第34話 すべての人の心に花を-34


           *


 朝夢見と仙貴に送られる日々が続いた。

 しかし、もう誰もしのぶを待ち伏せすることもなかった。

 それでも、由起子は、二人に送り続けさせた。朝夢見も仙貴も嫌がることもなく、特に仙貴は、朝夢見がいるときも一緒に歩いてくれた。何を話すでもなく、ただ、朝夢見としのぶの後ろをついてきてくれた。それが、しのぶには嬉しかった。

 時々、しのぶは仙貴に、

「もういいよ、大丈夫だから」などと、言ってみるのだったが、仙貴はにこにこしたまま、肯定するでもなく否定するでもなく、応えた。そして、いつも、ちゃんと送ってくれるのだった。

 笑顔で仙貴を見送ってしのぶは扉を閉めた。静かな部屋はどこかよそよそしくすらある。しのぶは、ふらふらと奥へ入りと、そのまま鞄を放り出して、ソファに倒れ込んだ。


          *


 ソファにうずくまったしのぶを見つけて由起子はゆっくりと近づいた。驚かせようかと思ったのだったが、しのぶの様子がおかしいのに気づいて、しばらく様子を伺った。泣いているわけではない。震えているわけでもない。淋しげに、身を竦めている、その姿に、由起子は、何も言わず、近づいて、そっと肩に手を当てた。しのぶは、ゆっくりと、振り返って、由起子の顔を見た。その顔を見て由起子はどきりとしてしまった。言い表しようのない、悲壮な表情がしのぶの顔に表れていた。それでも、優しく微笑みながら、「どうしたの」と訊ねた。しのぶは、様相を崩すでもなく、由起子の顔をじっと見つめたまま、唇は動いた。しかし、音は発せられなかった。虚しく、唇が、震えるように動いているだけだった。

「どうしたの、しのぶちゃん」

もう一度、由起子は、ゆっくりと、一語一語伝えるかのように、訊ねた。しのぶは、ほろりと、涙を流しながら、唇を動かした。その言葉も、由起子には聞き取れなかった。しのぶは、頬に伝う涙をせき止めようと努力しているかのように、次第に様相を崩して、言った。

「あたし……こんなで…いいの?」

「ん?なにが?」

由起子は明るく答えた。しかし、しのぶは、また同じように言った。

「あたし……こんなに、みんなに…迷惑…掛けて…、こんなで…いいの?」

「みんなって、みんな、迷惑だなんて思ってないわよ」

「でも、でも、あたし…、……なんなんだろう」

「しのぶちゃん…」

由起子はゆっくりとしのぶを抱き寄せた。しのぶは、人形のように、由起子に抱き寄せられた。そして、泣くでもなくただ、そのまま空を見上げて、言った。

「あたし、あたし、…あたしが、悪いんだよね。あたしが、悪いんだよね」

「なにが?」

「あたしのせい、なんだよね。あたしのせい…で、みんな、よけいなことさせてる」

「よけいなこと、なんて、思ってない。大丈夫」

「でも…でも…、あたし、が、いなけりゃ、みんな、こんな、面倒なこと…なかった」

「なにも気にしなくてもいいのよ、しのぶちゃん」

由起子はぐっとしのぶを抱き寄せた。しのぶは、どこかそれを拒むかのように、続けた。

「あたしが…いけないんだよね。あたしが、いなければ、いいんだよね。……由起子先生、…あたし、帰る。…家に、帰る」

「そう?帰ってどうするの?」

「…帰る」

「それで、どうするの?」

「……帰って……、帰って……」

「帰りたいの?」

「……んん。……もう、…帰りたくない」

「帰るところはない、って、前に言ってたわ。そんなとこに帰って、どうするの?……そんなとこで、生きていけるの?」

「!」

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