第8話 魔法と魔術

 朝になった。見慣れぬ部屋で目を覚ます。

 窓から差し込むおぼろげな陽光が心地よい。日の昇り方から見て時刻はおおよそ六時前後といったところだろうか。窓の外では、木々の間から小鳥のさえずりが聞こえてきた。

「ふぁぁ……あ、そか。異世界に来たんだった。夢じゃなかったのか……」

 朝の光に洗われる室内を見渡した後、体を起こして布団を畳む。

 クローゼットからあつらええ向きの服を拝借はいしゃくして雑に着こなし、顔を洗い、歯を磨いて、必要最低限の身嗜みだしなみを整える。

「よし、行くか……!」

 寝ぼけた気分を一新するべく頬を叩くと、窓から勢いよく庭に飛び出した。




「おぉ……やっぱあいつ金持ちだったんだな」

 この時、東は初めてソルタの屋敷を外から眺めたが、その威容に圧倒された。

 それは屋敷というよりか城と形容すべき外観であった。雪のように白く美しい城壁が天高くそびえ立ち、壺のような曲線を描く丸屋根は群青に輝き、金のつた模様が屋根の縁を飾っている。

 城は花が咲き乱れる広大な庭園に囲まれており、美しい景観を形成していた。

「すげぇな……あいつこんなとこに住んでんのか。一体どんな仕事してるんだ?」

 広い庭の中央には巨大な池が作られており、豪奢ごうしゃな噴水がさらさらと水の音を立てている。

 視界の奥には、荘厳そうごん築山ちくやまから水が流れ、滝を作っている。自然を模して手入れされたその庭は、国立公園のような優美さが見て取れた。

「えーっと、たしか『森を抜けた先の広間で待つ』って言ってたな。森はどこかなっと……お、あった。つーか、庭に森があるってなんなんだよ……」

 庭の築山の向こうには、庭木でできた森が茂っていた。そこに辿り着くまでに忍ばれる移動距離に辟易へきえきしながら、鬱蒼うっそうと生え広がる森を目指して、歩みを進める。

 少し時間が経った後、その圧倒的な大自然の一部を前にして、東は忘我ぼうがの呟きを漏らした。

「近くで見るとまた迫力あるな……この森本当に抜け出せるのか?」

 森は深く広く、どこまでも緑色だ。生命力に満ち溢れ、木漏れ日がキラキラと輝いている。

「はぁ……メンドクセー。行くか……」

 森を行く。

 無限とも言える木々の中、周囲の景色に視線を泳がせると、緑が眼を大いに楽しませてくれた。草木は陽に彩られて青々と輝き、爽やかな風に揺られ、楽しそうに踊っている。

 森の動物たちも人間に慣れているようだ。東が近くに来ても、怯えるどころか寄り添って一緒に歩みを進めてくる。

「はぁ、はぁ……いつまで続くんだ」

 進めば進むほど広がっていく木々の海。果ての見えない恐ろしさに背筋が凍り始める。

「お、あそこか?」

 森を抜けた。

 巨大な円型の空間、一際開けた森の広場に出る。とうに日は昇っているはずだが、広場は未だに朝靄あさもやにくすぶっている。

 白い日差しが朧に揺蕩たゆたう景色の中、その男は立っていた。

「〜♪」

 歌っている。

 軽やかで、美しく、透き通った声だ。風のうねりに重なり、陽の光に溶け込む歌は、あまりに幻想的かつ魅力的で、木に止まった鳥をも惹きつけるほどだ。東も、忽然こつぜんと耳に響いてくる魅惑の旋律に硬直してしまった。

「〜〜♪」

 流れる金の髪は燐光を浴びてさらさらと輝き、真っ白い肌は見事に朝靄あさもやに溶け込んでいる。

 天を仰ぐ姿はそれこそ清らかな光の中で舞う、美しい踊り子のようで、白い情景に霞んだ姿は見事に景色と一体化していた。

 残虐に人を殺し、荒々しく肉を喰らう豺狼さいろうの如き人格である一方で、天上の音楽のような声に、極上の絹のような柔肌を持つ美の結晶のような青年。東には、この奇怪な男がよく分からない。

「おう、やっと来たか。おせーぞ、五分遅刻だ」

 急に歌が止まる。あれだけ澄み渡った声は一瞬にして刺々とげとげしくなり、敬虔けいけんな信者のようなたたずまいは野蛮な獣のように荒々しくなった。

「悪かったって。森が広すぎてちょっと迷ったんだよ」

「ケッ、何が迷っただ、この兵六玉ひょうろくだまが。家主に楯突たてついたかどで晩飯抜きにするぞ」

 憮然と言い捨てる東の呟きが気にさわったのか、ソルタはいささか怪訝けげんな面持ちで声を上擦うわずらせる。

 相変わらず黒いコートに身を包み、左腕には包帯を巻いている。路地裏で出会った時と全く同じ装束しょうぞくであった。

「まぁいい、じゃあさっそく魔法を習得していくぞ。まずはおさらいからだ。魔法は魔力を操る能力のことで、二種類あるんだったな。『ものを創り上げる魔法』と『ものに干渉する魔法』だ。ここまではいいか?」

「あぁ」

「んで、魔法を身につけるために、オレの魔法で『魔力を操る能力』を付与してやる。それが無事適合すれば、オメーは魔法使いになれるってわけだ」

 魔法使いとは、すなわち魔力を操る者だ。万象の礎である魔力を生成し、変形し、干渉することで、あらゆる超常現象を起こす。

 東は今、その魔力を操る性質を体に宿そうとしている。

「よし、じゃあさっそくオメーを魔法使いにしてやる。オレの前に立って目ぇつむれ」

 言われた通り一歩前に出て、目蓋を閉じる。念のため、体の異常をすぐに察知できるよう視覚以外の感覚を全て研ぎ澄ました。

 何しろ、今から自分は生まれ変わる。比喩ひゆではない。人間ののりをこえ、魔法を使う機能を持った別の生命体として覚醒し、白日の裏側に隠されたもう一つの世界へ到達する。

 東の異世界転生は、この日この瞬間から始まるのだ。

 ソルタは手のひらに魔力を込め、一気に東の体に流し込む。東の体に衝撃が走り、体中の門が開いた瞬間、

 全てが、覚醒した。

「———————————————‼︎」

 体の奥から絶大な力が湧き上がり、翼が生えたかのように体が軽くなる。血潮ちしおの全てが熱に変わり、身体中を巡って炎のように燃え上がっているようだ。今なら、天聳あまそそる岩山すらも飛び越えられそうな気がした。

「おぉ……」

 実際とんでもないとしか言いようのない力だった。かつてない全能感と爽快感が心を浮き立たせ、うっかりすると踊り出しかねないほど気分を高揚させている。

「これが……魔力か」

 オーラのような霊的な放射体が、身体から発している。雲のように体を取り巻くオーラは、周囲数センチほどの厚みがあり、輝く太陽のような色彩を有している。

 全身に力を入れると、解き放たれた魔力が逆巻く風となり、周囲にあるもの、草花を、木の葉を、羽虫を、その一切を吹き飛ばした。

「うし、首尾は上々。じゃ、さっそく簡単な魔法から覚えてもらうぞ」

 そう言うとソルタは、コートの中から一冊の革表紙でできた魔導書を取り出した。

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