第3話 負けないで-3

 爽やかな風が流れる中、一郎は川沿いに淡々と走っていた。慣れれば随分遠くまで来れるものだと思いながら、ずっと練習をさぼっている後ろめたさも感じながら、走りつづけた。余裕で景色も眺めながら、鼻唄まじりに走っていた。

 ―――こんにちは。おばちゃん、元気?

 ―――あらぁ、おにいちゃん。今日も頑張るね。

 犬の散歩をしている年配の女性とも挨拶を交わすこともできるようになった。初めの時は・・・、一郎は少し思い返した。あの日はとにかく練習に出たくなかった。悔しくて悔しくて、監督の顔を見るのも嫌で、・・・逃げ出したくて、走り出した。泉央1号線沿いに、ただ走り続けた。上岡駅の横の踏み切りを越え、坂を下り、高架をくぐり抜けると、広い歩道を備えた1号線に出る。そこをただひたすら真っ直ぐに走り続けた。そして、バテた。帰れなくなった。ポケットを探ると何とか二百十円が出てきて、とりあえずバスで帰れるところまで乗った。そこから、ふらふらになりながら歩いて学校に帰り、着替えもせずに荷物を取って帰路についた。とても二郎には話せない事実。

 今なら、往復ぐらい何ともないだろう。そこまで体力がついた事を一郎は自信に思っていた。今まで短距離でチーム一の脚を自慢に思っていた。長距離でも上位に入っていた。脚には自信がある。それは、監督も二郎も認めてくれている。それを甘んじて受け入れることは、一郎にはできなかった。一郎が認めて欲しいものは、投手としての才能だった。江川には才能がある。小林にもある、だろう。自分にはないのか?一郎は答を探していた。どうすればいいかを考えていた。ただ、考えるのは時間の無駄だと思った。だから走りながら考えることにした。それが、きっかけだった。今は考えることはどうでもよかった。走ることが楽しかった。いわゆる、ランナーズハイというやつで、走ること自体が快感になってきた。このまま陸上部に転向してもいいな、と思うこともあった。ただ、どうしても、やっておきたいことはあった。


 今日は線路沿いに走り、久野駅を越え、川に沿って宮磯の方へ道を変えた。水無橋を渡り、広い道を抜け、細い土手の道を走り抜ける。風にかすかに磯の香りが乗ってくる。さすがに海まではかなりの距離がある。それでも自転車ならすぐだ。そう思いながら陽の落ちる時間を見ながら走りつづける。こっちの方へ行くと家からはどんどん遠ざかるのだけれど、一郎は気ままに気の向くままに脚を向けた。


 細い橋が掛かっている向こう側で、一人の女の子を数人の男子が取り囲んでいる。その子が可愛いことを、一瞬で見て取った一郎は橋を渡り近づいて行った。

 髪をうさぎのようにくくった女の子の制服は、久野中学のものだった。半分泣きながら身をすくめている女の子を助けるべく、一郎は近づいて行った。

 ―――なんだ、お前ら、よってたかって、女の子をいじめるのか!

 いきなりの闖入者に驚いて振り向いた連中も、どうやら一郎と同じく中学生のようだった。もっとも相手が高校生でも一郎は構わなかった。以前、大喧嘩して二人の高校生を叩きのめしたことがあった。喧嘩しても負ける気はしなかった。

 ―――なんだよ、お前は。

すごんで睨む相手をまともに見ようともしないで、一郎は女の子を見つめた。軽く顎で合図をして女の子を呼び寄せた。少女は一郎の背に隠れるように身を寄せた。

 ―――かっこういいな、オレは。

そう心の中で呟きながらも、気取ったポーズを崩さずに言った。

 ―――コノコが一体何をしたっていうんだ。お前ら、男だろう、よってたかったいじめなんて、恥知らずだと思わないのか!

 ―――何にも知らないくせに、出しゃばるんじゃねえよ。

 ―――そうだ、そいつが何したか知ってるのかよ。

 ―――知るわけないだろ。

一郎はふてぶてしく答えた。

 ―――そいつはな、俺たちのことをチクリやがったんだ。

 ―――そうさ。こんな、卑怯なヤツに、ちっと指導してやるとこだったんだぜ。

 ―――ホント?

一郎が後ろを振り向いて確認すると、少女はすがるような目で一郎を見て、首を振った。

ほら見ろと、いう気分で振り返ると、

 ―――コノコは違うって言ってるぞ。

と言った。

 ―――何をぉ。いいか、俺たちが掃除当番をサボったことをワザワザ言いつけておいて、知らないだとぉ。

 ―――そうだ、この卑怯モン!

 一郎は身体から力が抜けそうな気分を支えながら立っていた。掃除サボリ云々ですごんでいる三人を前に、あきれて何も言えなかった。

 ―――こいつらの言ってるのは、本当なの?

首を振りながら少女は答えた。

 ―――違うんです。掃除の時間、先生に、彼らがどこにいるかって訊かれて、帰ったって言っただけなんです。

 ―――それをチクリって言うんだよ。

前に出てそう怒鳴った一人を一郎は殴った、いきなり。驚いた後の二人も一瞬で一郎に殴り飛ばされた。

 ―――バカかぁ、お前ら。ガキじゃあるまいし。そんなこと、コノコと何の関係があるっていうんだ。逆恨みもいいトコだぜ。お前らみたいなヤツラはな・・・。


 一郎は、片っ端から殴りつけ、逃げ出そうとする奴も引きずり倒して、蹴り付けた。

 ―――いいか、恨むなら、オレ様を、恨みな。いつでも相手してやるぜ。オレはな、緑ヶ丘のイチローってんだ。文句があるなら、オレのところに来い。コノコには、何の関係もないからな。いいな、オレのところに来な。有名人だから、学校に入って、イチローのとこに連れて行けって言えば、すぐにオレのところに案内してくれるぜ。いいな、緑ヶ丘のイチローだ。わかったらとっとと、往ね!

 三人は、散々殴られた後に逃げ出していった。一郎は久しぶりのケンカに満足して、また走り出そうとした。と、後ろから少女の呼び止める声が掛かった。一郎はその時ようやく思い出して、少女に向き直った。

 ―――と、忘れてた。

 ―――あの・・・、ありがとうございます。あたし、島崎菜々子といいます。ありがとうございました。よかったら、あたしの家に来てください。お礼をしたいの、です。

 ―――いいよ。可愛いコが困っていたら、ほっとけない性分なだけさ。それに、練習中だから。じゃあ。

 そう言い放つと走り出した。一郎は自分のかっこう良さに酔いながら、駆け出した。後ろから呼び止める声が聞こえたが、聞こえなかったふりをして振り向きもせずに去った。が、不用意に広い道に飛び出してトラックにぶつかりそうになった。

 ―――バカヤロー!

 ―――すんません!

トラックの運ちゃんに怒鳴られ、逃げるように走り去った。


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