第2話 負けないで-2

 下宿屋の2階へ上がり、ドアのノブに手を掛けた二郎は鍵が開いているのを不審に思いながら、ゆっくりとドアを開けた。薄暗い部屋の明かりをつけると、一郎が寝そべっていた。

 ―――なんだ、兄さん、帰っていたのか。

一郎は無言でふて寝していた。

 ―――みんな気にしていたよ。どこ行ったんだろうって。

 ―――どこ、行こうとオレの勝手だ。

 ―――だけど、練習中だろ。帰るんなら、帰るって言わないと。

 ―――ナニ言ってやがんでぇ・・・。

二郎は東からいきさつを聞いていた。一郎がへそを曲げたことは察しがついていた。双子ながら性格の違う二人は、却ってお互いの気持ちが良く分かるのだった。

 ―――兄さん、聞いたよ、キャプテンから。やっぱり、監督の言うように、外野に転向したほうがいいよ。元々、足は速いんだし、肩もいいからきっとすぐにレギュラーになれるよ。

 ―――うるさいな。オレにはオレの考えがあるの!

 ―――でも…。

 ―――お前はレギュラーだからいいよ。オレは、オレは。

 ―――兄さん、どうして、そんなにピッチャーがいいんだよ。

 ―――そりゃぁ、お前・・・

一郎は急に起き出して、二郎の顔を見ながら言った。

 ―――やっぱり、カッコいいじゃないか。

 ―――それだけ?

二郎があきれて、一郎の顔を見ると、一郎は変に照れた顔をして笑った。二郎はつられて笑うしかなかった。

 ―――さぁ、兄さん。飯食いにいこう。おばさんが待ってるよ。

 ―――おう、腹へったな。

二人は階段を競うように降りていった。

 ―――でも、兄さん。明日はちゃんと謝りなよ、監督に。

 ―――うるせえ。そんなことはどうでもいいんだ。見てな、オレのやり方を。

二郎は元気になった一郎を見て笑みをこぼしてしまった。


 ―――おい、イチローはどうした?

練習中の少年たちの中を監督の声が響き渡る。柔軟の時はいましたよ、と声が返る。それに呼応するように、同じ言葉が飛び交う。二郎は申し訳なさそうに、監督に詫びるが、

 ―――あいつはあいつだ。兄弟だからって、お前が詫びる必要はない。個は個だ。個人が責任を持つことが、社会生活への訓練となる、んだが、イチローだからな・・・、お前も大変だ。

 ―――でも、いいアニキですよ。

 ―――どっちが兄貴やら・・・。


 その頃一郎は大きなくしゃみをしていた。

 一瞬、バランスを崩してよろめきながら、車道に飛び出しそうな体勢を立て直した。そして、少し鼻をすすると、また走り出した。いまようやく上岡の踏み切りを越え、坂を下りきったばかりだった。一郎の予定は、まだまだ先だった。とりあえず、行けるとこまで行く。そこからは歩いて帰ってきてもよかった。まず自分の今の力を知ることが目的だった。どこまで走れるか、知りたかった。だから走りはじめた。


 一郎が家に辿り着いたとき、9時を回っていた。ユニフォーム姿のまま帰宅した一郎は、二郎の心配の声も聞き入れず、ふらふらのまま服を脱ぐとそのまま布団を敷いて眠ってしまった。二郎はあきれて何も言えないまま一郎を見ていると、物音を聞きつけたおばさんが、イチローちゃんが帰ってるならご飯を温めようかと声を掛けてくれた。二郎は丁重に礼を言いながら、今日はいいです、と断った。部屋に戻ってみると一郎は大口を開けていびきをかきながら眠っている。

 ―――まぁ、遊んでるわけじゃないし、一生懸命頑張ってんだから、文句は言わない、と。でも・・・、明日、監督に何て言おう・・・。

 一郎は大の字になって大いびきのまま寝ていた。


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