の屋敷までおいでください。貴女がその身に刻んだ数多の傷を湯治で癒して差し上げましょう。無論、その際は私も同伴させていただきますが……」

 アリアの前で優雅に膝をついて頭を垂れると、あざといほどに慇懃いんぎんな仕草で腕を巡らし一礼する。

 だが、アリアは殺意と生理的嫌悪で顔を歪ませると、刃物のような眼光でギナンを睥睨へいげいした。

「……そのような戯言で私とアズマの決着に水を差すのですか、ギナン卿。これは私が設けた戦いです。それにやぶれたとあれば大人しく認めるまでのこと。貴方は……この私に恥を上塗れと言うのですか⁉︎」

 荒い息遣いのまま、怒りも露わに𠮟責する。

 しかし、ギナンはアリアの激語など何の痛痒つうようでもないかのように、満面の笑みも晴れやかに堂々と胸を張って立ち上がった。

「なるほど、即ちアズマと名乗るやからさえいなければ私の相伴に預かっていただけるということですね。承りました、愛しの姫よ。このギナン・アヴェノニクスの名に懸けて、必ずやアズマの首級しゅきゅうをお約束致します。ですからどうか、そこで見ていてくださいまし」

 何をどう解釈したのか、あるいは元々アリアの言を聞くまでもなく結論を出していたのか。ギナンは東の抹殺を決定すると、再び銃を構えて東を照準する。

「国を統治するのみならず、下賤な民を罰するのも貴人の威なり。そこな貧民よ。真の英傑の偉容を知り、光栄に思いながら果てるがいい」

「……上等だ。返り討ちにしてやる……」

 喘鳴ぜんめいと共に声を吐き出すと、ギナンに向かって手をかざす。

 だが、違和感に気付いた時には全てが遅かった。

「何……⁉︎ 魔法が……使えない⁉」

「然り。私の弾丸を喰らった者は神経系が麻痺し、一定時間魔法が行使できなくなる。二発喰らえば、動くこともできなくなるのだよ」

 言の葉と同時に、再び銃口から必殺の星が閃いた。

 空を切り、唸りを上げて弾丸は真っ直ぐに飛んでいき、東の太腿を容赦なくえぐる。やがて彼の足から紅蓮の華が艶やかに咲き乱れ、刹那の内に飛び散った。

「あ、あああああッ‼︎」

 一瞬の激痛、そして体の麻痺。

 全身を張り巡らせた神経に砂利が混じったかのような痺れが奔る。これで東は起き上がることもできなければ、動くこともままならない。

「さて、最後の仕上げといこうか———」

 銃をローブの内ポケットにしまうと、ギナンは両手を大きく広げ、涼しい声を誇らしげに張り上げる。

「正義に従う者は集うがいい! 善を尊ぶ者は叫ぶがいい! のアズマ・シュウという貧民は、誉れも高きアリア様に血を浴びせるのみならず、はずかしめを与えるに至った! このような蛮行を許していいものか? 否、いいはずがない!」

 有無を言わさず、是非を問わない、絶対的な権力者の威声が校庭の隅々まで響き渡る。その場にいた生徒たちはギナンの言葉につい聞き入ってしまった。

「今こそ、正義を信奉する者は一丸となって、この悪の体現者であるアズマ・シュウを処刑せよ! 私が認める! 私が許す! ギナン・アヴェノニクスの名において、この場における如何なる暴力をも免罪とする‼︎」

 この時、周囲の空気が決定的に変化した。

 今まで傍観に徹していた取り巻きの目に嗜虐と暴虐の色が浮かぶ。自分が正義の側に立ったと確信し、尚且なおかつ敵が赤子より無害な存在であり、嬲るなら今が好機であると気付いたゆえの豹変だった。

「諸人こぞるがいい! 猛るがいい! 錦の御旗みはたは我らにある‼︎ いざ、悪逆非道の大罪人に、暴力を以って我らが正義を示そうぞ‼︎」

「うぉぉぉおおおおおおおお‼︎」

 ときの声を轟かせると、生徒たちは一様に東に群がり、袋叩きにする。その拳が、蹴りが、衝撃となって校庭を震撼させた。

「わははは! 死ね死ねぇぇ‼︎ 俺たちが正義だ! こうなって当然なんだぁ‼」

「オラオラオラァ‼ どうした、もっと泣き叫んでみろやぁ‼」

 罵詈雑言を吐きながら、正義の名の下に生徒たちは暴力の手を緩めない。

 無論、全員が心の底から正義を信奉しているわけではない。中には日頃の鬱憤を晴らしたい者もいたし、元々暴力的な性格をしていた者もいた。中には直接手を下さず、東の無様な姿を眺めて楽しむ者もいた。

「あ……ぁ、ぁ」

 どこまでも醜く、どこまでも悪辣な集団暴力をアリアは呆然と涙ながらに眺めていた。自分が決闘を申し込んだばかりに、東に悲惨な目に合わせてしまった。その事実と、目の前の光景に、こみ上げる吐き気を抑えられない。

 だが、このまま東を死なせる訳にはいかない。アリアは最後の力を振り絞って、ギナンの足に寄りすがると、喉も裂けよとばかりに叫んだ。

「ギナン卿ッ! やめて……やめさせてぇぇ‼︎」

 喉を軋らせてただすアリアの声は、もはや泣訴きゅうそに近かった。

 ギナンはその無様さに気をよくすると、口元に冷たくも穏やかな微笑を浮かべた。

「血反吐にまみれ、涙に濡れながらも、貴女という女性は美しい。左様な姫であるならば、褥茵じょくいんで私に花を散らされる様はさらに見ものでございましょう。嗚呼、楽しみでなりませんね」

「……ッ‼︎」

 ここでギナンを殴れたらどんなに良かったか。だが、今のアリアは満身創痍まんしんそうい、腕を振り上げるどころか、指の一本すら満足に動かせない。

 故に、彼女に残された手段は一つしかなかった。

「……貴方の言に従います。もう貴方に逆らいません。だからお願いです。どうか、この場だけは収めて下さい……」

 がっくりと項垂うなだれたまま虚ろに地面を眺める姿は、かつて東を前に果敢に拳を振るった勇姿は微塵も残っていなかった。

 その無惨な姿を眺め、ギナンはさらに気をよくすると、淫靡いんびな視線で彼女の全身を舐め回し、欲望にただれた笑顔を浮かべる。

 そして、大衆に向かって振り返ると、大声で叫んだ。

「皆の衆! 刮目せよ‼︎」

 傲然と言い放ったギナンの言葉に、生徒たちはひとまず激情を鎮め、暴行の手を止めた。

「宴もたけなわだ。ここらで幕引きとしようではないか。なに、悪党への治罰という当初の目的は果たされた。これ以上は我々が手を下すことではない。我らの正義を見習った民草が、この意思を引き継いでくれるだろう」

 なるほど、それでいいか、と納得したような雰囲気がその場を支配する。そして、毒気を抜かれたように皆、校門を目指して歩いていった。中には立ち去るときに東に唾を吐きかける者もいた。

 後には、ぼろ雑巾のようになった東の体が、虚しく横たわっているだけだった。

「では、私もこれにて失礼致します。麗しき姫よ」

 ギナンは慇懃に一礼すると、東に一瞥もくれることなく、颯爽とその場を去った。



 

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